月別アーカイブ: 8月 2024
温かい心で見守る
平和な世の中だからならではの問題
最近社会問題になっているのは
ひきこもり。
診察時にも
学校にいけなくて
困り果てて親御さんと来院される
ケースが増えてきた。
これはこどもだけの問題ではなく
おとなになっても
引きこもったままで
働かずに
将来を心配する老いた親との
トラブルとなった悲劇が
度々報道される。
人々の
生き方が様々選択できる
自由になった反面に起こった
現象だとも言えるし
働くなっても
生活保護などを受けることで
生きていくことができるので
そのままで生きようとすれば生きていける。
時代であるとも考えられる。
もし
自給自足中心の世の中であれば
働かないと生活保障が得られない
社会に生きていたのならば
引きこもってはいられないはず。
引きこもっても生きていけるのは
日本が平和でいい国になったから?
とも考えられるけど
このままでもいいのだろうかと・・・
問題の闇は深い気がします。
人口容量
古田隆彦青森大学教授(人口社会学)が
提唱されている人口容量という考え方が
あるというのです。
これまでの日本人の人口容量は
旧石器時代で三万人
集約文明期で三三〇〇万人と推定されていて
人口がこの領域に達すると
日本人の人口は停滞もしくは減少して
のりきる場面に遭遇してきたそうなのです。
その人口容量に達し、乗り越えるために
限りある資源の分配するための
選択を迫られてきました。
現代の我々親世代は
この人口容量を乗り越えるために
自らの水準を下げてもこどもを増やしていくのか
生活水準を維持もしくは高めるために
こどもを諦めるかの選択を迫られてる時代に
きていると思います。
その意識が
我々現代人のひとりひとりの考えに
無意識のうちに働き
晩婚化、非婚化
共働き、仕事と育児の困難さが生じてしまった
とも考えられるのです。
国はある意味お金をばらまくことで
子育てしやすさを感じてもらおうとしていますが
生活水準を維持、あげようとすればするほど
子育ての困難さは上がってしまいます。
そこで、子育て
こどもを育てることの価値観
これはお金で得ることのできない価値観であると
既存の価値観を変えていくことが
必要ではないかと思うのです。
親は心配し続けてしあわせになる。
こどもは
早く親から独り立ちすることが
こどもの役割。
親に心配かけないように
生きられるようになることが
成長の証だと考えて
勉強に励んでいることでしょう。
親も
自分たちが何も心配いらないように
なって欲しい。
こどもたちには
自分の道を自分の足だけで
歩いて欲しいと思っているのです。
でも
実際、親は
いつまで経っても
こどものことを心配し続けてしまうのです。
ひとり暮らしを始めたら
ちゃんと食べているだろうか?
働き始めれば
人様の役に立っているだろうか?
結婚して、こどもが生まれれば
子育てに悩まされないだろうか?
心配の種は尽きないものです。
介護をしている方から
こんな話を聞いたことがあります。
介護に至る前の段階での一番の親孝行は
親に楽をさせないこと。
そして、親にいつまでも心配をかける
親不孝なこどもが
結果的には一番親孝行だというのです。
そういえば
父が、おまえのことを心配できることが
しあわせなんだよ。
という科白を聞いた時
父がいつも寄り添ってくれている
安心感の有り難さを感じたのを
今も憶えています。
少子化を克服するための国策とは
昔から少子を統計的にみて
打つ手があると言われてきた。
ひとつは識字率を下げること
最近こどもたちの学力は下がってきている
といわれています。
これはこどもを減らしてはいけないという
人類の無意識の動きなのか?
いえ、これから識字率が下がることなど
非現実的でしょう。
それに、こどもたちに
勉強しなくていいなどという世の中には
決してならないでしょう。
それなら
誰もが大学までいけるように
学校教育費を下げるなどすると
こどもの行きすぎた教育熱が
加熱することはないので
こどもを育てやすくなる気はします。
そして
こどもにとっても、安心して
自分の道を進むことができるのかも。
日本が
大学教育まで無料化して
識字率を下げるのではなく
誰でも自分の選んだ道を
自分の能力に合わせて生きる国になれば
今よりも
子育てしやすい国になりそうですよね。
寝る前のひとこと
真夏は寝苦しくて
なかなか寝つけなかったり
途中で目が覚めてしまって
朝起きた時
睡眠不足を感じて
一日どんよりすることともあるでしょう。
そんな夏の夜
悩み事、一寸気になることがあったりすると
ますます不調に拍車をかけてしまいます。
そこで
少しでも気分よく眠って起きるために
寝る前に
一寸気になったことがあったら
ごめんなさいと謝って目を閉じればいい。
有り難いことがあれば
ただありがとうと言って目を閉じればいい。
そうすることで
思いを解放して眠りにつくことで
あなたを安眠の世界へ誘ってくれるでしょう。
6歳のボクが、大人になるまで
という映画を観た
文字通り6歳だったこどもが18歳に
なるまでの月日を撮った映画。
その12年間
母親は離婚、再婚をくり返す。
そして生活するためにキャリアを積もうと
引っ越したり、大学に入ったり
その都度
こどもたちの意志は無視されるように
突然転校させられたり
新たな兄弟になったり、別れたり
まさに親の都合で
人生を翻弄される中
自分たちの道をみつけ
親からの巣立ちの時期を迎えるのです。
この映画は
子育てをする時期は
親もこどもだけでは
しあわせになれないし
なれるかどうかわからない。
ある意味
生活、いや生きていくために
必死で生きていく内に
親も子どもも自分の道をみつけていく。
しあわせになろうと思ってるけど
その前に生きて行かないと。
親子で必死で生きていくことが
子育てなのだろう。
子育ての目標は
親もこどももしあわせになるための
持ちを歩むことなんだと思う
無駄貯金
何かしている時
特に自分から望んでいないことを
やっている時
何だかやらされている感を感じたり
「こんなことをやっていて
いったい何の意味があるのだろうかと」
思ってしまうこともあるのでしょう。
虚しい時間を過ごしている気がして
焦ってしまうこともあるでしょう。
無駄と思えるのは
今だけなのかもしれません。
時間が経つと・・・
その無駄と思った経験が
必要になる時
その経験が後になって
役が経つ時が
巡ってくることがあるかもしれません。
それは、誰にもわかりません。
ですから
今、無駄に思えることは
こころの奥の引き出して
しまって貯金っしておきましょう。
その貯金を使う時、下ろす時が
いつか訪れるかもしれません。
無駄なことと思えることでも
喜んで受け入れ
いつかの日のために
無駄貯金をしておきましょう。
魂の成長
先日ピアニスト ダン・タイ・ソンのコンサートに
行ってきました。
ダン・タイ・ソンといえば
多くの一流ピアニストを輩出している
国際ショパンコンクールにおいて
1980年、アジア人として初めて優勝したという
誰もが認める超一流ピアニスト。
こんなピアニストの音楽を
生で聴ける機会はそんなにないので
診療後北九州の響ホールまで
行ってきました。
その日は
大雨が降る中の移動だったけど
行って良かったというのが
まず最初の感想。
CDは確かにたくさんでているので
演奏は聴くことはできるけど
生からでしか聴けない、感じた演奏
今も進化している
ダン・タイ・ソンの進化を肌で感じられ
大満足の演奏会だった。
ダン・タイ・ソンのショパン、フォーレを聴いて
彼は
最新のショパンコンクールの優勝者の先生でもあるけど
その技術は
そのお弟子さんの方が
技術はうわまっているのは明らかだけど
一音、一音に込められた
思いが美しさに変わり
聴衆者である僕のこころを
次々に揺さぶってくる。
そして、感動の嵐に包まれてしまった。
ダン・タイ・ソンの
精神性に触れ
技術的にはきっとある時点で
止まっているのかもしれないけど
音楽に対する気持ち
精神性は止まることなく
進化する・できることを感じられた
しあわせな演奏会にいけたことに感謝。
もっともっと、若い人たち
こどもたちにも聞いて欲しい
演奏会だった。
自分を疑ってみる
何かを考え
考えるだけでなく
何か意見をする時には
自分は正しいと思いがちです。
自分が正しいと思うから
意見も言えるのですが
意見を言うために
自分は正しい
そう思う方が心地いいものです。
そして、そう思うことで
自分を成長もさせてくれることも多いものです。
しかし
自分は全て正しいと思い
他の意見を聞く余裕がないと
実は
自分の成長を止めてしまうことに
なりかねません。
だから
自分を達観した視点でみてみると
ここがだめだから、ここを変えると
もっと成長できる可能性が
見つかるかもしれません。
時には自分を疑ってみましょう。