投稿者「santa」のアーカイブ

元総理が語った長寿のコツ

安倍晋三元総理の兄が
安倍家の家族についてかかれた
「安倍家の素顔」という本を読んだ。

この本は
作家自身の取材を元に書かれた本ではなく
安倍晋三氏の兄である安倍寛信氏が
ご自身の思い出として
書かれているので
政治家一家の表の顔、裏の顔が
政治家としての一面、家庭人としての一面など
赤裸々に描かれており
とても興味深い内容だった。

この本を読んで
色々感じることもあったが
このブログで、みなさんに知っていただきたいことは
90歳の天寿を全うされた
晋三氏の母方祖父であられ
昭和の大政治家であった岸信介氏が語った
長寿のコツについてです。

氏いわく、長寿のコツは2つあると
まず一つは不義理をすること。
不義理と言っても、岸氏も総理まで務められた
大政治家であり、不義理を尽くさずして
生きてきたわけではなく
昭和の大政治家であり一般人以上に義理人情を
尽くしてこられた方だからこその不義理と言う言葉。

きっと、義理人情に縛られることは
寿命をする減らすことになる。
だから、ある程度の年齢になり
人生の集大成の年齢になれば
義理立ても好きなだけにして
ちょっとぐらい不義理なぐらいで
生きていく方が、長生きできると言われている。

僕も先日のブログで
しがらみの話を書いたが
しがらみの整理も必要なのかもしれないです。

2つめは、規則正しい生活だと。

岸氏は戦後すぐ戦犯の疑いがかけられ
3年間ほど過ごした巣鴨プリズンでの
生活を振り返られ
プリズンでは、朝5時半に起き、夜9時には就寝。
1日1時間は運動、部屋の掃除などさせられ
食事は腹八部目、間食は一切なしという
規則正しい生活を3年間され
これの時の習慣が、それまでの不規則の生活を
改善してくれた。
その生活があったから長生きできた
まさに人間塞翁が馬と語られています。

この経験を踏まえて
50歳になったら1回刑務所暮らしをするのがいいと
笑って語っていたとか。

思えば、自分も
50歳過ぎて3ヶ月過ぎの入院生活を経験して
生活が一変しました。
全てのことをこなすのが難しくなり
不義理なことを申し出ることも増えました。
生活も、入院後今でも
朝5時に起き、夜9時には寝床に入り
朝、氏神様へのあいさつをかねて神社まで
1時間ほどウォーキング。
食事もほどほど、入院時の体重を維持してます。

この生活をつづければ
僕も長生きできるかが証明できるかと
思いますが。
もうひとつ、長生きするかどうかは
本人のもってる寿命がありますから・・・
実際長生きできるかどうかは
死ぬときにしかわかりませんが。

僕が、今言えることは
病気の後、心身ともに生きやすくなっていること。
ですから
みなさんにも
安倍元総理のおじいさんの岸氏の長生きのコツを
是非、実践されてみてはいかがですか?

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悩みは必ず解決できる

誰もが問題にぶつかると
その問題を解決しようと
考えるでしょう。
そして、解決方法がみつからないと
悩むでしょう。

でも悩んだ時の状況を考えた時
悩みを解決する方法が
ひとつやふたつは見つかっていることに
気づいているのです。
しかし、その後も悩み続けてしまうのは
その解決方法を
やるかどうかで悩んでいるのことに
気がついたのです。

悩んでいる時だけでなく
自分のことを一番わかっているのは
自分だし
悩んでいる問題に対して
一番真剣に考えているのも
自分なんです。

これは
僕のことだけでなく
誰にもあてはまることだと思います。

考えに考えて
解決方法は見つかっているのに
その解決策をやるかどうかに迷ってるだけなんです。
考えているだけでは
絶対に問題は解決しません。
考えた解決方法を実行する勇気をもてば
必ず解決に繋がるはずです。

「悩んでいる人は
解決方法を知らないのではなく
それをしっていてもやりたくないだけ」
なんです。

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ゆきてかへらぬ

中原中也と小林秀雄が
ひとりの女優長谷川康子をめぐる
恋愛模様を描いた映画。

中原中也をいえば
山口県出身の詩人としても有名で
小林秀雄といえば
文学評論家であり
かつて入試などで
現代国語の問題によく出てきた作者。
そして最近
「考えるヒント」という本を読んで
高校生の時も難解な文章だったけど
今読んでも
まだまだ難解な文章に四苦八苦した。

そんな二人が
一人の女性を巡って
三角関係?があったことは知らなかったし
自分的にとてもタイムリーに思えて
是非みないといけないと・・・・観に行った。

世の中で一番の贅沢は詩だとのべ
自分の心の襞を描いた
詩を書くことに才能を捧げた中也。
しかし、詩を書くには
繊細でないといけないから
長谷川康子との恋と別れ
愛する我が子との別れを
経験し・・・人生が不安定になりはじめ
結核も患い
若き死を迎えたことを知った。

長谷川康子も
不幸な生い立ちを抱えつつ
本当の愛を求め生き続けたひと。
様々な恋を経験し過酷な愛を生き続けた康子。
康子の劇中のセリフ
「私たち、神経と神経でつながろうとしましたの。
それが一番深い愛、深い愛だと思ったから。」
それは中也もそうだったのだろう。

昨日や山口県でも桜の開花宣言がでた。
先始めた桜の花を見ながら
二人が語ったセリフ
「この花びらは、散っているのか、散らしているのか」を
思いだし、
僕は、今年桜の花を見ながら
何を感じるだろうか?

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健康は目的でない

しあわせに人生を送るために
必要なこと、ものを考えた時に
「健康」と考える人は多いことでしょう。

実際患者さんでも
健康であるために
病気にならないために
このサプリはどうでしょうか?
この方法はどうなんでしょうか?
と流行の健康法の善し悪しについて
聞かれることがあります。

お話を聞いていると
とても健康に気遣っているようだけど
「健康」でいることが目的
「健康」でいようとすることが目的に
なっている気がします。

からだにいいからと言って
好きなものを我慢して
からだにいいと思うものを
頑張って食べたり
食に関して、健康に支配され
不自由生活を余儀なくされて
しあわせを感じられるでしょうか?

僕は
病気をして、後遺症もあり
病気前と比べて、決して健康とは言えないけど
この体を悪くしないように
食事は多少気をつけるけれど
健康オタクにならないようにも
気をつけています。

食事に気をつけるのは
健康にあることが一番の目的ではなく
しあわせに生きるためだと思うと
とても自由に、毎日生きられます

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浦島太郎の意味

日本人なら
誰でも知っているおとぎ話として
浦島太郎があります。

ただお話として読んでも
楽しめるけど
浦島太郎に関連した伝説が
日本のあちこちにあったり
何か深い意味があるのでは
深読みもできる
奥の深いお話に思えるのです。

僕なりに
この浦島太郎を読み解いてみると。

浦島太郎は
この世に、この世界に生まれた意味を
抽象的に示している気がするのです。

つまり
浦島太郎が訪れた竜宮城は子宮
海は羊水。
亀に竜宮城に連れて行かれた浦島太郎は
子宮に連れて行かれたのです。
つまり
男女の交尾、つまり太郎は精子なのです。

竜宮城で
一定期間四季を竜宮城で
過ごした太郎は10月10日たって
家に帰りたいと言って
家に戻ります。つまり出産を迎えるのです。

そして
竜宮城を出るとき
乙姫様から玉手箱をもらいます。
物語の中でも
特に意味深な玉手箱の意味は・・・
僕は次のように意味が
積まれているような気がするのです。

玉手箱の中には
生まれる前、生まれるまでの記憶が
詰め込まれ
そして、この世に学ぶべきこと
学ぼうとして書き留めた覚え書きのような物が
入っているのかと思います。

人間は
不死不滅の魂としていますが
この世には
新たな経験、魂磨く、己自身の成長するため
限られた肉体を手にして
これまでの経験を封印して
生まれてきていると思います。

人間は
この世では限られた
肉体をもって生まれてくるので
いつか必ず肉体は滅び
真実の姿、己自身に変えるために必要な物が
玉手箱に収めて生まれてきているのでは
ないでしょうか?

肉体は滅ぶ、限られたいのちのなか
自分生まれてきた意味があること
有限ないのちの中にある誘惑におぼれるなと
言う意味が
この玉手箱自身をもつ意味ではないかと
僕は思うのです。

太郎は
玉手箱ををついに明けてしまいます。
1段目の箱をあけると
あっという間に年をとってしまいました。
つまり
この世での目的を知り
この世で生きていく時間が残り少ないことを
教えてくれるのでしょう。
そして
2段目を開けると
鶴となって飛び立ってしまいました。

鶴になった浦島太郎は
どこに飛び立ったかは描かれていません。
鶴は渡り鳥です。
つまり、自分の生まれたふるさとへと
帰って言ったのではないでしょうか?

異国の地で
肉体を得て、様々な経験をし
学ぶことを学び
目的であった魂の成長を果たして
ふるさとへと戻っていった。

これが
浦島太郎の伝えてることではないかと
僕は思えて仕方ないのです。

人間の真実の姿は
魂ってことを現代人に伝えてるお話なんでしょうね。

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痛みの苦しみがわかる方法

医者であっても、看護師であっても
医療者であるなら
患者さんの孤独と苦しみを理解することが
大事だと思うのです。

僕も、こどもだけでなく
おとなの人に注射をする時にも
「痛いでしょうけど
ちょっと我慢しましょう。(して下さい)」
と声をかけるようにしています。

その様に声をかけるだけで
患者さんの気持ちも和らいでくれると
思っています。

研修医時代
先輩医師が痛い処置をする時に
何もできない新米医師の自分は
患者さんの傍に立って
手を握って、声をかけてあげるしか
できなかった。
だけど、その時
痛みに耐えるように
僕の手をぎゅっと強く握ってくると
僕も力を強くして握りかえしました。
その時の
こどもたちの強い表情は
今でもしっかり、覚えています。

病気の時は
とてもつらいものだし
とても孤独を感じるものです。

その時に
そばにいて
その痛みを孤独を受け止める
ことが医療者もできれば
患者さんも頑張ってくれるはずです。

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人事を尽くして天命を待つ

桜が開花の時期になりました。
桜が咲き始める頃になると
出会いと別れがあるなど
我々の生活環境が大きく変わることを経験します。

特にこどもたちにとっても
卒業、入学など
新たな一歩を踏み出す時期になります。
そして
この時期新聞を開くと
○○中学校、何名合格
△△高校、何名合格
□□大学、何名合格 など
いわゆる俗に言う学校に入った(入れた)ことを
謳う広告をみて
ふと、思ったのです。

ここに名前が上がっていない
学校に合格した人もいるだろうし
がんばったけど
落ちてしまった人もいるだろう。

実際にあった人はいないけど
その喜びを謳う広告をみて
様々な表情の顔が浮かんでは消え
・・・・
しばらくして
これは「人事を尽くして天命を待つ」という
言葉の真意に触れた気がして
そのことを
ブログに書こうと思います。

今生きている世界には
因果の法則があり
自分がある結果を求めて
一生懸命取り組まないと
結果はでないと言う法則があるので
人は、頑張り
いい結果が出るように願ったりします。

それなら
一生懸命やったのに
結果が出ないのは、失敗なのでしょうか?

僕は一生懸命やった先にある結果は
成功であれ、失敗であれ
きちんと受け入れる
受け止めることが大事なんだと思います。

人は
魂が成長するためにこの世に生まれてきて
そのために、なにを経験すべきかを
決めてこの世に生まれてきたと言います。

ですから
どんな結果が出るかは
生まれる前から決まってたのかもしれませんし
その結果を踏まえて
どう過ごすかが
魂の成長につながるのだと思います。

少しスピリチュアルな言い方をすると
自分の行った行動から出た結果が
どんな結果であっても
それは神様が自分のために必要な結果なんだと
言うことに気づくと
どんな結果も受け入れて前に進むことができますよね。

自分のやった結果にこどわらず
目標にむかって
心や体全体でありったけの
知恵と勇気、力を振り絞って
自分が願う、思う世界を描き
努力して最善を尽くす。
その後
描いたとおりの結果が
例え手に入らなかったとしても
それは、神様いえ、自分の決めた道なのだと
受け入れましょう。
結果に囚われ、心奪われないことが大事なんです。

と言うことを
「人事を尽くして天命を待つ」の
真意だと思うのです。

受験生のみなさん
ほんとうにお疲れました。
みなさんが頑張ったことは
ご自身が、そして神様は
ちゃんとわかってくれています。

だから
望む、望まない結果に関わらず
胸を張って、笑顔で歩いて言って下さいね。

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情けは人のためにならず

ということわざがあります。
このことわざは
「人に情けをかけると
巡り巡ってやがて
自分のところに返ってくる」と言うことを
教えることわざです。

でも
この言葉はいかにも
日本人らしい発想のことわざだと思います。
誰かに優しくしても、その後
直接自分がやさしくされなくても
いつか誰かに優しくされることもあるだろうし
もし自分が優しくされなくても
自分のこどもが、孫が助けられれば
いいではないか。
だから、人に親切にしなさい・・・と
僕たちは教えられて育ってきました。

でも
世界には
色んな考え方の人がいます。
現実重視の民俗であれば
お礼をすぐ目に見える形で欲しい
自分がした恩義はすぐに求めてしまったら
もしお礼がなかったら・・・
折角いいことをしても
その後に相手を恨み、猜疑心が生まれ
だんだんその心が大きくなり
憎しみと変わってしまい
争いへと極端な話し続くかもしれません。

そんな気持ちを起こさないように
やんわりとなだめてくれるのが
このことわざの意図するところなのかも
しれません。

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壮大なスケールのものに身を置く

人間だけが
将来のことを考えて
悩み、考えて行動するので
不安に感じてしまうし
頑張れる源になります。

年をとっても
将来に対する不安はあります。
若い時とちがうのは
不安の度合いが強まると言うより
自分ではどうしようもない
力の及ばなさを感じるからではないでしょうか?

年をとったら
壮大なスケールのものに触れて
震えるような体験にしてみることが
いいのではないかと思います。

非常に大きな建物、歴史的な建造物
大きな滝、満天の星空など
壮大な自然、物を観て胸を踊らす
体験のことをオウ体験と呼んでいます。

僕も最近日本に古くからある仏像の
勉強を初めて
昔の人の信仰心、生き方を感じ
聖徳太子さえ、色んな悩みを乗り越えようとした
ように感じて
悠久の時間に身を置いた瞬間
自分の悩みが吹っ飛んでいくのを
感じました。

悩みを感じ
人生に行き詰まりを感じたら
壮大なスケールの物に
身を置くことをお勧めします。

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みんなの中にいる神様

入院していたとき
感じた、わかったことのひとつに
自分のからだの中には
自分をいつも守ってくれている力があること。

それまで
どんな生活をしていても
例え、道徳にひどいことを
していたとしても
いつもどんな時も
自分を守り抜いてくれる力が
あることをかんじました。

それは
入院中は、
からだに備わっている自然治癒力だと
思って今も自分の中にある
自然治癒力はあると確信するに至っていますが
退院後一年経ち
その思いは変わっていませんが
自然治癒力だけでなく
きっと自分の人生全てを見守ってくれている力が
あることを今は疑っていません。

その力は
神様の力だと言っても言い過ぎではないと
思います。

自分のからだの中には
いつもどんな時でも、どこにいても
自分を見守ってくれている力があると
確信しています。
その力って・・・・
表す言葉はすぐには浮かばないけど
ひょっとして
この力が神様のご加護というのかとも
思うのです。

神様が
いつも守ってくれているのだから
自分を信じて、生きていくことは
神様にお任せして毎日過ごせいいんだ。
神様のご加護の元
生きていけばいいと思えば
どんなに毎日生きていくのが楽になることでしょう。

それから僕は
神様の力、ご加護を感じたときには
手を合わせて感謝するようにしました。
その時、お祈りについて気づいたことがリます。
それまで
神社にお参りにいくのは
初詣、誕生日、厄年、受験など
神様の御利益を期待して、願い
お参りに言ってたんですよね。

でも
御利益をお祈りするのではなく
今こうして生きられることに感謝の気持ちを
神様に伝えないといけない
これが神様の喜ばれるお参りだと
気づいたんですね。

自分の中にいらっしゃる神様に
感謝することは忘れてはいけないことに
気づいたと同時に
神様は
自分以外の人の中にもいらっしゃってるんですよね。
もちろん、木にも石にも、動物にも花にも、物にも
全ての中に神様がいらっしゃるんですよね。

日本では
八百万の神と呼んで
全ての物に感謝の気持ちを伝えいるんですよね。

全ての物、人の中にいらっしゃる
全ての神様に感謝して
神様にお任せして
毎日一生懸命大切に生きていけば
必ず神様からのご加護があるんでしょうね。

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