日別アーカイブ: 2025年2月5日
貧乏くさくなりたくない
お金がなくては
生きていくことはできないし
お金があると
欲しいものも買うことだってできる。
お金があると
やりたいことだってできる。
お金があると願いや夢を叶えてくれる
気がしてくれる。
本当にそうだろうか?
石川啄木が
「働けど、働けど、我が暮らし楽にならず」
という歌を残してるけど
現代は
「働けど、働けど
稼げで、稼げど、我が暮らし楽にならず」
と思っている人が多いのだろうか?
それはおとなだけでなく
こどもがお金欲しさに犯罪に手を
染めてしまうこともある。
お金を稼ぐ目的が
かつてとは変わってきている。
自分は、戦争を経験した親に育てられたので
贅沢をするためにではなく
生きていくために
必死で稼いだ親に育てられた。
こどもである僕には
感じさせない苦労を
親はいっぱいしたおかげで
僕は何不足もなく今ここに生きることがある。
これは僕のことだけでなく
今までの日本人の生活はどこもそうであっただろう。
そう言えば
母親が生活が苦しいとつぶやくことがあり
その独り言をきいて
こどもの時父親に
「どうしてうちは苦しいの?」と尋ねると
父は
「戦争に負けたからだぞ」と言われ
それにこどもながらに納得して、それ以上
尋ねることはしなかった。
60年代はまだ日本はまだ貧乏だったけど
みんな「貧乏くさく」はなかったと思う。
逆にいうと
現代はものにあふれ豊かな時代になったけど
貧乏くさくなっていないだろうか?
貧乏と貧乏くさいは全く違う。
貧乏というのはクールでリアルな経済状態をいう。
だから、
例え貧乏だとしても、貧乏は精神状態とは関係ないので
心豊かに暮らすことができる。
最近の人の動きなどを見ていると
他人の富裕を羨む人もいるし
自分の財産をしっかり退蔵して
誰とも分かち合わない人も増えていないだろうか?
富を手にして、権力に近づいてしまうとは
もっぱら
税金を我が物のように私物化したり
公権力を私用に流用したり
公よりも私を大事にしていると思えるような
行動をしている人が増えてはないだろうか?
貧乏を脱して貧乏くさくなる人が増えていけば
この国はどうなっていくのだろうか?
お金に手にした後
貧乏くさく生きないようにしなくてはと
いつも思うのです。
人のためになにかしよう
学校では
冬休みの宿題に
書初めがあります。
思いを字にすることで
将来、
どんなことをするのか?
どんな仕事をするのか?
どんな一年になるのか
こども達は想像の翼を広げてることでしょう
どんな夢であっても
みんな
人のためになることをしたいと
夢を描いていると思う。
お金をいっぱい稼いでいっぱい寄付したい
世の中を変えるような発明や事業をしたい
人のためになるような活動をしたい
将来の考えると、夢も膨らみ
楽しくなる。
でも
ふと現実に戻った時
そんなお金が稼げるだろうか?
そんな立派な発明ができるだろうか?
人のための時間がとれるだろうか?って
ちょっと不安になってくる。
そんな大きなこと
本当にできるだろうか?って
心配になってくるかも
でも
”人のために何かする”って
そんな
おとなにならないとできないことや
大きなことだけじゃないんだと思う。
ちょっと周りを見回してみると
今でも
自分でもできる
人のためにできることって
いっぱいあることに
気がついてほしい。
笑顔であいさつ
順番を譲る
尋ねられたことに丁寧に答える
身の回りの掃除をする
整理整頓をして、次の人が使いやすくする
・・・・
ってことも
実際やってみると
誰のためにやったわけじゃないけど
みんなが喜んでくれている
そんな小さなことでも
実は人のためになるって気がする。
人のために
何か親切なことをする
人の喜ぶことをする
これも立派な
人のためにできること
そして
これらは人に与える行為だけど
実は
小さな親切でも
自分の気持ちも温めてくれる。
たとえどんな小さな親切であっても
その行為は
自分にしあわせな気持ちを運んできてくれる。
だから
もっと、もっと
親切にしたいと思える力が湧いてくる。
そして
どんどん自分もしあわせな気持ちに溢れてくる。
小さな親切は
周りの人も自分をも
しあわせにしてくれる。
人は
しあわせになろうと思って
しあわせになれるわけじゃない
誰かを
しあわせにしてあげようと思って
初めて
しあわせになるのだと思う