投稿者「santa」のアーカイブ

運命の道を歩む

一年間に生まれるこどもの数は
年々減っていっています。

毎年減っていますが
多くのこどもたちが
ひとりひとりの人生という
旅をはじめたと考えると
どこか感慨深いものがあります。

旅に出ると
機関車がレールの上を走るように
ひた走ることになります。

目の前に
レールという道があっても
それがどこにむかっているのか
行く手に何があるかもわからない
どこに続くかわからない
道を走り続ける旅が始まったのです。

自分の歩いてる道を
確かな道を歩く続けたいとおもっても
その道を歩く力がなければ
ゴールには達しません。
それは、あなたの今いる環境も
大きく影響しているでしょう。
その道を進むか、やめるか
運命の分岐点も度々目の前に顕れるでしょう。
その時
自分の生きている目的がわかっていれば
迷うことなく前進できることでしょう。

自分はなぜ生まれてきたのか?
これがわかっていれば
どんなに生きやすいことでしょう。
でも、わからないから
様々なことにチャレンジする勇気ももて
思わない経験をすることもできる。
そして
その体験で新たな才能や力が
開花するかもしれません。

でも
全てのことはあなたのこころが知っている。
迷ったら
今までの人生を振り返ってみて
困ったとき
順調なとき
あなたはどんな思いを感じ
どう選択したことでしょうか?

あなたが選択した行動の中に
あなたの運命が隠れていると思うのです。
あなたの気持ちを大事にして生きていくことが
きっと
あなたが望む世界に導いてくれるのだと思うのです。

カテゴリー: 子育て | 運命の道を歩む はコメントを受け付けていません

お金の使い方

人の争いの原因は欲。
欲を満たすために人は争ってしまう。
欲には、名誉欲、所有欲などいろいろあるが
戦争が起こっているが
誰にでも争いの火種は持っている。
その火種を助長してしまう身近なものって
お金だと思う。

お金はいい面も悪い面もあり
使い方によっては災いの源にもなりうる。

でも
この世を生きていくためには
お金はなくては生きていけない。
それは
職業や身分にも関係なく
どんな聖人だって
お金なしでは生きていけない。

お金なしではいけないけど
お金がありさせすれば、しあわせ。
有り余るほどのお金をもっていれば
しあわせに過ごせて
人生の成功者といえるのか?

お金をもっていることは
決して悪いことではなく
お金自体をもつことを
畏れることもありません。
大切なのは
お金をどう使うかどうかなのです。

今もっているお金を持って
薬を買うか、毒を買うか
それはあなたの自由だし
お金自体もそのどちらを買うことが
あなたにしあわせをもたらすのかも
教えてくれません。

ただ愚かな使い方をすれば
結果はふしあわせ
正しい使い方をすれば
しあわせが舞い込んでくるはずです。

生きてために
食べ物などの対価を支払うために
お金を稼がないといけません。
それは偉いお坊さん、神主さん、神父さんでも
我々と同じ。

でも、
生きている力の全てを
お金儲けに使ってはもったいない。
実際に金儲けに
生きているエネルギーを費やしている人が
多い気がします。

お金を稼いで
成功しているように見えても
しあわせを手に入れる前に
亡くなってしまう方もいらっしゃいます。

真のしあわせが見つからなければ
人生の目的が無駄になってしまうかもしれません。

財を失っても
またやり直せるけど
からだやしあわせ、安らぎは
一度失うと、中々取り戻せません。

お金を稼ぐことは悪いことではないけど
真の目的を忘れないように
しなくてはいけません。

カテゴリー: 今日の言葉 | お金の使い方 はコメントを受け付けていません

霊性とは

WHO(世界保健機関)が提唱している健康の定義は
「健康とは、肉体的、精神的および社会的に
完全に良好な状態であり、全てが満たされた状態である」
と定義されています。
そしてこれに、霊性という言葉が追加されました。

この「霊性」の定義がはっきりしないため
現在では削除されていますが
でも、この言葉は
とても大切な意味を含んでると思います。

霊性について色々解釈がありますが
僕は
「悠久の時を超えてくり返される
大自然の営みに畏怖を覚え
樹木や動植物、さらには
山や川や風などにまで
ある種の神性を感じるような感性」と
考えられるのではと思っています。

少しわかりやすくいうと
「お天道様がみている」
「日々、生かされていることに感謝」
「年長者やご先祖様を敬う」
ということではないかと思うのです。

生かされている喜びとは
花の美しさなど
自然を観て感じたり、
そのような自然へのまなざしをそのもの
ではないでしょうか。

これは
日本人がもともと持っている
日本人のDNAにも刻まれている
言葉で説明できないような
感覚ではないでしょうか?

この感覚を
「霊性」であると
僕は理解しているのですが
西洋人にはなかなかつかめない感覚かもしれない。
いやいや
西洋人だけでなく
現代に生きる我々日本人にも
この感覚が薄れてきているのでは
ないでしょうか?

この感覚{霊性」を大事に
生きていかなければならないと思うのです。
霊性も整って我々は健康でいられると思うのです。

カテゴリー: 今日の言葉 | 霊性とは はコメントを受け付けていません

幽玄の世界の境はどこ?

この世は全て
目に見える顕在の世界と
目に見えない核得れている幽の世界がある
といわれている。

もちろん
今生きているこの世界は顕の世界。
あの世、魂の世界は
幽の世界といわれている。
赤ちゃんが母親の子宮にいて
生まれてくるまでの世界は
幽の世界と言われている。

我々は
幽の世界でこの世に生まれてくる準備をして
この世にいきられる力を蓄えて
生まれてくる。

よって
生まれた瞬間に
幽の世界から顕の世界にいきていけるように
なってるのかというと
そうではないようです。

その境は
赤ちゃんの発達を観るとわかるます。

赤ちゃんは生まれた後
3か月になると
首がすわります。
心音セラピーをされている三門大慈先生によると
寝返りが打つまでは
泣いているときに
妊娠中の心音を聞かせると
落ち着き発育もいいようです。
しかし
8か月いこう寝返りができる頃になる頃
妊娠中の心音を聞かせても
落ち着かず、かえっておかしくなる。
しかし母親の心音を聞かせると
落ち着くというのです。

ここに幽玄の世界の境のヒントがあると
思うのです。
寝返りを打つまでは
お腹の中にいるときの気が優位
つまり食べるものも母乳のみで
東洋医学的にいう
先天の気で生きている。
だから、妊娠中の面影つまり
魂のまま生きてきた状態。
それが
寝返りする頃になると
先天の気のエネルギーから
この世に生きていくため
食事を自分でとるようになり
外界の刺激を感じるようになり
後天の気が優位になるのだと思う。

そこまでは
誰もが魂の世界のことを覚えているのかもしれない。
この世に生まれてきた目的も、意図も
だんだん記憶からなくなってしまい
その思いは潜在意識の中に
閉じ込めて生きていくようになるのだろう。

寝返りする
8か月が幽玄の世界の境なのです。

カテゴリー: 子育て | 幽玄の世界の境はどこ? はコメントを受け付けていません

自分の信じる道を貫け?

世間や教育現場では
「自分を信じていけ」という言葉を
よく聞かれる。
でも、自分を信じて失敗することは以外に多い。
その時に「過信」という言葉で戒められる。

自分を信じることは大事だけど
自分は絶対にミスをするという意識をもつこと。
自分がよいと思うことを貫けという教えは
趣味の世界や芸術家として生きているのなら
それでいいのかもしれない。

でも相手がいる時、例えばビジネスの場合には
自分が正しいかどうかだけでなく
相手が何を求めているのかを知る必要が出てくる。

ビジネスの世界では
自分が信じるものに価値があるのではなく
他者が求めるものに価値があっります。

スポーツだって、相手との勝負がある
ものを売る時も相手が求めるものを
売らないといけない。

でも
こどもたちには
「自分のやりたいことをしなさい」
「信じる道をすすみなさい」という。
これだけでは、ビジネスは成り立たないかもしれない。
でも、これで生きていける
ゆとりある社会を作っていく
ことが今を生きる僕たちおとなに課された
課題なのかもしれない。

カテゴリー: 子育て | 自分の信じる道を貫け? はコメントを受け付けていません

人間だけが持つ創造力の使い方

人間には他の動物にない
能力がある。
それは創造力。
人類は、脳を発達させながら
先のことを予想する能力を
発達させて
未知の将来を想像し、それに向かって
行動することで
人類は発展してきた。

他の動物は
過去のこと、経験したことを覚えていて
その体験を今を生きるために
役立たせている。

しかし人間は
過去よりも未来にこだわり
未来にこだわり
未来のことを求めて
今を大事に生きることを
忘れてしまっている気がする。

未来のために
頑張っている人も多いだろう。
でも
僕たちが生きているのは
未来ではなくて
今という時間にしか存在しない。

我々は
どんなに死にたいと思っても
心臓は動いている。
胃腸は働き、お腹もすく。
どんなにつらくて苦しいときでも
眠たくなるし
朝には目が覚める。

どんな未来を予想しても
今を生きるようになっているのが
僕たちの運命。

僕たちのからだは
今をしっかり生きるようにできている。
どんな時であっても
みんな頑張って生きている。

そんな今の自分を
どんな状況であっても
頑張って
支えてくれている
からだの感謝していることを
忘れてはいけない。

その頑張りは目に見えないけど
人間の持つ創造力を働かせて
感じることが大事なんだと思うのです。

カテゴリー: 今日の言葉 | 人間だけが持つ創造力の使い方 はコメントを受け付けていません

道草をしてもいい時

目標が、目的が決まったら
一直線に目標に向かって突っ走れ
とよく言われた。

つまり道草をするなと言うこと。
イソップのウサギとカメの寓話も
この手の戒めとしてよく話しになる。

でも、わかっていても
道草をしたくなる時もある。
それは全て逃げではない気がする。
大事なことは
「今自分は道草をしているという」
自覚があること。
そして後ろめたさがあれば
道草は大きな無駄にはならない。

後ろめたさがあっても
道草をするのは
その道草に何らかの意義があると
自分自身に予感があるからでは
ないでしょうか。

予感とは
新しいことを始める時に
感じることが多い気がする。
その予感を推し進めると
案外、その予感通りになるから
人生っておもしろいと思う。

その予感は
自分自身の心から
自然とこみ上げてくるはずものですが
最近は自分自身のこの感覚が
乏しくなっている気がするのです。

それは
周りの状況の慌ただしさ
特にスマホで他人の情報を
簡単に得られるので
その情報に左右されることが
多いからのような気がします。

心から
必要と思われる道草は
どんどんするべきなのでしょう。

カテゴリー: 今日の言葉 | 道草をしてもいい時 はコメントを受け付けていません

“はい”と言う返事

人から呼ばれたら
”はい”と声に出して
返事をしていますか?
それも
間髪を入れないで返事を
していますか?

何か頼まれたとき
声に出さないで
無言で、目だけ向けたり
面倒くさそうに
口だけモゴモゴさせていないですか?

小さいころから
きっと返事はちゃんとしなさいと
言われていたと思います。

どうして、すぐ返事を
することが大事なのでしょう?

返事やあいさつて
人と接し、ふれあうとき
心の扉をノックするようなもの。
それをおろそかにしては
相手は決して心の扉を開いてくれない。
そして
最初の返事が心に響かなければ
その後
その人と
人間関係を結ぶことは難しくなります。

だから
返事をする
間髪入れずに返事をする
ってことはとても大事。

そして
何気なくいつも呼ばれてるかもしれないけど

実は
名前を呼んだその声は
あなたを呼ぶ最後の声かもしれないって
ことがあるかもしれません。

その後
名前を呼んでもらえることが
無くなるかもしれない。
だから
いつでも、どこでも
誠心誠意呼ばれたら
返事で応えないといけないと思います。

何事にも
”はい”と返事をすることは
その瞬間瞬間に心を尽くすこと
今この瞬間にに集中することに
なります。

”はい”と答えた瞬間
その気持ちを後に残さず
次へ次へと進めるきっかけになってくれるはずです。

呼ばれたら
間髪入れず”はい”と返事をしましょう
返事は
相手との関係を
滑らかにしてくれる
きっと潤滑油のような存在に
なってくれるはずです

 

カテゴリー: 子育て | “はい”と言う返事 はコメントを受け付けていません

健康のために生きているのか?

最近ぱっと見元気なお年寄りが増え
昔では考えられないような
長生きをする方が確実に増えてきている。

これまでになく長寿社会を迎えたのは
医学の進歩もあるのだが
人々の健康に対する意識が高くなり
まるで健康が趣味のように生きている人も
目立ってきた。

この食べ物がからだにいいから食べる
ヨガ、ストレッチをするのが大事
早起きがいい・・・など
日常は自分の欲を抑え
健康第一で生きている人が増えてきている。

確かに健康であることは
大事なことはかわらないけれども
それが逝きすぎて生きる目的になってしまって
いないだろうか。

つまり
生きる目的が生きる目的になっていないだろうか?
言うなれば
超クラシックカーを大事に
ピカピカに整備し
乗ることもなく部品を替え整備しているような
ものではないだろうか?

車の目的は
走ることで、飾っておくことではないはず。
本来の目的が歪められている気もする。

考えてみれば
人間の身体も
整備するのは、自由に楽しく生きていくため。
その目的を忘れずに
日々健康に生きていきたいものです。

カテゴリー: 真実の医療 | 健康のために生きているのか? はコメントを受け付けていません

命に感謝

マラリアの研究で著名な寄生虫学者の
堤可厚先生がケニアのマサイ族と暮らした時に
酋長と交わした話。

酋長 「人間にとって一番大切なものは何だと思うか?」
酋長 「それは胃袋だ。
胃袋がダメになれば人間は死ぬ。
人間が死ぬ時には、食べ物が入らなくなる
だろう。
また、森で死んだ動物の腹を切り開いてみると
胃袋に必ず血が入っている。
だから、胃袋が一番大事なんだと」
このように答えたそうです。

また、こんな質問もされました。
酋長 「お前はどうして
眼がこの高さについているか知ってるか?」
酋長 「そんなこともわからないのか。
眼がここにあるのは、立って遠くを眺めた時
1日で歩いてたどり着く地点を見るためなのだ。
だから、誰でも、立って自分の眼の届く
ところまでは歩いていくことができるのだ。」

先生 「でも、身長が高い人もいるし、
低い人もいるでしょ?」
酋長 「背の高い人は、足が長いから
見える所も遠いけど、歩ける距離も
長くなるだろう?
そんなこともわからないのか(笑)」

この話を聞いて、ハッとしました。

胃袋がどうしてあるのか?
眼がどうしてここにあるのか?
考えたことも、実感したことも
元気なら考えないかもしれない。

過酷な大自然の中で生きている人は
目には目の働きが
耳には耳の働きが
胃には胃の大切さを感じながら
からだの一部分が
大切な役割をしていることを実感しながら
生きている。

その大事さを
我々は感じているだろうか?

現代人は
からだの臓器を部分を
部品と考えていないだろうか?
目には目、胃には胃の役割があるけど
ひとつひとつが
生命という全体を支えていることを
感じながら生きていくことができれば
もっと自分のからだを大事にすることが
できるのかもしれない。

からだ全体に支えられて
僕たちは生きることができている。
だから
からだひとつひとつの部分に
命に
生きていることに
感謝しなければならないのだと思う。

カテゴリー: 真実の医療 | 命に感謝 はコメントを受け付けていません