投稿者「santa」のアーカイブ

予防接種をうける時の心構え

年末から始まった
インフルエンザもひと段落でしょうか。
インフルエンザの流行はおさまったとしても
油断禁物です。

まだ寒さが続きます
インフルエンザだけでなく
あらゆる感染のの流行に
備えておきましょう。

ところで
予防接種についてよく質問されます。

予防接種は
元気なこども達が
病気にならないように
接種しているのだとわかっている
だけど
注射って痛いし、怖いし・・・
嫌な思いをしちゃうもの。
そんな思いを少しでも減らすためには
どうしたらいいでしょうか。

小さいときの記憶は
1歳では2週間、2歳で数か月、4歳では1年前のことまで
記憶することができると言われています。
そして、その記憶は
強い感情を伴った記憶だと
強く、長く記憶されることが
わかっています。

注射の時には
恐怖感、後悔など
強い感情が残らないような
対策が必要です。

注射の前にお願いしいことは
おこさんにちゃんと注射の事を話してきてください
ということ。

注射の事を伝えないと
こどもはだまされたと思い
興奮して、大暴れして
深く傷ついてしまいます。
注射をする前に
お父さん、お母さんの口から
「怖い病気がいっぱいあるけど
病気にならないように守ってくれる注射
ちょっと痛いけど、頑張ろうね」
とか
「注射は痛いけど、○○ちゃんなら頑張れる。
お父さん、お母さんもついてるから」
と伝えてあげて下さい。

こども達は
注射の前に説明やはげましを受けていると
注射は痛いけど頑張れる
自分は痛みに対して頑張れるんだと
自信を持って
注射を受けるので
泣かない、泣いてもすぐ泣くのをやめる
とも言われています。

でも
頭でわかっていても
注射は痛いし、怖いし
いざ注射になると
泣いたり、暴れたり
注射をすることに抵抗しちゃうかもしれません。
そんな時でも
そのおこさんを責めたりしないでください。

打った後
”お姉ちゃん(お兄ちゃん)になったね”
”泣かずに、頑張ったね”
”泣いたけど、動かずに頑張ったね。かっこよかったよ”と
どんな時もほめてあげて下さい。
そうすることで
注射という嫌な記憶をリセットできるし
痛みを受け止めてあげることで
痛みの記憶が和らいでいきます。

もちろん医療側も
こどもたちの頑張るという気持ちを支えてあげて
恐怖感をもたないように
なるべく
注射を見せないようにしたり
お話をしたりして
気をそらす工夫をします。

いっぱい、いっぱい
がんばったことをほめてあげようと思います。
もちろん
注射自体の痛みを
軽減すような技術的努力もしています。

予防接種は
決して悪者ではない。
こどもたちの健康を願うもの。
だから
お父さん、おかあさん
そして医者である僕も、
看護師をはじめスタッフ一同で
こども達を支え、応援します。

こども達の
健康を守るために。

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心感じるままに

若い時は
いろんなことを学びます。
学んでるときは
「真実とは?」{正しいこととは?」などに
目がいってしまいます。
そして、
なんのために勉強しているのか
わからなくなってしまうこともあります。
実は勉強し学びを深めることも大事だけど
実は
学んでる時でも
何をする時でも、
その時の感じる心が大事。
”勉強して、わかって楽しくなった”
”今日、頑張って走れたことがうれしい”
”そうじをすると、心がすっきりした”
”お友達と仲良くできて、心が明るくなった”
とか
心で感じたことを
大事にしてもらいたい。
心に感じたことを
大切にして
日々暮らしていくと
”自分は今、何をしているとうれしいのか
自分は今、何をしている時が充実してるのか”
考えるようになります。
そんな風に生活していると
何かに悩んだ時でも
その心の中に
自分らしく生きるヒントを
見つけることができます。
しあわせになる鍵は
自分の心の中にあるのだと思います。
将来
何をしたらいいかわからなくなった時
なぜ、勉強しているのか
わからなくなった時は
自分の心に質問してみて下さい。
”今、何をしたら楽しい?”
いつも
どんな時も
頭で考えたことより
心で感じることを大切に
生きてもらいたいです

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学校の役割

こどもは
7歳になる年に小学校に入学します。
そして様々な
社会生活に必要なことを
学び始めます。

実は
この7歳という年令に
学校にいくかということに
とても大きな意味があるのです。

前回ブログで
こどもは聖なる存在として
この世に生まれてきたということを
書きましたが
実際この日本で生きていくためには
多くのルールを学ばないといけません。
つまり
こどもは
聖なる存在のままでは
いけていけないので
こどもの聖なる部分を切り離して
この世に誘導していくのが
学校の役割なんです。
その誘導を開始できるのが6歳過ぎた時期なのです。

そして
それが本当の学校の役割。
のはずが・・・・現在は
この世の生きる術が高学歴を身につけること
それが教育そして学校の学びの
本質になっているような気がします。

学校で学んだことで
その子を評価する・・・・それが
こどもの役割ではないのです。

こどもが
この世でも豊かに生きていけるような
学びの場をおとなが与えていく場に
しないといけないのです。

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薬は飲んで欲しい

患者さんを診察し
病気を治そうと、患者さんに今必要だと思う
薬をだします。

今選択した薬が
患者さんの病気にどのように対応してくれるかは
残念ながら経過をみないとわからないのです。

だから
処方をだす時には
薬が効かない場合も想定しながら
日数も考えて処方しています。

そして
急性期を過ぎて
もう一押ししっかり治したいと思い
少し長めにお薬をお渡しします。

でも、患者さんの思いは
ちょっと違って
薬を途中で内服するのをやめてしまったり
飲んでいただけなくて
びっくりすることがあります。

でも、医者である僕もそうですが
患者さんも早く治りたいから
病院にも来るし、薬も希望されるのだけど
治り始めると
患者さんと医者である僕との思いが
かけ離れてしまうと感じてしまいます。

患者さんは
一番苦しい時期を乗り越えると
「もうよくなっているし
もう薬はいらない。飲みたくない」と思うのは
ごもっともだと思います。
その気持ちの裏には
「薬を飲んでいる間は病気なので
早く薬をやめることで
病気が治った」と思えるのかもしれません。

でも
治ったと思う所から安心せずに
もう一歩しっかり治してもらいたいのが
処方する側の願いです。

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現代人は何にいそがしい?

開業医をしていると
ほとんど病院の中で過ごすので
世間の状況を
肌で感じることは少ない。

でも時には
交通の便がいいところで
開催される学会には
診療の隙間時間を利用して
出かけるようにしています。

都会にいくと
交通(乗り物の)乗り方が
明らかに違ってきているし
買い物をする時も
お金を実際払うことは少なく
電子マネーで払うことが多い。

数字は動くけど
実際のお金の動きがわからない社会。
自分の知らないところで
なんか動いてるかもしれないという
どこか空恐ろしさを
今の社会の動きに感じてしまう。

そして
都会にいくと
乗り物に乗っている時だけでなく
歩いてる時でも
一人の時間があれば
スマホを観てる人ばかり。

旅行にきて
少しでも美味しいもの、楽しい所を
探そうと調べている人もいるだろう。
様々な情報を仕入れようとしている人だっている
また、誰かに連絡しないといけない人だって
いるのだろう。

今やらないことを
やっているのにスマホを使っているのは
理解できる。

でも電車に乗ると
景色をみたり、寝たりしたり
いわゆるボーッとしていた人は
以前はたり前にいたけど
今周りをみると
ボーッとしているのは自分だけ
周りの人は
手に持ったスマホの画面を見てる人に
囲まれてしまった。

みんな
なにが、そんなに忙しいの?
そんな今しないといけないことが
スマホの中にあるの?
スマホ観ている人に囲まれ
スマホをみない僕は
何者なの?と疎外感さえ感じた。

みんな、周りのことをみる暇がないぐらい
忙しいの?
現代人が、みんなが
なんにそんなに忙しいのか疑問に思ってしまうことが
都会に行くたびに思うのです。

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病気の原因

病気になると
急にどうしてこんな病気になったのか
原因を誰にも探します。

それは
患者さん自身だけでなく
病気の原因を必死で探すのは
医者も同じです。

でも
医者の考える「原因」と
患者が知っている「原因」は違うこを
よく感じます。

医者は検査をして
データを示して
患者さんに原因を伝えようとします。
つまり
数字や画像など
客観的に病気の原因を伝えようとします。
でも、実際は
病気の原因は必ずしも
物理的なことばかりではないと
いうことを感じます。
そんな時、患者さんは病気の説明に
どこか釈然としない表情をすることがあります。

病気の原因は
医学知識の中にだけあるのではなく
それよりももっと、深いところにあるのです。
だから
患者さんの今の症状だけを診るだけでなく
患者さんの生活をできれば人生にも
光を当ててともに考えていくべきだと
常に思って診療しています。

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金と銭の違い

江戸言葉に
「江戸っ子は宵越しの銭はもたない」
があります。
一日の稼ぎはその日のうちに
使い切るという意味に現代風にいえば
なる。

銭と似た言葉に金という言葉があるが
今は銭という言葉は日常的には
使わないから
お金も銭も同じ意味捉えられるが
江戸の人はそうではない。
江戸時代
銭とは、まさに今もみなが考えるお金のこと
お金の単位と考えたようで
日銭を稼ぐ、安物買いの銭失いという言葉の銭は
現代で言うお金のことである。

それに対して
金は今で言う金貨のこと
小銭ではなく
大きく言うと、今で言う貯金、財産とも
考えていいのだと思う。

「小金を貯めている」という言葉は
お金を貯めている
お金を持っていることなのだ。

太っ腹に宵越しの銭はもたないといっていても
小金は持っている人が多かったのだと思います。

現代人も
お金を大切にしていて
必要な時、必要なものに銭を使うことが
大事だと思うのです。

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【花咲くその日のために今できること:やりきったこと】
今日も冬空の山口です。
昨日は、ランチに行ったお店で、倫理法人会の話をしたら
共感してもらい、その場で入会を決めていただきました。
思いが伝わった瞬間、心が通じた瞬間、
そして絆が生まれた瞬間を経験しました。
本当にありがたい瞬間でした。
何事も“まっさらな心”で向き合えば、理解もし、
分かり合えるもらえる。
まっさらな心ってとても大事です。

今日も素直な心、まっさらな心で、
一日を大切に過ごして行きましょう。

さて、今日考えて見たことは
今まで「やり切った(やり切っている)」ことの中で、
一番思い出深いことなんだろう?
ってこと

僕のやりきったことは、
今のクリニックを開院したこと。

今のクリニックを開院して2月で丸5年になります。
この病院を作るために、
知恵、体力、経験、そして運さえも・・・・
僕の持ってる全ての力を
注ぎこんでできたと思います。

クリニックを作ろうと思った時
自分と見つめ合う機会をいただきました。

自分と見つめ合った瞬間、
自分らしい医療、自分しかできない医療、
自分らしく生きること、自分しかできない生き方を
したいというエネルギーが
自分の中から沸々と湧いてくるのを感じました。

それを今考えてみると、
きっと自分の使命に目覚めた
瞬間なのかもしれません。

だから、
決意して立ち上がれたんだと思います。

縁もゆかりもない土地での再出発でした。
最初は妻以外に
僕の思いの理解者も応援してくれる人もいませんでした。

でも、僕は行動しました。

自分の思いを語る機会がありました。
心から溢れる思いを誰かに伝えたいと思いました。
そんな僕を
時の神様は見ていらしたんだと思います。

僕に”出会い”という
プレゼントを用意してくれていました。

めげそうな時も
僕を支えてくれたのは、
それまで縁もゆかりもないのが不思議に
思えるほどの良きご縁でした。
初対面の方なのに
全てを語れた気がします。

僕の医療を夢を理解してくれ、
身体を張ってサポートしていただいた方々に
次々に出会いました。

どんな困難なことが起こっても、
めげそうな時も温かく応援してくれた方々でした。
そして
いつも僕を信じてついてくれた家族がいました。

クリニックが形になるにしたがい、
みなさんの温かい心に
僕が包まれていく気がしました。

そして、クリニックが開院して
この2/14で5丸五年になります。

今思うのは、
このクリニックで太陽のような医療を届けるのは、
ただの通過点でしかない。

僕には、
まだまだ使命感があるような気がしています。
僕の命を輝かせてくれた
皆さんの温かい心に感謝して、
今ここにいることに感謝して、
自分の命をみんなのために
精一杯光輝かせて生きていこうと
思っています。

あなたのやり切ったことって
なんですか?

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こどもは聖なるもの

昔の日本では
こどもを7歳までは
「聖なるもの」として扱うという
不文律の決まりがあったのか
とても大切な存在として接っしていたようです。

幕末に日本を訪れた外国人が
日本のこどもたちが
とても大切に扱われているのを見て
驚いたという記録があるようです。

現代でも
こどもを大切にし、かわいがっています。
我が子うぃ守るという
全ての生物がもつ愛情、可愛がるとは
何だか違うのではないのかと思うのです。

ただ可愛がっているのではなく
まだこの世の規則を適用してはいない
純粋無垢な存在。
そんなこどもの生きる姿を見て
今を生きる親を含めたおとなも
こどもから学ぶ点も多いのです。

その理由は
以前から日本では
こどもは7歳までは異界と繋がる
聖なる存在だと考えたのです。
そして、7歳を過ぎると
こどもは異界との繋がりが切れると
考えたのです。
つまり、7歳が
聖なるものから
俗なものにこどもはなるのです。

ですから
7歳以降に
俗な存在として生きていくために
おとなの世界の規則を学んでいくのです。
これが、学校のはじまりです。

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ボロボロに燃え尽きるまで

人生目的には
人それぞれいろいろだと思いますが
思想家の執行草舟さんは、その著書の中で

「人生の目的は
燃え尽きることにある。
その人の命がボロボロになるまで
燃え尽きたかどうか
わたしにとっての
成功哲学はそれだけです」
と書いています。

ちょっと過激な言葉で
そんな自己破滅的な生き方をしないと
しあわせになれないのか?と
一瞬ひいてしまいました。が

もう一度冷静になって
この言葉を読み直すと
ボロボロになるまで、生き抜け。
今を一生懸命、先のことを畏れず
一瞬、一瞬を全身全霊を込めて
生きていけ
という執行草舟さんの想いだと思うのです。

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