目の見えない白鳥さんアートを見に行く

という映画を観にいった
目の見えない人が美術館に行く?
なぜ行くの?
どんな風に鑑賞できるのか?
わからないことだらけの
この映画の題名に惹かれて
映画を観てきた。

映画を観て
美術館に行った時
知人や、学芸員の方に
絵の描写を語ってもらい
その言葉を足がかりにして
想像力を働かせて
その絵を理解していっていた。

そのことは
日常生活の風景からも
伝わってきた。

白鳥さんは
全盲であっても
杖一本をもって
街の中へ健康の人と同じように
飛び出していくのだ。

自分の一歩前の状態を
杖で確認しながら
どんな障害があっても
避けながら進んでいくのです。

ひとりで
スーパーに買い物に行くし
居酒屋にもいってお酒も飲む
日常生活を謳歌していることを
教えてくれる。

そして
毎日散歩に出たとき
カメラのシャッターをきる。
もちろんその写真を自分で観ることはできないのに
毎日とって40万枚の写真を撮っている。

シャッターの音ともに
その記録は消えていくと
白鳥さんはいう。
つまり、シャッター音は
今生きている証
次に進めの合図になるのだろう。

全盲の人にとって
見えないことは障害になっていない
のだと思う。

健常な人の都合で
目の前の道を防いだとしても
その思いを受け止めて生きている。
それは
目に見えるものの先にあるものを
感じて、受け止めて生きていく
広い心が育まれているのだと思う。

目で見えることに
惑わされず、その先にある真実の心を感じて
生きていかなければいけない。

そう、強く感じさせてくれた映画
白鳥さんの生き方が教えてくれた。

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