投稿者「santa」のアーカイブ

表と裏

 

今、我々の人類は
大切な岐路になっている気がします。
新型コロナウイルスパンデミックを経験したのも
物質主義の対する警鐘だったのかもしれません。

科学の発達した
現代社会に生きる我々は
目に見えるものしか
頭で納得したものしか
信じられなくなっています。

でも
コロナウイルスの登場によって
科学は万能でなく
目に見えるものが全てでないことを
知る結果になったのではないでしょうか。

この世に存在する全てのものには
裏表の2面性があります。
目に見えるものと、見えないもの。
例えば光と影。
影があるから、光を感じることができます。

谷川俊太郎さんの
「闇は光の母」という詩を紹介うします。

闇がなければ光はなかった
闇は光の母

光がなければ眼はなかった
眼は光の子ども

目に見えるものが隠している
目に見えぬもの

人間は母の体内の闇から生まれ
ふるさとの闇へと帰って行く

つかの間のひかりによって
世界のかぎりない美しさを知り

こころとからだにひそむ宇宙を
眼が休む夜に夢見る

・・・・・つづく

全てのものが
目に見える部分、見えない部分から
成り立っていることを
知らないといけないのです。

我々のからだも
肉体と心、肉体と魂
見える部分、見えない部分から成り立っているのです。

これまでの医療は、
検査技術を駆使して
原因をあぶり出し見える化して
それに対応して治療してきました。
でも、
これでは表の部分しか治療していないと言うことですね。

目に見えないところにある
裏の部分を治療しないと
病気は完治できないのです。

コロナウイルスに対して
我々がやったことは
PCR検査の充実
ワクチンの普及などの目に見える効果を期待したことでした。

でも、本当に元気に、しあわせに生きようとするなら
目に見える結果だけでなく
目に見えない影の部分にもアプローチしないといけないと
考えます。

そして、
コロナウイルスも、病気の原因にも
表と裏、光と影の面があることを
知らせようと思ってる気がするのです。

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病気にならないための生き方

病気になったことで
今まで気づかなかった
様々なことを教えてくれる
それに気づくとともに
これまでの過ごし方に
反省させられることも多い

入院していた時
1ヶ月過ぎた頃から
リハビリの合間の時間や
寝る前に読書ができる余裕が生まれてきました。

元々読書は好きで
毎日活字をみないと
ストレスを少し感じてしまうくらいほど
様々な本を入院中も、
今も続いてますが
入院中出会った本は
今でも僕に影響していると思えるような
記憶に残っている本です。

その中の一冊
友人の先生から貸していただいた本
内海康満著「霊止の道」

それまでの自分なら
手にしなかった本を
今読んだ方がいい本だからと
持ってきていただき
その言葉の意味が読見終わってわかりました。

その本には、次の内容のようなことが
書かれていたのです。

「自分のために生きない
と病気になると」
中真という書き方もされていましたが
自分をど真ん中にして考え生きましょうって
ことでしょうか。

人が喜ぶからでなく、
自分のために
自分が喜ぶ生き方をしてないから
生きないから病気になる。
自分を中真に持って生きることが大事なんだ。

そういえば
昔別の友人が
自分の疲れない生きをしない
といっていたし、
妻も
自分を大事にする生き方をしてね。
とよく言われてました。

自分の人生なんだから
人のために生きるのではなく
人に喜ぶ前に
まずは自分が喜ぶ生き方をしなさいと
いわれたような気がしました。

これからは自分のため
中真で生きてみようと思ったのです。

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輪廻転生を受け入れることの恩恵

最近輪廻転生があると
仰る方が増えています。
僕も、輪廻転生はあると
信じる派ですが
輪廻転生のことを
実際に証明した人もいませんし
証明することは
現代の科学の力を結集しても
難しい問題だと思います。

輪廻転生の存在を証明することが
できなくても
直感的に
存在を信じることはできます。
そして
輪廻転生を受け入れることで
生きていく上で恩恵をうけることができます。

その恩恵とは
死に対する恐怖を克服することが
可能になるのです。

僕たちは
生きている限り
死に対する不安をもって
生きることになります。

死に対して
どうして不安になるかと言えば
それは
死によって全てが終わると考えるから
死によって
生きていた人生の価値が
無意味なものになってしまうと
考えてしまうからです。

輪廻転生があると思えば
今生での死で
僕の人生が終わるわけではない。
死に対する恐怖から解放され
人生に対して
永続的な価値を見つけ出すことが
可能になるのです。
そして
人生自体にたいしても
精神的な余裕が出てきて
人生に対して焦ることなく
ゆとりを持って、一歩一歩確実に
歩めるようになるのでは
ないでしょうか?

余裕を持って生きることは
別に怠惰な人生を送ることを
意味していることではありません。
人生の意味を深く考えられるようになり
自分の人生を
目先の利益にこだわることなく
充実させて生きることに目覚め
大切にいきようとするでしょう。

人生に対して
余裕の気持ちが生まれることで
人生そのものが豊かなものになるでしょう。

恐怖でなく
死を迎えるその瞬間まで
有意義に生きることができる。
そして
死の瞬間その時には
来世に対する希望に満ちあふれた気持ちで
その瞬間を迎えられることでしょう。

まだ誰も証明できていない輪廻転生
信じて生きてみませんか?

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人生の二毛作、三毛作

人生は短いようで長い。
そう感じるのは、人生のステップには
何段階もあると思うからです。
一つのキャリアが終われば
次に向けてのステップの始まります。

つまり
今のキャリアで
その時描いていた夢や希望が打ち砕かれても
そこで人生が終わるわけではないのです。
さっさと、次のステップに進めばいいのです。

人生に夢が一度だけというのは
大きな思い込みです。
僕は人生は二毛作ぐらいは当たり前。
生きようと思えば
三毛作以上の多毛作だって可能なんです。

人生に負けなんてありません。
立ち上がる気があれば
勝つまで生き続けられるのです。

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好奇心と希望

長谷川スケールを作られ
認知症について大きな足跡を残された
長谷川先生が
ご自身も認知症となり
91歳にもなられた誕生日に
娘さんとこんな会話をされたそうです。

娘さん
「お誕生日おめでとう。どんな気分」
長谷川先生
「普通だよ
そんなにうれしいってこともないよ。
でも、僕は103歳まで生きようと思うの」
「え、そうなの?
何か理由があるの?」
「うん、100歳を越えてみたいと思って」

人間って
生きている内に
次はどうなるかなんて
全くわからない。
でも
人間って好奇心の塊でもあるので
その先になるのか知りたがる。
同じ類人猿である猿と人間の
大きなちがいは
この好奇心が強いかどうかだと思う。

世界的な発見をして
科学者も
同じ人間の中でも
特に好奇心が強く
好奇心を満たすことを仕事にしたので
重要な発見をして
名を残せているのだと思う。

この好奇心のおかげで
人は進歩、進化を繰り返し
今の生活が実現できた。

好奇心は人間だけ
神様から与えられた
プレゼントだと思う。

寿命がわからないのも
例え、寿命を決めて生まれてきていても
知らないことで
いつまで経っても
90歳を越えても、いや100歳を越えても
今生きている先の世界が
どうなっているのか知りたい
好奇心を失うことはない。

そして
好奇心があるから
人は前を向いて歩いていけるのだと思う。
その生きる好奇心を
人は希望というのかもしれない。

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過去が未来を決めるのではなく、未来が過去を決める

人生を時間軸で考えていると
過去から現在そして未来と続いている
一本道に考えてしまうけど。
本当にそうだろうか?

一本道であるなら
もう過ぎ去った過去は変えることはできない。
確かに
過去に起こった出来事
過去にやったことは事実なのは確か。
でも
過去に起こったことの感情や思いは
その時のままだろうか?

今も過去の出来事
例えば病気したことを悔いた
悲しい出来事と思っていても
その病気をきっかけに
それからの自分の生きる道が変わるかもしれない。
そして、新しい人生を歩めたきっかけだとしたなら
過去の病気は
後悔でなく、自分を新しい世界へと誘ってくれた
背中を押してくれた大切な経験に
一瞬のしてかわってしまう。

物理学者の佐治晴夫氏が
「これまでがこれからを決めるのではなく
これからがこれまでを決める」と
仰っています。

過去の生き方で人生が決まるのではなく
未来にどう生きたかで過去が変わってくることを
覚えて生きていたい。

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科学者として生きる

僕は今医師を生業として
生きて、生活しています。

医者とは
どんな職業かというと
もちろん人のからだを
病気から救うというのが使命ですが
生命と向き合い
真実の生き方を追求するのが
大きな目的であると思います。

真理を追究する立場として
医者には
科学者でもあり、
追求者としての研究者としての面を
もっていなければなりません。

厳密に言うと
科学者と研究者では
ちょっと意味合いが異なる面があります。

原爆の開発を例にとると
原発を開発したアインシュタインは
開発後に平和運動をとして
科学の枠を越えて
平和への道を唱えられました。

水爆の開発に携わり
後に、ソ連水爆の父とよばれた
サハロフ博士は
水爆を完成した後に
人権活動家として名をはせ
ペレストロイカの父とも
呼ばれています。

ここに
研究者と科学者とのちがいが
あるような気がします。
一般的に研究者は
社会の大きな望みを叶えることを
第一義に考えて
真実を発見することが益だと考えて
全身全霊を傾けます。

しかし
そこには、開発することが善かどうかは
その時にはわかりません。

それに対して、科学者は
自らの信念や考え方で
真実が正しいことなのかどうかを
考えていきます。
そこには自分の哲学、思想が
関与して暮れのです。

ですから
最初研究者であった
アインシュタイン博士も
サハロフ博士も
最後は科学者として生きられたんだと
思います。
世界の人類に貢献した人物だと
今でも尊敬されているのでしょう。

コロナパンデミックを経験し
その困難を乗り越えられたのも
多くの研究者の努力のたまものだと思います。
このこの病気に対して
賛否両論を巻きこみましたが
今こうして生きているのは
当時からの研究者のみならず
科学者といわれる方々の努力があったからと
きっと証将いわれるれることでしょう。

医者には
研究者と科学者としての両面を
もっていると
冒頭で書きましたが、
自分は
医療という研究の成果を
人々のしあわせに生きるために使える方法を
考え、伝える
科学者としての医師として
今後とも歩んでいきます。

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侍タイムスリッパー

今年の日本アカデミー作品賞をとった作品で
自主制作の作品だったと聞いて
これはみないと・・・と思って
観に行った。

時代は140年前の
明治維新直前の夜明けの時。
尊皇攘夷、開国問題で
世の中が二分されていた時代。
会津の侍と長州の侍が対決していたその瞬間
なぜか
二人が雷に打たれ
現代に来てしまった会津の侍。

現代でも
侍として生きようとして
多くの人の助けと理解のおかげで
なじんで生き始め
仕事ぶりも認められ
大きな仕事を依頼された。
その仕事の相手が
長州のあの侍だったのだ。
現代で、140年前の果たし合いを行うことに
ひょんなきっかけでなるのです。
決着は・・・是非映画を観て欲しいのですが。

あの明治維新の時代
色んな考え方があり
その時代のご先祖様がいのちを賭けて
良い国にしようと戦ってくれたことを忘れずに
生きていくことが
その時代の人々に対する供養になるのだと思うのです。

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風立ちぬ

毎朝起きて
近所の神社までウォーキングを
しています。

病気してからの習慣で
陽が昇る瞬間に
陽の光、エネルギーそして
ぬくもり、温かさをからだ一杯に浴びて
今生きる源のエネルギーを
いただいているような気がしてます。

今の散歩して感じることは
陽の光だけでなく
風を感じています。

以前は
風は、強いか弱いかぐらいにしか
感じることはなかったと思います。
しかし
今の散歩中に感じる風は
頬をなでられたような優しい風
吹く方向も
決まった方向だったり
自分は風を体感できても
木の上の方で風が吹いているのでしょう
木の葉が
ザワザワ音を立ててるんです。

なんだか
風が僕に話しかけてくれてるような
気がするんです。

そう感じるのは
僕だけじゃないことを知りました。

堀辰雄作「風立ちぬ」という小説が
ありますが
その中に、こんな一節があることを
知ったのです。

「風は吹くんじゃない。立つんだよ。
風は確かに目には見えなくて
存在がないように思われているだろうけど
風をあたかも生きているように
大切に感じられる人もいるんだなぁ。」

変わらないと思っているもののなかにも
大切なもの
ひょっとして伝えてくれる
メッセージのようなものを受けとって欲しいとき
風は吹いてるのかもしれない。

風を感じることができるのは
今生きているからできること。
風は風だけど
優しいと感じる風
風に包まれ守ってくれている風
叱咤激励するように
目の覚めるような風
風は目に見えないけど
色んな表情があることを教えてくれる。

今の時代は
”風の時代”に入ったといわれる方がいる。
今は
目に見えないけど
自然の力を通して
僕たちに色んなことを伝えてくれる
宇宙からのメッセージ。
それが風が吹いてる意味。

だから
風は吹いているのでなく
自分のちからで立っている
だから
風立ちぬという言葉
があるのだと思うのです

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ゆきてかへらぬ

中原中也と小林秀雄が
ひとりの女優長谷川康子をめぐる
恋愛模様を描いた映画。

中原中也をいえば
山口県出身の詩人としても有名で
小林秀雄といえば
文学評論家であり
かつて入試などで
現代国語の問題によく出てきた作者。
そして最近
「考えるヒント」という本を読んで
高校生の時も難解な文章だったけど
今読んでも
まだまだ難解な文章に四苦八苦した。

そんな二人が
一人の女性を巡って
三角関係?があったことは知らなかったし
自分的にとてもタイムリーに思えて
是非みないといけないと・・・・観に行った。

世の中で一番の贅沢は詩だとのべ
自分の心の襞を描いた
詩を書くことに才能を捧げた中也。
しかし、詩を書くには
繊細でないといけないから
長谷川康子との恋と別れ
愛する我が子との別れを
経験し・・・人生が不安定になりはじめ
結核も患い
若き死を迎えたことを知った。

長谷川康子も
不幸な生い立ちを抱えつつ
本当の愛を求め生き続けたひと。
様々な恋を経験し過酷な愛を生き続けた康子。
康子の劇中のセリフ
「私たち、神経と神経でつながろうとしましたの。
それが一番深い愛、深い愛だと思ったから。」
それは中也もそうだったのだろう。

桜の開花のニュースが耳に入った。
桜の花を見ながら
二人が語ったセリフ
「この花びらは、散っているのか、散らしているのか」を
思いだし、
僕は、今年桜の花を見ながら
何を感じるだろうか?

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