投稿者「santa」のアーカイブ
見つめる育児
3歳8ヶ月の女の子Aちゃんが受診。
Aちゃんが診察室に入った時
歩いて入ってきたから、大喝采。
診察室に3歳の女の子が歩いてきただけで
拍手喝采?
どうしてだと思いますか?
実は、Aちゃんは、
先天異常のため、発達障害があります。
おかしいなぁと思ったのは、3ヶ月健診の時。
首も座ってなく、体も柔らかいし、顔も特徴的でした。
総合病院で検査を受け、先天性の発達障害と診断されました。
診断後もかかりつけ医として、
風邪を引いた時、予防接種の時など受診してくれます。
Aちゃんの発達はゆっくり。
1歳になってお座りできなくても
1歳半になっても、歩かなくても
3歳になって、お話ができなくても
その時の気持ちを、Aちゃんらしく表現してくれる
そして、来るたびにできることが増えてるAちゃん。
だから、
みんなAちゃんに会うのが楽しみになってました。
今日
Aちゃんが初めて歩いて診察室に入ってきました。
だから、みんな歩けたことがうれしくて
思わず拍手喝采になったのです。
Aちゃんのお母さんはいつ会っても優しい顔。
総合病院を紹介した時も、高熱の時も、注射の時も
発達が遅れてても、取り乱すこともなく、
いつも、どんな時も
優しく包み込むようにAちゃんを見つめてました。
どうして、いつも穏やかにいられるの?
僕は思います。
きっと、このお母さんは
誰とも比較せず
Aちゃんだけを見つめている。
医学教科書の発達と比べてもない。
Aちゃんが今日できたこと、できた瞬間を心から喜んでいる。
目の前にいるAちゃんだけを純粋に見守ってるから
穏やかに生活されている気がします。
子育てって、
競争じゃないし、お手本があるわけじゃない。
目の前にいるこどもにあわせてするもの。
その子の喜び、悲しみを共に分かち、支えることが大事。
その気持ちが、こどもだけを見つめる心が
“あわてない育児”につながる
と教えられた気がします。
生きているから病気になる
人間は死ぬまで生き続けます。
人間は、元気で長生きできるように
生まれてきていたとしても
人生の中で
全く病気をしな買ったという人は
ほとんどいないでしょう。
それは
病気にも病気なりの意味がある。
もっと言えば
病気になったから
その後も生き続けられるのかもしれません。
病気になったことで
これまでの生き方を
反省する機会をもらい、その後の生活を
改善することができるのです。
もし病気にならなかったら
悪いことに気づかないまま
死んでしまうかもしれません。
過剰なストレスで
からだの不調を訴える方もいらっしゃいます。
もし、不調がなければ
からだの不調は進行してしまうでしょう。
ですから
生きているから病気になるし
病気に大きな意味があることを
忘れてはいけないのです。
便利なものも使いようによっては
現代は色々便利なものがあるけど、
全てがいいことばかりに使われてるわけじゃない。
例えば、インターネット。
いつでも、どこにいても情報も見れるし、買い物もできる、
色んな人とも交流ができる。
でも、必要のない情報に振り回されることがありませんか?
子育てで悩んだ時も、ちょっとインターネットで調べれば
色んな事を教えてくれます。
でも、調べれば調べるほど情報の渦に巻き込まれて、
ちょっとした悩みだったのが、大きな恐怖となってしまって
クリニックを受診される方も少なくありません。
悩んだ時、情報の渦に巻き込まれないように
確かな情報を提供するのも現代小児科医の使命。
そこで、日々の診療や生活で感じたことで、
今後多くの方が迷わないための子育て情報を
今後発信していきたいと思ってます。
これからも、よろしくお願いします。
☆ 今回初めて本物の刀を持たせていただきました。
その本物の重厚感に身体が震えました。
恋愛は覚悟をもって
最近、芸能人などのニュースで
大きく取り上げられるもののひとつに
「不倫」があります。
不倫が疑われると
男も女も関係なく
全てが悪いような徹底的に叩かれます。
不倫はいいことではないけど
添い遂げるに超したことはないけど
長い人生、それはなかなか難しいので
昔から日本にはお妾さんという
存在があり
渾然と認められ
落語「権助提灯」では
本妻とお妾さんの話しがあります。
現代では
この落語で笑っただけでも
疑いの目を向けられそうです。
現代の恋愛事情を考えると
恋愛は基本的に「一人しか選べない」大事業です。
ということは
恋愛するには、大きな覚悟が必要になるということ。
「スペア」をもっておくなど
もってのほか。
一度しくじってしまったら
全てを失ったかのように
精神的落ち込みは大きいものです。
でも、
それだけの大きな覚悟をもって望んだ恋愛は
絶対豊かな人生経験になり
その後の人生に役立つはずです。
そして、その経験は
恋愛のみならず、仕事や事業などと向き合う時に
問われる「人間力」につながっていくことでしょう。
病院こそパワースポットであれ
病院は、元気になるところ
痛みや苦しみを
とる場所のはず
でも
病院は
元気になるところ
楽しくなるところ
などと思ってる方は
案外少ないのではないでしょうか
医師の帯津良一先生は、
病院には”悪い気”が流れているところがある
とおっしゃっています。
確かに、
病院はいろんな方の
苦しまれた、つらい思いをした方の
悪い気があるところがあるかもしれません。
人が元気になるためには
元気の素
元気のエネルギー
すなわち
“いい気”が必要です。
“悪い気”の中にいたら
元気にはなれません。
帯津良一先生も
病院の場のエネルギーが高くないと
患者さんは良くならないとも
おっしゃられています。
神社仏閣などの
パワースポットと呼ばれるところは
”いい気”のエネルギーが
流れているような場所なので
多くの人が元気になるのです。
パワースポットは
”癒やしろ地”とも呼ばれています。
病院は
多くの人が訪れ
元気をもらえるところ
癒されるところのはずです。
病院とは
こころが通いあい
温かい魂を触れる場所
そして
心から癒やされる
元気がでる
現代のパワースポット、”癒やしろ地”で
あるべきだと姿と思うのです。
☆昨日は、ナチュラルメディカルセンターの上棟式でした。
猛暑の一中式が始まり、神主さんが祝詞を奏上された時
心地よい風が吹いてきました。その瞬間暑さを忘れ
みんなが uh元気にそしてしあわせになる
”癒やしろ地”になるよう、努力をすることを誓いました。
ノアの箱舟
いつ止むかもわからない
雨が続き
謎の感染症が蔓延し
人々は
息を殺し、
ただただじっと
雨が止み
感染症が治まり
真夏の日差しいっぱいにあふれ
街には
人々の明るい笑い声、笑顔にあふれる日が
来ることを願って
耐える日々を過ごしていた。
でも、全く
雨は止まず
感染は広がり、更に猛威をふるい
人々の心の中では
どんどん不安がまし
その心を解消するためなのか
あちこちで
争いごとが起こり始めた。
そんな荒れた世界。
僕は
ひとりの老人と出会った。
その老人は
「早く、舟に乗りなさい。
地球は嘆いています。
この世を変えないといけない
ことを決意したのです。
今までの世の中は、まちがいだった
ことに気づき
世界を変えようとしています。
あなた方に
次の世界を作るために
選ばれたのです。
もう、元の世界には戻れません。
戻ってはいけないことを
戻ることを地球は望んでいないこと。
今までの過ちを気づいたものが
新しい世界を作っていかなければ
いけないのです。
さぁ、早く乗りなさい」
僕は
突然会った老人に
背中を押されて船に乗り込みました。
乗った途端
船の扉が閉まり、船は出発しました。
出発したと同時に
船内に取り付けてあった
モニターの画面が
外の世界を映し出しました。
東京、ニューヨーク、ロンドンと
思われるような都市が映し出されました。
そこには
以前のように
食事を楽しんだり、ショッピングしたり
楽しむ人々の姿でした。
どこかなつかしく、うらやましくもある
人々の生活。
しかし
その後、人々の様子が変わりました。
叫び声を上げながら
一目散に逃げ出したのです。
そこに現れたのは
荒れた川の姿でした。
世界の都市の姿は全てが
荒れた川の場面になりました。
船中は
嘆く声であふれかえりました。
僕も
涙があふれ出し
人目も気にせず
これまでないくらい慟哭していたのでした。
その時
僕はいつもの起きる時間で
いつものようにベットの上でした。
今観たのは夢だったのでしょう。
でも
その夢はあまりにもリアルで
今までの生活、世界に戻れない
戻ってはいけない
新しい価値観の世界に
変えないといけない
それが今生きている僕たちの使命ではないでしょうか?
このままでは
人類は
二度目のノアの箱舟を経験する
ことになるかもしれません。
元の生活に戻るだけではなく
新しい価値観の世界を
模索していきましょう。
休診のお知らせ
8/22(金)~8/23(土)臨時休診です。
ご迷惑をおかけしますが
ご了承ください。
サンタキッズ&ファミリークリニック
院長 池内克彦
休診のお知らせ
8/22(金)~8/23(土)臨時休診です。
ご迷惑をおかけしますが
ご了承ください。
サンタキッズ&ファミリークリニック
院長 池内克彦
もともと”ひとりぼっち”(8/22、8/23は臨時休診)
コロナ感染が残したものの一つに
オンライン診療のように
直接、人と会うこと
肌と肌を触れ合う機会を
少なくなってしまいました。
人間は
社会性の動物と言われるように
ひとりでは生きていけない動物。
だからなのか
「ひとりはさみしい」という科白が
耳につきます。
でも人はわがままな面もあります。
ひとりじゃないと満足かというと
感性の異なる人と過ごすと募るつらさ
誰かと一緒にいても
なぜかさびしさを感じることもあります。
人といるのに
感じるさみしさは
ひとりでいる時より
ずっとさみしいこともあります。
さみしさを感じる根本は
人といるからというものではない
と思うのです。
人はひとりで生まれてきて
ひとりで死んでいきます。
元々
人間はひとりぼっちなのが
当たり前なのです。
ひとりでは学べないことを学ぶために
この世に生きてきたからこそ
友人や仲間そして家族さえ
必要なのです。
もともとひとりぼっちで
生きてきたのに
さみしさを感じるのは
原因は人がいるいないに
左右されるわけではなく
別のことをこころが感じているのが
原因にほかならないのです。
さみしさを感じるのも
この世に生まれてきた
目的のひとつのような気がするのです。
すなわち
人間は生きている限り
孤独とも向き合わないといけないという
ことではないでしょうか?
一緒にいて楽しく食事をするのは
そんな時間をすごすのは
さみしさのなかから
独り立ちをするために
必要な過程では
ないでしょうか?
自分のこころを
紛らわすために人と過ごすのではなく
人と過ごすことで
自分とのちがいを感じ
自分の心の根本で求めてることを感じ
生きていくことを学ぶのでは
ないでしょうか?
今の時代は
みんなが
自分の心と向き合う時間を
地球が、コロナウイルスが
そしてもしかして神様から
いただいた機会かもしれません。
「誇り」はウソをつかないための力のひとつ(8/22、8/23は臨時休診)
人はウソはつきたくないもの。
誰もがウソをつかないで生きていこうと思っている。
それは、ウソをついてしまうことで
自分のこころの中にある「誇り」を
傷つけることになるからだと思うのです。
「誇り」をもっているのは
なにも、おとなだけではなく
こどもだってもっているのです。
こどもは「誇り」の塊の様なもので
「誇り」は人間の本質のような所もあるけど
ウソをつくことで
「誇り」が傷つき始め
ウソをつき誇りがほころびだすと
そのほころびはどんどん大きくなります。
「誇り」が小さくなって
ただほころびが大きくなってしまうと
ウソをつくまいと頑張ることもしなくなり
おとなの世界でよく見かける
そのウソを第三者が突き止めて取り消させる様になるのです。
こどもたちには
生来もっている「誇り」の塊を
失わないように
大きくなって欲しいと願うのです。