山口百恵はやっぱり菩薩だった

 この週末テレビで
 山口百恵のさよならコンサートの模様が
 ノーカットで放映されたので
 拝聴した。

 さよならコンサートは
 今からちょうど40年前の10月5日
 日本武道館で行われた。
 当時僕は中学校3年で
 テレビに釘付けになり
 最後の「さよならの向こう側」を
 これで最後かと
 涙したのを思い出しました

 40年経ち
 僕もおとなになり
 どんな風に感じるだろうか?と
 楽しみにして
 コンサートをバッチリ録画して
 改めて観てみた。

 
 40年経っても
 美しいし、凜とした女性であり
 言葉一つ一つ大切にかみしめながら
 歌われる姿に
 40年経っても色あせない、
 パワーを持った女性の姿が
 そこにはあった。

 そして
 40年経ってみた山口百恵の
 色あせない美しさだけでなく
 百恵ちゃんが語る
 最後だから語った
 百恵ちゃんの本音の
 真実の言葉に心揺さぶられた

 「人は最後(死ぬとき)は一人かもしれないけど
  その時までにどんな人に出会い
  どんな風に過ごしているかが大事だと思います」
 「そのために、わたしは
  愛する人のために生き、愛される自分のために
  これからの人生をいきていきます。」
 「元気にしていたら、しあわせなことが待ってます。
  健康に産んでくれた母に感謝します」
 「多くのしあわせをのぞむより
  ひとつのしあわせをわたしは望みます。」

 そして
 「しあわせになります。ありがとう」と言って
 マイクをステージにおいた山口百恵。

  山口百恵の生き方を
  表してた言葉が
  ある時は歌詞として
  生言葉としてコンサート中に響き渡っていたと思う。
  
  歌手はあくまで職業
  プロの職業人としての姿勢は崩さず
  職業をしての責任を果たし
  感謝の気持ちを精一杯こめて
  最後の時を迎えたステージだと思う。

  でも
  山口百恵から出た言葉、ステージから感じた
  山口百恵として生きる今生の生き方は
  女性として生きる事を選び、
  女性性を全うするために
  生きていると思う。

  山口百恵が 
  大事にした女としての生き方
  今生で選んだ女性としての生き方
  今の時代からみると
  女性蔑視、時代錯誤なんて
  言う人もいるかもしれないけど
  女性としていきたいと考え、
  生きている姿は
  女性にしかできない事を 
  大切にした、男にはできない
  立派な生き方だと思った。

  ある方が
  「山口百恵は菩薩である」と
  称していた。

  さよならコンサートで凝縮された
  山口百恵の仕事ぶり、生き方を垣間見て
  僕も、山口百恵は現代の菩薩
  現代にに必要なことを教えてくれる
  女神なんだと確信した

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