投稿者「santa」のアーカイブ
子煩悩の歌人山上憶良の歌
山上憶良は奈良時代の歌人で
当時の知識人の一人で
中国の最新の知識を日本に紹介した人です。
万葉集にも多くの歌が収められており
ジャンルもさまざまですが
子を思う親の心情を歌った和歌は有名です。
「瓜食めばこども思ほゆ 栗まして食めば偲ばゆ
何処より来たりしものそ
眼交(まなかひ)にもとな懸かりて
安眠(やすい)し寝(な)さぬ」
意訳
「瓜を食べると
あの子はこれを好きだったと思いだしてしまう。
栗がごちそうに出てくると
これはあの子が好きだったと思う。
こどもって一体どこから来たのだろう。
目の前にいつもちらついて
安眠することができない。」
この歌を読むと
瓜や栗は
今で言うお菓子のようなもの。
こどもたちが美味しく食べている姿を
目を細めて喜んでいる
父親・憶良の姿が浮かんできます。
そして、この歌に対して
「銀(しろかね)も金(くがね)も玉も
何せむに勝れる宝子に及(し)かめやも」
この歌から
子宝という言葉が生まれたと言われています。
子を思う親の気持ち
そして子育ての風景は
1000年以上経っても
変わっていないのですね。
神の経はいのちの親へと続く
前回のブログで
親には2つの意味
つまり
生みの親といのちの親があると
言うことを書きました。
生物学的に言うと
精子と卵子が合体し
両親の遺伝子が結合した瞬間に
いのちの躍動がはじまり
いのちが光に包まれ
いのちが動き出します。
つまり
神経の働きで
受精卵が細胞分裂を開始するのです。
神経は
神のみち(経)と書きます。
神経が
細胞分裂を支配してるわけでなく
宇宙からの大きな力を
伝えていると言うことなんです。
神経を支配しているのは
人ではなく
宇宙にあると言えるのです。
神経とは
僕たちと自然そして宇宙をつなげる道だと言うことです。
受精卵は
宇宙の力が神経を通じて
分裂をコントロールされ
60兆個もの細胞となり
この世に誕生しているのです。
僕たちのからだを構成している
細胞のひとつひとつは
神経を通して
いのちの源となる
大きな力によって生かされているのです。
僕たちには
生みの親といのちの親がいます。
どちらの親も
僕たち、こどもに
全力で愛を注ぎ、どんな時にも守ってくれています。
生んでくれたお母さんは
こどもが病気の時は
心配してずっと付き添ってくれます。
その時
いのちの源であるいのちの親も
おなじように
細胞一つ一つを温かく慈しんでくれているのです。
いのちの親も
僕たちのすべての細胞のことを
忘れることは決してありません。
いつも見守ってくれている
生みの親への感謝と同様に
いのちの親に対しての
感謝も忘れずに生きて生きましょう
生みの親といのちの親
この世に生まれてくるためには
必ず父と母が必要です。
この世に生まれてくるということは
両親との縁が最も深いと言うことになります。
この両親から引き継いでいるご縁を
「血」といいます。
血とよく似た言葉に
血液という言葉がありますが
似ている言葉ですが
全く異なる物です。
血は、誰からもらったのでしょうか?
両親やご先祖様からだけから
いただいたと思っていませんか?
確かに
両親から
血は引き継いでいるのも事実ですが。
でも
この世に誕生する前のことを
考えてみると
卵子と精子が結合し
その卵子が細胞分裂して
僕たちは生まれてきています。
受精した後生まれるまでのこと
お腹の中でのでの状態
お腹の中でなにが起こっているかは
母親自身すらわからないうちに
すすんでいます。
生みの母といえども
お腹のできごとには
全く手をかけることも、意識することも
できません。
3億ある精子の中から
たった1個の精子が選ばれ
卵子と運良く結合し
順調に細胞分裂を繰り返し
順調に育つことって
両親の力じゃないのです。
この世に生まれてくるのは
両親やご先祖様の力と言うより
もっと大きな力が働いているからなんです。
僕自身もあなたも
この世に生まれてきたのは
大きな大きな
いのちの親とも言える
自然の力のおかげなんです。
ですから
僕たちのいのちを
天命だといういい方をすることもあります。
いのちは
天命でいただきそして天命に帰るもの
ではないでしょうか。
両親や両親とつながっているご先祖様を
生みの親と考えるなら
もっと大きな育まれた愛の力で生まれ、
またその力の源に帰っていくのだと思います。
僕たちはみんな
生みの親といのちの親が
二組の親がいるのです。
科学と宗教
アメリカ大陸の先住民の
インディアンは
風貌も白人とは違って
どこかアジアン風であり
その先祖が日本と共通なのかな?
と思ったり
それだけでなく
考え方にも惹かれる面もあるので
今日はカナダの
ネイティブインディアンの宗教についてです。
カナダのネイティブインディアンの
宗教の出発点的な考え方は
第一に
「自然界をありのままに見て
しかも
これはだめ、あれはだめ」と
言わないことなのだそうだ。
ありのまま、ありのままに受け入れ
受け入れると
「なぜ、自分だけがこんなに不幸なんだ」
なんて、悲観的な考えは浮かばず
苦しくても仕方がないと
今の状況を現実のまま受け入れるのです。
受け入れるとも
現実は苦しいことは変わらない。
そんな時
第2段階として次のように考えるようになるのです。
「この苦しみは
この宇宙のからくりの中で生きている中での
起こったことは苦しみは
幻なのだ・
本当の世界に戻ったときに
この苦しみから解放され、救済されるのだ。
だからこそ
この世での悪行を止め
苦しみに耐え忍び、救済を待つ」
と救済を信じて生きているのです。
第一段階の
ありのままに受け入れるという
この姿勢が
科学発達の出発点であり
その科学という先に
宗教があるのだと言うことを
ネイティブインディアンも伝えているのです。
科学の先にあるのが
真実のこころ、魂のことが
わかるのではないでしょうか?
そこは目で見えない世界
だから科学と区別して
人は宗教とよぶようになったのだと思います。
両親からの贈り物
僕たちは
ひとりで生まれてきたわけではなく
両親から3つのものをいただいて
この世に生まれてきたんだと
思います。
一つは
この世で生きていくための
「肉体」。
そしてあと二つは
「良いこころ」と「魂」だと
思います。
肉体は
生まれたときに
両親からいただいたのは
わかるのですが
「良いこころ」はいつ?
僕は
死を迎えたとき
つまりあの世に旅立つ瞬間に
旅立つご先祖様から
生きているときに感じられた
「良いこころ」を
これから生きている人に
エネルギーとして
手渡されているのだと思います。
親しい人が亡くなると
思い出されるのは
美しい思い出ばかり。
これは
「良いこころ」を受け取った
証拠なんだと思う。
そして
生きている間
お金ではなく、
天に徳という貯金をして生きていく
ということが大事なんだと思う。
いわゆる
徳積みは自分のためでなくて
こどもだけでなく孫のためなんだ
ということもきいたことがあります。
そうなんですよね
今感じた「良いこと」
それを良いと感じることで学んだ自分の魂
そのエネルギーは
両親やご先祖さまからいただき
もっといい経験をして
もっと大きなエネルギーとして
こどもや孫そして子孫に続く
生き方をしないといけないと
いうことですね。
この世に生まれてきたわけは
魂を磨き、徳積みをして
エネルギーを高めることは
自分だけならず
代々引き継いでもらえると思うと
今真剣に大事に真の道を
歩いて行かないといけない
大きな責任があるのですね。
万葉の時代から変わらない愛のこころ
「あかねさす紫野行き標野(しめの)行き
野守(野守)は見ずや君が袖振る」額田王
これは万葉集の載っている有名な和歌。
額田は少女のころから
大海人皇子(後の天武天皇)の后で
二人の間には十市皇女が生まれ
後に額田王が中年になった頃でしょうが
天智天皇の后になったかたです。
多くの心情豊かな和歌を残しており
きっと才色兼備の美女だったのでしょう。
天智天皇が近江の地にに遷都するのですが
その時に近江で遷都を祝して
大宴会が催され
その時に額田王がかつて会いを交わした大海人皇子に
向けて歌った歌です。
意訳すると
「紫草がずっと咲いているきれいな野原。
あなたは人がみているのに
おおぴらに私に手をお振りになったりして」
これの歌に大海人皇子の返しの歌は
「紫野にほえる妹を憎くあらば
人妻ゆえに恋ひめやも」 です
意訳すると
「紫野ように美しいあなた、
あなたを今でも恋すればこそです。
あなたは人妻だけど
あなたに想いを残しています」
なんと現代でもありそうな恋愛事情が
古代にも変わらず合ったのですね。
とても艶やかな歌のやりとりです。
水は大切な栄養素
水は生きていくために、
無くてはならない、
とても大切なもの。…
体内の水の割合は
新生児 75%
乳幼児 70%
成人 60%
高齢者 55% と
僕達のからだの多くは水が占めている。
からだを大きくするためには
たんぱく質が必要だけど
健康でいるためには
水って大切
水は
糖、脂肪、たんぱく質、ミネラル、ビタミンと合わせて
6大栄養素と呼ばれるぐらい
大切な栄養素
だから
どんな水を飲むかって
とても大事なこと
蛇口をひねればすぐ
水が飲める日本だけど
殺菌するために塩素が使われていたり
水道管がさび付いていて、
有害物質、発がん物質が含まれていたり
水道水って、実は危険がいっぱい
からだにいい水って
自然の恵み豊かな水
井戸水や山からの湧水のような
生命力あふれた天然の水
天然の水には
適度にミネラルが含まれ
アルカリ性、酸性でもなく
酸素もたっぷり
そして、とっても美味しい。
飲んだら、
からだ中の60兆の細胞が喜んでるのが
わかるはず。
近くに湧水がなかったら
ミネラルウオーターでもいいけど
煮沸消毒してないか
防腐剤が使われていないか
チェックすることが大事です。
和・敬・清・寂
先日102歳でなくなられた
茶道裏千家前家元であられる
千玄室さんに教えられた言葉
この言葉は
茶道の創始者千利休の唱えた言葉で
茶道の心得として
現代まで伝えられている言葉だと。
千玄室さんが仰るには
「和」は和み合う
「敬」どんな人でも敬い、差別してはいけない
「清」足らざることを反省し、こころの汚れを取り除き
素直な気持ちを持つこと。
*「三省」朝、昼、晩に反省しなさい
「三計」朝反省したことを、昼に実行し、
夜にできたことを顧みなさい
「寂」不動の信念をもつ。つまりどのような状況でも
動じない、こころのゆとりを持つこと。
この言葉は茶事における亭主と客の心得を
表した言葉ですが
この精神は、茶道だけではなく
人生にも伝わる大事な言葉だと思うのです。
気管支喘息発作
気管支喘息は慢性の病気、
治療をしないと発作を繰り返してしまう病気。
僕が医師になりたての時は
発作の時の治療が主でした。
特に小児喘息は、大きくなれば治る病気だと
言われていました。
でも
最近は
喘息の発作が起こってしまうと
気管支の状態が悪くなり
気管支喘息が治りにくなる。
そこで
気管支喘息の発作を起こさせない
気管支喘息で起こる
気管支の炎症を抑えることが重要な
ポイントになっています。
そのために
ステロイドの吸入、アレルギーの薬を飲んで
炎症を鎮めることになります。
でも、もし発作が起こってしまったら
発作を止めなくてはいけません。
そのためには
まずは、発作の程度を知ることが大切です。
発作の状態は大きく3つに分かれます。
①小発作とよばれる
軽くヒューヒューいうけど、元気に普通に生活できる
②中発作
ヒューヒュー、ゼーゼーが強くなって
話す時、辛かったり、食欲がなくなったり
少し呼吸困難な状態があります
③一番ひどい大発作
息苦しくて、動けない、横になれない
肩や身体全体を使って息をしている。
顔色が悪い
などの状態で治療が異なってきます。
発作の時の治療は
気管支を広げて、しっかり痰を切るために
吸入、内服薬、注射をします。
気管支喘息の発作で
一番困るのは、
気管支喘息の発作が夜間から朝方に起こることが多いこと。
ですから
昼間に咳が出ている時に
発作ではないか、病院で確認して
きちんと治療を受けておくことが
まず大事です。
そして、もし、夜中発作が出てしまった時は
水分をとって、痰が粘っこくならないようにする
衣服をゆるめる
発作の時は、あおむけに寝ると息苦しいので
布団やまくらを抱えて背中を丸めて横になると
楽になることがあります。
また、ゼーゼーしてても
眠れているようであれば
そのまま様子を見ていても大丈夫です。
ただ、
ゼーゼーしていて眠れない
息が早くなり胸がペコペコしている
顔色が悪ければ
夜中でも病院を受診しましょう。
喘息発作は
何もしないと必ず発作は起こします。
発作を起こすと
呼吸困難を起こし、とってもつらい病気。
ですから
発作を起こさないように
日頃から注意しておくことが
気管支喘息の発作で
あわてないための方法です
義経伝説①しずやしず しずのおだまきを 繰り返し
この歌は源義経に愛された女性の一人として
有名な女性の一人である
静御前の読んだ和歌で
このあとに
「むかしを今に なすもよしもがな」と
続きます。
この歌が詠まれた背景は
源義経が、兄源頼朝から
討伐の対象になり京から追われた後
白拍子であった静御前が
源頼朝の前で舞を披露した時に
詠んだ歌です。
静御前はこの歌を
頼朝が敵とする義経を思う気持ちを歌い
とても美しい舞を披露したと言われています。
この歌の現代訳は
「静や静、としず布を織るおだまきのように
愛しい人が
繰り返して私を呼んだ昔が恋しい。
今があの頃であったらよかったのに」
兄といえでも敵の前で
これだけの愛の歌を歌った静御前の愛の強さ。
それほどの魅力が義経に合ったのでしょう。
男としても武将としても魅力的な男だったから
現代でも多くの人々に愛され
様々な伝説、伝承の残る人物です。
僕も
こどもの時の牛若丸の話しを
母の膝の上聞いた時
牛若丸とともに弁慶という大男をも魅了した
魅力の訳を知りたく思ったものです。
そして
その義経に魅力を探る旅は
今でも続いています
