投稿者「santa」のアーカイブ

お見舞いについて

入院している方の
お見舞いにいく時
悩まれるのがお土産ではないでしょうか?

美味しいお菓子をもっていっても
食べられるかどうかわからないし
お花は
いっぱいあったら返って迷惑になるだろうし。
お金も、何だか打算的だし。
色々考えてしまい悩まれる方も多いでしょう。

僕は入院中
そんな気を使ってもらいたくなかったので
表向きは面会謝絶にしていました。

面会謝絶にしていても
面会に来てくれた方がいます。
恩師、友人がいました。
会いに来てくれただけで
本当にうれしいですし
心配してくれたきもちだけで
来てくれたとと
その時のうれしさは今でも
薄れずにこころに残っています。

入院中
面会に来れなくても
どこどこのお守りを持ってきましたと
お守りを届けてくれた方がいました。

それは、本当にうれしかった。
お守りが有り難いところは
贈って下さった方の
打算のない気持ちが伝わってくる。

もちろん
そのお守りがあったら病気が治るわけではないけど
そのお守りに込められている
「治ってほしい」という純粋な気持ちが
病気の時の弱った気持ちに
力を与えてくれたのです。

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自分の得意を磨く

さて、今日は自分の人に対してできる
得意な事ってなんだろうか?と
考える機会をいただきました。

自分の得意なとこって
点数がつくものでもないし
人と比較するものでもないから
なんだろう???

自分の得意なところって
自分がもっと磨きたい長所
自分がもっと自分らしくなれるところかな?
って考えると
自分らしく磨いていきたいところは
”初めてお会いした方にでも
自分の良さを感じ、伝えること”じゃないかな?
と思いました

毎日診療していると
色々な方にお会いします。
診療が終わった後、うれしいことに
”元気がでました””パワーをもらいました”など
POSITIVEな言葉をいただくことが度々あります。

ただ必要なことをお話しただけなのに
どうして?と思っていたら
患者さんのお母さんが、こんな話をしてくれました。

その方が言うには
「先生はいつもいつもやさしい言葉で話してくれるから
こどももどんどんうれしそうな顔になって
先生もニコニコしているので
二人ともとっても楽しそうになっているのを見て
こちらもうれしくなります」と。

ただただ笑顔で話をしているだけ。
患者さんのことをもっと知ろうと、
目の前のあなたに何かできることないかって
一生懸命に話を聞いていただけ。

そう考えた時、ふと思ったんです。
初めて会った人にでも
自分のことをつたえられるのかな?
それが実は自分の良さ、得意なこと
かもしれないと思いました。

日頃の診療においても
まずは患者さんの訴え、話を
しっかり聞かないといけない。
日頃から少しずつ訓練されてたのかもしれません
それは、僕の目の前の患者さんに対して
もっと知りたい、悩んでること全部話してほしい

そして
僕を通して元気になってという
日頃の診療で培われた行動。
それがいつの日か
自分の得意なところとなった
僕流のサイン、行動。
この仕事で
身につけたことを
もっと、
僕の周りの人にも伝えていきたい。

そして、
今、もっといろんな人と会って
元気にしあわせになってもらいたい。
そして
お互いのことを理解し合えれば
人と人の間にある壁を取り除くことができれば、
思いやりの心が生まれ、
どんどんしあわせのの輪が広がる。
そうすれば、
いつか必ず僕の周りにの人に平和が訪れる。

そしてその平和な世界が
僕の知らない世界にまで広がる
そんな世の中になるきっかけになることが、
ひょっとしたら
僕の小さな思いからでも
始められるかもしれない。
そんな夢を描きながら、
自分磨きをして、自分の得意をのばしていきたいです。
あなたはの得意なことってなんですか?

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「寄り添う」医療とは

医療や介護の現場では
患者さんに「寄り添う」という言葉を
よく聞きます。

寄り添うとは
癒やされる人と癒やす人が
face to faceで見つめ合うばかりでなく
二人で同じ風景を見ることだと思います。

かつて「うまい香具師」は
客と目を合わせないそうです。
客を見ずに「客がみているもの」を見ている
というのです。
一緒に茶碗を見る時に
その茶碗の作者や良さを話しているうちに
その真贋かどうか
ともにこの茶碗を二人で鑑定する関係になるというのです。
その瞬間二人は売り手と買い手という
関係でなく寄り添った関係になっているのです。

このことは
医者と患者さんの関係でも言えることだと思います。
患者さんを診るのでなく
患者さんと一緒に病気を診るのです。

「この病気を治すには
しっかり治療が必要です。
根気と頑張りも必要ですから
ともに手を取り合って頑張って治しましょう」
という言葉が自然に口にでることがあります。
この瞬間
患者さんと僕との間に
温かい空気を感じることがあります。

その後、患者さんもつらい時期を乗り越えて
くれるので
ともに喜びの時間を共有することになります。

僕が医者をして
患者さんに寄り添えたということを
かみしめることができたしあわせな時間です。

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ささやかなしあわせが健康の源

どんな時に健康だと感じますか?
頭痛、腹痛などの痛みがない時
熱、咳、下痢などの症状がない時
何も苦痛に感じない時ですか?
症状がなければ
健康だと思うかもしれません。
でも
症状がないからといって
健康だとは決していえません
ひょっとしたら
その時、からだは
あなたに苦痛を感じさせないよう
病気に向かわないように
がんばっているのです。
病気に向かっているかどうかなんて
中々気づけないもの
今、健康かどうかって判断するのは
実はとても難しいのです
からだに問いかければ
健康かどうかチェックする
簡単な方法があります。
今日目が覚めたとき
「ああ、よく寝た」とすっきり目覚めましたか?
お腹が空きましたか?
そして
ごはんを食べておいしいと思えましたか?
よく寝て、よく食べて
一日を過ごせましたか?
そう感じれていれば
たとえ病気があったとしても
からだは健康に向かっているのです。
逆に
病気がなくても
眠れない、食事がおいしくない・・・・
と思えるときは
病気に向かっているので要注意です。
朝すっきり目覚めて
おいしいものを食べて過ごすって
とてもささやかだけど
しあわせな時間を過ごしていると
感じませんか?
ささやかなしあわせを
感じて生きること。
ささやかなしあわせを積み上げていけば
こころから健康だと思える
日々が過ごせます

☆吉沢亮氏の運命は

この週末吉沢亮主演の映画「僕が生きている二つの世界」を観ました。
吉沢亮と言えば昨年「国宝」で大注目された俳優さんです。
そこで、今回は吉沢亮氏の運勢について。

彼は1994年2月1日生まれの六白金星生まれです。
もともと出世する星に生まれています。
昨年は隠れ持っていた才能が開花するとしでもあり
映画「国宝」での成功をおさめたのでしょう。
今後も俳優としての地位も高まっていくことでしょう。

今年は昨年と同様
新しい仕事も順調に増えてくるでしょう。
ただ人との交流、交際も増えるため、悩みが増え
特に異性問題が表面に出やすいので注意が必要でしょう。

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ナンバーワンになる確率は?

冬季オリンピックが終わり
連日の熱戦に釘付けの方も多く
まだその興奮冷めやらない方も多かったことでしょう。

オリンピックといえば
誰が金メダルをとるかが
皆の最大関心事項になります。
関心なのは
オリンピックにでるのも大変なのに
ただひとりだけが
その頂点に手にできる金メダルを取るか。

金メダルを採れるのは
実力はもちろんだけど
運の力も大きく働く。

金メダルをとる確率って
どのくらいだろう。
オリンピックの金メダルの数は
およそ300といわれている。
団体競技だったり、
ひとりで複数手にする猛者もいるけど
金メダリストと金メダルの数を同じと考え
世界人口80億人だと考えると
金メダルを手にする確率は
およそ3,5億分の1という
すごい確率。
夢の夢だな・・・と思ってしまう
やっぱり金メダリストは
強運の持ち主だと言える。

金メダリストもすごいけど
実は僕も強運の持ち主なのだ。
僕だけでなく、あなたもみんな強運の持ち主。

僕たちが
この世に生まれるためには
精子と卵子の過酷な生存競争に打ち勝ったきた
結果なのです。

1回の射精で放出される精子は
2~3億個ともいわれ
卵子に最初にたどり着けるのは
1回のチャンスしかなく
卵子に無事たどり着けても
受精までいくのはまた確率が下がる、
ですから
受精にまで至るには
3億分の1よりも低い確率になります。

また卵子は180万個あるけど
女性が生涯排卵する卵子は500個
ともいわれ
卵子が異なれば
今のあなたと別人格になってしまう。

あなたの今を形作った精子と卵子が出会い
今の僕やあなたが誕生した確率は
文字通り気の遠くなる
天文学的な確率で
勝ち抜いて存在するのです。

そう考えると
この世に生まれていることが
強運なのだ。
こんな僕でも
神様の祝福があって生まれてきたのだから
このいのちを大事に
そしていのち輝かせて生きていける
はずなんだと思うのです

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薬指に助けられて

以前入院していた時は
手のリハビリもしていました。
手の動きはとっても複雑。
だから
手を以前のように動かそうと思うと
かなりリハビリを
頑張らなくてはならなかった。

特に
リハビリに難渋した指は
薬指。
動きずらそうにしている
薬指をみていると
弱い指だし
この指だけが
思い通りに動かないことも不思議
動くときは
小指と一緒だし
その弱い指に
どこか愛おしさも感じてしまう。

この弱い薬指の役割もあるはず。
文字通り薬を塗るときには
重宝する指。

薬指に薬がついていても
親指と人差し指と中指の3本が
自由に動かせるので
ものもつかめるし
この3本で作業することができる。

歴史的にみても
古人は不器用なこの指にも
愛情をもって接してきた。

西洋では
この控えめな指が
愛情に通じていると考え
この指に結婚指輪をつけるようになった。

薬師如来では
左手に薬の壺をもち
右手の薬指を少し前に出し
傷ついた私たちに
薬を塗ろうとしてくれているように
この指は病気を治す力をもった
神聖な指と考えてました。

僕自身にとっても
薬指は
リハビリ中に
大きな勇気と治る力をもらった
指であることを実感しました。

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脳細胞が入れ替わっても存在しているのは

自分のからだを構成している細胞は
数ヶ月経てば
全く異なる新しい細胞になっている
細胞分裂をくり返すことで
死を迎えるように進化しているのでは?
という話を書きました。

それが事実なら
脳の細胞も入れ替わっている
つまり
「去年の脳」と「今年の脳」は
完全に入れ替わっている。

ここで
脳が入れ替わっていて
こどもの時とは
全く異なる細胞で脳はできているのに
こどもの時の脳とは
影も形も残っていないのに
こどもの時の記憶は
残っている。
これまで学んだこと、経験も
そのままの状態で、今を生きている。

これまで生きてきた
体験、学び、記憶が保たれる限り
肉体は変わっても
自分は自分として存在できている。

そう考えると
僕という存在は
いったい何だろうか?
脳さえも入れ替わっているとしたら
こころってどこにあるのだろうと
自分っていったい誰?
哲学的な問題にぶつかってしまう。

僕が僕であるためには
パソコンように
記憶装置を別の肉体に挿入すれば
また僕として生きていけるのか?
今生きていることは
単純な電気信号なのか?
脳の記憶装置を見つけ
その記憶装置を移植続ければ
人間は不老不死として生きていくのも可能では?
なんて
そんなSFチックなことを
考えてしまった。

でも
記憶自体は曖昧だし
間違って勝手に判断することもあり
決して機械的ではない気がする。
そこに何かが存在しているから
人はロボットではないのだ。
そこに、ひとが生きていく意味があるはず。

その意味を見つける旅は
これからもずっと続くのだ

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朝のセレモニー

7年前病気をしてから
生活のリズムは明らかにかわった。
それまでは
睡眠時間を減らしても
働いたり、勉強したりしていた。
睡眠は、休憩の延長戦でしかなかった。

しかし
病気をしてからは
朝起きると
「ああ、生きている」と思うことが
あったのを思い出します。

そして
目覚めたと同時に
今日も大事に生きていこうという気持ちが
あふれてくるのです。

それは今でも続いていて
朝起きてから
朝食をとるまでの時間は
自分だけの黄金時間とも言えます。
だから、無駄にはしたくない
朝4時には起きて
散歩を兼ねて、近所の氏神様にご挨拶。
そして
その後はブログを書いたり
その時感じた気持ち、考えをアウトプットの時間。
これが僕の朝のセレモニー。

仕事が終わった夜は
リラックスしながらインプットをする時間。
そして今日一日が無事終わったことに
感謝の気持ちがあふれてくると
なぜか8時を過ぎると
自然に眠くなり
9時には寝る毎日。

早起きしても
7時間は寝てるので
朝起きる時には
心身とも生まれ変わったような気分で目覚め
また朝のセレモニーを始めるのです。

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生が先か死が先か

人のからだを構成している
細胞は
死の時を迎えるまでは
生き続けてるわけではなく
血液の細胞も、皮膚の細胞も
脳の細胞も
からだ全ての細胞は
ある期間で死に
新しい細胞に生まれ変わっていることが
わかっている。

僕たちは
老いて死ぬのが当たり前だと思っている
この仕組みが少しずつわかってきた、
実は
細胞の核にある染色体の中に
テロメアという部分が細胞の寿命
に関与していることが
明らかになったのです。

テロメアは
細胞分裂をくり返す度に
短くなっていくのです
いわば細胞分裂の残り回数を数える
タイマーのような働きをしている
と考えられ
テロメアがある短さになると
増殖することを止め
細胞の死を迎えることになるのです。

これまで
地球上の生物の世界は
敵地適所で生存できるように
進化を繰り返し
その進化の恩恵にあずかり
人間も新家氏他の生物にはない
高度の文明を手にすることができた。

でも
いま老化も死も克服できないでいる。
それどころか
僕たちのからだの中の細胞には
残りの寿命をカウントダウンする
染色体とともに生きている。
まるで死を迎えるために
我々は生きているのか?

進化を続けるなら
テロメアの内容に
突然変異や、老いることのないように
進化すればいいものを・・・と
考えるのだが
神やサムシンググレイトや偉大なる宇宙の力は
死を迎えることに意味がある。
そのために生きることが重要だと
いうことではないだろうか。

死があるから
僕たちは生きているのかもしれない。
だとすれば
生きる意味も、死ぬ意味も変わってくるのでは?
そう思うのです。

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こどもが楽しそうなのは?

こどもが遊んでる姿を見ていると
見ている方も楽しくなるほど
楽しそうに遊んでいる。

こどもがいつも
楽しそうにできるのはなぜだろう?
こどもが遊んでる所をよく見ていると
こどもはただ遊んでるばかりではない。

あらゆることを学んでいるのです。
学ぶことは知ることです。
知ることは理由もなく
楽しいものです。
こどもの時のことを思い出は
ワクワクした楽しいことばかり
覚えていませんか?
こどもの時は見るもの、経験するもの全てが
おもしろく、楽しくもありませんか?

このこどもが楽しめる理由の一つは
好奇心を持っていることだろう。
おとなになっても好奇心は持っているのに
楽しくないのは、どうしてだろう?

好奇心を持つことは
興味を持つこと。
興味を持つのは
知らないからである。

確かにおとなは
こどもよりも知らないことは少ないかもしれないが
知らないことはまだまだ多いはず。
そして
知ろうとしても
わからないことが多い
解決できないことがあるということを
多々経験したことによるからかもしれない。

おとなは
一種の諦めることを経験させられて
こどもの時に持っていた好奇心を封印して
生きようとしているのかもしれません。

今知っていることだけで
生きようとすることで
自分自身の世界を狭めてしまい
学ぶ楽しさを忘れていってるのです。

だから
おとなになっても
知らないことを知ろうとする
好奇心を忘れてはいけない。
それが人生を楽しんで生きることに
つながると思いのです。

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