月別アーカイブ: 3月 2025

人事を尽くして天命を待つ

桜が開花の時期になりました。
桜が咲き始める頃になると
出会いと別れがあるなど
我々の生活環境が大きく変わることを経験します。

特にこどもたちにとっても
卒業、入学など
新たな一歩を踏み出す時期になります。
そして
この時期新聞を開くと
○○中学校、何名合格
△△高校、何名合格
□□大学、何名合格 など
いわゆる俗に言う学校に入った(入れた)ことを
謳う広告をみて
ふと、思ったのです。

ここに名前が上がっていない
学校に合格した人もいるだろうし
がんばったけど
落ちてしまった人もいるだろう。

実際にあった人はいないけど
その喜びを謳う広告をみて
様々な表情の顔が浮かんでは消え
・・・・
しばらくして
これは「人事を尽くして天命を待つ」という
言葉の真意に触れた気がして
そのことを
ブログに書こうと思います。

今生きている世界には
因果の法則があり
自分がある結果を求めて
一生懸命取り組まないと
結果はでないと言う法則があるので
人は、頑張り
いい結果が出るように願ったりします。

それなら
一生懸命やったのに
結果が出ないのは、失敗なのでしょうか?

僕は一生懸命やった先にある結果は
成功であれ、失敗であれ
きちんと受け入れる
受け止めることが大事なんだと思います。

人は
魂が成長するためにこの世に生まれてきて
そのために、なにを経験すべきかを
決めてこの世に生まれてきたと言います。

ですから
どんな結果が出るかは
生まれる前から決まってたのかもしれませんし
その結果を踏まえて
どう過ごすかが
魂の成長につながるのだと思います。

少しスピリチュアルな言い方をすると
自分の行った行動から出た結果が
どんな結果であっても
それは神様が自分のために必要な結果なんだと
言うことに気づくと
どんな結果も受け入れて前に進むことができますよね。

自分のやった結果にこどわらず
目標にむかって
心や体全体でありったけの
知恵と勇気、力を振り絞って
自分が願う、思う世界を描き
努力して最善を尽くす。
その後
描いたとおりの結果が
例え手に入らなかったとしても
それは、神様いえ、自分の決めた道なのだと
受け入れましょう。
結果に囚われ、心奪われないことが大事なんです。

と言うことを
「人事を尽くして天命を待つ」の
真意だと思うのです。

受験生のみなさん
ほんとうにお疲れました。
みなさんが頑張ったことは
ご自身が、そして神様は
ちゃんとわかってくれています。

だから
望む、望まない結果に関わらず
胸を張って、笑顔で歩いて言って下さいね。

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情けは人のためにならず

ということわざがあります。
このことわざは
「人に情けをかけると
巡り巡ってやがて
自分のところに返ってくる」と言うことを
教えることわざです。

でも
この言葉はいかにも
日本人らしい発想のことわざだと思います。
誰かに優しくしても、その後
直接自分がやさしくされなくても
いつか誰かに優しくされることもあるだろうし
もし自分が優しくされなくても
自分のこどもが、孫が助けられれば
いいではないか。
だから、人に親切にしなさい・・・と
僕たちは教えられて育ってきました。

でも
世界には
色んな考え方の人がいます。
現実重視の民俗であれば
お礼をすぐ目に見える形で欲しい
自分がした恩義はすぐに求めてしまったら
もしお礼がなかったら・・・
折角いいことをしても
その後に相手を恨み、猜疑心が生まれ
だんだんその心が大きくなり
憎しみと変わってしまい
争いへと極端な話し続くかもしれません。

そんな気持ちを起こさないように
やんわりとなだめてくれるのが
このことわざの意図するところなのかも
しれません。

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壮大なスケールのものに身を置く

人間だけが
将来のことを考えて
悩み、考えて行動するので
不安に感じてしまうし
頑張れる源になります。

年をとっても
将来に対する不安はあります。
若い時とちがうのは
不安の度合いが強まると言うより
自分ではどうしようもない
力の及ばなさを感じるからではないでしょうか?

年をとったら
壮大なスケールのものに触れて
震えるような体験にしてみることが
いいのではないかと思います。

非常に大きな建物、歴史的な建造物
大きな滝、満天の星空など
壮大な自然、物を観て胸を踊らす
体験のことをオウ体験と呼んでいます。

僕も最近日本に古くからある仏像の
勉強を初めて
昔の人の信仰心、生き方を感じ
聖徳太子さえ、色んな悩みを乗り越えようとした
ように感じて
悠久の時間に身を置いた瞬間
自分の悩みが吹っ飛んでいくのを
感じました。

悩みを感じ
人生に行き詰まりを感じたら
壮大なスケールの物に
身を置くことをお勧めします。

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みんなの中にいる神様

入院していたとき
感じた、わかったことのひとつに
自分のからだの中には
自分をいつも守ってくれている力があること。

それまで
どんな生活をしていても
例え、道徳にひどいことを
していたとしても
いつもどんな時も
自分を守り抜いてくれる力が
あることをかんじました。

それは
入院中は、
からだに備わっている自然治癒力だと
思って今も自分の中にある
自然治癒力はあると確信するに至っていますが
退院後一年経ち
その思いは変わっていませんが
自然治癒力だけでなく
きっと自分の人生全てを見守ってくれている力が
あることを今は疑っていません。

その力は
神様の力だと言っても言い過ぎではないと
思います。

自分のからだの中には
いつもどんな時でも、どこにいても
自分を見守ってくれている力があると
確信しています。
その力って・・・・
表す言葉はすぐには浮かばないけど
ひょっとして
この力が神様のご加護というのかとも
思うのです。

神様が
いつも守ってくれているのだから
自分を信じて、生きていくことは
神様にお任せして毎日過ごせいいんだ。
神様のご加護の元
生きていけばいいと思えば
どんなに毎日生きていくのが楽になることでしょう。

それから僕は
神様の力、ご加護を感じたときには
手を合わせて感謝するようにしました。
その時、お祈りについて気づいたことがリます。
それまで
神社にお参りにいくのは
初詣、誕生日、厄年、受験など
神様の御利益を期待して、願い
お参りに言ってたんですよね。

でも
御利益をお祈りするのではなく
今こうして生きられることに感謝の気持ちを
神様に伝えないといけない
これが神様の喜ばれるお参りだと
気づいたんですね。

自分の中にいらっしゃる神様に
感謝することは忘れてはいけないことに
気づいたと同時に
神様は
自分以外の人の中にもいらっしゃってるんですよね。
もちろん、木にも石にも、動物にも花にも、物にも
全ての中に神様がいらっしゃるんですよね。

日本では
八百万の神と呼んで
全ての物に感謝の気持ちを伝えいるんですよね。

全ての物、人の中にいらっしゃる
全ての神様に感謝して
神様にお任せして
毎日一生懸命大切に生きていけば
必ず神様からのご加護があるんでしょうね。

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人間の器を高めるために

こどもの頃から
お年寄りは自分とは違って
威厳のある立派な存在だと思って
見ていました。

そして、見た目も
お年寄りと言えば
伊藤博文のように
立派な風貌をしているものだと
イメージしていました。

いざ、自分が周りから
年を重ねた世代になってきても
ちっともこどもの時に描いた
年寄りではありません。

でも、僕にとっての
なりたい年寄りのイメージは変わりません。
そして
もっとはっきりなりたい姿を表現
できるようになりました。

それは
器の大きな人間だということです。
人間には、持って生まれた器の大きさが
あると思います。
そしてその器は知恵を身につけ、経験を積むことで
大きくなっていくものです。

良き経験、知恵を積み重ねるために
必要なことは、自己肯定感です。
自己肯定感が高いほど
器は安定し大きくなっていくのです。
自己肯定感をいかに高くするか
自信をいかにつけるか。
このことが仕事や人生そのものの質を
大きく左右する鍵を握っているのです。

そして自己肯定感を磨くのは
自分の力だけでなく
周りの人からの影響も受けます。
周りの人から、褒められたり
周りの人の役に立ったり
周りの人によって培われていくのです。

周りの人のいいことを見つけ
そのいいところを
その人に伝え、褒めてあげること
で褒められた人の自己肯定感が上がってきます。
そして褒められた人は
自分の気づかなかった力を見つけてくれた人の
度量の大きさに感謝することでしょう。
そのことで
褒めた側の器も大きくなっていくのです。

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ベストを尽くすだけでいい

いつも、どんな時も
何事にもベストを尽くそう。
と思ってきた。

ベストを尽くすことで
いい結果を生み出すことができる。
ベストを尽くさないと
いい結果を出すことがでない。
だから、いつも
結果をだすために
結果がでなくても
後悔しないために頑張ってきたし
そう教えられてきた。
若い時には
結果にこだわってきた

しかし
年を重ねてくると
ベストを尽くしても
結果にこだわらなくなってきた気がする。

今持っている力を
全て出し切ることが大事に感じる。
結果にこだわってしまうと
結果を気にする余り
無心で力を出し切れなくなっていくことが
ふえてきた。

だから
ベストを尽くしていれば
それがどんな結果になろうとも
その結果を真摯に受け止めればいい。
例えいい結果が生まれなくても
その時のベストを尽くしていれば
グズグズと反省などしなくてもいい。

後悔している時間など
もったいない。
結果にこだわらず
今できるベストを尽くすことが大事

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人生には旬がある

子育てをしている時
忘れてはいけないのは
人生には旬があるということ

生まれて死ぬまでの間
生まれてからすぐは
生きていくための
循環、呼吸、神経、内分泌など
生物として
大袈裟に言えば
地球上に生きていく
力を付けていかなければなりません。

その後
少年期には
人として生きていくための
社会性、道徳性などを身につけ
今後生きていく術を身につけていきます。

そして、青年期は
少年期に身につけたものを
更に伸ばすために
様々な経験し
自らの力を伸ばし
その力を使いつつ
自ら生きていく場を整えていきます。

社会の場で生きていく内に
生きがい、生きる意味など
精神的成長を続けていくのです。
そして
成長していく内に
老年期に入ると
今までの人生で身につけたことを
次世代に伝えることも
大きな役目になってきます。

そして
死が訪れた時に
自分の人生で学んだことを
伝えきって終えるのでしょう。

このように
その時、その時代で
やるべきこと、旬があることを知って
生きていくべきだし
これは子育てをしている時も
頭に置いておかねばならないてっんだと思います。

人生には旬があると言うことを。

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得るは捨つるにあり~お金の不思議な法則~

この言葉は
何か始めようと思ったら
何かを終えなければならないということ。

例えば
人にやさしくしてもらいたいなら
まずは自分からやさしくすること。
愛されたいと思うなら
愛することから始めること。

望むことがあるならば
まずは自分から行動を起こすこと。

生きていくためにお金は必要です。
そしてお金を手にすると
もっと欲しくなったり
どれだけあっても満足しないのがお金。
お金はなくても困るし
持ちすぎても悩まされます。

生きている限り
お金に悩まされることは
誰にも多少なりともあることでしょう。

お金を稼ごうと思うなら
まずは金払いがよくならないといけません。
商売をするなら
どんなに金回りに困っていても
支払いは喜んですること。

お金は先に出さないと
決して入ってこない
不思議なお金の法則があるのです。

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今を生きる

今卒業シーズン。
卒業といえば
自分の卒業だけでなく
家族の思い出もいっぱい。

以前娘の卒業の時に書いた詩を
思い出として再掲載させてください。

 

☆ 今日はこどもの卒業式。
最後のランドセルを背負って
学校に行く姿
しっかり、目に焼き付けておこうと
見送りました。

今をこの瞬間を
キラキラ輝いてる今は
未来に必ず続いている
だから
今を精一杯生きてもらいたい
と思ってます。

こどもの
成長がまぶしい朝でした

”今を生きる”

僕たちの命って
”今”なんだと思う

苦しくても
楽しくても
つらくても
それが自分に与えられている
”今”なんです

”今”を一生懸命
生きないければと
思うんです。

だから
何があっても
どんな状況であっても
生かされていることに
感謝しながら生きる

大切なのは
この”今”が
未来につながっていくこと

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老いるといいことはない?

診療に訪れるお年寄りは
最初は全員というくらい
ため息交じりに、暗い表情されて
診察室に入ってこられます。

病気だから
病気の時に明るく過ごせと言っても
なかなかそんな気分になれないのは
わかります。

普通に生活していても
腰が痛かったり
目が悪くなっていたり
物忘れが多くなったと
多くのお年寄りが
嘆かれる理由はわかります。
そして
「老いていいことなんかない」と
老いたことを悲しそうな表情で
僕に訴えてくるのです。
そんな悲しい顔をされると
僕まで悲しい気分になってしまうのですが・・・

本当に年をとることは
そんなに悲しいことなのでしょうか?

確かに
若い頃に比べると
あれもできない、これもできないと
できないことを数えてしまうと
気分的に落ち込んでしまいます。

でも、物は考えようです。
例えできることの数が減ろうと
できる範囲で楽しめることは
いくらでもあるはずです。

できないことに目を向けるのではなく
できることに目を向けて毎日過ごせば
老いて体が衰えようとも
生きる喜びを持ち続けることができるはずです。

まだまだ、自分の中にある
元気なエネルギーがあることを診療しながら
お伝えすると
まだまだやれるという気持ちに切り替えられたのか
診療が終わる頃には
明るい笑顔を浮かべられる方もいます。

最初は
そのことに気がつかなくても
来院されるたびに
だんだん表情が明るくなり
以前感じた老いることを悔いてた
重い空気が
前向きな空気に変わって
診療室全体が明るい雰囲気に包まれるから
不思議です。

ナチュラルメディカルセンターでは
年老いても、明るく元気に過ごせる
診療を目指しています。

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