年別アーカイブ: 2024

第三の人

英国の詩人のエリオットに
次のような詩を紹介します。

「いつも君の傍を離れず歩く、
あの第三の人はどなたでしょう。
数えると、君と僕しかいないはずだが
しかし、はるかにつづく白い道を歩む君の傍らには
いつも、もう独りが寄り添う
どなただろう、その方は?}

エリオットは
この第三の人にイエス様を
イメージしたというようです。
日本にもお遍路さんで
同行二人という考え方もあります。

宇宙創成138億年の歴史の中で繋がっている
我々にも
計り知れないものは多々ある。
だから
第三の人がそっと我々に
メッセージを送ってくることがある。

何か感じる
不思議なご縁にであう
セレベティビリテイといわれる
偶然とは思えない偶然の出来事に
出くわすこともある。

我々が気づかないだけで
多くのことが
第三の人の計らいであり
いのちのわずかなリスクでも
直ちに当人につたえようとする
第三の人からのメッセージかもしれません。

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一華五葉

この言葉は
禅の達磨大師の言葉。

「人には、元々仏心をもっている
だから、そのことに気づけば
心の中にあった
仏心の5枚の花びらが開き
悟りが成就する」
という言葉。

座禅をすることは
自分の心にある仏心に
気づき、アプローチできた時に
自身が進歩、成長を感じる。

そして、そのことが
自分自身の持ち味となり
自分らしく生きることができるようになる。

口で言うのは簡単だが
実際には難しいことなのだけど
これは真実だと思う。
ここに気づけば誰もがしあわせに生きる
ことができるのです。

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生きたように死ぬ

大先輩が
亡くなったという知らせをいただき
葬儀に出席しました。

父より年令も上の大先輩で
一緒に働いたこともなく
面識も一回挨拶できただけの大先輩の医師。
面識なくても
そんな大先輩の医師が
近くにいらっしゃると思うだけで
こころの余裕をもって
日々診療できたと思います。

葬儀に出席させていただき
大先輩の人となり
その最後の瞬間をお聞きできた。

とてもいつも物静かな方であり
大病を患っていたにも拘わらず
高齢であったため根治治療はせずに
ご自宅でゆっくり過ごされたようで
最後の時も
付き添いの方も気づかないぐらい
眠るように
天に召されたという話でした。

確かに、とても閑かな先生であることは
お会いした時にも感じました。
そして、その状況が
臨終の時まで続いたようで
そのお人柄どうりの最後だったようです。

人は
生きたように死の瞬間を迎えるのかもしれません。

そして
その夜
寝ている時、先生がお礼に
訪れた気がしました。
これも先生のお人柄ですね。

これまでお疲れ様でした。
安らかにお休み下さい

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達磨安心

人間の心には不安の気持ちは
いつでも生まれてしまいます。
この不安の気持ちがなければ
どんなに楽に生きられることか。・・・と思いませんか?

これは僕たちの悩みではなく
先人達も悩ましたことなのです。
不安の乗り越え方について
「達磨安心」という禅語があるので
ご紹介しようと思います。

禅宗の開祖・達磨大使とその弟子慧可禅師との
問答がもとになっています。

達磨大師が壁に向かって座禅をしているところに
弟子の慧可禅師がやってきて
「わたしの心は不安で不安でどうしても安心できません。
どうか安心させて下さい」と懇願した時
達磨大師は
「わかった。
それでは、おまえの不安とやらを
ここにもっておいで。そうしたら安心させてやろう」
慧可禅師は懸命に不安を探しますが
どこを探しても、どうしても見つかりません。
しかたなく、そのことを師に告げると
こんな答えが返ってきましyた。
「さあ、もう、おまえの心を安心させてやったよ。」と。

この悩みは
不安に実態はない。
それは自分のこころが創り出しているに過ぎない
ということなんです。

そのことに気づいた瞬間
悩みのほとんどはなくなってしまうのです。

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スマホで子守りをしたら

最近ガラガラって
見なくなったと思いませんか?

診察に来られる
赤ちゃんも
めったに持ってません。

それに代わって
診察室の入ってくる
こども達の手には
スマートフォンを
手にして入ってきます。

3歳ぐらいになると
小さい指で
上手にスクロールして
画面を見てます。

さすが、こどもの
覚えは早い・・・なんて
感心している場合じゃないんです。

実はこれって
とても危険な行為なんです。

スマートフォンに
子守りさせてないですか?
スマートファンで子守りって
危険なんですよ。

そこで
今日のあわてない育児は
スマホで子守りをしたら
です

実際
スマートフォンで
子育てアプリってたくさんあるんですね。

夜泣きや泣いている時でも
泣き始めたら
スマートフォンの画面を見せて
泣き止ませようとする
若いお母さんは実際増えているようです。

ちょっと前なら
赤ちゃんが泣き始めたら
抱っこして、
やさしい言葉をかけて
あやして
・・・・
そんな時間に
赤ちゃんは安心して
泣き止んでたと思います。

その時
赤ちゃんの脳の中には
セロトニンという
しあわせを感じるホルモンが
たくさん出ています。

だから
赤ちゃんは満足して
泣き止むのです。

このことは
実はこどもの成長には大事な事。

泣く→あやす→泣きやむ→泣く→あやす→泣き止む→・・・・
という行為を
何百回、何千回と繰り返しながら成長していく
そんなしあわせを感じながら
しあわせな時を体に浴びて
こどもは成長していくのです。

ところで
スマホで泣き止んだ赤ちゃんには
実は
しあわせを感じるセロトニンは
分泌されてないんです。

スマートフォンの映像をみて
驚き、さらに映像を注意深くみようとして
どんどん攻撃的なノルアドレナリンがでてくる。
だから、いつも頭は興奮状態。

大きくなると
いつも攻撃的
”イライラ脳”になってしまうんです。

脳の細胞は
20歳前後で最大になるとかつて
考えられていましたが
最近では
1歳半で最大になることがわかってきました。

また
脳が発達するためには
外からの刺激に反応して
発達することもわかってきました。

つまり
赤ちゃんの時の環境で
こどもはかわってくるのです。

赤ちゃんが
お母さんに愛されていると
感じて安心した経験が
赤ちゃんの脳の発達に
大きな役割を果たしています。

脳は外からの刺激で
良くも悪くもなります。

そして
赤ちゃんに
100%のあなたの愛情をかけてあげられるのは
今しかないかもしれません。

だから
泣いていても
笑っていても
いつも
お母さん、お父さんの
愛情をいっぱい
あげて下さい。

 

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命は地球よりも重い

僕は
人間が生きていくには2つの面が
必要であると思います。
ひとつは
衣食住という動物的欲望を満たす
いわゆる生活面を重視する面「生活体系」
そして、もうひとつは
真善美を求めて行動する人格を形成する
いわゆる生命を重視する面「生命体系」
この両面から
いのちは支えられていると思います。

もう少し具体的に言うと
生活体系とは、いのちを支えている活動のこと
つまり
利益や欲望を充足させるという経済法則を重視したもの
これに対して生命体系とは
いのちは尊いものだというような
親子のつながり、日本で生まれたことによって
培われた道徳的なつながりとも言えるもの

この2つの体系、価値観の中で
僕たちのいのちは支えられ
生きているのだと
改めて自覚させられた気がします。

昭和50年代に
日本赤軍がダッカで飛行機をハイジャックし
身代金などを要求したダッカ事件がありました。
その時の総理は
「人間のいのちは、地球よりも重い」と
様々な批判を交わして
16億もの身代金を決断して
乗員乗客のいのちを救ったと聞きました。

今回の政府の動きは
ダッカ事件の時とは異なり
いのちだけでなく経済重視するあまりに
迷い行動できなくなってるように
僕は見えてしかたありませんでした。

ダッカ事件から時は流れ
時代は昭和から平成、令和と変わり
その間平和で豊かな時代を過ごしすぎて
明日の喜びより、今日のパンを求める生き方を
してきた日本人の体質が
決断できなくさせているような気がします。

人はパンがなくては生きていけないけど
パンを美味しく、そして有り難いと思える気持ちを持って
僕たちは生きていかなければならないってことに
気づき、その気持ちを大事にして
これからは生きていかなければならないのでしょうね。

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いつも心に夢を持つ

夢をもっていますか?
夢がかなったら
どんな気持ちになると思いますか?

夢について
どんどん考えてみて下さい。

”こんな風になりたい”と
思っただけで
なんだかワクワクしませんか

そんなワクワクするような
心躍る夢を持てたら
それだけで
しあわせに気分になりませんか?

夢って
叶えることが大事じゃなくて
夢を持つことが大切なんと思う

でも
新しいことを
始めようとすると
まわりから反対されたり
様々な困難なことが
起こるかもしれない。

”夢”持っている限り
どんな困難にも
立ち向かうことができる。

”夢”を持ってるから
”自分”を信じて
あきらめずにやり抜くことは
できるんだと思う。

夢に向かっていく生き方は
人生を
輝き、豊かなものにしてくれる。

そして
夢は
いくつになっても
持ち続けることができる。

人間、志を立てるのに遅すぎることはない
いくつになっても夢は叶う。
いくつになっても
夢を持ち続けることはとっても大切。

人は死ぬまで
理想に向かって
夢に向かって
生き続けることができる

”夢”をもつ生き方が
人生を輝かせてくれる

さあ
”夢”に向って
輝く未来に向かって
生きていきましょう。

☆今日から、こどもの中学校生活がスタート。
町中ピカピカの制服のこども達が目につきます。
みんな希望に溢れた感じがして、こっちまで夢に向かって
頑張ろうって気になりになりますね。

写真は、春休み最後になぜか娘にお菓子作りを
手伝わされた?思い出の一枚です。

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こどものほうへ

八木重吉の詩に
「てくてくと
こどものほうへ
もどってゆこう」
という詩がある。

この詩を作者が
どんな心境で書いたかはわからないけど
年取った姿が目に浮かぶ。

その人は老人で
シワシワの顔だけど
穏やかな表情で眠っているよう。
その日に焼けたシワの多い顔、手から
きっと、家族のためにはたらいてきたのだろう。
時折、ベットの横に
幼いこどもがくる。
そして、お母さんに
おじいちゃんの好きな春の小川を謳ってあげてと
促されたこどもは
素直に、おじいちゃんの耳元で
春の小川を歌い出す。
すると
その老人は何かを思い出したように
遠くを見つめ
言葉にならない雄叫びのような
大きな声を上げだして
その声を聞いてびっくりして
家族が集まると
安心したように
穏やかな表情で眠るように・・・
寝息をあげるのです。

人は
こどもとして
あの世に帰っていくのかもしれません。

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食の黄金ルール

現代ほど、食べ物に恵まれた時代は
なかったと思います。
食は栄養を補う目的だけでなく
食を楽しむことにまで
気持ちが向くようになりました。

それだけ
食に恵まれている時代になったのですが
その反面
かつてないほどの病気が
食によって引き起こされることもあり
健康に過ごすために
これを食べた方がいい
逆に食べない方がいい
という食の情報にあふれています。

確かに
食べることが
健康の基本であることは
今も昔も変わりはありません。

でもこれだけ食生活が
多岐にわたると
万人に共通する食に関する
黄金ルールはこの世には存在しません。
それに、人間の体質も
千差万別でもあるからです。

だから
誰にとってもいいものは
誰かにとっては毒にもなってしまうこと。
を知らないといけません。
そして食べてみないとわからない点もあります。
だから自分の舌を信じるしかないかもしれませんが
言えることは
「食べ過ぎず、偏らず」ということかも
しれません。

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粘土になって生きる

先日今大人気の俳人夏井いつきさんの
仕事を全面的にサポートされている
夏井さんのご主人・兼光さんの
なれそめと現在を特集した番組をみた。

離婚を経験した夏井さんを
最初は句にほれ夏井さんの句会に参加し出した
兼光さん。
何度もお会いして、サポートをしているうちに
両者に愛が芽生え
兼光さんが求婚しても
夏井さんは、二度と結婚はしないと
頑なに決めていて、その意志は強く
結婚しない理由を次々に兼光さんに投げつけたが
それでもいい・・・と打破していった兼光さん。
そのうち、全面的に
俳人夏井さつきを支えると言うことで
結婚したふたり。

夏井さんの俳句のために
二人三脚の結婚生活がはじまり
今の夏井さんがお二人の関係をきかれた時の答えが
「彼は粘土です」と言う答え。

粘土?
そう粘土
身体やこころの足りない部分、見にくい部分の
形を補い、形を整えてくれる粘土のような存在。
つまり
わたしの足りない部分を全て補ってくれる
粘土のような存在、
それが
ご主人の兼光さんの存在だと。

素晴らしい夫婦の形だと
感動したしだいです。

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