年別アーカイブ: 2024
精神力の磨き方
誰もが健康でありたいとともに
精神力も強くしたい、磨きたいという人は
多いことでしょう。
精神力が上がったなぁと感じる時って
どんな時ですか?
精神力があがると、どうなりますか?
精神力が上がっている時は
何かに集中できている時では
ないでしょうか?
精神力の源は
「好きなことをしていること」
「楽しんでいる」
ところにあるのではないでしょうか?
人生「好きなことをやっていけたら」
精神力もアップし
充実した人生を歩めるでしょう。
でもずっと長い時間楽しめるづけることって
そんなにたくさんないし
人は楽しいことになれてしまい
もっと楽しくなることを探そうとします。
そんな時
自分が楽しむだけでなく
周りの人が喜んでくれたり、褒めてくれたりすると
その笑顔が、言葉をもらうことで
楽しさが持続できるようになります。
ここに人の生きている本質を感じます。
ダライラマ法が
人間の本性は利他と慈悲のこころであり
これが僕たちの魂の正体だといっています。
だから
利他の行動を起こすと、
自然にこころ、魂が反応するのです。
そして同時にこころも魂も、精神力も磨かれるのです。
医師に必要な4つの力
これから世の中は
AIの登場で大きく変わると思います。
色々な職業が、働き方が
様変わりすることが考えられるます。
でも
僕は人間しかできない力があるか切り
医者という仕事はなくならないと思います。
医者としてはAIが単純作業をおこなってもらえば
仕事内容は効率よく
もっと、患者さんに寄り添うことに
集中できるのではないかと思います。
そのためには
医者として働くためには
AIがもっていない
能力をもっているからです。
その力とは
身体診察力、論理思考力、プレゼンテーション力
コミュニケーション力でです。
つまり
ひとりひとり大事に、丁寧に
その方に寄り添って診ていく
指先から感じるとる能力が
身体診察力です。
そして、自分で得た、感じたことから
診断し、そして
患者さんに一番の治療を選択していく治療法を
選択していく能力が
倫理思考力です。
そしてその選択をした理由などを
患者さんに伝えないといけません。
それも目の前の患者さんに対して
わかりやすく伝えなくてはなりません。
それがプレゼンテーション力です。
最後は
診療は独りでは行えません。
看護師さん、事務の方、薬品の卸さん、検査会社の方
また時には他科の医師とも連携して
診察を進めなければなりません。
そのためにもコミュニケーション力が必要になります。
この4つの力が大切ですが
どの力も、医者として
目の前に患者さんのために働こうといえば
日々磨かれていく力です。
AIにはできない医者としての力は
患者さんのために自分の今もっていることに
全身全霊込めて働くことだと思うのです。
挫折は人生の折り返し点
人生は順調な時ばかりではない
失敗したり、病気になったり
どうしようかと悩み、苦しみ
これまでの人生を考え直さないといけない時が
誰にもあるでしょう。
そんな苦しい状況で味わう挫折は
振り返ってみると
人生の折り返し点、方向転換点に
なっていたことに気がつきます。
挫折の時にも
逃げることなく、その挫折に
正面から立ち向かっていくと
いつまでも挫折の苦しみが続くわけではなく
挫折の先にあるのは希望が見えてきます。
希望を感じたその瞬間に
あふれてくるのが感謝の気持ちです。
ですから
挫折を感じた時は
人間成長するチャンスをいただいているのです。
逃げずに、正面から立ち向かっていきましょう。
「あたま」との付き合い方
毎日診察して感じることは
自分自身の「あたま」「からだ」「こころ」
との関係です。
この3つが整って
初めて健康になるのです。
つまり、
「からだ」が心地よい方向に向かうには
「こころ」が求める方向に生き方がかわり
「あたま」がその2つが望む方向に働けば
健康と感じられるのです。
でも、受診される方の多くは
「あたま」中心の考え方で生きている方が
多くいらっしゃいます。
「あたま」はこれまでの経験したことを元に
「こうすべきだ」「こうしなければならない」という
義務系や命令形で伝えられ
「こころ」からの声は
「こうしたい」「これが好き」「心地よい」という
メッセージを送ってきます。
そのどちらのメッセージを受け取るかで
あなたのからだの状態が決まってしまいます。
いつまでも不調に悩んでいる方の多くは
「あたま」からのメッセージに悩まされている方が
多いような気がします。
「あたま」とのある程度の距離感をもつことが大事。
「こころ」からの声にも耳を傾けることが大事です。
こうはいっても「あたま」もあなたの
体の一部ですから
決してあなたをおとしめようとしているわけでは
ありません。
「あたま」も必死で頑張っているのです。
ただ、情報が多すぎることが原因で
「あたま」も過重労働状況に陥っているのです。
ですから
「あたま」を休ませて下さい。
頭が疲れていると思ったら
スマホ、パソコンのスイッチを切ったり
スマホの電波の届かないような
自然の中に身を置くことが
大切なのです。
あなたが今聞いているのは
「あたま」から、「こころ」からの声ですか?
愛と愛情とのちがい
愛と愛情という言葉は
似ている言葉ですが、全然違う言葉なのです。
愛と愛情のちがいを知って
愛を施さないと
相手に対する愛が思わぬ方向に進んでしまいます。
愛というのは
無条件で、しかも厳しいものなのです。
愛情は、愛の下に情という字が入っています。
無条件の愛だったことに
様々な気持ちが入ってしまうのが
愛情なのです。
愛の部分では
やってあげないほうがいいとわかっていても
かわいそうだから
助けたいからと情けをかけて
手を出しまうこともあるでしょう。
愛と愛情が身近でよく混同されるのは
子育ての部分でしょう。
かわいいから、かわいそうだから
自分と同じ思いはさせたくないから
みんなと違ったらかわいそうだから
困らせたくないから
・・・・・など愛の部分を超えて
自分の気持ち、思い込みをこめた
愛情をかけてしまう場面が多くなって、
からだの不調、精神面のダメージを
きたして受診するこども達が増えている気がします。
愛は基本厳しいものです。
愛と愛情のちがいを知り
情けをかけ過ぎないようにしましょう。
病と闘う時代は終わった
これまでは、病気になると
闘病生活に入ると言ったり
病との戦いに勝って必ず元気になって帰ってきます
など、勇ましい言葉で病気と闘おうと
誰もがして、元気になろうと考えてきました。
しかし
「病と闘う」「病を撲滅する」といった
暴力的な発想で生きるのではなく
これからの時代は、病を理解しながら
健康・調和・しあわせを実現するという
感覚をもって生きることが
大切になってきます。
ですから
これからは病気を治すだけでいいという
発想を変えないといけないのです。
病気が治れば健康になるのではなく
健康だから病気も治り
病気ともウイルスとも共存できるようになるのです。
病気を治すことだけにこだわっていると
「病気の症状は消えたのに
体調がすぐれない」と言うことが
おこってしまうのでしょう。
一般的に病気と健康は
逆の立ち位置にあるようにおもいますが
そうではなく
病気と健康はお互い補う関係性であると
思えるのです。
ですから
人は病気を経て健康になり、
健康を保ちために病気になることも
必要なのかもしれません。
転んだら起き上がればいい
人生には、成功することもあるけど
もちろん失敗することだってある。
逆に
成功だけの人生
失敗だけの人生はありません。
人生には
失敗もあるし、成功することもあります。
だから
人生を道に例えれば
人生転ぶことがあるります。
転ぶことがけっしていいことだとは思いません。
できれば転びたくないのもわかります。
が、人生には、小さな失敗は必ずあります。
失敗する度に
誰もがくよくよと落ち込みがちです。
でも、そんな時
人生に小さな転びまたは大きく転んだとしても
転んだら立ち上がればいいのです。
「人生とは転ぶものだ。
転んだら立ち上がればいい」
と思えば、毎日何が起きても
明るく生きていけますね。
さようならの意味
長い人生の中には
出会いもあれば別れもあります。
特に別れの瞬間には
喜びも悲しみの感情が
一気に教え寄せてきて
その時の感情を複雑にして、本人自ら
混乱してしまうこともこともあるでしょう。
別れは、学校、職場だけの別れではなく
恋人との別れそして死別など
僕たちの魂まで揺さぶられるような
経験をすることもあります。
そんなこころを揺さぶられる別れがあっても
ひとりの努力できるものではなく
自分の力が及ばないことだってあるでしょう。
「さようなら」の語源は
「左様なら」だと聞いたことがあります。
別れは、自分ではどうにもできないもの
そうであるならば(左様であるならば)
別れの感情も全てごまかさずに
ありのまま受け止めて
一緒に経験したことを未来へとつなげようという
気持ちが「さようなら」の言葉に込められている
と思うのです。
「みずから」と「おのずから」
「みずから」(自分から)という言葉と
「おのずから」(自然に)という言葉が
日本語にありますが
この言葉を漢字で書くと
同じ字「自ら」という漢字になります。
人は60兆にも及ぶ細胞から
僕たちの意志とは関係なく
「おのずから」の生きる力をもらって
僕たちは生きています。
そして、生きて行く力をもらった僕たちは
自分の意志で
「みずから」の人生を歩んで行けるのです。
自らの命を生きているようで
この字をどう読みますか?
この字をどう読んでも
僕の、あなたの人生は
そっと見守られている気がするのです。
宇宙に善悪は存在しないのか
この世に起こるできごとは
総じて見方によって違う
意味合いをもつことになります。
戦争が起こった時は
方や侵略ととり方や防衛と
主張するでしょう。
だから戦争はいいも悪いもなくて
やってはいけないことです。
つまり、この世におこる出来事は
立場が変われば善にも悪にも
なるということです。
このことを意識して過ごせば
人を攻めることも
自分を卑下することもなく
誰とも仲良く生きていく
平和な世界が訪れると思うのです。