年別アーカイブ: 2024
人生に必要なのは、やさしさと、かしこさと、ほんの少しの強さ
人はよく
「あなたの痛みはわかります」と言うけれど
あなた以外の本当の痛みは
当事者にしかわかりません。
わかるというのは
想像できるという意味でしょう。
想像して、痛かっただろう
辛かっただろうと想像できます。
その想像力が
そのひとのやさしさだと言うことです。
でも、そのやさしさは
あなたの想像力から生まれたものだから
そのやさしさには限界があると言うこと。
だから、そのやさしさが
相手の重荷になったり
大きなお節介になってしまうこともあるのです。
あくまでも
痛みの主人公はあなたではないということを
こころに留め
想像力の種を当事者から
くみ取らなければいけません。
その時に必要な力が
賢さです。
つまり本質を見極めること。
現代は多くの情報を簡単に手に取ったり
自らの考えを簡単に発散することが
できます。
ですから、本物、本質を見抜く
思考力が必要になります。
そのためには
様々な意見反対意見でも
耳を傾けてみる素直さが必要になるのです。
そして
人の意見を聞く、言い、実行する時に
様々な困難や課題に
ぶち当たることがあるでしょう。
そんな時でも
自分の信じる道をやり抜く力が
必要になります。
その進む時に必要な力が
ほんの少しの強さが
必要になります。
今よりもちょっとだけ
強くなったら歩み出せるのです。
あなたはスーパーマンではありません。
でも、今よりもほんの強い力を出し続ければ
大きな力、勇気をもった人物になっていることに
気がつくでしょう。
お金がないからというのはごまかし
子育て世代は
こどもにお金がかかるから
贅沢はできないと
こころに決めているから
お金がないからと
諦めてしまうことは多いでしょう。
もちろん
現金や銀行の貯金通帳が0であれば
その通りでしょう。
お金がないという言葉は
生活が苦しいという意味によく使われます。
実際生きていくためには
お金がないのならそれは仕方がありません。
もっとお金を稼ぐ方法を考えないといけません。
しかし
子育てが終わった時期になっても
お金がないという言葉が習慣になって
我慢を続けていませんか?
子育てが終わると
老後のためにと考える人は多いことでしょう。
でも
年に数回でいいから
好きなものにお金を使っても
いいのではないでしょうか?
好きなことにお金を使うことは
あなたの生活に潤いを与えてくれるので
決して贅沢ではないのです。
その時に、かつての習慣で
「お金がないから」と言って
我慢し続ける人生って・・・・
さびしくなりませんか?
こどもに優しい社会に
人は
生まれてから亡くなるまで
何の支援も必要とせず
生きていくことはできません。
人は
ひとりでは生きていけないのです。
特に
赤ちゃんは放っておいたら死んでしまいます。
その後も
こどもたちは
勝手に育つこともできない。
おとなになっても
突然の病気になったり
不慮の事故、事件に出くわしたり
ひとりでは乗り越えられない
出来事にでくわすことも。
年取って
認知症や、身体が不自由になってしまうことも
出てきます。
こう考えると
人間は一生人のお世話にならないと
いけないのです。
誰もがです。
終わりのない助けがあってこそ
生きていけるのです。
ですから
こどもに優しい気持ちに
あふれた社会は
誰にも優しい気持ちがずっと続く
社会になると思いのです。
いつまでも
こどもに見せたやさしさを
ずっともって生きて生きましょう。
ほとんどよくなっている
「その後どうですか?」と聞くと
「だいぶんいいです」とか
「ほとんどいいです」と言われると
とても申し訳ない気持ちになる。
なぜなら
「ほとんど」といわれると
よくなってない部分があると言うこと
気になっている部分があることが
クローズアップされてる気がして
気になって仕方なくなる。
医者として
もっとその患者さんに
尽くさないとという気になる。
完全に治ってもらいたい。
病気の治療に医者に遠慮なんていらない。
諦めないで治してもらいたい。
コーカサス地方の人々が長寿なのは?
長寿の人たちの暮らし方を研究することで
長寿の秘密を探ろうとする。
代表的な長寿国(地方)は
日本、地中海、そしてコーカサス地方は
よく研究され
和食が注目されたり
オリーブオイルがいいなどと言われてきた。
それも一理あるだろうけど
食事だけが全てではありません。
「コーカサスの教え」の著者ベネットは
「孤立とか淋しさは人を殺す」という風に
食事と、運動に気をつけていても
老人を大切にしていない
老人を尊敬していない若者志向の社会は
長寿かどうかに関与しているというのです。
コーカサスの社会では
日本のように定年を迎えると
社会との関係が途切れると言うことは
ありません。
家庭においても
年寄りは死ぬまで家長であり
自分の責任を果たす立場にあるのです。
死ぬまで
人は人の社会の役に立っていると
感じて生きることが
長く生きることに繋がるのでしょう
犬は大好きだけど
神社の神官さんに
あなたは犬がこわいですね。
と言われた。
幼い頃から
犬を飼いたいと両親に言ってたけど
その願いは叶わなかった。
でも、犬をずっと飼いたかった
今でも気持ちは変わらない
犬好きだけど
その神主さんの言葉を
否定しかけた時
ふと、幼少時の思い出が蘇った。
まだ幼稚園の時
近所にスピッツのこどもが生まれて
その1匹を
自分の犬と決めて
一時期毎日のようにその子犬の
お世話をしていたことを思いだした。
子犬は大好きだけど・・・・
また、小学校になって
家を引っ越したので
その子犬は会えなくなってしまった。
引っ越し先の
となりの家には
雑種のジョンという成犬がいました。
その犬は番犬としては優秀で
人が来たらよく吠えるのです。
そして僕が傍を通っただけで
凄い形相で威嚇するので
怖くてたまらなかったです。
ある時
ジョンは、いつも繋がれているのに
鎖を外して
となりの空き地にいたのをみつけて
一歩も家から出られなくなったのを
思い出します。
今でもその時の恐怖感は
記憶にのこっています。
次にこのことは
親から聞いた話だけど
2.3歳の時
叔母の家で飼っていた犬を預かっていて
その犬が家の裏に繋がれていて
僕をみつけると
吠えて僕が怖がるのを楽しんでるように
威嚇するのです。
だから
裏の入り口から
決して外に出なかったんだけど
ある日
親が大丈夫だからというので
その犬の横を通ろうとすると
そんな僕をみつけて
ちょっとからかってやろうと思ったのか
吠えたのです。
案の定僕は驚いて
こけてしまいました。
すると、その犬が
勝ち誇ったように倒れた僕の上に
立ったのです。
僕は、助けを呼ぶために大泣き
その声を聞きつけた母は
驚いて僕を助け出したのでした。
その体験は怖かった。
その幼少時の体験が
今も心に残っていて
それを感じて神主さんは
僕が犬が怖いと言ったのでしょうか?
そこはわかりませんが
僕は大好きな犬で恐怖体験をしたことを
その言葉で思い出しました。
花の世の 花のようなる 人ばかり
これは龍澤寺の住職をつとめられ
俳人飯田蛇笏の弟子でもあった
中川宋淵師の俳句です。
どんな時代であっても
どのような生き方をしても
世の中は花であり
人もまたみな花であるという
意味です。
どの時代に生まれたとしても
その時がどんな時代であっても
価値がないという時代は存在しない。
また
あなたがどんな時代に生まれていようが
あなたの生まれていること時代
価値があり
あなた自身が花なのです。
とってもいい俳句だと思いませんか?
初発心時 便成正覚
この言葉は
禅の言葉ですが
この言葉は「初心忘るべからず」と
似て非なる同義の意味があります。
この意味は
修行をしようという心を持った時に
すでに正しい悟りがなっている
ということです。
何かを始めようとした決意した
その瞬間にすでに
悟りの境地に達している
ということです。
ですから
何か始めようと決意して
実行し始めることに
大きな意味があるということでしょう。
ですから
この一歩踏み出すことが
大事なのです。
しかし
動き出すと
どうして結果が出ないのか?
やり方がわからなくて
投げ出してしまいたい時もあるでしょう。
そんな時には
是非決意した時の
やる気にあふれた時を思い出しましょう。
初心を忘れてしまうと
その後の人生は尻つぼみになってしまいます。
そして
人生は長く思えても
瞬間、瞬間の今の積み重ねです。
毎日
初心の心を忘れずに
生きて生きたいものです。
不幸を受け入れる
これは
アメリカの精神医学者シーベリーの言葉。
人間でいる以上
避けられないことは、受け入れようと
いう言葉です。
人は、年取って衰えを感じると
何だか不幸に向かって進んでいるように
感じてしまうかもしれません。
老いを落ちぶれてしまった
と感じる人もいるでしょう。
老いを落ちぶれたと考えてしまうと
最期の時に
「我が人生に悔いなし」と言えなくなる気がします。
老いは
若い時と比べて引け目を感じることはない。
体力が落ちたとしても
それまでの経験があるから
がむしゃらに走り抜けなくてもいい
若い時に比べて
先が見えるようになっているし
若い時には見えなかったものが見えてくるから
意外と老いるのも楽しいものです。
そう感じるために
自分が自分らしく生きていくことが大事。
人の生き方を比べて生きていくと
自分を見失って
落ちぶてたといつも感じてしまうようになるのです。
そして
老いると、若い人に譲ることが増えてくるでしょう。
今までやってきたことをしなくなることは
悲しいことのような気もしますが
これまで消費していた時間を
手放したその時間を
これまでやりたかったこと、やり直したことに使うなど
人生を再構築できる時間なんです。
だから
老いることは嘆くことばかりでなく
楽しみ多くなる時期なんだと思います。
心臓
毎日
いろんな人の心臓の音を
聴きます。
あたりまえのように
鼓動している心臓。
いつかは心臓は止まってしまう。
心臓が止まること
=”死”ではない気がして
心臓が止まる時って
どういうことなのか?を
詩にしてみました。
“心臓”
心臓って、大切な臓器
心臓が止まれば、
人は死にます
でも
死んだから
心臓が止まったのではない
気がします。
生きている限り
生きる喜びをを存分に味わい
力いっぱい生き抜き
与えられた命が尽きた
その瞬間に
心臓は鼓動を
止めてしまう
ような気がします。
だから
人は
心臓の鼓動が終わるその時まで
生きる喜びを
全身で感じつつ
毎日生きないといけない
だと思います