臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺先生が
著書「臨済録に学ぶ」の中で
京都の禅寺相国寺の田中芳洲老師の
次のような詩を紹介していました。
この身に
地位・名誉・財産・学歴・男女などに汚れない
主人公がいる。
あなたにも、誰の中にも、
その人の主人公が紛れもなく住んでいる。
彼は私が善いことをした時には
私に心の底から喜びを与えてくれる。
彼は私が悪いことをした時には
私の心に動揺と反省を与えてくれる。
誰にみていないと思っていても
いつもどこでも私の心と行動を観ている。
彼は自分を偽らず
悲しい時には素直に涙し
うれしい時には心の底から喜び
怒るべき時には晴天の雷のごとく
雷鳴の後には雲ひとつなく
和らいだ光を放つ
そういう「主人公」に出会えた時
人は歓喜し「悟りを得た」というのである。
ここでいう「私」は
普段考えたり、思ったりしている
自分のことです。
それとは別に
自分をどこかで観ている存在がいる。
それをここでは「彼」と言っています。
一般的に言えば
神やお天道様とも言えます。
それが「主人公」であり、
そんな本当の自分が誰の中にもいるのです。