脳出血による左半身麻痺が
僕の入院した時の病名
その回復のため
まずは脳出血の治療
その後は
左手、左足のリハビリを行い
生き続けている
自分がここにいる。
立てなかった自分が
今はひとりで、ゆっくりだが
マイペースで動けるまで回復した。
全く動かなかった左手も
今、こうしてパソコンを打てることができるまで
機能回復した。
これも
入院した病院での
医師、看護師、リハビリ師をはじめ
食事を作ってくれた方、社会復帰がスムーズに進むように
段取りをして下さったスタッフの方々など
大勢の方々の計らいのたまものであると
いつも感謝している。
でも、実はもうひとり?
ひとりかどうかはわからないが
ある存在にも感謝している。
実は
全く機能しない左手、左足だったけど
入院している間
全く痛みを感じることがなく
不自由さはあったが、苦痛はほぼなかった。
救急で運ばれたときですら
脳出血を起こしているにもかかわらず
頭痛などの自覚症状も全くありませんでした。
リハビリ中も
先生は筋肉痛が必ず来ますから
痛くてもリハビリができるように
鎮痛剤を出すので
遠慮無く言って下さいと言われたけど
動けないほどの痛みもなく
幸い
医師の鎮痛剤のお世話になることもなかった。
鎮痛剤使う、使わないだけでなく
3ヶ月に及ぶリハビリ生活でも
毎日、筋肉痛がないかどうか確認され
自身の負荷に対する抵抗力も
知っていた方がいいのでってことで
運動負荷を意識的にかけられたけど
全く筋肉痛すら来ずに
翌日、担当のリハビリ師さんに
筋肉痛がないことを伝えると
ちょっと残念そうにも見える表情されながら
「筋肉痛が、でないことは、まだまだできるってこと
なのでいいことなんですけど」
とはなされ
「もう、年だから、明日とか明後日とか
しばらくしてでるかも」
と笑ってこたえてたけど、
結局筋肉痛はでないまま退院しました。
このように
麻痺がある以外
全く苦痛のないリハビリ生活でした。
退院して
元東京大学医学部名誉教授で、著名な免疫学者で
あられた多田富雄先生の脳梗塞でのリハビリ生活を
振り返られた著書を読ませていただきました。
先生は、僕と同様の半身麻痺に加え
構音障害、呼吸困難などの症状もあったので
しゃべれない苦痛、食べようとしたときの困難
そして左手、足の痛みの苦しみを綴られていた。
痛みがあるかないかだけで
本当に
毎日の毎日の生活も
苦しみもちがってくるんだと
先生の著書を読んで知りました。
同じような病気でも
その経過はさまざまだと
言うことも知りました。
その差って、なぜ生まれるのか?
それは
麻痺以外に症状のなかった自分にも
麻痺以外の症状があった多田先生にも
病気になった後の使命があったのだと思います。
多田先生、病気になった後
リハビリの大切さを患者側に立ち
訴えられる活動をされました。
それが、使命なんだと思います。
それなら、僕には
なぜ、病気になったのか?
それは、病気の立場で考える
病気が訴えることを
逃げることなく、素直に受け止められるように
病気だったことを恨むことなく
病気と向き合うためだったのかも
しれないなぁと思ってます。
つまり
学びやすいように
向き合えるように
苦痛がなるべく案じないように
僕の使命を果たせるように
目に見えないけど
見守ってくれていた存在を感じるのです。
だから
僕には病気の、からだからの
メッセージを伝える使命がある。
病気をして感じたことを
ひとりでも多くのかたに
伝えることだと思って
今日もブログを綴っています。