日別アーカイブ: 2025年1月31日

意味のないことでも意味がある

幼い頃気がついてみたら
勉強もそうだし
親から進められた習い事も
やらされていた。

もっと遊びたいのに
みんな遊んでるのに
なんで今日はピアノのレッスン
そして今日はスイミングの日。
嫌々することって
意味があるのだろうかと
ものごころついたころには
そう思うことが増えてきた。

だから
親にやめたい、やめたいと
行く度に言っていたけど
親はうんと言わず
幼稚園から中学生になるまで
嫌々ながら続けていた。

そんなこどもの時に意味がないと思っていた経験は
おとなになって意味のある時間になっていることに
気がつくのです。

そのひとつは
意味のないことを一生懸命やった経験に
意味があるのだ。

こどもの時
一生懸命勉強した、水泳の練習をした
ピアノをした
その打ち込んだという経験が
何かに挑戦できることを
僕の身体に染みついているのだろう。
だから
おとなになっても
何かに挑戦して、どんな結果によるかもかかわらず
やり遂げられるのだという
自分しかわからない自信に繋がっているのだと思う。

今、自分の人生を振り返って
人生には何一つ無駄なことはないと思っている。
やめたいと言っても続けさせた
親に今は感謝しかないのです。

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やさしく生きる

「自分に厳しく、相手にはやさしく
という自己を確立しなさい」
これは
司馬遼太郎が小学生向けて書いた
「21世紀に生きる君たちへ」の中の言葉です。

司馬遼太郎氏だけでなく
僕たちも
こどもたちに向けて
人にに優しくしなさいなんて
言うことはよくあります。

でも、優しくするって
人間の本能ではないので
やさしさを身につけていけないものなので
訓練して身につけていけない。

だから口を酸っぱくして
言ってしまうのだろう。

やさしさを身につける訓練って?

いつも他人の傷みを感じ
労りの感情をもつことで
やさしさは育つものだと思う。
でも
他人のこころの傷みを感じることって
限られた個人の経験だけでは
意外に難しい。

自分の苦しい傷みを経験した時には
他の人にもらったやさしさを
いつも忘れないようにすること
そして
読書や他の人のつらい話しを聞いた時に
我がごとと感じる感性を育むことが
必要だと思うのです。

他人のことを思えあえる
やさしさにあふれる世界の実現になるヒントが
この言葉にあると思うのです。

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