投稿者「santa」のアーカイブ
断られ上手になる
最近、まわりの方に
いろいろお願いをしないと
いけないことはあります。
お願いを受けてもらったら
とってもうれしいけど
もちろん
断られることもある。
期待持たされて
結局断られたことも
何度も。
断れたことで
学んだことがあります。
断ったといっても
相手は必ずしも
自分のことを
嫌ってるわけじゃないんだと
思います。
断られたからと言って
感情的にならず
相手の事を
受け入れてあげることが
大事だと思います。
頼み事でも
お誘いごとでも
自分の思い通りにならないのは
当たり前のこと
頼んだ方にも
いろんな事情があるのだから。
断る方も
きっと、悩んで
こちらのことを気をつかって
断ったんだと思うようになりました。
断ると
何だか悪者にされそうな
気がします。
気が引けて
その間の関係が
ぎくしゃくとなりそう。
実は
断るのも
辛いんだと思います。
だから
頼んだときに
相手がさらっと
楽に断れるように
してあげたほうが
お互い楽なのかもしれない。
たとえ返事が”NO”でも
言う方も言われる方も
さらっと流せるようにする。
断られる上手に
なったらいいんだと思います。
お願いする立場にあったら
断れ上手でいようと思います
どんな軽いお誘いでも
相手に断れられやすいようにすること
断られ上手になると
その人との関係も
心地よいお付き合いができる。
断わられ上手って
妙にへりくだることじゃない
断られ上手になるには
相手の表情、声の調子、仕草、言葉使いで
難しいと思ったら
パッと引くタイミングを計り
そのことを察知して
追い詰めないのが
断割られ上手。
そして
断られ上手の根底にあるのは
相手の気持ちを思いやる心
常に思いやりの心を
持っていることが
断られる時も
断る時も
大事ってことを
断られて
教えてもらいました。
思いやりの心ある
断られ上手でありたいと
思います。
☆ 今日は周南倫理経営講演会に行ってきました。
今日もいっぱいいい話を聞きました。今日聞いたいい話を
経営に取り入れることができるかどうか、当たり前のことを
当たり前として続けて行くことができるかどうかか、成功への
ポイントだとつくづく思いました。明日からの行動が勝負です。
防府でいつも支えてくださってる原田相談役、馬場副会長と周南
に参上。いい時間を過ごせたことに感謝です。
大阪万国博覧会の思い出
大阪で万国博覧会ガ開催されました。
大阪で2回目の万博。
前回は1970年の開催だから
僕は当時5歳。
我が家はサラリーマン家庭で
当時は高度成長時代で
父は仕事中心の猛烈会社員だったから
家族旅行なんて
当時数えるぐらいしかないけど
その数少ない旅行の中でも
印象に残っているのが
この1970年の大阪万博。
でも
旅行事態の思い出は
太陽の塔の姿を少し覚えている程度。
きっととても人が多くて
会場ではくたくたに疲れて
楽しむどころではなかったのだと思う。
それでは
何を覚えているかというと
旅行に行く前
家にあったガイドブックを繰り返しみて
旅行を楽しみにしていた記憶。
ガイドブックには
各国のパビリオンの紹介がされていたと思います。
当時、漢字は読めませんでしたから
月の石が展示されたとか
人間洗濯機があったとか
トピックに関しては、全く知らない状況でした。
でも、繰り返しガイドブックを見て
どこに行こうか考えていました。
ガイドブックの何を見ていたかというと
世界にこんなに多くの国があることにびっくりし
日本では見ない独特のきらびやかな民族衣装に見とれ
そして
美味しそうな料理に目が釘着け。
特に
美味しそうなスープ。
何度も、ガイドブックを見て
フランスやイタリアのパビリオンに行きたい
美味しそうなスープを飲むんだと
幼心に決めて張り切って出発したのを覚えています。
どのパビリオンに行って
何を食べたのかは、全く覚えていない。
万博の記憶は
変える前、新幹線を乗る前に食べたそばの思い出と
疲れた感覚。
きっと人が多くて
父も母も姉もくたくただったんだと思います。
でも、世界に多くの国があることを知ったのは
僕にとっては大きな勉強になったこと
万博開催の意義はあったと思う。
2回めの大阪万博は
どんな思い出をこどもも含め残してくれるのだろう。
開幕前には
火星の石の展示、進化した人間洗濯機の紹介されて
今のところ何があるのか不明で
未来型をめざした万博が、明るい未来に繋がり
人々に思い出になる万博になることを祈ります。
死に狂い
死に狂いという言葉があるのを
知っていますか?
死に狂いとは
生死二つのどちらをとるかと問われれば
必ず死を選択する生き方を言うそうです。
日常生活においても
死ねために生き、その覚悟を培うことを
最も大切に思う生き方です。
そして、生ある時間を
死にもの狂いでいきて
運良く死ななければ、矍鑠とした
老化を生きることができるというのです。
この思想は
日本人の武士道につながる思想で
前回の戦争では
この思想を持っていたから
ご先祖様はこの精神をもって
僕たちのいのちを守ってくれたと思うのです。
現代においては
この思想を実践する人もいないと思うし
この思想を全面的に推奨するわけでは
ないけど、
この思いをもって
生きていくことは大事だと思うのです。
例えば
人は、便利な方、楽な方向へと
流されがちですが
生きていく中で、選択を迫られた時は
自分が苦しむ方を選んだ方が
その後、強く、自分らしく生きられることもあるのです。
死に物狂いに生きるような選択に
迫られることもあることでしょう。
その時のためにも
「死に狂い」という言葉を
覚えておきたいです。
偉い人はどこに
最近のこども達の
尊敬する人の調査で上位に上がってくるのは
スポーツ選手、アーティストや
母親、父親、先輩、友達など
頑張っている身近な人に
尊敬や憧れをもっていることがわかる。
僕がこどもの時とは、ちょっと違和感を感じる。
僕たちの時は
聖徳太子、アインシュタイン、ヘレンケラー
野口英世、エジソン、徳川家康などで
こどもの時
その人物の伝記をよく読んだ記憶があります。
尊敬できる人物は偉い人。
お父さん、お母さんも尊敬してても
偉い人?と考えてしまったのかもしれません。
日本人にはお金持ちや成功者とは別に
「偉い人」という分類があったと思います。
今も偉い人はいるはず
何をもって偉い人と考えたかというと
どんな困難ことがあっても、揺るがない
「志」や「心意気」をもっている人物なんだろう。
こどもたちに
「志」や「心意気」を伝えるために
偉い人としてこどもたちに
生き方を教えていたのだと思う。
目に見えるお金や名誉、地位を得ることだけが
成功なのではなく
こどもの時、先生から学んだ
自分なりの「志」を果たすことが
人生の成功者、偉い人と言うことを
今のこどもたちにも伝えたい。
死に損なった男
という映画を観た。
この映画は
仕事に行き詰まってしまい
死のうと決断し
電車に飛びこもうと決意して
ホームで電車が来るのを待っていると
ひとつ前のホームで飛び込み自殺があって
その後の電車が不通になり
自殺は決行できなかってしまった。
ただ、自分より先に自殺して人の
ことが気になって調べて、お葬式したその夜
なんとその人が幽霊となって
その人の目の前に現れて
この世に残してしまった心残りのことを
果たしてもらおうと
無理難題をもちかけて来るのです。
それに対して、主人公は
その無理難題のことに対して、どうするのか・・・
先が読めない展開になるのですが
後は映画を観て欲しいのですが
最近、この映画のように
なくなった人がリアルな幽霊として
出現する設定に違和感がなくなってきているような
気がします。この映画のように・・・
あの世の世界ながあるかどうかって
誰にもわからないけど
自然に受け止められるのは
潜在的にあの世があることを
知っているからなのかもしれないと
思わせる映画でした
礼を尽くせば人間関係トラブルを回避できる
人間関係のトラブルを回避するために
大事なことは
「礼儀」であり
相手に対して礼儀を尽くすことだと
最近やっと気がつきました。
トラブルを振り返った時に
トラブルになったのは
礼を尽くさなかったためだと
反省しています。
あの時
感謝の気持ちをこめていれば
相手も気持ちを静めてくれただろう。
あの失敗を反省しておけば
トラブルにならずに済んだだろうに。
親しい友人に対しても
もっと敬意の気持ちをもって
過ごしていれば
争うこともなかっただろう
など
人間関係に起因するトラブル回避するために
礼儀を尽くしておけばと今になって
反省しています。
礼儀とは感謝」と「反省」と「敬意」の
こころをもつことだと思うのです。
もっと具体的に言うと
素直に「ありがとう」と口にし
謙虚に「すみません」と反省の気持ちを込めること。
そして、相手に言われたことは
「はい」と気持ちよく返事をして受け入れる。
「はい」の語源は「拝」であり
おがむように相手に敬意を表すのです。
このように相手に対して
礼儀をわきまえていれば
人間関係のトラブルは
回避できるでしょう。
自分のやりたいことの見つけ方
今、自分は医師として働き
しあわせな生きるための生き方を考え
自分の生きてきた様を振り返り
自分の生き方がみなさんの生きる方法の
ひとつになればと思い
毎日ブログを書き、本を出し
今もこうして執筆に励んでいます。
今自分は
幼い頃からやりたかったことをして
生きていることに
感謝しています。が
今日々こどもや若い人・・・だけでなく
働き盛りの方、主婦の方だけでなく
老若男女、多くの人が
自分の生き方に悩まれている。
特に
自分のやりたいことを模作している方が
年々増えているように思います。
今は情報化の時代
悩みがあれば
インターネットを開けば
多くの情報がでてきます。
でもPCの前にどれだけ座っていても
自分にあったことなど見つからないと
嘆いている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
人間は
目の前に多くの選択肢があればあるほど
決定回避してしまうものなのです。
ですから
何をしたらいいか悩んだ時には
まず
他人がやっていることに注目するのではなく
自分の外側でなく、内側を見るべきなのです。
つまり自分の中に選択基準をもっていること
自分自身の得意なこと、大事にしている価値観を
自分自身がわかっているかがポイントです。
その上で
今やっていることに問題を感じたら
今そのことが自分自身の興味にある事柄かどうかを
考えてみましょう。
興味がある問題なら、その問題を深掘りすることに
意味があるのです。
今やっていること、やろうとすることに
楽しさを感じることができるか?
ということも大事なんです。
今つらいと思っていても
楽しいと思う瞬間があれば
深掘りしていい証拠です。
楽しいと思えることって
実はその人の得意なことだったり
大事にしている価値観とリンク
している証拠だからです。
あなたのもっている価値観と
今起こっている問題
これからやろうとしていることが
リンクしていれば
誰に何を言われても
進むべきことです。
そうすれば
必ず道は切り開かれていくのです。
人生色々を応援
最近政治家が
高校無償化をどうするかという
議論をしている報道を
耳にする。
中学校までは
義務教育だから
給食費をただにするかどうかの
議論とはちょっと異なる気がする。
というのは
自分のクリニックでも
学校に行けないこども達の受診が増え
中学生だけでなく
小学生など低年齢化も気になっている時に
みなが高校にいくのが、
全てのこどもに必要かどうか立ち止まって
考える必要はないだろうか?
まず、こども達の中には
必ず勉強嫌いのこどもがいるということを
わかってあげないといけない。
勉強は嫌いだけど
野球、バスケットなど運動したいから
高校に行きたい。
それは立派な進学理由だから
おとなは、しっかり応援してあげたい。
勉強は嫌いでも
何が好きなものがわかっているだろうか?
ケーキ職人になりたいなら
高校に行くよりも
有名なパティシエの元で修行。
お笑いが好きなら
落語家の師匠に弟子入りする
漫画が好きなら
漫画家のアシスタントから始める
映画がすきなら
映画現場のアルバイトをする
などなど
夢がはっきりあるならば
高校という、おとなの考える学歴と言う枠で
遠回りするよりも
もっと、自由な道を選ぶことを
親をはじめ周りのおとなが力を貸すべきでは
ないでしょうか?
高校無償化だけを議論していることに
なにか虚しさを感じてしまうのです。
魂の音楽
とある雪舞い散る真冬の休日。
こんな日は
家でのんびり撮りためていたビデオなど
観て過ごします。
その日は
2018年の谷村新司のコンサート。
谷村新司は昨年残念ながらなくなったが
当時は健康そのもの。
説得力ある歌声で
テレビから魂が震えてくる。
魂が震えたのは
その歌声だけでなく
その歌に込められた
神の啓示のような言葉の力のためだと
気づいたのは
昴を歌った時だった。
次に観たのは
世界的指揮者小澤征爾のドキュメント。
小澤征爾は長い間闘病を続けていたが
体調が許す限り
指揮をした。
最後に演奏したチャイコフスキーのセレナーデ
ドクターから許された7分間に
全身全霊を込められた演奏。
小澤征爾の渾身の力
これが最後だという気持ちの入った
鬼気迫った指揮だった。
そして、最後は
坂本龍一の最後の演奏を撮った映画。
坂本龍一の
万全ではないにもかかわらず
その指先からあふれ出る
ピアノのエネルギーは
坂本龍一の最も求めていた音楽が
画面から届いてきた。
三人の音楽家の生き様は
それぞれ違っていても
最後に自分の音楽を奏でてたことは
きっと幸せだったにちがいない。
最後の瞬間に
思い残すことなく追われることは
幸せなこあとだと
三人の姿を見て思った。
外見を整える
先日お茶の席に
立ち会わせていただきました。
その時、お点前をされた方の
ふすまの開け方、歩き方、お茶の出し方など
その所作のひとつひとつが美しく
感動しました。
その所作をされた方が、
初めてお会いした人でしたけど、
とっても魅力的に感じました。
行動も、所作も
心からでるんだと思いました。
外見を整えることは
大事なんですよね。
外見は
100%自分でコントロールできるもの。
でも
僕がいう外見は容姿容貌では
ありません。
外見は自分の姿。
”かっこいい”と思わることを
目指すのではないのです。
”かっこいい”と思うのは
自分の判断でなく
自分が見た人が判断するので
一定の判断ではないと思います。
だから
容姿容貌の良し悪しは
自分でコントロールできません。
自分自身で作り出す自分の姿が
自分自身の外見です。
ですから
お茶の席で感じた所作は
まさに
誰にも美しいと感じさせる
美しい外見の姿ではないでしょうか。
ですから
いつでも、どこでも、どんな時でも
相手が誰であり
相手に敬意を示して
礼儀正しく接することは
相手にも必ず伝わります。
きっと
あなたを美しいと感じてくれるでしょう。
あなたの心の状態が
あなたの相手に対する気持ちが
必ず
あなたの行動にでます。
外見は、
内面から来るような気がします。
心が磨かれは
外見も磨かれる。
でも、
外見を磨けば、
周りから好印象を持って、
誉められばうれしくて、
心も輝きだすような気がします。
ですから
どんな人にも
心穏やかに、礼儀礼節を重んじて
接すること。
外見を整えること
それは
自分でコントロールできる
自分磨きの方法だと思います。
礼儀礼節と所作を
整えていきましょう。