月別アーカイブ: 7月 2024
こどもに優しい社会に
人は
生まれてから亡くなるまで
何の支援も必要とせず
生きていくことはできません。
人は
ひとりでは生きていけないのです。
特に
赤ちゃんは放っておいたら死んでしまいます。
その後も
こどもたちは
勝手に育つこともできない。
おとなになっても
突然の病気になったり
不慮の事故、事件に出くわしたり
ひとりでは乗り越えられない
出来事にでくわすことも。
年取って
認知症や、身体が不自由になってしまうことも
出てきます。
こう考えると
人間は一生人のお世話にならないと
いけないのです。
誰もがです。
終わりのない助けがあってこそ
生きていけるのです。
ですから
こどもに優しい気持ちに
あふれた社会は
誰にも優しい気持ちがずっと続く
社会になると思いのです。
いつまでも
こどもに見せたやさしさを
ずっともって生きて生きましょう。
ほとんどよくなっている
「その後どうですか?」と聞くと
「だいぶんいいです」とか
「ほとんどいいです」と言われると
とても申し訳ない気持ちになる。
なぜなら
「ほとんど」といわれると
よくなってない部分があると言うこと
気になっている部分があることが
クローズアップされてる気がして
気になって仕方なくなる。
医者として
もっとその患者さんに
尽くさないとという気になる。
完全に治ってもらいたい。
病気の治療に医者に遠慮なんていらない。
諦めないで治してもらいたい。
コーカサス地方の人々が長寿なのは?
長寿の人たちの暮らし方を研究することで
長寿の秘密を探ろうとする。
代表的な長寿国(地方)は
日本、地中海、そしてコーカサス地方は
よく研究され
和食が注目されたり
オリーブオイルがいいなどと言われてきた。
それも一理あるだろうけど
食事だけが全てではありません。
「コーカサスの教え」の著者ベネットは
「孤立とか淋しさは人を殺す」という風に
食事と、運動に気をつけていても
老人を大切にしていない
老人を尊敬していない若者志向の社会は
長寿かどうかに関与しているというのです。
コーカサスの社会では
日本のように定年を迎えると
社会との関係が途切れると言うことは
ありません。
家庭においても
年寄りは死ぬまで家長であり
自分の責任を果たす立場にあるのです。
死ぬまで
人は人の社会の役に立っていると
感じて生きることが
長く生きることに繋がるのでしょう
犬は大好きだけど
神社の神官さんに
あなたは犬がこわいですね。
と言われた。
幼い頃から
犬を飼いたいと両親に言ってたけど
その願いは叶わなかった。
でも、犬をずっと飼いたかった
今でも気持ちは変わらない
犬好きだけど
その神主さんの言葉を
否定しかけた時
ふと、幼少時の思い出が蘇った。
まだ幼稚園の時
近所にスピッツのこどもが生まれて
その1匹を
自分の犬と決めて
一時期毎日のようにその子犬の
お世話をしていたことを思いだした。
子犬は大好きだけど・・・・
また、小学校になって
家を引っ越したので
その子犬は会えなくなってしまった。
引っ越し先の
となりの家には
雑種のジョンという成犬がいました。
その犬は番犬としては優秀で
人が来たらよく吠えるのです。
そして僕が傍を通っただけで
凄い形相で威嚇するので
怖くてたまらなかったです。
ある時
ジョンは、いつも繋がれているのに
鎖を外して
となりの空き地にいたのをみつけて
一歩も家から出られなくなったのを
思い出します。
今でもその時の恐怖感は
記憶にのこっています。
次にこのことは
親から聞いた話だけど
2.3歳の時
叔母の家で飼っていた犬を預かっていて
その犬が家の裏に繋がれていて
僕をみつけると
吠えて僕が怖がるのを楽しんでるように
威嚇するのです。
だから
裏の入り口から
決して外に出なかったんだけど
ある日
親が大丈夫だからというので
その犬の横を通ろうとすると
そんな僕をみつけて
ちょっとからかってやろうと思ったのか
吠えたのです。
案の定僕は驚いて
こけてしまいました。
すると、その犬が
勝ち誇ったように倒れた僕の上に
立ったのです。
僕は、助けを呼ぶために大泣き
その声を聞きつけた母は
驚いて僕を助け出したのでした。
その体験は怖かった。
その幼少時の体験が
今も心に残っていて
それを感じて神主さんは
僕が犬が怖いと言ったのでしょうか?
そこはわかりませんが
僕は大好きな犬で恐怖体験をしたことを
その言葉で思い出しました。