年別アーカイブ: 2024
立場を変えて考えてみる
ひとつの事柄でも
視点を変えて考えてみる
相手の立場に立って物事をみると
今までと違った考えに気づきます。
もし、今苦しい環境であっても
自分が気づくべきことに気づくことができれば
今の自分が大きく変わることができます。
でも
自分が何に気づくべきなのかは
ひとりひとり異なるし
そのことを探っていくのが人生だとも言えます。
生きている課題は
ひとりひとり違っていることもありますが
共通していることもあると言います。
気づきの共通することとは
①大いなる存在に生かされていることに気づく
②家族やあ多くの人のおかげで、今ここに存在できること
③今ここに存在することだけでも、奇跡的なことであること
そのことに気づくと
感謝の気持ちが芽生えてきます。
この人生は
感謝するべきことに、漏らさず気づくことに
挑戦するためにあるのかもしれません。
素敵な友達
人は一人では生きていけない。
だから人との出会いは
人生の中でとっても大事。
どんな人と
友達になるかって
とっても大事。
出会った時
素直な心で”素敵だ”と思える人と
友達になれたらとってもしあわせ。
気が合う友達
つきあいやすい友達
お互い気がゆるせる友達。
友達と一言でいっても
いろいろ。
自分が安心できる人は
みんな友達。
素敵だな”と思える人とも
友達になって欲しい。
友達に
年齢も性別も関係ない。
”素敵”だと思える人と
友達になってほしい。
その友達は
自分を成長させてくれる。
そして
豊かな人間関係はもたらしてくれる
でも、求めるばかりではだめ
そのためには
”学ぶべきことを学ぶこと”。
”いつかこんな人と友達になれるように”
日々努力が必要。
自分も
”素敵な”友達になれる
準備をしておかないと。
友達にはなれない。
”素敵な”人に
いつ会えるかどうかもわからない。
でも
いつも会うための相応の準備をしないといけない。
こんな”素敵な”人と友達になりたいと
強く思えば、思うほど
そのチャンス、方法が見つかるはず。
そして
友達になってもらおうと
自分磨きをすることになるでしょう。
ですから
あなたと友達になった時は
その人にとっても
あなたはいい友達になり
あなたからも
多くのことを与えられる人になっていることでしょう。
そして
きっと一生の宝物になるでしょう。
そんな素敵な友達と
出会ってもらいたいです。
誰にも使命がある
「誰にも使命があるから生かされている」
とはよく聞く言葉ですが。
「あなたの使命は何ですか?」と聞かれると
答えられる人は少ないでしょう。
人は、みんな使命をもって
生きているのは確かです。
でも、その使命には決して知らないといけない
ものではないのです
でも、自分の使命を感じられる方法があります。
それは
①とにかく精一杯に生きること
②すべてのことに感謝できるようになること
③他人を喜ばすこと、他人を助けること
④太古の時代から連綿と継続する遺伝子を
僕たちまで繋いでくれたご先祖様に
感謝すること
ともかく
今生きていることに感謝を忘れずに
生きていくことが大事なのです。
好きなことの中の嫌い
寒い連休でした。
全国的に雪や寒波の影響も報道されていました。
防府市市内のあちこちで
インフルエンザがまだ流行っています。
今週も衛生状態、健康状態に注意して過ごしましょう。
さて、今日は好きでやってる仕事でも
その中に好き嫌いはないですか?
好きな仕事の中にある嫌いなことについて
考えてみました。
実は僕は注射をするのもされるのも大嫌いです。
だから、こども達にも注射はできるならしたくない。
でも
自分は医者だから、
嫌いでも注射をしないといけない場面がある。
注射をする時こども達は、
僕のことを悪魔か鬼に見えているかもしれない。
こどもの笑顔を守るのが小児科医なのに、
目の前のこどもを悲しませてしまい、
医師としての思いに矛盾した行動に戸惑うこともある。
でもその時、心の中の医者の良心が叫ぶ。
”この注射をしないと、もっとこの子を悲しますことになるよ。
命を奪われてしまうことになるかもしれないよ。
そうなってもいいの?”
僕は我に返る。
今僕が逃げてしまうと、
誰がこの子を救うの?この子を救えるのは僕しかいない。
ひるんだ心を、医者の良心が一瞬で追い払い、
”この子にどう思われてもいい、
目の前の子どもが早く元気になることを、
笑顔で過ごせること”を願い注射をする。
終わった後は、一瞬で空気が変わる。
こども達の気持ちが僕の心に伝わってくる。
僕は、こどもの頑張りに応えるために、
最高の笑顔でこどもを送り出す。
注射をしたこどもたちは、また受診する時、
注射をされるかもとおびえるて来院されることはあっても、
先生は嫌いと言われたことはない。
注射がないと分かれば、安心して診察を受けてくれる。
注射を打つ時に僕のことを鬼と思ったかもしれないけど、
鬼ではないんだねと
お互い安心して診療が始まる。
これは、仕事上の嫌なことの話だけど、
注射の時の問題だけでなく、
日常生活でも、目の前の人が、
今嫌がってることでも、
心を鬼にして行われないといけないことは
あるんだと思う。
その時は気づいてもらえないかもしれない、
理解してもらえないかもしれない。
でもその時に相手を思う心は、必ず伝わる。
嫌な事でもだから、いいことはもちろん伝わる。
だから、
いつも目の前の人のしあわせを感じて接することが
大事なのだと思う。
そうすれば
しあわせな関係が生まれる、
しあわせの絆が広がるのだと思う。
一年後の自分からの贈る言葉
一年前の自分を振り返って
増えているかもしれません。
ルール
世の中にはルールや規則ってたくさんある。
おとなにはおとなのルール
そしてこどもにもこどものルール
誰もが守らないといけないルール
がある。
ルールは守るためにある。
でも
ルールを守りましょうと言わても
与えられ、守らされてるルールって
どこか窮屈で
ちょっと反発したくなるかも。
ルールや規則って
嫌なものって思ってるかも。
必ず守れるルールがある
それは
自分で決めたルール
自分で守ろうと決めたルール。
自分で決めたんだから
きっと守れると思う。
ルールは
自分を律するための自分のための決まり。
そして
自分自身との約束事。
自分自身との約束事って
何のためにするの?
自分自身の約束は
なりたい自分になるため。
夢を実現するために
するもの。
夢を口にすることは
誰にも言うことはできる。
でも
夢を実現するためには
毎日毎日
夢に向かった階段を
一段ずつ一段ずつ登っていかないといけない。
毎日毎日
とだえることのない営みを続けないと
目指すゴールには到達しない。
そのために
毎日毎日階段を上るように
自分自身でルールを決めて
それを上っていく。
成長するために
自分自身が決めたルールなら
きっと守れる。
そして
自分自身との約束を守れば
必ずや結果はでる。
自分自身を信じて
日々歩んで欲しい。
月
先日宮沢りえさん主演の”月”
という映画を観た。
この映画は
実際起こった
身体障害施設での殺傷事件
をモチーフにした映画でした。
身体障害者の方を
映画に出していいのか?
など映画公開の是非も問われ
お蔵入りの可能性も秘めている
問題作という評判。
なぜか、この映画は
生で、この映画を見ていなければならないと
なぜか強く思って
上映館を必死で探して観てきた映画でした。
見終わった感想・・・・
言葉にできなかった。
この映画はホラーなの、サイコミステリーなの
ヒューマンドラマなの
この映画は何?と頭の中が
混乱した映画だった。
施設の職員が
どうして殺人を犯してしまったのか?
そこには
人間の深い心の闇
自分に役立たないものを排除したい
排除してしあわせな世界になり
自分も救われる。
・・・という妄想にかられ
その妄想が育つ環境に身を置いたため
次第に妄想が現実のものとなり
ついには
殺人することが正義になってしまった。
そんな誰もが持っていて
誰もがその闇に引き込まれるかもしれないという
ことを教えてくれた。
深い問題作の映画だった。
悪人なのかもしれない
歎異抄を読んだら、
自分は悪人として生まれてきたのだと思った。
親鸞は悪人について次のように語っています。
「人間は誰もがどうあがいても、
欲望からも苦しみからも逃れることはできない。
絶対に。
どんなにすごい修行をしても、生きることの苦しみ
死ねなければならないことへの
怖れを忘れ去ることはできない。
人間である限り死ぬまで苦しみ続けるしかない。
悪人とは
生きていくために、
どうしても悪を選んでしまう人間のことだ。
どうして人は、どんな悪とも無縁で生きていけるだろう。
そもそも他の生き物の命を奪わなければ、
生きてはいけないというのに。
だから人間は生まれついての悪人なんだ。
こんな悪人として生きるしかない人を
阿弥陀様は救ってくださるのだ」
と述べられています。
罪深く生まれてきた我々。
罪深く生まれてきた大きな意味もあるのでは
悪人だから気づけることもある
悪人として生き、もがき苦しむ我々に
きっと優しい眼差しで見守って下さっている存在が
確かにいらっしゃると僕は感じるのです。
不要なものを捨てる
毎日色んなものに囲まれて生活しています。
今こうして、自分の周りを見渡すと
物って不思議だなぁって思います。
昔、
成長してくれたものかもしれないけど
でも、今の自分にとっては
不要になってしまったものって
以外とあるんじゃないかなァって思います。
そんな今は不要になったものでも
感謝の気持ちを持つこと。
その気持ちを持っていれば
たとえ捨ててしまっても
心の中で成長の証として残ってくれると
思います。
そこで、考えてみました。
僕を成長させてくれて
今は不要になったもの。
それは
医学生時代に学んだ教科書です。
医学部卒業して20年以上経ち、
その時使っていた教科書を
開くことはほとんどなくなりました。
でも、最初に
教科書を開き勉強を初めた
その時の気持ちは今でも忘れられません。
今でも、その本の背表紙を見ただけで、
その当時のこと、
必死で勉強した時のことを
思い出してくれます。
教科書は、
医学の知識を得ただけでなく、
医師としての自覚、
人間との生きる道を教え、伝えようとしていたと
今も思わずにはいれません。。
医学的内容は
今は古くなったものもあるかもしれません。
でも、
その時の思い出、感じたことが
ギュッと凝縮してそこにはあります。
今、現実的にそのページを開くことは
なくても
僕が今医師をできることが、
この本で学んだことから
始まったのは確か。
僕の医師としての
生みの親そして
育ての親なのかもしれません。
だから、
決して粗末にはできない。
本棚の上で、
じっといつまでも静かに
見守ってくれている教科書たち。
ありがとうの気持ちを持って、
大切にしたいと思います。
今は自分の成長のために
不要になってしまったけど
僕の出発点の教科書に感謝。
あなたの
今不要になってしまったものってなんですか?