年別アーカイブ: 2024

トニー滝谷

イッセー尾形主演の映画「トニー滝谷」を
観た。
ほぼモノクローナルの映像の中
西島秀俊さんの語りで
淡々と進む映画。

孤独に生まれ
孤独に生きていた主人公が
愛を知り、しあわせな結婚生活を始め
二人の生活で孤独とは無縁になると思ったが
またもとの孤独状態に戻るかもしれないと
怯えてしまう結婚生活だった。
そして、唯一愛した女性も
実は孤独から逃れるための
病気を持っていたのです。

孤独者として生まれ
孤独から逃れることができるのだろうか?
淡々と語られ、淡々と進み
いったいどんな風に進むかわからない
映像の世界に
ただ独り向き合わされることで
主人公の孤独を観ていたはずが
いつのまにか自分自身の孤独と
向き合っていたことに気づかされた
後味の深~~~い映画だった。

原作は村上春樹。
全てに引き込まれる不思議な映画だった。

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悩み苦しむ人たちのために

 

ニューヨーク大学医療センターの
ラスク・リハビリテーション研究所のロビーに
掲げられた詩を紹介します。

大きなことを成し遂げるために
神に強さを与えたまえと求めたのに
謙虚であるようにと弱さを授かった。

偉大なことができるように
健康を求めたのに
人生を間違わないようにと
病弱を授かった。

幸せになりたくて
富をもとめたのに
賢くあるようにと貧しさを授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして
強い力を求めたのに
神様の存在に気づけるようにと
弱さを授かった。

人生を楽しむために
全てのものをもとめていたが
あらゆることを楽しめる命を
自分はすでに授かっていたことにきづいた。

求めたものは
ひとつとして与えられなかったが
真に望んだものはすべてあたれられた
こんな私であるにかかわらず
言葉にできなかった祈りは聞き届けられた
わたしは全ての人のなかでも
もっとも豊かに祝福されていたのだ。

この詩は
アメリカ南北戦争の兵士が
書き残した言葉だそうです。
きっと、自分の死というものに直面したとき
知った大きな愛、人生の意図を
しったのでしょう。

今生きていること、興っていることには
全て意味があることを教えてくれる言葉。
苦しんでも、それでいい
その先には必ず救いがあるのです。

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福分があるなら禍分もある

人間には、
天から与えられた福分というものがあるという。
福分とは、天から与えられた幸運のこと。
ですから、福分のある人は
いつも幸運を呼び込んでいる人のことをいいます。

福分があるのだとすると
禍分というものもあるはず。
福分があるなら、禍分は存在します。
そして人によって福分と禍分は決まっているとも
考えられています。

ですから、
嫌なことがあった時
これを自分の人生に与えられた
禍分だと考えれば
福分も必ずある、与えられると思うと
気が楽にんさりませんか?
頑張れませんか?

人は、とかくしあわせなことばかりに
目がいきがちです。
しかし自分の人生は、
しあわせだけで満たされることはありません。

現代人はしあわせばかりに目がいって
しあわせばかりを追い求めすぎてしまい
一寸でも満たされていないと
世界で一番不幸のように落ち込んでしまうのでは
ないでしょうか?

これは人生だけでなく
何事においても、いい面、悪い面
表と裏があります。
表からみれば、禍分にしか見えなくても
そのことが福分につながっているのです。

ですから
どんなに不幸な状況でも
前を向いて歩いて行きましょう。

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浦島太郎が伝えたかったこと

幼い頃から親しんだ昔話
ファンタジーな世界だけど
おとなになってくると
そのファンタジーの世界が
なにか隠された真実があるような気がして
おとなになっても引き込まれます。

そんな不思議な昔話のひとつに
浦島太郎があります。

浦島太郎の物語を
解釈してみると・・・・

「助けた亀が
連れて行ってくれた深海(神界)。
龍宮はたのしかったなぁ。そうだ
お土産でもらった山手箱を開ければ
あのときの宮に戻れるかもと思い
玉手箱を開けると・・・
一気に老化し死に近づいてしまったのでした」

つまり
生きているときと
死んだときの生き方が違う。
死んでしまえば
思い出とか、過去の記憶の中でしか
生きられなくなります。

生きている間は
過去の世界に生きてはいない、いやいけないのです。
どんなことが興ろうとも
過ぎた過去に生きず
未来志向で生きなさいということを
浦島太郎のお話は教えてくれている気がするのです。

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死ぬ日まで生きていく

誰にもわからないのは
いつ死ぬかということ。
誰もが経験する死が
いつ来るかわからないので
人は死に対する不安、恐怖を憶えるのかもしれません。

考えてもわからない死の対して
怯えて生きるよりも

「生きている間は生きている。
死ぬ日まで生きているんだ」

と考えればどうでしょう。

確かに、人は死に対しては無力です。
死のために備えることは
人が最もできないことのひとつでしょう。

死に対する運命は、自分では逆らえなくても
死ぬ日までは生きていくのです。
死について思い悩み
くよくよして生きても
明るい気持ちで生きてても
死が訪れる日は必ず突然くるのです。

それなら、死ぬ日まで、明るく生きていく方が
いいと思いませんか?

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人の運は食にあり

江戸時代の人相学者だった水野南北は
「人の運は食にあり」と言っています。
つまり、人は少食粗食の習慣を
身につけるだけでも
運命が好転できると説いた言葉です。

これは
運勢学的な面だけでなく
医学的にも同意できる面もあります。

現代は飽食の時代。
どんどん食べ過ぎ、運動不足で
こどもからおとなまで
みな過食気味、今後成人病が増えそうな気がします。

学校の検診で
肥満を指摘されて受診されるこどもも
増えています。
食事指導など生活面の指導を行うのですが
なかなか難しいです。
こどもたちは食事に関しては
完全に受け身なので
親の責任は重いのですが
親は心情的にたくさん食べさせたいと思うのが
親心。

喜んで、たくさん食べてもらえることで
しあわせを感じることでしょう。
ですから、ひもじくあれという指導ではなく
何を食べるかを考え
食べたら動こうという指導をしていますが
難しさを感じています。

自分自身のことでも
食事を考えると
飽食の時代には難しいです。

ですから、一寸視点を変えて
「少食になれば、運が上がる」と考えれば・・・
少しは前向きにとらえるかもしれないと思って
このブログを書くことにしました。

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自信を回復させてくれるもの】

今日は、
自分にとって
元気や自信を回復させてくれるものって
なんだろうか、考えてみました。

僕にとって
元気や自信を回復させてくれるものは、
きっと自由な時間だと思います。

ある事柄に一心不乱に取り組み
無事成し遂げた後の
開放感は格別なものがあります。
その時感じた開放感は
何かに解き放されたかのように、
まるで
久しぶりに太陽の光を
浴びたかのように
全身エネルギーチャージされていくような
感覚に全身が満たされます。

そして
疲れがとれ、
気がつくと次へのエネルギーに
充填されていくのを感じます。

その心から解放される時
自由な時間をどのように過ごしているか?
実際に好きなことをする、
家族と過ごす、友達と過ごす、
好きな本や映画を観る・・・
その時々で自由な時間の使い方は違います。

また、たとえ何もしなくても
自由を感じることだけでも
自分へのご褒美をいただけたような気がします。

自分に元気を回復されてくれるもの
それは、決してモノではないような気がします。

今振り返っても
疲れた時に
心が満たされたモノは
思いつきません。
物ではないような気がします。

自由を得られたことは、
何かから解放されたということ。
自分の明日へのエネルギーであり、
希望へと続くものだと思います。

そして
自らの発展に繋がっていく。
そして
新たな結果を生むステップにつながる。
その満たされた結果自体が
ひょっとしたら
ご褒美なのかもしれない。

何にも束縛されない、
心から溢れる純粋な明日への活力、
未来の成功へのスタートに立てた気持ちが、
僕にとってのご褒美としての
自由なのかもしれません。
あなたにとって自信を回復させてくれるために
必要なものって
なんですか?

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桃の節句

今日は五節句のひとつ「桃の節句」です。
桃の節句を邪気を祓える日と
昔から考えて大切にしてきました。

実際桃の花が咲くのは、まだ先ですが
今日は、桃について。

桃には古くから
邪気を祓うパワーがあり、
魔除け、厄除けの効果があるといわれています。
古事記でも
伊弉諾尊が黄泉の国から逃げた時
追ってを退治できたのは
桃の実だったと書かれています。

中国でも
桃の木で作った杖は邪鬼を避ける
桃の木で作った弓で矢を射れば災いを避けるなど
といわれているようです。

桃は確かに邪気を祓うようです。
桃の花ではなく種に祓う力が強いようです。
種は邪気を祓うというより
種の中に吸い込んで封じ込めるようです。
盛り塩も邪気を祓いますが
塩は邪気を吸うと、悪い物に変化し
邪気を放ち始めるので取り替えが必要ですが
桃の種は邪気を放つことはないのが
特徴のようです。
ですから、部屋に桃の種を4,5個おいておくと
いいようです。

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命に感謝

マラリアの研究で著名な寄生虫学者の
堤可厚先生がケニアのマサイ族と暮らした時に
酋長と交わした話。

酋長 「人間にとって一番大切なものは何だと思うか?」
酋長 「それは胃袋だ。
胃袋がダメになれば人間は死ぬ。
人間が死ぬ時には、食べ物が入らなくなる
だろう。
また、森で死んだ動物の腹を切り開いてみると
胃袋に必ず血が入っている。
だから、胃袋が一番大事なんだと」
このように答えたそうです。

また、こんな質問もされました。
酋長 「お前はどうして
眼がこの高さについているか知ってるか?」
酋長 「そんなこともわからないのか。
眼がここにあるのは、立って遠くを眺めた時
1日で歩いてたどり着く地点を見るためなのだ。
だから、誰でも、立って自分の眼の届く
ところまでは歩いていくことができるのだ。」

先生 「でも、身長が高い人もいるし、
低い人もいるでしょ?」
酋長 「背の高い人は、足が長いから
見える所も遠いけど、歩ける距離も
長くなるだろう?
そんなこともわからないのか(笑)」

この話を聞いて、ハッとしました。
胃袋がどうしてあるのか?
眼がどうしてここにあるのか?
考えたことも、実感したことも
元気なら考えないかもしれない。

過酷な大自然の中で生きている人は
目には目の働きが
耳には耳の働きが
胃には胃の大切さを感じながら
からだの一部分が
大切な役割をしていることを実感しながら
生きている。

その大事さを
我々は感じているだろうか?

現代人は
からだの臓器を部分を
部品と考えていないだろうか?
目には目、胃には胃の役割があるけど
ひとつひとつが
生命という全体を支えていることを
感じながら生きていくことができれば
もっと自分のからだを大事にすることが
できるのかもしれない。

からだ全体に支えられて
僕たちは生きることができている。
だから
からだひとつひとつの部分に
命に
生きていることに
感謝しなければならないのだと思う。

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嫌なことは、すぐ忘れる

毎日、いいこともあるし
悪いこともある。

いいことがあると
それは明日へ進む力になる。
逆に
悪いことがあると
前を向いて歩けなくなってしまう。

だから、
悪いことが起こったら
とにかく悪いことは
すぐ忘れるようにすることです。

そのためには
立ち止まらずに
新しいことを無我夢中で行えばいい。

人がどう思うか
なんて関係ない。
自分がいつまでも悪いことにこだわっていると
益々惨めになってしまうから。

嫌なことはすぐ忘れるようにしよう。
忘れることも大事なんです。

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