投稿者「santa」のアーカイブ
健康は手段か?目的か?
健康であることは
しあわせに生きるために
必要です。
逆に
健康でないと
しあわせになれないかというと
そういうわけではありません。
ですから
健康であることは
しあわせに生きるための手段であって
目的ではないということです。
でも、実際には
病気を怖れる人、長生きを求める人など
健康でないと
しあわせにならないという思いに
囚われている人が多いのではないでしょうか?
それは
健康志向の高まり
それに応じたあふれる情報
その思いを後押しする
国や市町村の政策。
誰もが健康であることを
追い求めすぎて
何のために生きているのか
自分のしあわせはどこにあるかを
忘れてはいけないと思うのです。
病気であっても
しあわせに生きている人
健康であっても
しあわせを感じてない人も
いらっしゃいます。
健康は
しあわせになるための
手段だということを。
日日芸術
という映画を観た。
芸術家の紹介と日常などを
紹介するドキュメンタリー
+空想の世界かと
色んな思いをかき立てられる映画だった。
芸術家と言っても
無名の芸術家
その作風は一風変わっていて
セロハンテープで
同じ形のメガネを作り続ける人。
コンビニのコピー機で
自身の顔の魚拓ならぬ
顔拓をとり続ける人。
退職後72歳になって絵画に目覚め
家中のあらゆる物に
カラフルな花、富士山の絵を
死ぬまで書き続けた老人。
その作品を生み出す姿は
そこに野心も欲も下心もない。
ただ描きたいからという
こころの赴くままに書いていた
芸術家の姿だった。
どうして
そんなに無心に描き続けられるのか?
その答えのヒントを
一本の線で複雑な絵を描かれている
岐阜にお住まいの芸術家の方が
次のように語っていた。
躁鬱病の診断を受け
生きる意味を失いかけて
毎晩、夜空に向かって
なぜ生きているのかを
問い続けていると
ある日
空から、ポンと
今書いている絵の図案が
頭にまるでダウンロードされたかのように
降りてきたらしい。
その瞬間、彼は
自分は天才だと叫び
その図案を今までずっと
一心不乱に今も描き続けている。
そんな彼が
こう言っていました。
「しあわせは自分のこころの中にある。
それに気づいて
自分を愛することができるようになった。
そして自分を愛するようになって
死にたいなど思わなくなった」。
僕はこの言葉を聞いて
僕もしあわせは
自分の中にあると思っています。
そして
自分を愛して生きることが
しあわせに歩む生き方だと
確信したのです。
悩みがある時でも
その患者さんは
定期的にメタトロンを受けていて
からだは安定した状態で
メンテナンスを続けていました。
しかし
今回来られた時
からだの波動がかなり乱れていた。
からだの不調の有無を尋ねると
睡眠、食欲など
自ら感じる症状はないよう。
メタトロンを施術中の
1時間いろいろな話をしていきます。
そのお話の中で
更に健康になるヒントをつかんで欲しいからです。
しばらくお話をしていると
現在
お子さんが独り立ちし
これからの人生を考え、悩み・・・
そして
ひとつの結論に至ろうとしていることを
言葉の端々にそう感じた。
まさに
現在第2の人生の歩みを考え
一歩踏み出そうとしているようです。
どんな結論を出そうとも
その方の人生を支えようと
からだを整えて準備していることが
わかりました。
からだは
あなたの人生をいつも、いつも
支えていることを
教えてくれたのです。
資本主義の弊害
昔からお金が原因での
事件は多い。
詐欺に気をつけましょうと
ニュースで連日報道されていても
お金の事件は減らない。
そんな中
最近よく耳にする言葉に
カスハラ。
カスタマーハラスメントが
よく報道されています。
昔から
お金を払ってくれるお客さんは
神様だといって
大切にしてきました。
お金をもらう側として
お客さんを大切にするのは
当たり前のことですが
サービスを受ける側になった時
神様だと自ら思い振る舞っていないでしょうか?
お金を払う自分は
決して神様ではないのです。
きちんとした品物を手に入れることも
サービスをしてもらうのも
お金を払っているから当然
当たり前のことではないのです。
相手が心を込めて
仕事をして下さったからなのです。
お金を払っているからと思っていると
大事にしてもらっていても
それが当たり前のことだと思ってしまい
感謝の気持ちは起こりません。
そのお客さんの気持ちが
働く人の気持ちを下げてしまいます。
その結果
人のこころは傷つき
社会全体が住みにくくなっているのでは
ないでしょうか?
物価高の今だから
サービスも提供する側も
受ける側も
お金ではかれない価値に
目をむけなければいけない気がします。
手足口病
最近手と足の発疹で受診されるお子さんが多く
そのほとんどが“手足口病”。
全国的にも手足口病が流行中。
そこで、今日は“手足口病” について。
手足口病とは・・・・
名前の通り
手のひらや足の裏、口の中に発疹や水疱ができる
夏風邪の一つです。
通常かゆみや痛みはありませんが、
口の中に発疹ができると、
痛くて食べられないことがあります。
手足以外に、発疹は膝、肘、お尻に出ることがあること
38℃の熱が、約1/3に出ることはありますが
数日間で治る病気です。
稀に
髄膜炎、小脳失調症、脳炎と言った中枢神経系の合併症を
おこすことがあります。
原因は
コクサッキーウイルスやエンテロウイルス。
これらのウイルスは多種多様な型があり、何度も感染します。
治療は
ウイルスの病気なので、特効薬はありません。
抗生剤や塗り薬も効きません。
熱があれば解熱剤を使うなどの対症療法になります。
口の中に痛みがある時は、
刺激にならないような柔らかめで、薄味の食事をとりましょう。
安静が第一ですが
高熱が2日以上続く、吐く、頭を痛がる、視線が合わない、
呼びかけに答えない、息づかいがあらい、
おしっこがでていない、ぐったりしてる などの場合は、
合併症の疑いがあります。
必ずかかりつけ医を受診しましょう。
予防は うがいと手洗いをしっかりすることです。
症状がなくなってもウイルスが長期間便中に排出されるので、
オムツを替えた時の手洗い、そして
外出後のうがいは治っても続けましょう。
幼稚園や保育園では乳児間の接触が多いので
集団発生には注意が必要ですが、
熱がなく、食事がしっかりとれれば、 登園は可能です。
手足口病は、 決して怖い病気ではありません。
ただ、
手足に発疹が出たからと言って、
全て手足口病の発疹とは限りません。
虫刺され?、他の急性の発疹症?かもしれません。
発疹は増えたり、形が変わったり、刻々と変化して
だんだん心配になることがあります。
手足口病の発疹と思っても、夜間など不安にならず
“あわてない”ために、一度小児科を受診しておくと安心ですね。
土用丑の日
明日7月24日は今年4回目の
土用丑の日です。
夏の時期の土用の日といえば
うなぎを食べたり
夏バテに注意の日かな?と思いがちですが。
日本には四季がありますが
土用の日が開けると
立夏、立秋、立冬、立春となります。
土用の期間は約18日です。
夏には土用丑の日は2回あります。
夏は特に報道されるので
精をつけて熱い夏を乗り切ろうと思いますね。
確かに
この日は鰻を食べる風習になっていますが
鰻を食べる風習は江戸時代からのようで
昔は
衣服や書物などの虫干しをしたり
薬湯に使ってたりしていたそうです。
昔からの風習には
それなりの効果があり
鰻を夏バテ防止に食べたと
万葉集にも出てくるそうです。
暑い夏をのりきるために
昔からの風習に浸ってみるのも
いいことでしょう。
家族を思う心
生まれた時から側にいる家族は、
とても身近な存在なために、
甘えてしまって、
気がつくと
わがままばかり言ってしまう
ことがあります。
“親孝行したい時に親はなし”
という言葉もあるように
わかっていても
中々できていないのが
親孝行です。
自分の都合で
家族に迷惑をかけても、
それほど気にかけることもなく、
ましてや
感謝の気持ちを伝えることも
できないでいることも度々です。
でも、
ここまで自分がこれたのは、
家族の支えがあったからなのは、
間違いありません。
だから、
ご家族にも
素直に感謝の気持ちを伝えることは、
とっても大事です。
でも、
いきなりは照れ臭いと
思われる方もいらっしゃるでしょう。
そんな時は、
お誕生日や父の日、母の日などの記念日に
何かプレゼントしたり、美味しいものを
ごちそうするのも一つの方法です。
その時大事なのは、
金額ではなく、
相手を思う心を大切にすることでしょう。
好きなお花を買う、
一緒に好物のお料理を食べるなど、
たとえ小さなことでも
感謝の気持ちは十分に伝わります。
ご家族が遠方にいらっしゃるなら、
電話して
元気な声を聞かせてあげるだけでも、
きっと喜んでもらえることでしょう。
身近な家族こそ、
いつも感謝の心をもって
接したいですね。
自分を赦す
生きていると
自分ひとりでは生きていけないし
人と人の間に生きていくのが人間。
人に支えられ、助けることもあるけど
自分にはそのつもりはないのに
思わぬトラブルに巻き込まれることもあります。
トラブルに巻き込まれた時
原因が誰にあろうとも
赦すことが解決の糸口になることも多い。
だけど
言うのは簡単だけど
「赦す」のは難しい。
なぜなら
本当に人を赦そうと思うなら
まず「赦す自分」を赦すことから
始めないと始まらないと言うことです。
辛い経験をしてる真っ只中なのに
敢えて赦す。
赦そうとする自分を赦すことができて
トラブルを乗り越えるのだと思う。
自分を赦すことができた体験は
その時は辛かった出来事のはずなのに
その体験を
他人事のように、笑い話をするかのように
話している自分がいるでしょう。
その瞬間
自分を赦す体験を通して
大きく成長したことを感じられることでしょう。
フジコヘミングの死に学ぶ
4月に
魂のピアニストと言われた
フジコヘミングさんが亡くなられた。
彼女は遅咲きのピアニスト
そして
運命のいたずらか
それまで彼女しか乗り越えないような
数奇な人生を生ききった人生。
彼女のお得意の曲は
リストのカンパネラ。
そしてショパンなどのロマン派の曲で
人々を魅了してきた。
この春には
ラカンパネラゆかりの土地で
コンサートを計画してた中での
死であった。
これまで
NHKのドキュメントで
彼女のピアノと共に生きる
力強い人生だと伝えられていた。
今回も最後の日を追った
ドキュメントであるが
最後までピアノと共に生きていたことを
教えてくれた。
でも
ピアノが弾けないぐらい
からだの機能を失い
だんだん、ピアノを弾かないと
つぶやくようになり
リハビリを兼ねて
最後に弾いた曲は
ショパンやリストではなく
モーツアルトのソナタだった。
やっと
聞こえてくる音で弾く
ピアノの音は
それこそ魂の音
天国の母に届く音のようだった。
弾き終わった後
自らピアノの蓋を閉じて
演奏が終え
その後、閑かに息を引き取ったという。
きっと
最後はピアノを教えて下さった
お母さんの元で
安らかに過ごしている気がします。
夜明けのすべて
主人公の女性はPMS諸侯群で悩み
その彼女が同じ職場にパニック諸侯群で
悩んでいることを知り
お互いの病気のことは
完全には理解できないけど
助け合うことはできると
ふたりで協力して
会社のプロジェクトを成功させるのです。
話の筋的には
ちょっと恋愛に進むかと思えば
そうではなく
病気に悩むことを理解し
協力できることはあると
お互い前向きに生きていきだすという話。
話も中々深い物もあったが
いくつか心に残った言葉を紹介します。
地球はコマのように
自転をしているけど
2万6千年ごとに自転の向きが変わるそうです。
今は北極星が
旅の道標になっている星ですが
1万3千年経つと
自転の傾きが変わって
道標が北極星ではなく
白鳥座のベガになるとか。
宇宙でさえ
変わり続ける
その場にとどまっているものは何もない
ということを教えてくれた。
僕たちも変化続けているということ
をこの映画で再認識させてもらった。