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雪の花
この映画は
江戸時代末期
福井県に実在した笠原良策医師の
仕事を映画化したもの。
当時の医学界は
今とは逆に日本独自の医療
漢方医学中心の時代で
西洋医学はオランダから伝わっていたものの
鎖国時代であり
長崎の出島と限られた医師しか
使えなかった。
現在は
西洋医学中心で
漢方医学は脇役、その他の医療は
全く認められず
今とは逆の医療体制の時代でした。
そんな折、天然痘が流行するのです。
天然痘は致死率、伝染力とも強いのに
治療法はなく
祈祷などに頼っいた状況でした。
天然痘は感染症で
現在でもかかると怖い病気で
日本だけでなく全世界で
ワクチン接種を行い絶滅することができた
感染症です。
この映画の主人公
笠原良策医師も天然痘を治そうと
患者さんを必死でみるのですが
自分が学んだ漢方医学では
治療法がなく、どうしたらいいかと
途方に暮れていた時に
西洋医学の種痘(いまでいうワクチンの原型)が
天然痘を予防することができる
知り、行おうとするのですが
当時は国も、もちろん人々も
信じてくれる人はありません。
心ない噂がたったり、暴力にあったり・・・・
そんな困難を乗り越えて
種痘を広めていくのですが・・・・
どう乗り越えていくかは
映画を観て頂き他院歩ですが・・・
時代が変わっても
同じことがくり返されているなぁというのが
観た実感。
最近のコロナの状況をみても
現代は西洋医学が中心でも
有効な治療法もなく
効果があるといわれたワクチン、薬も
さまざまな噂に翻弄されてました。
確かに、未知のもの、新しいものを
行うには人々の不安なき持ちを取り去れ
信頼を得るためには
様々な困難を乗り越えなければなりません。
この自分も波動療法や
生き方から病いを防ぐ医療に取り組んでいますが
みんなの賛同はすぐには得られませんでした。
でも、僕は
真実の医療を求め進んでいきます。
この映画を観て
笠原医師の生き方および
次のセリフに勇気づけられました。
「運は天に任せております」
「名を求めず、利を求めず」
勇気をもらいました。
メタトロンとは
サンタキッズ&ファミリークリニックでは
西洋医学を中心に現代医療を中心に
診療をしていますが
それとは別に
ナチュラルメディカルセンターで
これまでの医療とは全く
意を異なる医療を行っています。
ナチュラルメディカルセンターでも診療を開始し
2年半が過ぎましたが
同様の医療を行ってる医師は
それほどいなく
ある意味手探りではじめた医療。
きっと
緒方洪庵先生などの
歴史に名を残す先生方がそうであったように
医療そのものより
患者さんから教えてもらうことも多かったと思います。
メタトロンを使った
いわゆる波動医療も、僕自身も
日々わかったこと、進歩、進化
して行ってます。
ここでの医療について
今日は少しお話したいと思います。
メタトロンを行うと
からだの様々な部位
臓器から、細胞、染色体、遺伝子までの
エネルギーの低下
すなわち自然治癒力がどれくらいあるかが
わかります。
自然治癒力とは
からだが元々もっている
病気にならない、病気に負けない力とも
いえますが
この力が低下していると
病気になってしまいます。
でも
急に病気になるわけではなく
健康な状態から
徐々に治癒力が落ちて
自力での回復が認められなくなると
自ら症状をだし
薬、手術などの治療が必要な状態となり
その時点になると
人々は病院を受診をし、治療が始まると
考えます。
でも、実際は
医学の力を借りずに
自力で治そうとからだは
免疫力、神経など持てる力を総動員して
元気で暮らせるように
まさにからだをはって
僕たちを守ってくれているのです。
僕たちは
自分のからだであっても
実際、からだがどのような状態で
どのようにからだを守ってるか
知らないで過ごしてます。
知らなくてもいいのかもしれないですが
からだが頑張っていることを
気付いてあげると
からだも喜んであなたを支えてくれます。
そのことを
気づいてもらえる
わかってもらえると
誰でもうれしいですよね
それが人情というものですよね。
からだが頑張っていることに気づき
頑張っていることに
感謝の気持ちを伝えることが
メタトロンの役割です。
最近はやりのことばでいうと
自然治癒力を上げる
自己免疫力を上げる
自分のからだの内なる声を聞く
と言うことになるのでしょうね。
ナチュラルメディカルセンターでは
あなたの内なる声を聞く
新しい医療をこれからも更に進めていきます。
健康に生きるとは
健康と一口に言っても
人それぞれの考えかたもあるし
人それぞれ
様々な考え方があるでしょう。
世界の健康問題について考えている組織
WHOによると
健康とは・・・
「身体的、精神的、社会的に良好な状態であり
単に病気がないとか、虚弱ではない
ということではない」と
しています。
つまり
からだに問題がない
健診などの検査で異常がない
ことだけが健康ではないということ。
つまり、肉体だけでなく
精神的、社会的の3つの点で
充分バランスがとれているということになります。
これが
全世界でめざしてる健康の定義ですが。
1998年、WHOが健康定義を作る時
「肉体、精神的、社会的」という言葉に加えて
「スピリチュアル」という言葉を入れようとしました。
しかし、スピリチュアルの
メンタルという意味合いもあり
神、霊という意味も含まれ
世界中の国々、社会で様々な考えがあり
統一した見解がないので
生きがいという意味にもとられますが
現在までは
この言葉は保留状態のままになっています。
僕は
この言葉は是非とも入れて欲しいとも思います。
と言うのも
人のからだは
肉体だけでできているわけではなく
肉体、心、魂の3つをもったからだが
社会全体とも調和をとれた状態が
健康な状態と
僕は考えます。
魂をスピリチュアルと
考えていいと思います。
この考えは
僕が考えたわけではなく
日本人は昔から魂の存在を
知っていたのです。
そのことは
日頃使っている日本語を読み解けば
わかるのです。
日本語というのは
他の外国語とは違って
言葉は音を表すだけでなく
一つ一つの音に
意味があるのです。
たとえば、「ひと」について
「ひ」は
いのちや本源という意味という意味
このいのちの源、すなわち尊きいのち(魂)が
とどまっている。
そして
「ひ」の本の国に生まれた
日本人は
いのちの源「ひ」をとどめ、輝かせながら
「霊統(ひと)として霊性進化し、
この世のモデルとして生きる役割」を
になっている存在が我々「ひと」なんです。
つまり
人とは
「霊(ひ)がとどまる」存在です。
霊とは魂と考えていいでしょう
魂が肉体、精神とバランスを保ちながら
他のひと(魂)と学び合う存在であることに
人間の生きる意味があるのだと思います。
これから
肉体、精神的、社会的そして霊的にも
健康であることを目指すのが
これからの真の医療だと
僕は考えます。
優先順位三原則
昭和15年から今日まで
70年にわたるベストセラー「修身教授録」の
著者であられる
森信三先生が全てにおいて
優先順位を3つ説いておられるので
ここに紹介したいと思います。
ひとつめは
①人を先にし、己を後に。
我が我がと人を押しのけるのではなく
人に譲るような心にゆとりを
もてと言ってるように思います。
先生は、ルールはあくまで遵守するとも
述べています。
二つめは
②人に勝つより、おのれに克てよ。
これはスポーツの世界では
よく耳にされる言葉であるけれども
スポーツだけではなく
仕事においても、日常生活においても
わかままきままに打ち勝つ
自制心が何よりも大切だという言葉です。
三つめは
③義務を先にし、娯楽はあとに。
まずはやるべきことを先に済ませば
こころも落ち着き、娯楽も楽しめます。
この優先順位を心に留めて生きれば
生活も仕事も
少しはスムーズに運ぶことでしょう。
ゲーム感覚で楽しんだリハビリ
入院してから
大きく2つのリハビリを行った。
1つは歩くためのリハビリ
2つ目は手の機能を回復するためのリハビリ
を行った。
歩くためのリハビリは
残った機能を使って
歩くための筋肉を動かして
歩行機能を獲得するリハビリ。
使わない筋肉は
機能がすぐ落ちてしまうから
少し筋トレに似たところがあって
おもりをつけて歩いたり
文字通り筋トレしたり
筋力をアップすることやって
ある意味体育会系のリハビリとも
いえる。
されに対して
指の機能を回復させる
作業療法は
力ももちろん必要だけど
小さい筋肉を共同して
複雑な手の機能を獲得するための
訓練、リハビリをしていくのが
作業療法。
小さいこどもが
遊ぶ中で運動機能がアップするように
リハビリも一歩ずつなんです。
例えば
よくお手玉を使って
リハビリを行いました。
お手玉を投げてもらって
それを受け取って
受け取ったお手玉を
箱の中に投げて入れるという
リハビリをしました。
3歳児でもできるような
単純なことですが
これが実はとても難しいというか
ボールをとって、すぐ投げる
それも目標に対して行う行動。
ボールを受け取って
即投げるという単純な作業ですが
全て、使う筋肉が違うのです。
ということは筋肉を指令する神経も異なる
と言うこと。
ですから
瞬時に神経を切り替えて
筋肉を動かす。
行為としては単純なことに思われるけど
様々な機能が協力し合って
やっとできることなんです。
ですから
ボールをとることだけに
神経がいってると
次にボールを投げようとしても
手が固まった状態でボールを握ったままで
止まってしまうんです。
でも、意識して次は投げることを意識していると
ボールを投げるようにはできるのですが
それを正確に目的の場所に投げるって
至難の業なんです。
これを今まで何も考えずにできたこと
こどもの発達の能力に感服でした。
僕にとってのリハビリは
機能回復するのが目的以外に
もっと、もっと大事なことを学ぶ機会なんではないかと
リハビリをしながら感じていたのでした。
災害を未然に防ぐには
災害を未然に防ぐためには
「人の心が平穏でなかったら
その心のエネルギーは
世の中を見出し
そのエネルギーが集まると
邪気になる。
邪気、すなわち悪いエネルギーがたまることが
災害を産むのである。
平穏な心で
人々が過ごすことができれば
災害がくるのを
防ぐことができる」と思うのです。
つまり
世の中に悪いエネルギーが高まることが原因で
地震、洪水、津波、疫病を産むのです。
ですから
災害を防ぐのは
今生きている人類の心の
在りようによると言うことです。
具体的には
1日1回短い時間でいいので
心静め、めを閉じ
自分の呼吸感じいや
自分の呼吸に集中する
自分が息を感じます。
すると自分が生きているのだという
実感が湧きます。
生きているのはなぜか
生きることができている理由は・・・など
次々
自分の生きている意味に
思い当たることがあります。
そして次に起こるのは
生きていることに対する
感謝の気持ちが芽生えてきます。
その感謝の気持ちをもって生きる
その感謝のエネルギーは
色んな人に伝わっていき
世の中に平穏なエネルギーで
あふれることになります。
その平穏なエネルギーで
この地球が満たされれば
人を苦しめ続けるような災害は起こらない
と思うのです。
今、コロナウイルス騒動も
人々の邪悪なエネルギーの影響と思うのです。
今生きていることを感じて
生きていることに感謝して
みんなが過ごしていけば
なにも怖れることはない気がするのです。
元総理が語った長寿のコツ
安倍晋三元総理の兄が
安倍家の家族についてかかれた
「安倍家の素顔」という本を読んだ。
この本は
作家自身の取材を元に書かれた本ではなく
安倍晋三氏の兄である安倍寛信氏が
ご自身の思い出として
書かれているので
政治家一家の表の顔、裏の顔が
政治家としての一面、家庭人としての一面など
赤裸々に描かれており
とても興味深い内容だった。
この本を読んで
色々感じることもあったが
このブログで、みなさんに知っていただきたいことは
90歳の天寿を全うされた
晋三氏の母方祖父であられ
昭和の大政治家であった岸信介氏が語った
長寿のコツについてです。
氏いわく、長寿のコツは2つあると
まず一つは不義理をすること。
不義理と言っても、岸氏も総理まで務められた
大政治家であり、不義理を尽くさずして
生きてきたわけではなく
昭和の大政治家であり一般人以上に義理人情を
尽くしてこられた方だからこその不義理と言う言葉。
きっと、義理人情に縛られることは
寿命をする減らすことになる。
だから、ある程度の年齢になり
人生の集大成の年齢になれば
義理立ても好きなだけにして
ちょっとぐらい不義理なぐらいで
生きていく方が、長生きできると言われている。
僕も先日のブログで
しがらみの話を書いたが
しがらみの整理も必要なのかもしれないです。
2つめは、規則正しい生活だと。
岸氏は戦後すぐ戦犯の疑いがかけられ
3年間ほど過ごした巣鴨プリズンでの
生活を振り返られ
プリズンでは、朝5時半に起き、夜9時には就寝。
1日1時間は運動、部屋の掃除などさせられ
食事は腹八部目、間食は一切なしという
規則正しい生活を3年間され
これの時の習慣が、それまでの不規則の生活を
改善してくれた。
その生活があったから長生きできた
まさに人間塞翁が馬と語られています。
この経験を踏まえて
50歳になったら1回刑務所暮らしをするのがいいと
笑って語っていたとか。
思えば、自分も
50歳過ぎて3ヶ月過ぎの入院生活を経験して
生活が一変しました。
全てのことをこなすのが難しくなり
不義理なことを申し出ることも増えました。
生活も、入院後今でも
朝5時に起き、夜9時には寝床に入り
朝、氏神様へのあいさつをかねて神社まで
1時間ほどウォーキング。
食事もほどほど、入院時の体重を維持してます。
この生活をつづければ
僕も長生きできるかが証明できるかと
思いますが。
もうひとつ、長生きするかどうかは
本人のもってる寿命がありますから・・・
実際長生きできるかどうかは
死ぬときにしかわかりませんが。
僕が、今言えることは
病気の後、心身ともに生きやすくなっていること。
ですから
みなさんにも
安倍元総理のおじいさんの岸氏の長生きのコツを
是非、実践されてみてはいかがですか?
悩みは必ず解決できる
誰もが問題にぶつかると
その問題を解決しようと
考えるでしょう。
そして、解決方法がみつからないと
悩むでしょう。
でも悩んだ時の状況を考えた時
悩みを解決する方法が
ひとつやふたつは見つかっていることに
気づいているのです。
しかし、その後も悩み続けてしまうのは
その解決方法を
やるかどうかで悩んでいるのことに
気がついたのです。
悩んでいる時だけでなく
自分のことを一番わかっているのは
自分だし
悩んでいる問題に対して
一番真剣に考えているのも
自分なんです。
これは
僕のことだけでなく
誰にもあてはまることだと思います。
考えに考えて
解決方法は見つかっているのに
その解決策をやるかどうかに迷ってるだけなんです。
考えているだけでは
絶対に問題は解決しません。
考えた解決方法を実行する勇気をもてば
必ず解決に繋がるはずです。
「悩んでいる人は
解決方法を知らないのではなく
それをしっていてもやりたくないだけ」
なんです。
ゆきてかへらぬ
中原中也と小林秀雄が
ひとりの女優長谷川康子をめぐる
恋愛模様を描いた映画。
中原中也をいえば
山口県出身の詩人としても有名で
小林秀雄といえば
文学評論家であり
かつて入試などで
現代国語の問題によく出てきた作者。
そして最近
「考えるヒント」という本を読んで
高校生の時も難解な文章だったけど
今読んでも
まだまだ難解な文章に四苦八苦した。
そんな二人が
一人の女性を巡って
三角関係?があったことは知らなかったし
自分的にとてもタイムリーに思えて
是非みないといけないと・・・・観に行った。
世の中で一番の贅沢は詩だとのべ
自分の心の襞を描いた
詩を書くことに才能を捧げた中也。
しかし、詩を書くには
繊細でないといけないから
長谷川康子との恋と別れ
愛する我が子との別れを
経験し・・・人生が不安定になりはじめ
結核も患い
若き死を迎えたことを知った。
長谷川康子も
不幸な生い立ちを抱えつつ
本当の愛を求め生き続けたひと。
様々な恋を経験し過酷な愛を生き続けた康子。
康子の劇中のセリフ
「私たち、神経と神経でつながろうとしましたの。
それが一番深い愛、深い愛だと思ったから。」
それは中也もそうだったのだろう。
昨日や山口県でも桜の開花宣言がでた。
先始めた桜の花を見ながら
二人が語ったセリフ
「この花びらは、散っているのか、散らしているのか」を
思いだし、
僕は、今年桜の花を見ながら
何を感じるだろうか?
健康は目的でない
しあわせに人生を送るために
必要なこと、ものを考えた時に
「健康」と考える人は多いことでしょう。
実際患者さんでも
健康であるために
病気にならないために
このサプリはどうでしょうか?
この方法はどうなんでしょうか?
と流行の健康法の善し悪しについて
聞かれることがあります。
お話を聞いていると
とても健康に気遣っているようだけど
「健康」でいることが目的
「健康」でいようとすることが目的に
なっている気がします。
からだにいいからと言って
好きなものを我慢して
からだにいいと思うものを
頑張って食べたり
食に関して、健康に支配され
不自由生活を余儀なくされて
しあわせを感じられるでしょうか?
僕は
病気をして、後遺症もあり
病気前と比べて、決して健康とは言えないけど
この体を悪くしないように
食事は多少気をつけるけれど
健康オタクにならないようにも
気をつけています。
食事に気をつけるのは
健康にあることが一番の目的ではなく
しあわせに生きるためだと思うと
とても自由に、毎日生きられます
