投稿者「santa」のアーカイブ

心の生態系を整えることが平和への道

世界ではあちこちこちで
人類は争い、平和な世界とはいえません。
そんな中
お金を持ってる実業家などは
火星移住計画を立てて
いずれくる?地球の滅亡に対して
地球を脱出しようと画策している人達がいます。

その時に備えて、かつて
アメリカが外界と全く隔離した
大きなドームテントの中に
環境も動植物も全く外界と同じ空間を作り
数名の科学者がその中で暮らせるかの
実験を行ったことがあります。
現在もおこなわれてるか?といえば
2年間で中止になったそうです。

ドーム内では原因不明の
酸素濃度低下、生物の死滅、虫が大量に発生して
環境破壊が生じてしまい
中止せざる負えなくなったのです。

地球は
全ての動植物が微妙なバランスの上に
成り立っていることがわかったのです。

それともう一つ
ドーム内で生活していた科学者達の
争いがたえなくなり、人間関係が破綻したのも
原因とも言われています。

これはドーム内の話ではなく
地球上でも
環境のバランスが崩れると共に
人々の心のバランスも崩れているので
戦争が止まないのではないでしょうか?

地球を脱出することを考えるよりも
この地球を大切にして
人々と心を合わせて
自然の生態系、こころの生態系を
整える社会になるように
ひとりひとり努力することが
人類が生き残る唯一の道のような気がするのです。

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病は気から

この言葉は、
みなさんもよく耳にする言葉でしょう。
実際僕も、診療中に限らず
よく口にする言葉です。

最近は、情報があふれ
病気を診断するのは医者ばかりではなく
ちょっと胃が痛くなれば
AI先生に尋ねる人もいるのではないでしょうか?
AI先生がみつけた中に
自分が安心できることをみつけ
一瞬安心して・・・でも
おなかが痛いのも、咳がでるのも
大丈夫だと考えて
ほっといてしまいがちです。

そして、大変なのは次に同じ症状が起きたとき。
あの時の判断は、正しかったのか?
この症状はがんなのか?
自分の命は大丈夫かと
自分で判断することができなくなって
病院に駆け込む方をよく目にします。

医者の立場だからいうわけではありませんが
からだの不調を感じたら
勝手に思い込まないで
きちんと医療機関を受診して
医者に診てもらって、正しい診断をしてもらって下さい。
病は気からなんです。
みなさんの不安を取り除くことができる
みなさんに寄り添える医者で
いつもありたいと考えています・

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やりきったこと

さて、今日考えて見たことは
今まで「やり切った(やり切っている)」ことの中で、
一番思い出深いことなんだろう?
ってこと

僕のやりきったことは、
今のクリニックを開院したこと。
今のクリニックを開院して2月で丸13年になります。

この病院を作るために、
知恵、体力、経験、そして運さえも・・・・
僕の持ってる全ての力を
注ぎこんでできたと思います。

クリニックを作ろうと思った時
自分と見つめ合う機会をいただきました。

自分と見つめ合った瞬間、
自分らしい医療、自分しかできない医療、
自分らしく生きること、自分しかできない生き方を
したいというエネルギーが
自分の中から沸々と湧いてくるのを感じました。

それを今考えてみると、
きっと自分の使命に目覚めた
瞬間なのかもしれません。
だから、
決意して立ち上がれたんだと思います。

縁もゆかりもない土地での再出発でした。
最初は妻以外に
僕の思いの理解者も応援してくれる人もいませんでした。
でも、僕は行動しました。
自分の思いを語る機会がありました。
心から溢れる思いを誰かに伝えたいと思いました。

そんな僕を
時の神様は見ていらしたんだと思います。
僕に”出会い”という
プレゼントを用意してくれていました。

めげそうな時も
僕を支えてくれたのは、
それまで縁もゆかりもないのが不思議に
思えるほどの良きご縁でした。

初対面の方なのに
全てを語れた気がします。
僕の医療を夢を理解してくれ、
身体を張ってサポートしていただいた方々に
次々に出会いました。

どんな困難なことが起こっても、
めげそうな時も温かく応援してくれた方々でした。
そして
いつも僕を信じてついてくれた家族がいました。
クリニックが形になるにしたがい、
みなさんの温かい心に
僕が包まれていく気がしました。

そして、クリニックが開院して
この2/14で丸13年になります。

今思うのは、
このクリニックで太陽のような医療を届けるのは、
ただの通過点でしかない。
僕には、
まだまだ使命感があるような気がしています。

僕の命を輝かせてくれた
皆さんの温かい心に感謝して、
今ここにいることに感謝して、
自分の命をみんなのために
精一杯光輝かせて生きていこうと
思っています。

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どんな時にも楽しいことを考えよう

人生は山あり谷あり
苦しいことも、楽しいこともあります。
そして苦しいことも、楽しいことも
ずっと続かないのも真実です。

でも、苦しい時でも
楽しいときでさえ、もっと楽しいことは
考えられます。

僕も入院している時
苦しさの嵐が訪れない日はありませんでした。
毎日、時間の長さは様々であっても
苦しい時間がやってきました。
でも、その時
ちょっとでもこの苦しみが通り過ぎた時の
ことを思い
この苦しみから抜け出したら
あのお菓子が食べたいなぁ
コーヒーを飲んでリラックスしたいなぁ
今まで読んでなかった
小説を読もうかと
楽しいことを考えると
その時の苦しみやつらさが、
どんどん遠ざかっていくのを感じました。

そして
退院したら、こんな生活がしたいと
はっきりわかったのです。
自分自身が楽しむにする生き方をすることが
自分自身を大事にすることにつながる
そして健康にもなれる。
そのことを実践して、
みんなに伝えようと思ったのです。

どんな時にも
楽しいことを考えると
道が開かれるのです

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冬に思う

まだ寒日が続いています。
今年の冬は
秋まで、連日20℃を超え
真夏日になるなど
秋、冬らしからぬ
天気がつづきました。

でもさすが冬です。
年が明けると、あっという間に
冷気が日本列島を多い
一気に気温が下がり
寒い日が続きました。
暖冬だといっても、ちゃんと冬はきました。

冬がくると
どこか自然の過酷さを連想させ
気が引き締まり
温かくしないと
厚手の布団をだし、コートの準備、
暖房を使い
雪対策、寒さ対策を始めます。

このように
冬は四季の中では
一番過酷な毎日を想像させます。

でも、
冬の寒さがあるから
暖かくなり始めると
春の訪れを感じ
芽吹きだすのです。

だから
生命の息吹くためには
冬という季節は必要なんだと思います。

そう言えば
柳宗悦氏がこんな歌を読んでいました。

「冬ナクバ 春ナキニ
冬キビシ 春ヲ含みて」

冬があるから
春が来るのです。

人生も厳しい時期があるから
楽しい時期がやってくるのです。

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無色(むしき)

仏教用語、般若心経に出てくる
言葉です。

般若心経では”無”という言葉は
よく出てきます。
“無”には
お金がないなどという”ない”という
ことではないのです。
“ない”ではなく”む”なのです。

つまり
「ある」とか「ない」とかに
こだわらない。
たとえばお金などのものに
執着するなという意味なのです。

それなら「色」とは、なんでしょう。
色んな解釈があるようですが
色の意味には
からだの働き方という意味が
あると思うのです。

つまり
心臓が動いている
血液が流れている
呼吸をしている
これらのことは、自分のからだのことなのに
自分でどうしようもないこと。

何もしなくても
生きているのです。
意識しなくても
成長していき、今の時に合わせて
からだは変化しているのです。
この自分では律せないこと
自分のからだについてでさえ
頭で考え、いいだの、悪いだの
上から目線で考えていませんか?

真実は
僕たちの分別や理屈を超えたところに
あることを知らなければならないことを
この言葉は教えているのです。

生命や理屈に執着せず
現実を「無色」でとらえて生きましょう。

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関係を育てる

こどもの時
植物でも、動物でも
何か自分で育てた経験って
おとなになった時
人間関係を気づく時に
役に立つんだと思う。

友達との関係も
誰かを好きになった時も
人との関係は作るものではなく
育てるものだと思うから。

仲良くなりたくて
勇気をだして一歩を踏み出し
仲良くなった後も
いつもいい関係がいつまでも続くとは限らない。

時には壊れそうになったり
傷ついたり、傷つけたり
でも
また元の状態になれるように努力して
お互いの関係が深まっていく。

その時に大事にして欲しいのが
”育てる”という愛情。

関係を育てるって
”こうすればいいよ”
”そんなことしたらだめだよ”と
自分の考えで
口を挟むことじゃなくて
自分の意見じゃなくて
相手の気持ちになること
だと思う。

”あなたは今どうしたいの?”
”何に困ってるの”
”どんなことに喜びを感じるの?”
”どうされると嫌なの”
相手の立場で
考えよう、答えを見つける努力することで
関係は育っていく。

でも、その答えを
いつも返ってくるとは限らない。

人は、動物や植物と違って
話すこともできる
聞くこともできるのに
知らないうちに
相手の言葉に耳を傾けていなかったり
自分の思いだけを話したりする。

その時に
こどもの時育てた
何もしゃべらなかった花のこと
何も教えてくれなかった動物のこと
を思いだしてほしい。

あなたの可愛がってる
花を動物のことを
少しでもわかってあげたいと
目、耳、鼻、全身を使って
観察したと思う。

そして
自分なら・・・って考えたと思う。

五感をすべて使い
想像力を駆使して
あなたとその人との
”関係”を育ててほしい。
そうすれば
美しい花が咲くはずだから。

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眠れない日にも意味がある

あなたは、毎晩ぐっすり眠れますか?
若い人は
朝まで眠れる、逆に寝過ぎて寝坊を心配する人は
多いことでしょう。
でも、日々診療していると
眠れないと、夜何度か目が覚める
トイレに行くために起きるようになったと
睡眠について悩む年配の方が増えてきます。

眠れるかどうかは
毎日のことだから
睡眠の問題は、ちょっと悩ましく深刻な
問題になってきます。

睡眠については
肉体的な変化も影響していることを
考えることが大事だと思うのです。

眠れないことにも意味があるのです。
肉体的にも、精神的にも・・・
あなたが生きていくために
必要なこと。
きっとあなたは睡眠について
何時間寝ないといけない、
究極夜は寝ないといけないとルールを作ったのは
あなた自身ではないですか?
眠れないには
眠れない理由があるのです。

眠れないなら
そのことにむやみに逆らわないのです。
眠れない夜であっても受け入れる。
ことが不眠に悩まず生きる術なのです。
そこには、自分にとって必要な何かがあると
気づけたとき
あなたは、不眠の悩みから
解放されるのです。

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性格

今日も寒い朝です。
この冬も暖冬といわれても
雪が降った寒い朝がありました。

朝起きて外を見て、
雪が積もってると気持ちがキューっと
引き締まることがありました。
そして、午後になり
雪が消えてくると、雪化粧の美しさが懐かしくなってました。

純白の世界に心が癒され、
純粋にしてくれてたのかもしれない。

雪が好きという人も嫌いという人もいるでしょう。

どうも雪が好きなのは、こどもの発想だとか?
言われますが
みなさんは、雪の日の朝にどう感じましたか?

今日は、自分の性格について。
自分の性格には、好き、嫌いがはっきりしてる。
もし、自分の性格の一つ今変えられるなら・・・・
どんな性格になりたいか考えてみました。

僕は、揺るぎない力に溢れた強靭な精神力を持ちたい。
決断した後も、
迷うことなく、ブレることなく
自信に満ちた行動ができる精神力を持ちたい。

ブレない決断をすることは
独裁的、独りよがりでは困ってしまう。
そのためには、
やさしさ、思いやり、賢さ、先見の明、リスク
全ての事柄を瞬時に正しく判断することが求められます。

そのために、日頃から
自分をそして自分の行動を信じること。
自分のとった行動が、自分だけでなく
周りのにとにとっても良い結果をもたらすと信じること。
が行動の基準になるでしょう。

そうなるためには
いつも周りの人の思いやりの心を持ち続け
周りの人が望んでいることを知ろうとする努力
自分がとった行動が人にどんな影響を及ぼしたかを
日々意識することが大事だと思う。

強靭な精神力を培った上での行動によって
周りの人から慕われ、信用され
共に行動する同志が増えていく。
その同志と共に誰に対しても
思いやりある決断と行動をすることで
多くの人に安心と平和そしてしあわせが
訪れることが願いです。

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逃げ切れた夢

時間ができたので
スケジュールに合う映画を山口情報芸術センターに
観にいった。

今回観たのは
「逃げきれた夢」
定年前に記憶が薄れていく病気になった
主人公の教頭先生が
これまでのように生きられなくなった
未来をどう生きるかを考える内に
これまでの人間関係を見直そうと
幼なじみにあったり
教え子と語り合ったり
家族とも
心通い合ってたなつかしい時間を取り戻そうと
したけれども
それは全て幻想。
記憶に残っていた時間は全て消えていた。

この映画は
自分との年令も重ね合わせ
考えさせられた映画だった。
とともに
僕にも懐かしさを届けてくれた
映画だった。

冒頭から
聞き慣れた北九州弁。
ち、ち、ちゃちゃが耳に優しい
極めつけは”シャーシィ”という言葉
もしかして、この映画の舞台は・・・
そう、北九州、それも自分が幼いとき過ごした
黒崎が舞台だった。
厚生年金病院、黒崎小学校、三角公園
商店街・・・どれもなつかしい。
幼稚園時代の自分が蘇る。

あーー時間は過ぎ去った。
でもその時間を超えて僕はまだ生きていると
今の生活をありがたく思えた
映画の趣旨とは違うところで
心揺さぶれてた映画だった。

帰ってから
映画の話と共に
今はサブスクというシステムで
好きなときに、好きな時間に
映画見れると娘に教えてもらった。

観たい映画が決まってたらそれでもいい。
でも、僕は
今回のように偶々出会った映画の
偶然性を大事にしたいと思った。

映画そのものよりも
その時時間ができて、行動できて
出会いは
人だけでなく、映画も、本も大事にしたいし
きっと意味があることだと思う。

そんな
セレテンビリティを大事に生きていこうと思った。

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