年別アーカイブ: 2024

こころを込めて生きるしあわせの道

「誰に、どうみられようと
わがこころを込める道があり
生きていくのがしあわせなのだ」

これは
からだの筋肉が動かなくなる
ALSという難病にかかり
現在ベット上の生活にも拘わらず
感情豊かな詩やエッセイを書き続けている
岩崎航氏の詩です。

彼は、この詩を通じて
人生、どんな状況でも
人生込めて生きる道をみつけることができます。
だから
どんな状況であっても
生きていることだけで
しあわせなのだと
僕たちにこころ強く訴えてくる詩です。

今どんな状況であっても
心を込めて生きている限り
しあわせなことなのです。

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いのちの居場所

コロナのパンデミックが終息し
コロナ感染が日本でも5類となり
人々の生活は
コロナ前に戻ってきました。

しかし
生活は元に戻っても
コロナ感染がなくなったわけではなく
インフルエンザが流行した時期でも
コロナはここにいるよと知らせるように
時折顔出して
主張するのです。

コロナ感染を怖がってばかりの時期は
過ぎました。
今こそ
コロナウイルスが
教えてくれたことを考えておかないと
また同じことをくり返すことになります。


全世界にコロナウイルスが流行した意味は
全世界の人のメッセージが
あると思います。

それは
地球上に生きている全ての生物
動物にも、植物にも、ウイルスや細菌にだって
居場所があるということ。

全ての生物が生きていける「いのちの場所」を
考えて生きていくことが
これからの地球全体に必要なことではないでしょうか。

このことが
人間を含め地球が
よりよい共同体や社会を形成するにあたって
重要なことだと思います。

それぞれにはいのちの場所がある
だから
social distancetoということを
学んだ(学ばされた)気がするのです。

これは
ウイルスから防ぐためではなく
それぞれが生きていくための
いのちの場所を大事にしなさいという
地球全体からのメッセージなのだと思います。

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アリ地獄からの脱出法

苦しいことがあると
アリ地獄に陥ったと感じることがあります。
人生でいう、アリ地獄とは
家族、仕事、健康、金銭、人間関係などの
問題に面した陥る
悲しみ、不安、苦しみ、焦りを感じて時
今、アリ地獄に陥ったと感じます。

アリ地獄に陥ってしまうと
もがいても、もがいても
中々這い上がれない苦しさを
表現した言葉です。
負の連鎖から何とか抜け出そうとしている状況です。

苦しみのど真ん中にいるので
苦しくてらまりません。

でも、冷静に考えてみると
アリ地獄を作ってしまったのは
自分自身だということです。
アリ地獄の存在は
自分の頭が作り出した幻想であるということ。
アリ地獄を作ったのは
自分の思い込みだということ。

この思い込みは
自分自身の生き方に起因します。
ですから、考え方を変えることが大切です。
アリ地獄に陥らないために
良き人、良き書物との出会いが大切にすることです。

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わたしがやりました

今回観た映画は
「わたしがやりました」という
フランス映画のブラックコメディミステリー作品。

最近日本映画が観ることが多く
それも
コメディを積極的に観ようと
選ぶことはないけど
今回は、時間の関係で選択した映画。

大笑いしたわけではなく
そんなに複雑でドキドキ、ワクワク
させられたわけでもないけれど
終わった時
胸のつっかえがとれたような
すっきり感を憶えた。

この感覚を
経験することは、そんなにあるわけではない。
スッキリ、元気になって
観終わった直後から、からだの中から
活力が増してきた感覚を憶えた。
コメディってすごいと思ったし
笑いが免疫力が上がることを
実をもって感じさせてくれた映画でした。

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春分の日

今日は春分の日。お彼岸です
お彼岸にお墓参りをされる方も多いでしょう。
行きたいけど
遠方だから難しいと
仰るかたもいらっしゃることでしょう。

お墓参りには
必ず行かなければならないか
多くの方が悩んでいらっしゃることでしょう。

家にお仏壇があれば
お位牌に手を合わせるのでも
いいのだと思います。
でも、お墓で手を合わせた方が
より丁寧だとも言われます。

お彼岸にお墓参りできるのが
ベストですが
行きたいという気持ちさえあれば
きっとご先祖様はその気持ちを
受け入れて下さると思います。

お墓参りにいかれたら
墓石に水をかけ、拭き掃除をして
周りの落ち葉などを掃いて
サッパリしたら
お供えをそなえ
お線香に火をつけて、手を合わせましょう。

僕も
お墓参りに行くと
墓石を拭き掃除をし、手を合わせる時間
ずっとご先祖様と向き合って
無意識に色々なお話をしています。
うれしかったこと、悲しかったこと
今困っていることなど
まるで生きている時のように
お話している自分に気づきます。

このご先祖様は
お話することを望んでいる気がします。

お彼岸だけとはいわず
機会があればお墓参りに行かれて下さい。

いつ行っても
ご先祖様は喜ばれますから。

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道に迷っても、迷うことはない

誰にでも
人生の選択に迫られることがあります。

どちらの道を選んだで進めばいいのか
迷います。
そして考え続けても
明らかな答えはでません。

迷ったときはどうしたらいいのでしょう。
迷ったときの答えは簡単。

「良い道などないという」ことです。

お釈迦様が次のようにいわれているようです。
「人はこの世(夜)に生まれてきたからには
生・老・病・死の悩みから
逃れることはできないのです。
だからこそ、闇の中で
明るく活きることができれば
更に輝けるのです」

つまり
悩みから逃れることができない。
だから悩んでも、考えても
困難から逃れることはできないのです。
つまりいい手がないのなら・・・・
どんな時にも明るく生きていくのが
いいのだということですね。

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真のカルテに書くことは?

 

カルテには、普通
症状が
いつから、
どんなふうに起こったのか、
どのようになってきたのか
事細かに記録していきます。
そして
その情報を元にして
診断、治療に繋げていく
とても重要な作業です。

でも
病気は
症状が出てから始まったわけではなく
その人の無理な生活
頑張りすぎた生き方
ストレスに感じる環境
心の悩みなど
日々からだが蝕まれきた結果が
症状として現れるのです。

ですから
症状が出てからのことを尋ねたり
症状が出た後に
たくさんの検査をしても
病気の状態がわかるだけで
真の病気の原因に迫ることはできません。

医療を施す前に
病気の原因を見つけないと
本当の治療はできないはず。
ですから
医者は、症状についてだけでなく
患者さんに聞かないといけない
ことがあります

“からだに負担になる生活をしてませんか?”
“何を食べていますか?”
“何を飲んでいますか?”
“毎日頑張りすぎてないですか?”
“心に悩みを持ち続けていませんか?”
“ご家族、ご友人と仲良くしていますか?”

“つらいことがあれば、なんでも話してください。
何でも吐き出してください”

あなたの生き方が
あなたのからだの細胞ひとつひとつに
影響しているのです。
細胞のひとつひとつの
訴えが症状になって
あなたに訴えてきてるのです。

だから
カルテには
症状のことだけでなく
実は
その人の生き方を
記録するものでなければならない
と僕は思います。

昔から“医は仁術である”と言われます。
その意味は
医者は
病気だけを診ればいいのではなく
目の前の患者さんの全てを診る
全人的な力量が求められるからでしょう。

医者は
からだが病む時も
心が病む時も
そして
心身が病まないように
いつでも寄り添える存在で
なければならないのだと思います。

だから
医者の前では
包み隠さず、恥ずかしがらず
何でも素直に、正直に
話してください。

あなたの口から出る
真実の言葉が
病気の真の原因を教えてくれます。

☆ 先週末は娘の手料理食べたり
新しくできた周南市立徳山図書館行ったり
娘とのデートを楽しみました。

そして、今週末は……
今、東京に到着しました。
今回もどんな出会いが、学びがあるか、
ワクワクしてます。

ちょっぴり春の訪れを感じる週末。
みなさんもよい時間をお過ごしください。

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実るほど頭を垂れる稲穂かな

誠実に生きていれば
誰でも自分の徳のなさに気づきます。

何事にも手抜きをして
いい加減に生きていると
己の愚かさには気づきにくい者です。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
という言葉があるように
知識もあり、体験もある人間ほど
謙虚になれるのです。

だからといって
あなたは何一つとして
特別なことをすることはないのです。

自分を卑下せず
反対に
「大変なこともあったけど
よく頑張ってるね」と
ほめてあげて下さい。

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無身

解剖学者の平沢興先生が
「今日も健康で生きていられるのは
ただひとつのいのちの健康ではありません。
約60兆もの顕微鏡で見なくては
わからない小さな細胞が
秩序正しく協調しながら働いてくれている
おかげです」

60兆の細胞が、規則正しく、仲良く
協力しながら、争わないで
ただただ、僕たちの生きていくことを
支えるために働いてくれている。

そう思うと
自分のからだに感謝する気持ちが
湧き上がってきませんか?
目には見えないけど
確かにそこにある自分のからだの
細胞のひとつを
有り難いという気持ちがあふれてきませんか。

そのからだを感謝する気持ちは
あなたの細胞のひとつひとつに
必ず伝わっていきます。
そして、その感謝の気持ちに答えようと
からだはもっと働いてくれる気がするのです。

そのことを
この言葉が教えてくれているのだと思います。

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チャンスをつかむ

チャンスがない
運がないって
嘆いてないですか?
あきらめてないですか?

実は
チャンスは
誰にも平等に与えられているんです。
そして
チャンスは
自分のまわりに
たくさん転がっているのです。

”チャンスがない”
”運がない”って
嘆いてる人と
チャンスをつかんでいる人との
大きな違いは
自分の周りにある
チャンスに気がつくか
どうかなんです。

チャンスをつかむためには
どうしたらいいのでしょう?

あなたは
人から何か頼まれたときに
どんな風に対応してますか?

即答できますか?
後で、考えてお返事しますって
返事を先送りしていないですか?

実は
頼まれたときに
即答できるかどうかが
できるだけ早く返事をすることが
仕事だけでなく、
何事においても
福を呼ぶ、チャンスをつかむ
というこにつながっるような気がします。

即答する力を身につけるために
何をするべきなのか?

ぼくは、日ごろから
まわりの事をよく観察すること
つまり
まわりに今何が起きているのか
観察し、判断する、そして動く
力を磨くことが
必要なんだと思いいます。

まわりのことを
よく観察するためには
好奇心と人に対する思いやりの気持ち
が大切ではないかと思います。

人に喜んでもらおう
人の役に立ちたい
という気持ちをいつも持っていれば

自分にできることはないか?って
まわりに対する観察の目が広がることでしょう。

その力は
自分だけに使うものではない

そして
誰かが察するSOSのサインを
いち早くキャッチでき
いち早く手を差し伸べることが
できるようになります。

その行動を起こすことが
日頃からの
心がけ、即答することで
磨かれる気がします。

まわりの人の
役に立ちたい
喜ばせてあげたい
そんな気持ちで日々過ごすこと

そんな行動力が
自らにもチャンスを生み
そして
多くの人にも
しあわせをもたらすことに
なるんだと思います。

 

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