年別アーカイブ: 2024
小児科医になったのは
最近断らない病院の救急医として
働いている医師の生の姿を追った
ドキュメント映画「あの鼓動に耳をあてよ」
という映画を観た。
その映画で
なぜ大変な救急医を選んだのか?という問いに
病なら何でも診るってかっこいいですよね。
そして
実際に救急医になると
何でも診るのは病気でなく
患者の背景、人そのものの何でもであると
答えていました。
その言葉に、自分も小児科医を決めた時の
思いを鮮明に思い出しました。
僕も
まずは目の前の患者さんがどんな病気であっても
自分の手で治してあげたいと思っていました。
総合医療を考えましたが
大学には、臓器別の縦割りの科ばかりで
総合診療をできる科はまれでした。
そんな中
小児科はこどもなら
外科疾患以外はまず自分で診る
診ないといけない科であること
こどもたちの成長を見守ることができる
希望がもてる科であることに
魅力を感じて選んだことを思い出しました。
そして
実際、小児科医として働き始めると
こどもを取り囲む
家族のことが気になり
家族を診るファミリークリニックを開業。
家庭医となったのですが
家族の人を見ていると
それぞれの立場での生き方があり
その中で
病気になる原因があると。
自分も病気を経験して
生き方への警鐘が病気なんだと気づき
今は
からだだけでなく
しあわせになるための生き方を
伝えようと今は診療だけでなく
ブログを書いたり、本を出したりしています。
かっこいいから救急医に憧れて始まった
僕の医師としてのはじまりは
救急医とは仕事は違っても
志は変わらないと
今自分がやってることを更に進めていこうと
思うのです。
直観力を磨くには
現代は直観の時代と言われています。
直観力が磨かれていると
物の本質がわかるようになるので
情報や物が氾濫している時代には
とても大切な力になってきます。
直観力が大事だとわかっていても
実際直観力を磨く方法は
わからない人が多いと思います。
まず直観とは
直に観るということ。
本質を直接観るということ。
つまり、目で見るのではなく
心の目でみるということ
だと思います。
直観は
心の目でみることであり
そのためには、心眼が開いていなければならないのです。
心眼が開かれるということは
頭で考え、判断するのではない。
頭を使わないで観るということ。
そのためには
情の部分をクリアにすることです。
つまり情けが下についた
感情、愛情、苦情などを
判断材料にしない。
物事の本知るがわからなくなるのは
情けに振り回されるケースが多いです。
直観力を磨くためには
頭で考えず、感情に振り回されず
生きていくことです。
その鼓動に耳をあてよ
名古屋のえきさいかい病院の救急部を
記録したドキュメンタリー映画をみた。
この病院は
救急を断らない病院で
年間1万人以上の救急患者を受け入れています。
丁度映画の時期は
コロナ流行中の大変な時期。
満床、満床・・・
でも内がとらないで誰が診る。
救急患者を断らないという
これまでの病院の歴史を
引き継いだ現場の人々の
葛藤を描きながら
今の救急体制のあり方
医師としての原点を描いていた。
救急医として働く医師に
監督が尋ねた。
「どうして、救急医になったのですか?」
「何でも診るって、かっこいいじゃないですか?」
「でも、診ているうちに
何でも診るって、病気だけでなく
人そのものを診ることだ」
ときつくても、患者さんを診る時の
一寸茶目っ気のある目で語っていたのが
印象的だった。
でも、救急医になって
自分ひとりで診ることなんて無理。
無理だと思うと
どうしても専門医にコンサルトしないといけないし
初期対応をしても
その後の対応は専門医につなげないといけない。
だから、救急医によって
自分たちが忙しくされていると
冷たい視線を向けられ
自分の力のなさを悔やむことも多々あるようです。
でも
目の前の患者を
人間として扱い
決してデータでは推し量れない人生を
診ているという自負が
言葉の端々み見て取れた。
その思いは
僕は救急医ではないが
こどもの初期対応をひとりで行っている
自分の思いと通じることがあり
共感できる面があります。
いち開業医の僕であるが
第一線の救急医で働く医師の
志はよくわかる。
僕も原点は救急医としての思いだと
同士を応援する思いで
見終わった後
すぐ立ち上がることができなかった。
楽をしてお金を儲けることはできない理由
誰もが
楽をしてお金が稼げればと
そんな方法が見つかれば・・・なんて
こんな淡い夢を
こころの片隅で描く人は多いことでしょう。
実際
楽してお金を儲けることはできない
ということもわかっているのです。
でも、なぜかといえば
よくわからないですよね。
その理由を僕なりに考えてみると
お金を払うのは
自分ができないことや、自分が楽にできることを
やってくれたことに対して
お金を払っているわけです。
だから
自分に力が及ばない、助けられようと思えば
相手にお金を払わなければならないのです。
逆に
相手に力を貸してあげたから
その感謝の気持ちとしてお金がもらえるのです。
だから、お金の仕組みとして
自分が楽をすることで
お金をもらえることはないのですよ。
☆5/19(日)14時から宇部市の馬場集估館で
「どう生きてどう死ぬか」出版記念講演会 &
ヴァイオリン、ピアノDUOコンサート
を開催します。
新緑の美しい春のひと時
明日からの明るい人生を描きながら
こころから癒される時間になればと思っています
お申込み 080-2891-1303 サンタキッズ&ファミリークリニック
膝の健康のために
診療していると
専門領域ではないからか
患者さんはあまり口にはされないが
診察室に入ってくる歩き方などを
みていると
きっと、膝についての悩みは増えています。
確かに膝は
全身の体重方絵図強くかかり
跳んだりはねたりする時の
衝撃の激しさをまともに受けるため
故障しやすい関節だと言えます。
若い人は
スポーツで膝を痛めたという
声はよく聞きます。
お年寄りは
一種の老化現象による変化が多いようです。
膝は
加齢とともに膝の軟骨が弾力を失い
摩耗し、軟骨の下にある骨が
むき出し状態になり、接触することが
高齢者の膝痛の原因です。
ですから対策として
①長い距離を歩かない
②階段の上り降りを避ける
③正座をしない
④肥満者は体重を減らす
特に
④にならないように
誰もが日々の生活の
注意は必要だと思います。
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よい子のための鍵(ヨイコノタメノカギ)
この言葉は
よい子のよい子のために向けた言葉ではなく
実は
老人病の権威大島健三先生が考え出した
高齢者の生活上の心得9ヵ条を
憶えやすいように
頭文字をつなげたもの。
今日は、この言葉を紹介しましょう。
ヨ.酔って入浴するな
イ.医者と仲良くせよ
コ.転ぶな
ノ.飲み過ぎるな(水ではなく、お酒)
タ.食べ過ぎるな
(胃の消化不良から体力を失って病気をおこす)
メ.目方に注意(肥満大敵)
ノ.吞みそこなうな(誤嚥に注意)
カ.風邪をひくな(風邪は万病の元)
ギ.義理を欠け
確かに、健康に年をとるためには
納得の項目。
ただ、最後の義理を欠けは
この中では異質な感じがします。
昔お世話になったからと
無理をして
冠婚葬祭などに出席して
その後体調を崩した・・・などというのは
よくききます。
義理があるというから
心を込める、その場でできること行動をする
そして行動しないことも考えて行かないことでしょう。
これらの言葉を書いていると
自分も徐々にこの言葉を心に留めながら
生きて行こうと思います。
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お金はエネルギー
お金はエネルギー
大昔は物々交換することによって
自分が作った物を人に差し上げたり
もらったりしていました。
自分が作ったものには
必ず自分のエネルギーが込められているのです。
ですから物々交換はエネルギーをあげたり
もらったりしているのです。
つまり、エネルギーの交換をしている
ということなのです。
エネルギーの交換をすることで
その人の関係に調和をもたらしたのです。
このように
物々交換でことが足りていた時代は
ある意味調和がとれていた
平和な時代だったのです。
しかし、現代は
人も増え、物も増え
物々交換だけでは生活が営めなくなり
そこで登場したのが
お金です。
お金があれば
なんでも欲しいものが手に入るのだと
思うようになり
お金と共に欲の心も芽生えてしまいます。
お金を持ち続けていると
もっともっていたいという負のエネルギーが
増強していっていきます。
ですから
もっているお金のエネルギーを
浄化するために
人のために使うことが必要になるのだと思うのです。
お金にはエネルギーがあります。
そのエネルギーを正しく使うことが
あなたの人生にパワーエネルギーを
与えてくれるでしょう。
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こころ高く、気高く生きよ
こんな言葉を聞くと
若い人は
ちょっと古くさい言葉だと
思うのかもしれません。
確かに
少し前の時代は
平和な時であったといい難く
いつ戦争が始まるかもしれない
いつこの命を
お国のために捧げなければ
ならない時があったのです。
そんな時に
これからの時代を生きていく人々に
遺された言葉。
自分の命はいつ終わるかわからない
だから
いつ終わっても悔いのないように
「こころ清く、気高く生きよ」と
いうのです。
平和と思われる現代でも
自分の死はいつ来るのかわからないし
その時は、突然にやってくることに
変わりはない。
だから
毎日を一生懸命
こころ清く、気高く、生きていこう
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お迎えがくる!?
死を迎えた時に
両親、祖父母など家族や
お世話になっていた人がお迎えにくる
という話をよく聞きます。
先日も
80代後半おばあさんと家族から
次のような話をききました。
そのご家族のおじいさんは
5年前に突然お仕事中に亡くなられたそうです。
そのおじいさんが
おばあさんの夢枕に現れたというのです。
おばあさんは現れたという子とは憶えていても
どんな話をしたとか憶えてないと。
そして、会えたことにうれしかったとか
なつかしかったとか
感情も何もないと仰るのです。
会ったことは憶えていても
そのこことしか憶えていないのです。
その日の朝起きた時のおばあちゃんは
真っ青でこれまで観てことがないような
表情だったとか。
真相は定かではありませんが
おじいちゃんはお迎えにきたのかもしれません。
そのお迎えを拒否したような
やりとりがあったのかもしれないと思うのです。
死ぬ時、お迎えはあるのかもしれません。
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話が面白い人をめざそう。
年令を重ねると
これまでの経験したことを
いいことも悪いことも含めて
何か伝えないといけないと
何か話をする時に力が入りすぎて
聞く相手に
苦痛な思いをさせてしまうことが
あるかもと思うことがあります。
これって
よく言われる「老害」の
一つだと言えます。
相手のためになるからと思って話しても
相手からしたら
全く興味が湧かない話を延々ときかされたり
昔の自慢話ばかりと
思えるような話ばかりだと
それは老害といわれても仕方ない。
これから
人と話す時
同じ内容でも、相手が笑顔で聴けるように
面白い話として
話すのがいいのでは?と思うのです。
相手が笑顔で聴いてくれると
自分も笑顔で更にされるから
一石二鳥だと思うのです。
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