年別アーカイブ: 2024
ラビンドラナート・ドゴール「果物採集」より
最近
海に行き、山に行き
太陽の光を浴びながら
海のものをとって食べ
畑に行って採れたての野菜を食べ
自然の中に身をおき
自然からのエネルギーを
いただくことがありました。
そんな時に
自然の中で生かされているんだと
感じた時に出会った詩。
ドゴールの詩「果物採集」
「危険から守り給えと祈るのではなく
危険と勇敢に立ち向かえますように
痛みが鎮まることを乞うのではなく
痛みに打ち克つ心を乞えますように
人生という戦場で味方を探すのではなく
自分自身の力を見いだせますように
不安と恐れの下で救済を切望するのではなく
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように
成功のなかにのみ
あなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく、
失意のときにこそ
あなたの御手に握られていることに
気づけますように。」
この詩の中に
だれにもどんな時でも
生きていく力が自分自身の中にあること
そして
しあわせに生きていくヒントがあるような
気がしたのでご紹介します。
共に生きる医者
毎日クリニックには
様々な患者さんが来られます。
熱がある、咳が止まらない
眠れない、痛みが続く
だるい日が続く・・・・
悩みは様々
そんな方々に
病名をつけようとするのが
仕事だと思ってる
医者は多くいる
でも
僕の目の前の患者さんは
苦しんでるのは
理屈で考えられるような
言葉としての病名を
聞きたいのではないと思う。
患者さんが知りたいのは
決して
病名ではないはず。
苦しみは
しあわせと同じように
つかみどころのないもの。
花から搾り取られた香水のような
決して
野に咲く花と同じではないけど
目に見えるものではないけど
もっと、もっと純粋で、深いものだと思う。
考える病名をつけて
苦しみがなくなるわけじゃない。
目の前の患者さんは
苦しみの病名を聞きたいのではない。
言葉だけの 苦しみではなく
人として
苦しみを受け入れてもらいたいのではないか?
医学という目で見る医者ではなく
人間として共に生きる医者として
そして
同じ時を生きる人として
考えることが大切なのだと思う。
お帰り
すべてを
失ったとき
笑顔で迎えてくれる人
昔と同じ気持ちで
さりげない
やさしさで
接してくれる人
もう一度
ここから一緒に
歩きだそうと
言ってくれる人
いろんな人に
支えられて
今日まで生きてこれた
そして
これからも多くの人に
気づかないうちに
支えられて生きていくにちがいない
だから
今日出会うみんなに
”ありがとう”と伝えたい
☆ひとりで生きていると思っても
誰かのおかげで
生きている自分がいる。
生きていることすらも
自分でなく
誰かに生かされているような
気がする時もあります。
だから
いつも”ありがとう”の気持ちを
忘れてはいけないと思って
作った詩です。
こどもたちの未来のための選択
なぜ、自分は小児科医になったのか?
科を選ぶ選択はたくさんありました。
でも、今思うことは
この科を選んで
こどもたち中心に考えて
生きてこれたことに感謝し
とてもよかったと感じます。
学生時代
九大小児科に見学にいった時
当時の医局長の南先生が
「こどもにはお金の価値では表せない
大切な財産だ
そこに携われるのは大きなことだ」と
仰ったのを今でもはっきり憶えています。
こどもの未来は
社会の未来なんです。
人は老いていき
いつかこどもたちが街の
未来を作ります。
こどもたちの明るい未来に手を貸すことは
社会全体、世界全体への
明るい未来に直結すること今実感しています。
こどもが明るく笑顔でのびのび成長できる
社会を作っていくのが
今のおとなの責任。
周りのこどもたちの笑顔があふれる社会に
もっともっとなるように
僕も小児科医として
もっともっと頑張っていきます。
経済を回す
最近、物価高騰のニュースが
よく報道されます。
食料品もどんどん価格が上がると
国民の不満が大きくなり
その不満を抑えようと
企業に賃金を上げるように
要求してくる国の政策。
経済を回すことが
国が豊かになるから
お金を増やせばいい。
経済を回し、お金を扱ってるのは
経済界だから・・・・と政治家はいってるよう。
経済が国民を豊かにすると
きっと政治家は考えてるのかもしれないけど
実は国民が豊かになってこそ
経済も回り出すと思うのです。
最近の政治家の仕事の報道を見ると
裏金など
どこか自分のお金や権利を守る姿が
目につくのはなぜだろう。
裏金を作っても、党内の処罰だけ
誰がみても普通に法に触れるようなことをしていても
その采配にだだをこねる政治家。
裏金と認めても
そのお金を替えそうとはしないのは
国民のことを考えてくれいるのだろうかと
疑いたくなる。
国民が豊かにならないと
経済は回らないのに
永遠のいのちを得るためにすること
人はいつ死ぬかは
誰にもわかりません。
だから、その不安を払拭しよう
長生きしようと誰もが考えてきました。
永遠のいのちをえることができれば?
これは人間の永遠の願いかもしれません。
この永遠のいのちを得るための
考え方が日本人と西洋人とでは
大きなちがいがあるようです。
西洋人はどちらかと言えば
肉体を長くもつことで永遠を
手に入れようと画策している。
それに対して日本人は
肉体には限りがある。
だけどこの肉体が滅んでも
自分の思いを引き継いでくれる人がいたら
自分のいのちは永遠に生き続ける
と考える人が多いような気がします。
これは
周りの人を生かすことで
自分もいきていくという
利他の心が根付いてる気がします。
あなたは
肉体を滅びない方法で
永遠を生きていきますか?
それとも
こころを繋いで生き続ける
生き方。
どちらを選びますか?
自分の価値を決めるのは?
人の価値は何で決まるのか?
誰にも承認欲求はあるから
自分以外の人に認められたい
褒められたい
認められたらうれしいもの。
そのために
日々頑張っている人も多いことでしょう。
頑張った結果として
給料があがったり、地位が上がったり
有名人と知り合いになったり
そうすると
自分も偉くなった気がしてしまいます。
これって
大きな勘違いです。
人の価値は
いくら稼いでいるとか
社会的に高い地位や立場にあるとか
誰かと付き合っているということで
決まるわけではないことを
憶えておかないといけません。
自分の価値を決めるのは
唯一、自分がどう生きているかだけです。
自分自身のことは
自分自身にしかわかりません。
自分自身に恥じない生き方をしていれば
どこにいても、誰と会っても
恥ずかしくない人間なのです。
喜びのグラス
人の心の中には
喜びのグラスがあるのです。
自分の喜びのグラスをまず満たして
そこからあふれた時
そのあふれた愛情を使って
人に愛情を分けられるようになるんです。
だから
人に優しくするために大事なことは
自分をまずは自分に
愛情を注がないといけないと言うこと。
自分のこころの
喜びのグラスが満たされると
あなたの魂が喜んで
あなたにも素晴らしい力があふれ出すのです。
疫病神と貧乏神
日本人は
八百万の神を敬い
全てのものに神様が宿っていると感じ
全てのものに崇めている。
世界的にみても
多くの神様を崇めている民族は珍しいのでは
ないかと思っています。
太陽、月、風、食物など
人に恵みを与えてくれるものを
崇めるのには誰も意義を唱える人は
いないでしょう。
でも、日本人は
病気などの災いが起こった時にも
疫病神がきた
貧乏になっても貧乏神に愛されてる
なんて、生活を脅かすものにも
神様が宿っていると
考えて、崇めている。
これって凄いこと。
苦しめられてる人を崇める姿勢
中々できない。
でも
病気でも貧乏でも何か意味が
あることなんですよね。
身の回りに起こったこと全てを
受け入れ、大切に受け止めることが
大事なんでしょうね。
坂本龍一氏のLAST DAY
世界的作曲家で、昨年亡くなった
坂本龍一氏の
最後の三年間を追ったドキュメンタリーを
観た。
作り物ではなく
文字通り
坂本龍一氏の最後の日までの
肉声、日記など
その時、その時の
苦しい胸の内
ふと晴れ間が指したような
気力があふれる日があったり
揺れる心内が伝わってきた。
病気は私たちの心を
自分と向き合わせてくれていた。
病気を通して自分を更に深く見つめることができる。
坂本龍一氏は
音楽と言うより、音とくに雨の音に
心和まされ、愛していた。
音と共に生きた人生。
それがご自身が求めた人生だったのだろうと感じた。
氏の人生が
幸せだったかは本人しかわからないけど
きっと音楽と共に死ぬ間際までいきられた
満足の人生だったのではないかと思った。