日別アーカイブ: 2025年2月6日
【花咲くその日のために今できること:やりきったこと】
今日も冬空の山口です。
昨日は、ランチに行ったお店で、倫理法人会の話をしたら
共感してもらい、その場で入会を決めていただきました。
思いが伝わった瞬間、心が通じた瞬間、
そして絆が生まれた瞬間を経験しました。
本当にありがたい瞬間でした。
何事も“まっさらな心”で向き合えば、理解もし、
分かり合えるもらえる。
まっさらな心ってとても大事です。
今日も素直な心、まっさらな心で、
一日を大切に過ごして行きましょう。
さて、今日考えて見たことは
今まで「やり切った(やり切っている)」ことの中で、
一番思い出深いことなんだろう?
ってこと
僕のやりきったことは、
今のクリニックを開院したこと。
今のクリニックを開院して2月で丸5年になります。
この病院を作るために、
知恵、体力、経験、そして運さえも・・・・
僕の持ってる全ての力を
注ぎこんでできたと思います。
クリニックを作ろうと思った時
自分と見つめ合う機会をいただきました。
自分と見つめ合った瞬間、
自分らしい医療、自分しかできない医療、
自分らしく生きること、自分しかできない生き方を
したいというエネルギーが
自分の中から沸々と湧いてくるのを感じました。
それを今考えてみると、
きっと自分の使命に目覚めた
瞬間なのかもしれません。
だから、
決意して立ち上がれたんだと思います。
縁もゆかりもない土地での再出発でした。
最初は妻以外に
僕の思いの理解者も応援してくれる人もいませんでした。
でも、僕は行動しました。
自分の思いを語る機会がありました。
心から溢れる思いを誰かに伝えたいと思いました。
そんな僕を
時の神様は見ていらしたんだと思います。
僕に”出会い”という
プレゼントを用意してくれていました。
めげそうな時も
僕を支えてくれたのは、
それまで縁もゆかりもないのが不思議に
思えるほどの良きご縁でした。
初対面の方なのに
全てを語れた気がします。
僕の医療を夢を理解してくれ、
身体を張ってサポートしていただいた方々に
次々に出会いました。
どんな困難なことが起こっても、
めげそうな時も温かく応援してくれた方々でした。
そして
いつも僕を信じてついてくれた家族がいました。
クリニックが形になるにしたがい、
みなさんの温かい心に
僕が包まれていく気がしました。
そして、クリニックが開院して
この2/14で5丸五年になります。
今思うのは、
このクリニックで太陽のような医療を届けるのは、
ただの通過点でしかない。
僕には、
まだまだ使命感があるような気がしています。
僕の命を輝かせてくれた
皆さんの温かい心に感謝して、
今ここにいることに感謝して、
自分の命をみんなのために
精一杯光輝かせて生きていこうと
思っています。
あなたのやり切ったことって
なんですか?
こどもは聖なるもの
昔の日本では
こどもを7歳までは
「聖なるもの」として扱うという
不文律の決まりがあったのか
とても大切な存在として接っしていたようです。
幕末に日本を訪れた外国人が
日本のこどもたちが
とても大切に扱われているのを見て
驚いたという記録があるようです。
現代でも
こどもを大切にし、かわいがっています。
我が子うぃ守るという
全ての生物がもつ愛情、可愛がるとは
何だか違うのではないのかと思うのです。
ただ可愛がっているのではなく
まだこの世の規則を適用してはいない
純粋無垢な存在。
そんなこどもの生きる姿を見て
今を生きる親を含めたおとなも
こどもから学ぶ点も多いのです。
その理由は
以前から日本では
こどもは7歳までは異界と繋がる
聖なる存在だと考えたのです。
そして、7歳を過ぎると
こどもは異界との繋がりが切れると
考えたのです。
つまり、7歳が
聖なるものから
俗なものにこどもはなるのです。
ですから
7歳以降に
俗な存在として生きていくために
おとなの世界の規則を学んでいくのです。
これが、学校のはじまりです。
ボロボロに燃え尽きるまで
人生目的には
人それぞれいろいろだと思いますが
思想家の執行草舟さんは、その著書の中で
「人生の目的は
燃え尽きることにある。
その人の命がボロボロになるまで
燃え尽きたかどうか
わたしにとっての
成功哲学はそれだけです」
と書いています。
ちょっと過激な言葉で
そんな自己破滅的な生き方をしないと
しあわせになれないのか?と
一瞬ひいてしまいました。が
もう一度冷静になって
この言葉を読み直すと
ボロボロになるまで、生き抜け。
今を一生懸命、先のことを畏れず
一瞬、一瞬を全身全霊を込めて
生きていけ
という執行草舟さんの想いだと思うのです。