月別アーカイブ: 3月 2025

愛づる

この言葉は
平安時代の短編集「堤中納言物語」に収められている
「蟲愛づる姫君」に登場でてきます。

このお姫様は、虫が大好き。
毛虫を手のひらにのせて
「かわいい、かわいい」といってるので
まわりの人は蝶は美しいけど
それに比べて毛虫の姿は
「気味が悪い」などというのです。

お姫様は
「この毛虫も蝶になれば
みんな美しいと喜ぶけれど
蝶になった後ははかないいのち。
毛がもじゃもじゃの今の毛虫の時の方が
本当に見事に生きているのです。
だから、この毛虫が愛おしいのです」と
語るのです。

つまりこのお姫様は
生きている見た目の姿ではなく
まさに生きている姿を
見抜き
外見ではなく、生きていく姿を
かわいい、つまり愛したのでしょう。

この話しのように
生きていることを
めづるこころ出向き合うことで
色々な本質が見えてくるような気がします。

年をとること
老いることを愛でだいと思います。

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“はい”と言う返事

人から呼ばれたら
”はい”と声に出して
返事をしていますか?
それも
間髪を入れないで返事をしていますか?

何か頼まれたとき
声に出さないで
無言で、目だけ向けたり
面倒くさそうに
口だけモゴモゴさせていないですか?

小さいころから
きっと返事はちゃんとしなさいと
言われていたと思います。

どうして、すぐ返事を
することが大事なのでしょう?

返事やあいさつて
人と接し、ふれあうとき
心の扉をノックするようなもの。
それをおろそかにしては
相手は決して心の扉を開いてくれない。

そして
最初の返事が心に響かなければ
その後
その人と人間関係を結ぶことは難しくなります。
だから返事をする
間髪入れずに返事をする
ってことはとても大事。

そして
何気なくいつも呼ばれてるかもしれないけど
実は
名前を呼んだその声は
あなたを呼ぶ最後の声かもしれないって
ことがあるかもしれません。

その後
名前を呼んでもらえることが
無くなるかもしれない。
だから
いつでも、どこでも
誠心誠意呼ばれたら
返事で応えないといけないと思います。

何事にも
”はい”と返事をすることは
その瞬間瞬間に心を尽くすこと
今この瞬間にに集中することになります。

”はい”と答えた瞬間
その気持ちを後に残さず
次へ次へと進めるきっかけになってくれるはずです。
呼ばれたら
間髪入れず”はい”と返事をしましょう

返事は
相手との関係を
滑らかにしてくれる
きっと潤滑油のような存在に
なってくれるはずです

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忘れられない日

今日のブログは
5年前の今日書いたブログ
当時はコロナ感染症中であり
自分も闘病中の時期。

忘れてはいけないことなので
今日再び、そのまま掲載させていただきます

 

今日は3.11
日本人にとって忘れられない日
東日本大震災から
丸9年経ち、10年目を迎える。

震災当日のことは
震災に直接あったわけではないけど
サンタキッズ&ファミリークリニックを開院して
1ヵ月した時
日々四苦八苦しながら過ごしていた時期の出来事であり
当日のことだけは今でも鮮明に記憶に残っている。
そしてあれから
今日でちょうど9年。
9年経った現在の日本、そして世界を
見渡してみると
東日本大震災当時のことが蘇ってくる。
今まさに日本が世界が新型コロナウイルスの災禍に
襲われている。
震災が起きた時のように
テレビは新型コロナウイルスの報道ばかり
プロ野球も相撲などのイベントも自粛、中止。
ディズニーランドなどの施設も休園。
学校も休校となり
経済活動は麻痺し
街からは、人々の笑い声が消えた。
現在の状況は
9年前の震災当日の状況と
全く変わっていない。
人々がこれまで当たり前に行って来た
経済も政治も文化も教育も
ストップされた状態。
それも今回は日本だけでなく
もっと広く全世界に広がっている。
あれから9年経った今
国は「復興創生期間」最後の1年として活動し
一区切りつけようとしている
しかし被災された方々は
被災された方は復興への道はまだ遠いと感じ
風化していくのを恐れている。
東日本大震災に
一区切りしようとしていた時におこった。
新型コロナウイルスの災禍。
現在の
新型コロナウイルスによって惹き起こされた状況は
直接震災にあった、合わないにかかわらず
決して偶然に起こったことではない
気がするのです。
新型コロナウイルスは
東日本大震災の学びが
まだ終わってないことを
伝えようとしている気がするのです。
東日本大震災によって
すべのことがリセットされた。
そこからで学ぶべきことは
元に戻す復興ではなく
全く新しいものを
新しい価値観で一から作り直す
ことだったのかもしれません。
私たちは
また同じことを繰り返そうと
してないだろうか?
今までの価値観に縛られないものに
気づき、変わらなければならない
時に来てるのかもしれません。
コロナウイルスは
東日本大震災の時のように
全てのものをリセットし
そして
我々に“目覚めよ”と言ってる気がする。
これからひとりひとりが今日はこの9年を振り返り
これからの10年後のあるべき世界を地球を
考えて動かないといけない。
政治も
経済も
文化も
教育も
環境も
そして
医療も
問題をそのままにしてしまったら
10年後に
もっと大きな災いが来るような気がするのです。
我々が新型コロナウイルスの真のメッセージに
気づき、行動し始めた時に
きっと
新型コロナウイルスは
普通の風邪のウイルスにまた戻っていく
そんな気がするのです。

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筒井康隆の原作の映画をみた。
この映画は
10年前に妻を亡くし、
ひとりで暮らす元フランス教授が主人公。

さすが教授として
まじめに、学問を究め生きてきたのだろう。
退職後の生活は
ちゃんと自分で食事をし、洗濯、掃除と
家事をこなす。

その几帳面な生活を乱す敵が
遠くから来ている。
最初はそれは
いたずらか、紛れ込みかと
思っていたが
次第に頭の中に入り込んできて
教授の
これまでの過去を蘇らせ
過去と現在が交差するようになり
現在をも過去の時間の流れに
飲み込まれ、支配されてしまった教授。

敵に支配されたまま
この世を去る教授。
教授は支配されたまま、今もそれまでの
生活続けるのです。

これは老いの生活を
ファンタジー仕掛けで訴えてくる映画だった。

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ルール

世の中にはルールや規則ってたくさんある。
おとなにはおとなのルール
そしてこどもにもこどものルール
誰もが守らないといけないルール
がある。

ルールは守るためにある。
でも
ルールを守りましょうと言わても
与えられ、守らされてるルールって
どこか窮屈で
ちょっと反発したくなるかも。

ルールや規則って
嫌なものって思ってるかも

必ず守れるルールがある
それは
自分で決めたルール
自分で守ろうと決めたルール。
自分で決めたんだから
きっと守れると思う。

ルールは
自分を律するための自分のための決まり。
そして
自分自身との約束事。

自分自身との約束事って
何のためにするの?

自分自身の約束は
なりたい自分になるため。
夢を実現するために
するもの。

夢を口にすることは
誰にも言うことはできる。

でも
夢を実現するためには
毎日毎日
夢に向かった階段を
一段ずつ一段ずつ登っていかないといけない。
毎日毎日
とだえることのない営みを続けないと
目指すゴールには到達しない。

そのために
毎日毎日階段を上るように
自分自身でルールを決めて
それを上っていく。

成長するために
自分自身が決めたルールなら
きっと守れる。

そして
自分自身との約束を守れば
必ずや結果はでる。

自分自身を信じて
日々歩んで欲しい

 

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居るだけでいい

世界には多くの生物がいます。

人は環境破壊して発展してきたので
様々な問題が起こしてしまいきたことを
悔い改めようと
「地球にやさしく」という言葉を耳にします。

この言葉
耳障りのいい言葉で
そうだと納得しやすい言葉ですが
でも、どこか上から目線からの言葉
のような気がするのです。

我々人間は
地球にやさしくしてもらっているから
今、こうして生きていられるのではないでしょうか?

そう
人間がこの世を支配しているわけでなく
地球に生かさせてもらっているのだと思うのです。
そして
そのことは、人間だけでなくて
どの動物も植物も同じなのです。

草があるから
草を食べていのちを繋ぐ動物がいる。
花の蜜をもらい生きている虫は
花の受粉を運ぶことで
植物も繁栄してきた。

だから
その植物がいるから
生きていることができる。
その動物が植物を食べてくれるから
植物も次の生きる場所を見つけることができる。
地球上には多くの種類の動植物が存在するけど
どの生物も実は
地球全体の生態系を維持するために必要な
存在なんです。

人間も含めて
いきものは「いる」ということが重要なんです。
「何ができる」よりも
「いまここにいる、生きている」ことが
大事なんです。

これは老いても一緒なのだと思います。
人間も含めて
全ての生物は老いていく。
きっと、その老いていくことにも
意味があるはずだと思うのです。

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真実の愛とは

聖書(ヨハネ福音書15章13節)に
神父ダミアンの次のような言葉が載っています。
「友のために自分のいのちを捨てること
これ以上に大きな愛はない」と。

つまり
何ものかの犠牲になって死ぬのが愛です。
だから
家族のために
こどものためにいのちを捨てることが
つまり死ぬることが
本当の愛だと言えるというのです。

もし
こどもや奥さんが絶体絶命の状態にある時
自分のいのちを捨てれるかが
本当の愛のしるしなんです。
それができないなら
それはエゴイズムなのかもしれない。

大きな悩みを持った時に
知覧の特攻隊記念館に行き
心が洗われると言う言葉をよく聞きます。
そこにあるのは
特攻隊員の偽りのない真実の愛に
触れるからだと思うのです。

多分今の時代
こどものため、家族のためだと言っても
簡単にいのちは捧げられないでしょう。

でも、こどもも奥さんも家族も
愛しているはずです。
それなら
こどもにはこどもの人生がある。
親がそれをわかっていさえすれば
こどもは自分の人生を歩いて行きます。

その人生を「祈り」「見つめる」ことが
愛だと思うのです。

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年取っても増えるしあわせ

普通
年をとって老いを感じてくると
できないことが増えてくる気がして
これからの人生を鑑みて
黄昏れてしまう方も多いことでしょう。

どこかしあわせが逃げて言ってしまうような。
本当にそうでしょうか。

年をとると
感じるしあわせは減ってしまうのでしょうか?

それは
年をとると
しあわせが減っていくものだ
思っていませんか?

年をとっても感じるしあわせは
決して減っていないことに気づいて欲しいのです。
若いころは気づかなかったしあわせが
年取ったら気づくことがあるのです。

例えば
年取った人が膝を痛がっている話しを菊と
膝の痛みがないことにしあわせを感じます。
歯が弱くなっても
歯を治療してまたしっかり食べられるようになるだけで
食べられることがしあわせになります。
見えにくくなっても
メガネをかけると小さい文字でも
また読めるようになれば
目の前が明るくなりますよね。

昨日と違った
しあわせを感じる日々が
来るんです。

年をとってからの方が
当たり前のしあわせ
ささやかなしあわせを感じながら
生きていけるのかもしれません

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人生の目的は、燃え尽きること

「旅に病んで 夢は枯れ野を 駆け巡る」
この句は松尾芭蕉の辞世の句として
有名ですが
この歌は
芭蕉が死の床にあった時に書いたのではなく
30代の頃に書かれ
予め用意されていた句だとも言われています。

そうだとすると
この句は芭蕉の辞世の句というより
芭蕉の生きていく姿勢・思いが込められているのです。

芭蕉はきっと目的があって
旅を続けて
旅の途中で死してもいいという覚悟だったのでしょう。

僕は旅をするわけでないが
生きている限り
人生という旅をしているのです。
人生の目的は
どう生きていこうとも
最後は芭蕉の覚悟のように
燃え尽きて死ぬを迎えることが
人生の目的、そして最高の生き方だと
芭蕉の句は教えてくれている気がするのです。

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せねばならない生き方、したい生き方

人は行動する時
○○せねばならないとか○○あるべきだと
と言う基準で動くことがある。

特におとなになって
社会にでて、様々な責任を持つ立場になれば
なおさらこのねばならないという
ことで動くことが増えてくる。

でも
このねばならないという行動基準だけで
生きていると
きっと、なんのために生きているのか
人生の目的を失ってしまいそう。

だからねばならないと言う反対の考え方が
必要になってくるのだと思う。
それは
○○したいという考え方。

したいことがあるから
今頑張れる。
したいことがあるから
今やらなければならないことだって
できるのだ。

生きるために
ねばならないことと
したいこととの
バランスが大事なのです。

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