投稿者「santa」のアーカイブ

自分を信じる

人は
困ったことや、
願いがあるとき
病気になったときなど
神社に行って
神様にお願いをするということをします。

神様も
自分が信じている神様に
手を合わせることがほとんどでしょう。

神様に
ご自身の願いを聞いてもらおうとする行為は
決して間違っているわけではなく
悪いことでもありません。

でも
神様に頼むときでも
忘れてはいけないことは
「神様にお願いしたからといって
自分を信じることを減らしてはいけない。」
ということ。

自分を信じる気持ちには
力があるということ。
神様を信じる信仰心と
同じぐらいの力があるということ。

つまり
信じる気持ち、信仰心を
自分に対してもつ
すなわち
神よりも何よりも、まずは
自分自身を信仰するということが
大事なのです

才能が10点満点の10点
でも自分を信じる気持ちが5点の人と
才能が5点しかないけれど
自分を信じる気持ちの人が10点の人は
後者の方が成功するのです。

何事にも成功するコツは
自分自身の力を100%信じられることなのです。

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幕末ヒポクラセスたち

という映画を観た。
この映画は
幕末時期の医療の話。

その当時のメインの医療は
現代医療とは違って
漢方医学中心。
それは鎖国政策のため
オランダなどの西洋のでの
医学の知識が入ってこなかったため。

でも、長崎では
わずかであるが西洋医学(当時は蘭方医学)
を学ぶことができた。

西洋医学が強いのは
今と同じように
人体の解剖学、生理学などに根ざした医療。
だから
当時は刀で切られることが日常茶飯事であり
その時に手術をして命を救うことができる
そして、当時も
コレラ、麻疹などの重傷感染症が流行して
もちろんウイルスが原因だという
知識もないため
隔離などの感染対策を行わず
多くの命が失われました。

当時
わずかであるが
西洋医学(蘭方学)を学んだ医師が
当時はうけ入れられていなかった
隔離などの感染治療を
暴動などの風評被害をも乗り越えた
医師の姿が描かれた映画だった。

医学は現代も進歩しています。
我々の時代は西洋医学中心
で少しずつであるが
漢方医学も見直されはじめ
そしてその後
全く異なる波動医療も見直され続けています。

幕末の
新たな医療術を持って
生き抜いた姿を描かれた映画。
自分も
時代は変わっても
令和のヒポクラスの医師の気がして
これからがんばろうという気になった映画でした。

この映画で印象に残った言葉を
最後に
「人生は短し、医術の道は長し」
「今日は、昨日、昨日はおととい・・・・と
時は進み、気がつけば
自分は後ろを走っている」

印象に残った言葉です。

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科学の先にあるもの

僕は日々医学という科学を
ベースにした医師を
この世での生業にしています。

患者さんと向き合うときは
人類がもっている
科学の知識を総動員して
患者さんの苦しみから脱せられるように
目的に働いています。

しかし
患者さんの苦しみは多岐にわたり
科学の知識だけでは
説明できない問題に
ぶち当たり、
自分の非力さを突きつけられる場面もある。

そんな時に
我々も含め、自然を動かす
大きな力が働いているのではないかと
感じることがある。

神、宗教という力が
我々の生きる根本に働いていることを
根源にあることを感じる。

あの天才物理学者のホーキング博士は
「宗教というのは必要である
しかし、宇宙の始まりについては
神は必要ない」と
宗教の必要性を認めつつ
科学と宗教をしっかり区別できていることが
この博士の言葉から読み取れる。

自然と共に生き
その自然の力から神を感じるのか?
残された言葉から
とてもこころに響くことばを
投げかけてくれる人々がいる。
それはネイティブ・インディアン。

文明は未発達だからこそ
感じる純粋な言葉にこころ惹かれる。

そんな彼らが宗教について
次のように語っている。

「宗教の出発点は、第一に
自然界をありのままに見て、しかも。
これは駄目だといわないことだ」と。
つまり、自分にとって
不幸だと思えることが起こっても
その不幸をありのままうけいれ
どうして、自分だけ・・・などと嘆かず
これも現実、苦しくても
受け入れようと思うことがまずは大事なのだと。

そして、受け入れた後に
訪れる第二段階
「だけどその宇宙の大きなからくりの中では
この苦しい現実は幻なのだ。
だから、この苦しみはとにかく受け入れよう。
来世こそが本当の世界で
そこでは必ず救済される。
だからこそ、この世で悪いことをするのをやめて
耐え忍び、
来世での救済を待つのです」

科学は
今起こっていることをありのまま受け取る
こと。
そして、受け入れた後
なぜそのことが起こった意味を考えるのに必要なのが
宗教。

ですから
科学の先にあるのが宗教なのでしょうね。

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失敗はダメじゃない

何かしようとする時
失敗するんじゃないかと
不安になり
思いっきり、勇気が必要になります。

自分がやるときにすら
心配なのに
こども達が、それも我が子のことになると
なるべく失敗しないようにと
導いてあげたいと思います。

あまりにも
成功することが難しいと思えば
やらせないようにしてしまうことも
あるでしょう。

でも
それはいいことではありません。

こども達が
何か難しい挑戦をする時
「失敗するかも」と思って
おとながそれをやめさせると
達成の喜びを感じるチャンスも
失わせてしまいます。

失敗したらどうしようと
躊躇したとしても
少し勇気をだして
やってみることが大事です。

そんな経験を繰り返す中で
素晴らしい思い出や
素晴らしい仲間がみつかり
人生をは良くなっていくはずです。

必要なのは少しの勇気です。

そして
おとなも小さくてもいい
成功体験を積み重ね
難を乗り越えた先に
喜びがあることを
こども達に見せ
こども達のチャレンジを
応援するべきなのです。

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自分に暗示をかける

これまで何度も
言葉には、言霊という
力があるから
いい言葉を話しましょうという
ことは何度もお話しました。

いい言葉を話すと同様に
自分に暗示をかけるのも
言霊と同じように力があるのです。

あなたは
パソコンが苦手
運動が苦手
数学が苦手・・・など
自らの口から上のような苦手意識を
口にしていませんか?

99才まで長生きされた
瀬戸内寂聴さんが
長生きの秘訣について
次のように話されていました。

「なぜ、私は病気をしても
死なないのかと思いを巡らすと
一つの答えがでました。
私は病気が嫌いである。
病気になった自分を見苦しいと思い
一日も早く、その状態から逃れたいと思う。

病気を呼ぶ
自分の老衰も嫌いである。
老体を美しいとは思えない
わが老衰を
これ以上見苦しくならないうちに
死んでしまいたいと思う。

ただ痛い目にあって、苦しんで死ぬのは
ごめんです。
死ぬとき、痛まない、苦しまないように
心臓の手術をしてもらいました。

いつの時も
私はらくな法へと希望して
苦より楽を選んで生きてるから
長生きできているのです」

作家として
なくなる直前まで
多くの言葉、文を残された瀬戸内寂聴さん。

一般のひとが語ることができなかった
生への真実
誰もにも訪れる老いについてのことを
今生きる僕たちに教えてくれています。

病気を嫌いだという生き方
自分を苦しめない、自分を大事にして生きることが
長生きの秘訣かもしれないと
寂聴さんの言の葉を読みながら
自分自身に暗示をかるのでした。

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健康であることに意識を集中せよ

世界保健機関(WHO)では
「健康とは
肉体的にも、精神的にも、社会的にも
全て良好な状態であり
単に病気でないとか
病弱でないということではない」
定義しています。

そう言われると
多くの現代人はこれにあてはまらない
でしょう。
人は病気、けが、ストレス、不条理に
苦悩しながら生きているからです。

でも
病んでいるときはそこに
意識が集中する。
指先に数ミリの棘が刺さっているだけで
そこに意識がいく。

学校や職場などのコミュニケーションでも
同様だ。
問題があると
そこに意識が向かう。
「問題」は我々が
よりよく生きるために
意識を向けさせてくれる存在なのです。

だから
病気の時には
その問題点に意識を集中させ
乗り越えたときに
どうして乗り越えられたかを考えるべきなのです。

そして
その病気の時のことを忘れず
その時気づいたことを忘れずに
健康であることを意識して生きていくことが
健康的な生き方であると
WHOの健康定義は教えてくれているのです。

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失敗したらダメじゃない

こどもに伝えたいことの一つに
失敗を怖れるな
失敗することはダメじゃにということ。

人生を振り返ると
今まで色んな失敗をすることがありました。
仕事においても
私生活においても
失敗だらけの人生です。

過去の失敗を
悔やむことがないわけではないけれど
失敗があったから学んだことがあります。

医療でも
病気はわからないことばかり
同じ病名でも
患者さんによって大きく異なります。
教科書通りの治療方法でうまくいくことも
いかないこともあります。
その時、教えてくれるのは
患者さん自身、患者さんのからだ自体でした。

その経験が
今の僕のキャリアーを作ってくれています。
だからこれまで経験できたことに感謝しています。

自分の経験を踏まえて
こども達と接する時に
気をつけないといけないこと。
医療とは異なることですが
こども達がなにか困難にぶち当たったり
挑戦したい気持ちがあるときに
おとながおとなの考えで
「失敗するかも」と思って
それをやめさせてしまうと
こども達の成功体験や
達成の喜びを感じるチャンスを
失わせてしまうということを
覚えておかないと行けないのです。

こどもが
「失敗したらどうしよう」と
躊躇しているときに
求められれば助けてあげられるように
準備をして見守ることが大事だと思うのです。

失敗を乗り越えた経験を
積み重ねることで
こども達は素晴らしい経験、思い出、仲間をも
見つけて人生が豊かになっていくのです。

必要なのは
ほんの少しの勇気なのです。

そして、今伝えたいのは
失敗はデータということ。
失敗してもたったの二言で
それは力になるのです。

それが
「何でだろう」
「だったらこうしてみよう(みたら)」
に変換できれば
失敗はダメじゃなくなるのです。

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野菜作りで教えられたこと

脳出血を発症した後に
自宅に野菜作りをしていたことが
あります。

野菜作りをしたときに
気づいたことがあります。

野菜を作るときに
身体にいい野菜を作ろうと
思っていました。
だから、自分で食べるのだから
見かけにはこだわらず
虫食いがあったとしても
虫食いがあるということは
その野菜が安全でおいしいことだから・・・
と思っていました。

色々研究して
バクテリアを使って
土を作り、そこに苗を植えました。
幸いなことに虫に食われることなく
おいしくいただいたのです。

実ったことを喜んで
おいしくいただきました。
我ながらとてもおいしい野菜で
自家栽培の魅力にとりつかれました。

その時は忘れていましたが
虫に悩まされることもなく
おいしくいただきました。
虫のことは全く頭にありませんでした。

虫と野菜の関係について
次のような話を聞きました。

虫がつくのは
その野菜がおいしいからではなく
不健康で元気のない野菜に
虫は好んで寄ってくると言うのです。
ある農家さんが
虫がたかっていたゾーンは
未熟なたい肥を入れすぎて
土がいわば腐った状態だったというのです。
その土で育った野菜は
腐りやすい状態だったというのです。

本当に生命力にあふれた元気野菜には
虫があまり寄りつかないことに
気づいたというのです。

つまり土で野菜の根が決まり
野菜の元気度が決まるのです。
元気な野菜は、元気な土で作られるのです。

この話をきいて
健康も同じだと思いました。
病気にならないためには
土台をしっかりしないといけないということ。

食べること、疲れないこと
睡眠、ストレス、生き方などの
その人の土台を整える必要があることが
自然に生きる野菜が教えてくれたのでした。

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神頼み

神頼みという言葉があるように
お願い事がある時は
神社を参拝しようと思われる方は
多いことでしょう。

僕も
何か困ったことがあると
神様のことを思い出して
手を合わせることはよくあります。

お願いごとをしながら
なんて僕は都合がいいのだろう。
自分が困ったときだけ
神様のことを思い出して
神様も虫がいいなぁと思わないかなぁと
怒らないかなぁと
神様のご機嫌を損ねないように
しないと思うことがあります。

神様は
確かに心根の美しい人が好きだと
聞いたことがあります。
心根の美しい人しか
願いは神様に聞き入れてもらえないのでしょうか?

腹を立てたこともない
けんかをしたこともない。
僕も
たまには家族とも口論になることもあるし
たまには口から愚痴が
飛び出してしまうこともあります。
こんな僕だったら
神様は相手にしてくれないでしょうか?

神様は
僕たちが考えるよりずっとこころが広いのだと
聞いたことがあります。
だから
何をどうしたこうしたという
細かい行為で神様はその人を
判断しているわけではないらしいです。

だからといって悪口を言っていい
小さいことでもむっとしていい
という訳ではないだろうけど
守ってくれる判断にはならないということなのです。

神様は
もっとその人の心の底を
見てらっしゃるような気がします。
色んなものに対して
思いやりや慈悲の心を持つ。
神様を含め何事に対しても
感謝のこころを忘れない。
そして
神様の前では素直に
なんでも話してみて下さい。

なぜ、今日この願いを叶えたいのか
説明すると
神様はきっと力になってくれますよ。

神様は
きっと人とご縁を結びたがってると思うのです。

今日は七夕
素直な平和な気持ちで過ごしましょう

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神様を感じて欲しい

世界には
数多くの宗教がありますが
宗教と認められるために
どの宗教も
絶対真理を学び、信じて
日々実践していき、いい人生を過ごそうと
しているのです。

だいたいどの宗教でも
根源的に神様というか
絶対真理は
目に見えないものように作られているようです。

なぜか?目に見えないものを
信じられるのか?
以前、このブログにも書きましたが
目で見て感じるのではなく
惑わされずに感じるもので
あって欲しいからなのでしょう。

実際目に映ってしまうと
各人各様であって
自分勝手に見てしまうからなのだと思うのです。
見てしまうと
自分の都合に合わせて
自分だけの神像を作ってしまう。

ですから
神は人々に
姿を見せないようにしているのでは
ないでしょうか?

神様を感じるのは
音を通して、声で
つまり視覚よりも聴覚を優先に
コンタクトして来られるのでしょう。

見えてしまうと
その見えた神しか信じられなくなる
それだけならいいけど
その姿が頭の中にどっかり腰を据えてしまい
大きな存在の神様が
あなただけに「都合のいい神様」に
作り替えられてしまうかもしれません。

だから
姿をお見せになりません。
でも、神様は確かにあなたのそばにいらっしゃるのです。
あるときは
風となり、蝶となり、
光となり
またあるときは
龍となり、
あなたに語りかけてくるでしょう。

その神様を感じられるように
目で見るのではなく
こころで感じるのが本当の神様なのでしょう。

今も
あなたの側にいらっしゃいますよ。
感じますか?
是非感じて下さい。

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