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日別アーカイブ: 2024年10月21日
渇愛
人はその日の気分で
日々左右されています。
例えば雨が降る、降らないでも
人の感じ方はそれぞれです。
水不足を心配した人なら、
久しぶりの雨を“よかった”
と思うでしょうし、
レジャーを予定していた人にとっては、
冷たい雨を“残念だ”
と思うことでしょう。
実は、
この雨の良し悪しを決めているのは
自分自身。
自分たちの都合によって、
良し悪しのレッテルを
張っているのです。
例えば、雨の予報だったので、
雨具の準備をしていたのに、
雨が降らなかったら、
少し肩透かしを食らったかのように、
雨が降らなかったことを
残念に思ったりしませんか?
雨は望んでいなかったのに、
雨の対策を打った時点で
ひそかに雨を望んでいた
のかもしれません。
雨が降るという天気に
悪気はありません。
感情もありません。
雨が降ることに対して
良し悪しと判断しているのは
自分自身。
そして、そのレッテルを張っているのは、
自分の脳です。
実は脳は、
ありのままの世界を
認識しているわけではなくて、
自己中心的な思惑によって、
世界をゆがめて認識をしています。
この自己中心的な思惑を
仏教では“渇愛(かつあい”と言うそうです。
元々嫌だと思っていたものを、
ひそかに望むようにゆがめてしまう。
その世界を作り出しているのが、
自分自身、自分の脳です。
実は私達の感情は、
自分の脳の“渇愛”という
わがままさんに振り回されて
いるのです。
ですから、
雨なら雨を、
晴れなら晴れを、
ありのままをありのままに
受け入れることができたら、
毎日が生きやすくなるんでしょうね。
カテゴリー: 今日の言葉
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落下の解剖学
という映画を観た。
この映画は
人があまり訪れない山荘で起こった
この住人の夫が
落下死亡事件に対して行われた裁判。
この事件
目撃者は夫婦と視覚障害のある息子、盲導犬
しかいない。
目撃者も、物的証拠も少ない中の裁判。
事故だと訴える奥さん
奥さんが犯人だと主張する検察側。
目撃者もなく
物的証拠も少ない中
人の意見や録音されたものなど
数少ないもので
人々の憶測で組み立てられた
話が法廷で
真実かのように語られる。
事実はひとつでも
同じひとつでも
人はどう考えて、どう見ているかが
赤裸々に語られ
誰もがこころをえぐられていく。
人と争うことは
感情をむき出して
お互いのこころを傷つけることになる。
例え
法的に勝っても、負けても
争ったことの犠牲は大きいことを
教えてくれた映画だった。
カテゴリー: 今日の言葉
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