投稿者「santa」のアーカイブ
せねばならない生き方、したい生き方
人は行動する時
○○せねばならないとか○○あるべきだと
と言う基準で動くことがある。
特におとなになって
社会にでて、様々な責任を持つ立場になれば
なおさらこのねばならないという
ことで動くことが増えてくる。
でも
このねばならないという行動基準だけで
生きていると
きっと、なんのために生きているのか
人生の目的を失ってしまいそう。
だからねばならないと言う反対の考え方が
必要になってくるのだと思う。
それは
○○したいという考え方。
したいことがあるから
今頑張れる。
したいことがあるから
今やらなければならないことだって
できるのだ。
生きるために
ねばならないことと
したいこととの
バランスが大事なのです。
今できること : 強みを考える
よく老いることは鍛えること
年を重ねていき
還暦を迎え、これからどのように生きようかと
考えることが多くなってきました。
よく老いるとは
どういう風に生きることでしょう。
老いると言う字には
にくむという意味があるそうです。
ここで言うにくむとは鍛えるという
と言うことです。
人間は
言わずもがな
ひとりでは生きていけません。
自然の中で
自然に生かせてもらっているのです。
でも
自然はいつも人間に対して
優しいかと言えば・・・・
そんなことはありません。
真夏には
油断するといのちを落とすことも
冬にも
心臓に負担をかけてしまうことも
そして
いのちを生活を脅かす地震などの
自然災害に襲われることだってあります。
自然にいじめられ、鍛えられて
人は強くなっていくのかもしれません。
そして、年をとっていくと
ますます体力も落ちていっても
自然の過酷さを乗り越えて
生きていかなければなりません。
老いる過程
衰えを乗り越えて
自然の過酷さと対峙して
生きていかなければなりません。
その自然と対峙する姿
全身全霊を込めて
大自然に向かっていく姿こそ
老いの美しさではないでしょうか?
自然の過酷さが
生命を育み、日々老いていく人間を
形成していくのです。
自然の中で老いていくことが
よく老いることだと思うのです。
アウフヘーベン
この言葉の意味は
相反する2つのものを
どちらも諦めさせることなく
上手いアイデアで両立させることを言う言葉です。
人間は確かに生きていくために
現実を見極める力は必要。
でも同じくらい幻想を描く力も必要。
人間は、夢と現実の中を生きている。
夢だけでも生きてはいけないし
現実の中だけで生きていっては
行き詰まってします。
夢を現実にするアイデアを見つける
旅をしているのが人間。
それがアウフヘーベンの意味
大いなる不在
全ての時間的空白を
埋めるために
現在と過去の時間を行ったりきたりする
隠された家族(父子)の過去を
ミステリー映画のように
あぶり出していく。
インテリな父親であっても
認知症になると
知らず知らずのうちに
記憶が思考力がぽっかり抜けたようになり
ファンタジーの様な
世界に
どんどん入り込んでしまい
そこからどうやって抜け出そうか
苦しんでいく。
でも、本人との願いとは別に
現実的には
その世界から抜け出すことは難しい
ことはわかってきて
助けを家族にそして最終的に
警察に助けを求める。
でも、そこに本当の救いはないのかもしれない。
将来訪れるであろう
老いの世界、世界に戸惑いを感じる
とても複雑な映画だった。
ゼロ思考
ゼロ思考という考え方がある。
人は判断する時に
プラスかマイナスかで考えがち。
プラスでもマイナスでもない
ポジティブでもネガティブでもない
ニュートラルなあり方で生きていく
生きていこうと考えていくことが
ゼロ思考。
生き方に迷った時
今、前向きなのか?
今まで、後ろ向きだったのかと
自分自身を振り返ること有り。
でも、たまには
後ろ向きでも、前向きでもなく
そこにとどまることが必要。
プラス思考がいいとも言われるけど
プラスの面が強すぎると
反省が乏しくなることが玉にキズ。
今現実に起こってる厄災は
一度ズレ始めた方向のズレが
立ち止まらないと
そこに気づかず、どんどんずれてしまうのです。
だから
プラス思考でもなく
マイナス思考でもなく
何も考えないゼロ思考の時間が必要なのです。
ゼロ思考になると
今まで見えてこなかったものが
きっと見えてくるものがあるはずです。
自分の得意を磨く
さて、今日は自分の人に対してできる
得意な事ってなんだろうか?と
考える機会をいただきました。
自分の得意なとこって
点数がつくものでもないし
人と比較するものでもないから
なんだろう???
自分の得意なところって
自分がもっと磨きたい長所
自分がもっと自分らしくなれるところかな?
って考えると
自分らしく磨いていきたいところは
”初めてお会いした方にでも
自分の良さを感じ、伝えること”じゃないかな?
と思いました
最近色々な役をもらい
様々なところで、色々な方にお会いし
ご挨拶させていく機会が増えました。
そしてお会いした後、うれしいことに
”元気がでました””楽しくなりました””パワーをもらいました”など
POSITIVEな言葉をいただくことが度々あります。
ただごあいさつしただけなのに
どうして?本当にそうなの?と思っていたら
そんな時僕が人と話をしているところの状況を、
説明してくれた方がいました。
その方が言うには
「普通ならど聞き流してしまうような話でも真剣に聞いているね。
そして、いつも笑顔だから、話している人が、
どんどんうれしそうにに話して、先生もニコニコして
二人ともとっても楽しそうだよ」と。
僕がしていたのは、ただただ笑顔で聴いていただけ。
会った人のことをもっと知ろうと、
興味を持てるところを感じて、
目の前のあなたに何かできることないかって
一生懸命に話を聞いていただけ。
その話をきいて
初めて会った人にでも
自分のことをつたえられるのかな?
それが実は自分の良さ、得意なこと
かもしれないと思いました。
日頃の診療においても
まずは患者さんの訴え、話を
しっかり聞かないといけない。
日頃から少しずつ訓練されてたのかもしれません
それは、僕の目の前の患者さんに対して
もっと知りたい、悩んでること全部話してほしい
そして
僕を通して元気になってという
日頃の診療で培われた行動。
それがいつの日か
自分の得意なところとなった
僕流のサイン、行動。
この仕事で
身につけたことを
もっと、
僕の周りの人にも伝えていきたい。
そして、
今、もっといろんな人と会って
元気にしあわせになってもらいたい。
そして
お互いのことを理解し合えれば
人と人の間にある壁を取り除くことができれば、
思いやりの心が生まれ、
どんどんしあわせのの輪が広がる。
そうすれば、
いつか必ず僕の周りにの人に平和が訪れる。
そしてその平和な世界が
僕の知らない世界にまで広がる
そんな世の中になるきっかけになることが、
ひょっとしたら
僕の小さな思いからでも
始められるかもしれない。
そんな夢を描きながら、
自分磨きをして、自分の得意をのばしていきたいです。
あなたはの得意なことってなんですか?
十善法語
十善法語は
江戸時代の慈雲尊者という偉いお坊さんが
残した教えの中に
言葉にの四戒というのがあります。
不妄語ーでたらめを言ってはいけない
不悪口ー人の悪口を言ってはいけない
不両舌ー人に仲違いするようなことを言ってはいけない
不綺語ーおべんちゃらを言ってはいけない
この中で
3番目の不両舌というのが
目新しく、注意しないと思う。
いわゆる
その人の前ではいいことを言っても
影では悪口を言ったり
ある人には、その人のこと褒めていても
別の人には悪口を言ったり
いわゆる二枚舌な言葉だと思います。
言葉にも責任をもって
使わなければならないということですね。
ささやかなしあわせが健康の元
どんな時に健康だと感じますか?
頭痛、腹痛などの痛みがない時
熱、咳、下痢などの症状がない時
何も苦痛に感じない時ですか?
症状がなければ
健康だと思うかもしれません。
でも
症状がないからといって
健康だとは決していえません
ひょっとしたら
その時、からだは
あなたに苦痛を感じさせないよう
病気に向かわないように
がんばっているのです。
病気に向かっているかどうかなんて
中々気づけないもの
今、健康かどうかって判断するのは
実はとても難しいのです
からだに問いかければ
健康かどうかチェックする
簡単な方法があります。
今日目が覚めたとき
「ああ、よく寝た」とすっきり目覚めましたか?
お腹が空きましたか?
そして
ごはんを食べておいしいと思えましたか?
よく寝て、よく食べて
一日を過ごせましたか?
そう感じれていれば
たとえ病気があったとしても
からだは健康に向かっているのです。
逆に
病気がなくても
眠れない、食事がおいしくない・・・・
と思えるときは
病気に向かっているので要注意です。
朝すっきり目覚めて
おいしいものを食べて過ごすって
とてもささやかだけど
しあわせな時間を過ごしていると
感じませんか?
ささやかなしあわせを
感じて生きること。
ささやかなしあわせを積み上げていけば
こころから健康だと思える
日々が過ごせます
ことばは釘穴とおなじ
「ことばは釘穴と同じなんだ」
という言葉を聞いた。
つまり
人を責めたり、叱ったり、皮肉ったり・・・
人は色々ことばを発するけど
間違ったと言って
取り消したり謝ったりしても
相手の心には一度発した言葉は
しっかり残ってしまう。
そう
間違って打ち込んだ釘を抜いて
正しく打ち直しても
最初に打ち込んだ釘の穴が残るように。
何気なくいった言葉
冗談としていった言葉
感情的になっていってしまった言葉は
その人にとって本気でなかったとしても
一度発した言葉は
相手の心に届いてしまったら
元にもどせない。
言葉を発する時には
よく考えて発しないといけない。