年別アーカイブ: 2024
こころのスイッチを入れるには
今を見るの続き・・・・
今を見るためには
これまでの経験なしで
自分フィルターをオフにすること。
だから
頭で考えるのではなく
こころのスイッチをオンにするように
しないといけないと思うのです。
僕たちの頭は
何か事件が起こった時に
なぜそうなったのかと
その原因、理由を考えようとします。
そして原因がわかることで
今起こっていることに安心して
受け入れることが出来るのです。
これが
頭で考えていること。
この時こころは
ただ美しい、楽しいということを
堪能しようとしていることでしょう。
ですから
今の湧き上がる感情には
理由などないのです。
ただ美しい、ただ楽しい、ただ悲しい・・・・と
いう時間の中にいた時
あなたのこころのスイッチが入っているのです。
今を見る難しさ
今に集中しましょう
今を見ましょうなど
患者さんに言ってっしまうことがあるけど
今を見るって
簡単そうで本当に難しい。
今呼吸を意識して
何回呼吸したとか
何回瞬きをしたとか
その時の自分を充分に意識しないと
今を見ることは難しい。
そして、今の状態をそのまま判断を
難しくしているのは
今までの経験、知識を使って判断しようと
するかからでしょう。
これまで食べたことがない料理を食べた時
この味は、あのときに食べた味に似てる
この食感は、あの野菜にちがいないと
過去の経験
いわゆる自分フィルターを使って
理解しようとしてしまいます。
ですから
今目の前の未知の料理を
素直に楽しむことが出来なくなるのです。
今を見るのは
本当に難しいのです。
ですから、日々今の自分に集中して
呼吸、瞬き、心臓の鼓動などに
意識を持っていくことが大切なのでしょう。
岡本太郎が見た沖縄
岡本太郎氏が2度沖縄を訪れ
自ら撮った写真を元に
映画はドキュメンタリーとして作られていた。
岡本太郎氏が
覗いたファインダーから
太郎氏が感じたことを探ろうという映画
だった。
僕が興味を持ったのは
太郎氏が実際に撮られた
老婆の肖像がだった、
その澄んだ瞳が
どこか神がかっているように
瞳の奥に
時間を超えた世界に引き込まれそうな感じだった。
この老婆
実は沖縄で神の島といわれている
久高島の祭司だったのだ
これは
岡本太郎氏が感じたことを
知りたく映画を観に行った。
神の島久高島にも
人の手が、文明が入ったことで
久高島の謎の部分が
明らかにされたことによって
島での様々の風習が
そしてきっと神様のことも
荒らされてしまった。
人間のエゴに、欲に晒され
神は隠れざる終えなくなったのだろう。
神を敬う12年ごとの司祭も
1972年を最後に途絶え
肖像画の司祭の老婆も
今は亡き人、次の司祭も亡くなり
今は司祭もいなくなり
神の姿は今では全く消滅してしまった。
神が恐れるのは
人間のこころなのかもしれない
そのこころに気づき浄めて生きていくことが
これからの人間の生きる道だと
そして
人間のこころが整った時期になれば
神は再び復活してくれることを
この老婆は教えてくれてる気がした。
その証拠に
見終わった後の老婆の表情は
どこか笑顔を浮かべているような
優しい表情になっている気がした。
感情の読み方は
先日、以前からサンタクリニックに
受診されていた90歳を超える婦人が
メタトロンを受けられた。
最初に診てから10年は経っているけど
肌つやはよくて
とても90歳には見えないくらい
だったけど
表情は暗く、話す内容は
苦しい、胸が詰まったような気がするし
虫が這ってるような痛みが走ることがある。
どこの病院行っても
原因はわからないし
薬をもらっても一時はいいこともあるけど
また悪くなるのだと。
症状がある時は
どうされているのかと尋ねると
痛い部分をなでていると落ち着いてくるとのこと。
メタトロンで
この苦しい原因が知りたいと
受けることを決断された。
早速メタトロンを行うと・・・・
チャクラなど
エネルギーの流れは悪くない。
臓器も
胆嚢、十二指腸など
食生活における改善点はわかったが
これだけでは
この患者さんの苦しみをとることは難しい。
からだも
90代の状態ではなく、60代の状態。
だから、今も大病もせずにお暮らしなのだろう
ならどうして、こんなに苦しいのだろう?
最後のエタトロンで
感情を診ると
ご自身の感情で
気遣いがでていた。
この意味を見つけようと
実際にからだの状態を診察してみた。
腹部のオステオパシーをしている時に
この気遣いの意味がわかった。
これは
もっと、自分のからだを労ってくれ
気遣ってくれということなんです。
この症状の原因は何だろうと
外にばかりに目を向けるのでなく
もっと自分のからだに気持ちをもってもらいたい。
からだを労る気持ちを持って欲しい。
それが気遣うということなんだと
患者さんのからだが教えてくれたのです。
そのことを患者さんに伝えました。
不調の部分があれば
そこに手を当てて
いつもがんばってくれていることに
感謝の気持ちを伝えてみて下さい。
その気持ちが
自分のからだを気遣うことなんです。
そうお話しすると
すーっと患者さんの目から
一筋の涙が流して、帰って行かれました。
きっとこの患者さんは
からだの思いをわかってくれたと感じた
メタトロンでした。
こころの鍛え方の目的
コロナ感染症が始まる前から
特に東日本大震災後に
人々の意識は大きく変わってきました。
医学の世界でも
これまでの検査至上傾向から
目に見えないものが
その人の健康に関わっているのでは
ないかと気づき
精神をこころを鍛える方法が
試される方も増えてきています。
こころを鍛える方法といえば
瞑想、座禅、ヨガ、祈りなど
以前は宗教家がご自身の鍛錬のために行っていた
いわゆる修行を
一般の方でも行う方が増えてきています。
これらの行は
一回行うだけでは意味がなく
毎日行うことに意味があるのです。
これらの毎日行われる精神鍛錬の行の
共通する目的とは
こころのあり方を正しく調整することで
意識レベルを高めようとする作業なのです。
意識レベルを高めるとは
日頃メインで働いている顕在意識を
潜在意識に変換し
さらに高い意識レベルに高めるのが
目的なのです。
これを医学的にいえば
大脳新皮質の働きを抑えて、
脳幹・爬虫類的脳といわれる大脳旧皮質を
しっかり働かせるということなのです。
脳幹、大脳旧皮質は
どんな生物にもある
人が生物として生きていく
生まれた時から授かっている
生命力が存在する部分です。
進化の過程で
人は大脳新皮質が発達することで
この部分が旧皮質の働きを抑えてしまって
頭で考えて、自分のからだを抑制してしまっているのです。
ですから
脳幹・爬虫類的脳をしっかり働かせ
生命力を目覚めさせるのが
こころの鍛え方の目的なのです。
怪物と完全な一日
今日は映画三昧。
「怪物」と「Perfect Days」を観た。
どちらも海外の映画祭で
高評価の映画で
前評判通り見応えのある作品だった。
「怪物」こどもからおとなにもある
潜んでいる怪物の面
ひと言でいうならば裏表。
誰もが持っているこのふたつの面が
あることを知って初めて
その人を理解したことになるのだろう。
「Perfect Days」は
ひとりの掃除清掃の仕事をしている男の
変わらない、ある意味単調とも言える日々の生活
を描き
その中にもある、同じようで同じようでない日々を
役所工事のいぶし銀の演技力で
描かれた作品で
しあわせはなんなのか
しあわせはどこにあるのか
しあわせの意味
など、大きく考えさせられた
深い深い映画だった。
高い意識のレベルに上げるための方法
今この世に生まれてきた目的が
より高い意識レベルに近づくためだ
とするならば
毎日の生活の中の行動の
すべてが修行ということになります。
僕が考える
日常生活で意識レベルを高める
必要なことを紹介したいと思います。
①憎む、妬む、心配する、怒る、迷う、疑う、不平不満
いらいらする、せかせかする感情を起こさないようにする
もし起きてきたら、すぐ断ち切る。
決してこの感情をひきずらないようにする
②足を知る。簡素な生活をする
③睡眠をしっかりとる。熟睡できる工夫を
④常に正しい言葉を使う。
人を傷つける言葉を使わない
⑤気の悪い、波動の悪い場所や人に近づかないようにする
⑥居住空間を気のいい・美しい場所にする
⑦プラス思考で、楽しく、明るく、おめでたく過ごす。
以上のことを自然に心がけて
生活できるようになれば
きっと成長している自分になっているでしょう
Perfect Days
役所工事主演で カンヌ国際映画祭で2023年主演男優賞を
授賞した「Perfect Days」を観た。
この映画は
役所工事演じる平山の
トイレ清掃員として働く毎日の生活を淡々と描いた映画。
独身で、一人暮らしの彼は
毎日日が昇る前に目が覚め
身支度を調え、アパートの前の自動販売機で
いつも決まったコーヒーを飲み
車でお気に入りのカセットに入った曲を聞きながら
トイレ掃除に向かう。
トイレにつくと、もくもくと
決められた方法で隅々まできれいに清掃していく。
清掃中に
用をするために人が入っても
文句など言わず、
とてもしあわせそうなお顔をするのです。
気持ちよく使っていることを
想像しているように
掃除に満足している表情でした。
仕事が終わると
銭湯の一番湯につかり
風呂上がりは駅ナカの行きつけの酒場で一杯。
大将も毎日くることがわかっているので
席につくと
「おかえり」と声をかけて
いつもの酒とつまみをだすのです。
そして帰ってゆっくり眠くなるまで
古本屋で買った小説を読むのです。
そして、またいつもの朝が始まるのです。
そこには声を出し必要も会話もありません。
ただ
昼食を食べる神社の木漏れ陽は
いつも違っているように感じるのか
その木漏れ陽をフイルムのカメラに
何年も修めているのです。
そして
時折見つけたか弱い植物を持ち帰り
家で育て
その成長を楽しみひとつです。
そんないつもと変わらない生活を送ることが
主人公にとってのしあわせなのでしょう。
そんないつもと変わらない日々を生きていても
人とかかわっていると
迷子にあったり、見知らぬ人との見知らぬ交流があったりと
変化があるもの。
主人公の生き方は
人知れず人のために生き
自分の決めた余暇を過ごす
誰にも邪魔されずに生きていくことが
しあわせな生活だと
この映画は教えてくれる。
おっとりした主人公が
怒りを露わにしたのは
清掃員が突然やめて
その人の分まで仕事をしなくては
ならなくなった時でした。
自分のしあわせな脅かされたから
だと思います。
しあわせの形は人それぞれ。
人に評価されなくても
人のためになっていると信じて仕事に取り組み
今という時間を生きていることを感じて
生きることができたら
どんなにしあわせだということを
この映画は教えてくれました。
しあわせの種は
自分のこころの中にあるのです。
そしてそのしあわせの種は
みんな違うのです。
季節の移り変わりと気の変化
健康に生きるためには
臓器的なことだけではなく
気(エネルギー)の流れおよび
気の陰陽のバランスがとれていることが
大事なことは明らかです。
気のバランスは
四季の移り変わりによっても
変わることは
季節によって
気持ちが変わることで
感じている方も多いのではないでしょうか?
秋になれば、もの哀しくなったり
春になれば、前向きな気持ちになったり
夏になれば、前へ前へと進みたくなったり
そういうことはありませんか?
一日のうちでも
昼と夜では気分が変わることもよくあります。
気が、気分が変わるのは
気には
極みに至れば、反転するという
法則があるのです。
だから
悲しいときは、思う存分泣けばいい
そして
悲しみが極まれば
気持ちがが反転し出すので
昼間は家に閉じこもるのではなくて
外にでて
いっぱい自然の温かさに包まれましょう。
気をつけたいのは
同じ境遇の人をみつけてグチらないこと。
最近では
SNSなどを通じて不特定多数の人にでも
愚痴ったりして
愚痴に共感してもらえると
何だか発散するような気がしますが
これは
お互い影響し合って
負の気が増強してしまうから
要注意です。
これから
部屋に閉じこもりがちな季節ですが
落ち込んでいても、いなくても
気分転換のために外に出ることは
とても大切なのです。
小児科医としての使命
西日本のアレルギーに従事している
小児科医の先生が集まって勉強する。
西日本小児アレルギー研究会に参加した。
大きな学会ではないけど
みんな熱心にアレルギーのいお取り組んでいるので
志は同じだから
お互いの気持ちが通じて
会員同士も仲がよく
とても居心地のいい研究会。
毎年1回の開催で
今回は52回目。
僕も25年以上前から参加させてもらっている。
今回印象に残っているのは
埼玉医科大学医療センター小児科の是松聖悟教授の
講演。
先生とは、大体同年代で
この研究会で何度も顔を合わせて
若い時からエネルギッシュに活動されていた先生。
今回これまでの仕事のことをまとめられた
「小児科医にしかできない、小児科医だけではできない」
というテーマの講演だった。
アレルギーにとどまらず
感染から、育児不安、そして発達障害にまで
小児科医が取り組まないといけない
諸問題に
小児科医として行政、コメディカル、保護者、先生
などとタッグを組んで取り組み
その成果を報告された。
その仕事内容をきいているだけで
多くの人を巻き込み
時流を形成し、社会を動かしている姿が
目に浮かんできた。
と同時に
全ての記録を論文にして
研究の成果を世界に発信している。
若い時のエネルギーを高められた仕事ぶりに
それこそ、小児科医のあるべき姿
The 小児科医だという気がする。
同じスタートにいても
日々の生き方によって
自分とはこん何違う。
先生の生き方はひとつの
小児科医の王道を歩いている。
僕は
医学の教科書になるような
仕事としてはならないけれど
小児科医にの僕だから出来ることを
取り組んでいることに自信を頂いた。
これからもこどもたちのしあわせのために
がんばって歩いて行こうと
背中を押されたような講演会だった