道元禅師が遺した言葉です。
薪は燃えて灰になります。
ですから灰は、薪が燃え尽きた先の
姿であると普通は考えます。が、
道元禅師はそうではないと仰るのです。
薪は薪で絶対の姿
灰は灰で絶対の姿である。
薪と灰は連続した繋がった姿と
普通は考えますが
道元禅師は、
薪も灰もそれぞれ切り離した姿として
考えなさいと言ってるのです。(際断)
実は生、死も同様なんです。
生の延長線上に死があるのではなく
生と死はそれぞれで絶対の姿で有る
というのです。
生と死を切り離して考えると
少し生き方も変わってきそうですね。