投稿者「santa」のアーカイブ
なぜ、神は悪人を作ったのか?
神は何も「悪いこと」「悪いもの」を作ったわけではない
神の目から見ると悪はないのです。なぜなら、例えば光があれば
必ず影ができるように、男がいれば女がいるように、この世は②言論、 すなわち2つの相反するものによってできているから。
体があるということは、当然おいしいものも食べたいし
美しくなりたい、もっと生きたいなどの欲望が生まれるのです。
体をもつということは、自ずと不浄のものも生まれてしまうのです 神は体を持つということで起こることも。善も悪も容認した上で
人間を作ったと思うのです。
エネルギーの方向
メタトロンを行うことで
その人の持っている
現在のエネルギーの使い方
エネルギーの状態を
知ることができます。
現在の自分自身のエネルギーの状態を
知ることで
体の使い方、生活そして究極的には
生き方さえも見直すことで
真の健康状態を得るものです。
メタトロンはエネルギー状態を
診ているのですが
様々な型のエネルギー状態を診ていると
エネルギーの方向には
2種類あることがわかってきました。
ひとつは
天、宇宙からのエネルギー。
このエネルギーは松果体で受け取り
背骨を通してからだ全体にくまなく
供給しているエネルギー。
ひと言で言うならば垂直のエネルギーです。
このエネルギーを受け取ることで
人間は生命力となり
生きていく根源力となっているのです。
このエネルギーを
受け取り、自分の中で熟成させて
生きているのです。
このエネルギーを感じるのは
祈りまたは願いとして
我々は感じているのです。
もうひとつのエネルギーは
横に広がっていくエネルギー。
つまり水平のエネルギーです。
このエネルギーがあると
しあわせだと感じる。
そしてこのエネルギーは
人から人に移っていくのが特徴です。
だから
しあわせはどんどん広がっていくのです。
でも、
しあわせのエネルギーだけでなく
逆の負のエネルギーがあります。
このエネルギーは広がると
戦争や誹謗中傷など乱れた世の中になってしまいます。
まずは
自分の垂直のエネルギーを整えることが大事
そのエネルギーを整えるのが
メタトロンの役割です。
自分の垂直エネルギーを整えた時
あなたらしく生きていけるようになります。
そのエネルギーを水平エネルギーとして
伝えることができれば
世の中も良くなるのです。
それがメタトロンの究極の目的だと
最近思うのです。
人間は天地経綸の主体である
①神は霊で有り、霊はエネルギー体なので形をもっていない
②形は持っていないから、この現実世界では何一つできない。
神は無力である
③無力だから、今僕の目の前にあるペン1本も動かすことが
できない。動かせるのは、形(肉体)をもっている者(人間)
である。
だから、神はこの世をよくするために、自分と同じ容姿をもった
人間を作った。
矍鑠(かくしゃく)として生きる
これから年を重ねて生きていく
どう生きていこうかと思った時に
頭に浮かんできた言葉は
「矍鑠(かくしゃく)という言葉です。
矍鑠と言う意味は
いつまでも若いままでいると
いうことではなく
その人が年令相応の
からだと精神と魂とバランスがとれた状態で
生きていくことだと思うのです。
だから60代の生き方
70代の生き方
80代、90代としての生き方をいうのだと思うのです。
決して60代が40代の時のように
生きていくことが60代のかっこいい生き方では
ないということです。
年を重ね、矍鑠と生きていくうちに
その人がなぜ年を重ねているのか
生きる目的が明確になってくるのかもしれません。
愛づる
この言葉は
平安時代の短編集「堤中納言物語」に収められている
「蟲愛づる姫君」に登場でてきます。
このお姫様は、虫が大好き。
毛虫を手のひらにのせて
「かわいい、かわいい」といってるので
まわりの人は蝶は美しいけど
それに比べて毛虫の姿は
「気味が悪い」などというのです。
お姫様は
「この毛虫も蝶になれば
みんな美しいと喜ぶけれど
蝶になった後ははかないいのち。
毛がもじゃもじゃの今の毛虫の時の方が
本当に見事に生きているのです。
だから、この毛虫が愛おしいのです」と
語るのです。
つまりこのお姫様は
生きている見た目の姿ではなく
まさに生きている姿を
見抜き
外見ではなく、生きていく姿を
かわいい、つまり愛したのでしょう。
この話しのように
生きていることを
めづるこころ出向き合うことで
色々な本質が見えてくるような気がします。
年をとること
老いることを愛でだいと思います。
“はい”と言う返事
人から呼ばれたら
”はい”と声に出して
返事をしていますか?
それも
間髪を入れないで返事をしていますか?
何か頼まれたとき
声に出さないで
無言で、目だけ向けたり
面倒くさそうに
口だけモゴモゴさせていないですか?
小さいころから
きっと返事はちゃんとしなさいと
言われていたと思います。
どうして、すぐ返事を
することが大事なのでしょう?
返事やあいさつて
人と接し、ふれあうとき
心の扉をノックするようなもの。
それをおろそかにしては
相手は決して心の扉を開いてくれない。
そして
最初の返事が心に響かなければ
その後
その人と人間関係を結ぶことは難しくなります。
だから返事をする
間髪入れずに返事をする
ってことはとても大事。
そして
何気なくいつも呼ばれてるかもしれないけど
実は
名前を呼んだその声は
あなたを呼ぶ最後の声かもしれないって
ことがあるかもしれません。
その後
名前を呼んでもらえることが
無くなるかもしれない。
だから
いつでも、どこでも
誠心誠意呼ばれたら
返事で応えないといけないと思います。
何事にも
”はい”と返事をすることは
その瞬間瞬間に心を尽くすこと
今この瞬間にに集中することになります。
”はい”と答えた瞬間
その気持ちを後に残さず
次へ次へと進めるきっかけになってくれるはずです。
呼ばれたら
間髪入れず”はい”と返事をしましょう
返事は
相手との関係を
滑らかにしてくれる
きっと潤滑油のような存在に
なってくれるはずです
忘れられない日
今日のブログは
5年前の今日書いたブログ
当時はコロナ感染症中であり
自分も闘病中の時期。
忘れてはいけないことなので
今日再び、そのまま掲載させていただきます
今日は3.11
日本人にとって忘れられない日
東日本大震災から
丸9年経ち、10年目を迎える。
震災当日のことは
震災に直接あったわけではないけど
サンタキッズ&ファミリークリニックを開院して
1ヵ月した時
日々四苦八苦しながら過ごしていた時期の出来事であり
当日のことだけは今でも鮮明に記憶に残っている。
そしてあれから
今日でちょうど9年。
9年経った現在の日本、そして世界を
見渡してみると
東日本大震災当時のことが蘇ってくる。
今まさに日本が世界が新型コロナウイルスの災禍に
襲われている。
震災が起きた時のように
テレビは新型コロナウイルスの報道ばかり
プロ野球も相撲などのイベントも自粛、中止。
ディズニーランドなどの施設も休園。
学校も休校となり
経済活動は麻痺し
街からは、人々の笑い声が消えた。
現在の状況は
9年前の震災当日の状況と
全く変わっていない。
人々がこれまで当たり前に行って来た
経済も政治も文化も教育も
ストップされた状態。
それも今回は日本だけでなく
もっと広く全世界に広がっている。
あれから9年経った今
国は「復興創生期間」最後の1年として活動し
一区切りつけようとしている
しかし被災された方々は
被災された方は復興への道はまだ遠いと感じ
風化していくのを恐れている。
東日本大震災に
一区切りしようとしていた時におこった。
新型コロナウイルスの災禍。
現在の
新型コロナウイルスによって惹き起こされた状況は
直接震災にあった、合わないにかかわらず
決して偶然に起こったことではない
気がするのです。
新型コロナウイルスは
東日本大震災の学びが
まだ終わってないことを
伝えようとしている気がするのです。
東日本大震災によって
すべのことがリセットされた。
そこからで学ぶべきことは
元に戻す復興ではなく
全く新しいものを
新しい価値観で一から作り直す
ことだったのかもしれません。
私たちは
また同じことを繰り返そうと
してないだろうか?
今までの価値観に縛られないものに
気づき、変わらなければならない
時に来てるのかもしれません。
コロナウイルスは
東日本大震災の時のように
全てのものをリセットし
そして
我々に“目覚めよ”と言ってる気がする。
これからひとりひとりが今日はこの9年を振り返り
これからの10年後のあるべき世界を地球を
考えて動かないといけない。
政治も
経済も
文化も
教育も
環境も
そして
医療も
問題をそのままにしてしまったら
10年後に
もっと大きな災いが来るような気がするのです。
我々が新型コロナウイルスの真のメッセージに
気づき、行動し始めた時に
きっと
新型コロナウイルスは
普通の風邪のウイルスにまた戻っていく
そんな気がするのです。
敵
筒井康隆の原作の映画をみた。
この映画は
10年前に妻を亡くし、
ひとりで暮らす元フランス教授が主人公。
さすが教授として
まじめに、学問を究め生きてきたのだろう。
退職後の生活は
ちゃんと自分で食事をし、洗濯、掃除と
家事をこなす。
その几帳面な生活を乱す敵が
遠くから来ている。
最初はそれは
いたずらか、紛れ込みかと
思っていたが
次第に頭の中に入り込んできて
教授の
これまでの過去を蘇らせ
過去と現在が交差するようになり
現在をも過去の時間の流れに
飲み込まれ、支配されてしまった教授。
敵に支配されたまま
この世を去る教授。
教授は支配されたまま、今もそれまでの
生活続けるのです。
これは老いの生活を
ファンタジー仕掛けで訴えてくる映画だった。
ルール
世の中にはルールや規則ってたくさんある。
おとなにはおとなのルール
そしてこどもにもこどものルール
誰もが守らないといけないルール
がある。
ルールは守るためにある。
でも
ルールを守りましょうと言わても
与えられ、守らされてるルールって
どこか窮屈で
ちょっと反発したくなるかも。
ルールや規則って
嫌なものって思ってるかも
必ず守れるルールがある
それは
自分で決めたルール
自分で守ろうと決めたルール。
自分で決めたんだから
きっと守れると思う。
ルールは
自分を律するための自分のための決まり。
そして
自分自身との約束事。
自分自身との約束事って
何のためにするの?
自分自身の約束は
なりたい自分になるため。
夢を実現するために
するもの。
夢を口にすることは
誰にも言うことはできる。
でも
夢を実現するためには
毎日毎日
夢に向かった階段を
一段ずつ一段ずつ登っていかないといけない。
毎日毎日
とだえることのない営みを続けないと
目指すゴールには到達しない。
そのために
毎日毎日階段を上るように
自分自身でルールを決めて
それを上っていく。
成長するために
自分自身が決めたルールなら
きっと守れる。
そして
自分自身との約束を守れば
必ずや結果はでる。
自分自身を信じて
日々歩んで欲しい
居るだけでいい
世界には多くの生物がいます。
人は環境破壊して発展してきたので
様々な問題が起こしてしまいきたことを
悔い改めようと
「地球にやさしく」という言葉を耳にします。
この言葉
耳障りのいい言葉で
そうだと納得しやすい言葉ですが
でも、どこか上から目線からの言葉
のような気がするのです。
我々人間は
地球にやさしくしてもらっているから
今、こうして生きていられるのではないでしょうか?
そう
人間がこの世を支配しているわけでなく
地球に生かさせてもらっているのだと思うのです。
そして
そのことは、人間だけでなくて
どの動物も植物も同じなのです。
草があるから
草を食べていのちを繋ぐ動物がいる。
花の蜜をもらい生きている虫は
花の受粉を運ぶことで
植物も繁栄してきた。
だから
その植物がいるから
生きていることができる。
その動物が植物を食べてくれるから
植物も次の生きる場所を見つけることができる。
地球上には多くの種類の動植物が存在するけど
どの生物も実は
地球全体の生態系を維持するために必要な
存在なんです。
人間も含めて
いきものは「いる」ということが重要なんです。
「何ができる」よりも
「いまここにいる、生きている」ことが
大事なんです。
これは老いても一緒なのだと思います。
人間も含めて
全ての生物は老いていく。
きっと、その老いていくことにも
意味があるはずだと思うのです。