投稿者「santa」のアーカイブ
本気のやさしさとは
人は、人とのご縁のたまもので
生きていっているといっても
過言ではありません。
そして、ご縁を紡ぐために
最も大切なことは
それは自分以外の人に対して
やさしさを持つことではないでしょうか。
自分以外の人にやさしく接するとは
その人のことを本気で考えることだと思います。
ニコニコ接したり
仲良くしたり
傷ついた人にそっと手を差し伸べるのも
やさしさにはちがいない。
これらの行為は
少し表面的なやさしさが有りさせすれば
できること。
本当に相手にやさしく接するためには
表面的でなく
本気で相手のことを考えないと
出来ないことだと思うのです。
相手の気持ちは
思いはかることでしか察することはできません。
だから
本気で相手のことを考えるためには
もし自分ならどう感じるか?と
自分に置き換えて考えるしかないのです。
そこまで、考えただした答えが
相手の真の思い通りのことでなかったとしても
本気で思われた人は
充分あなたのやさしさは伝わるのです。
やさしさとは
相手の気持ちを本気で考えたことで
はじめて生まれるのです。
観音様はなぜ願いを聞き入れてくれるのか?
もともと人間は
しあわせになるかどうかなんて
悩まなくていいのです。
でも、人間はしあわせになれるかどうか
いつも悩んでしまう。
そこに、人間の愚かさが有り
その悩みを救うために
宗教が生まれ
人間を救う観音様という存在を
人間が作り出したのだろう。
きっと観音様は
人間が不完全であるがために
人間を救うためにいらっしゃるのでしょう。
欲深い人間のことを
よく知っていてくれているので
そんな愚かな人間を救おうとして
下さっているのでしょう。
ですから
もし、あなたの欲、欲望が
ひとつずつ消えてっていると感じるなら
きっと、あなたの願いは
観音様が叶えてくれているのでしょう。
観音様の願いは
あなた自身がしあわせであることに気づくことを
きっとこころから願っていると思うのです。
戦争をしないために
日本人の祖先
縄文人は戦争をしなかった民族であったと
その生活してきた発掘後から
戦争した痕跡から
想像されています。
そして縄文人だけでなく
アイヌ人も2000年も戦争しなかったことが
わかっています。
アイヌ人が戦争しなかったのには
3つの理由があるとも言われています。
第1の理由は、人格が高かったから。
なぜなら、人は悪いことをしようか
それとも正しいことをしようかと迷った時
その最後の決断をするのは
その人の最後持っている人格によって
判断されるというのです。
人を殺すのも
人からものを奪うのも悪いこと
だから、戦争はしないのです。
第2の理由は
「交易の民」だったからだとも言われています。
交易とは基本、物物交換なので
他人の物がほしければ、
同等の価値のある自分の物と交換する
というスタンスだと言うこと。
だから、力ずくで他人の物を自分のものにするという
略奪行為、戦争は起こらないと言うことです。
第3の理由は
アイヌ人は言葉を尊重し
話し合いを大切にした民族だとも言われています。
また、アイヌ人は
文字を持たなかったので
話す言葉を大切にしていたのです。
それは
言葉を文字にするとこころを失うとも
考えていたので
手紙ではなく
面と向かって誠のこころを
自分の言葉で伝えたので
争いことにならなかったのかもしれません。
現代人もアイヌ人に学ばなければ
ならない点はあるのでしょう。
令和は原点回帰の時代
以前、よく
日本医療催眠学会に参加していました。
この学会は、
人の心そして意識の持ちようが
人のからだにどのように影響しているか
を学べるので毎回とても勉強になる学会です。
この学会で
ベストセラー作家でもあり
カウンセラーの
おのころ心平さんの講演。
令和の時代はどんな時代か?
東洋思想の陰陽五行にあてはめると
明治、大正、昭和、平成、令和と
明治の”木”から始まった時代が一巡し
令和は、水の時代、冬の時代、腎臓の時代に
入ったことになります
陰陽五行からみると
令和は
原点に戻る、原点回帰の時代になるのです。
明治から始まった近代文明が
昭和、平成には多岐にわたり様々なものが
あふれてしまい
令和の時代になって
腎臓が体内で行なっているように
あふれた情報、知識、技術などの
本当のよいところ悪いところを振り分け
優れたところをシンプルに取り入れ
品質高く生きる時代になるのです。
だから、令和は多くのことが
取捨選択され
断捨離され
そして
腎臓が働くように
あらゆるものが
浄化していく時代に入ったと言えるのです。
本当の豊かさとは何か?
本当の健康とは何か?
その本質を求めていく
まさに原点回帰する時代に
なっていくのだと思います
何が大事であるかを知り
本質を捉えるための
2つの方法が提唱されました。
1つはリフレーミングという
現在の常識と言う枠に囚われず考えること
もう一つはバード・アイ
上空から鳥がみるように
高い視点から全体を見渡して
今の自分の立ち位置を考えてみること。
視点が変わるとわかることがある
禁煙ができないのは
ダイエットができないのは
たばこが、食べ過ぎが悪いのはわかっている
でも、できないのは
たばこが、今食べることが必要だから。
一緒になぜ必要と思っているのか?
そして
その原因を
リフレーミングの観点から
バード・アイズの視点から
共に考えると
きっと前に進める観点が浮かび上がる。
そうやって、双方で考えていくことが
寄り添うと言うことなんだろう。
そして
こんなことも言われた
ガリレオ・カリレイが唱えた地動説
地球を含めた惑星が
太陽の周りを回っているのは
今は常識だけど
太陽も動いてらせん状に公転している
と言う説があるんです。
これって真実と思いますか?
現在の情報にあふれた世界から
真実を見抜く目を持つことが
令和のの時代を生き抜くために大事だと
教えられた
おのころ心平先生の講演でした。
健康への第一歩
先日、朝日新聞に
“糖尿病、初の1千万人”という
記事が載っていました。
記事によると
糖尿病の患者さんは
1997年 690万人だったのが、
年々増え続け
2012年 950万人
2016年 1000万人
そして
5年後には 1410万人になると
特に若者の糖尿病が増えることが予想され
①不必要な間食を避ける
②野菜を多くとり、バランスの良い食事
③細切れでもいいので、運動を
と呼びかけていました。
衛生的にも、物質的にも
豊かで便利な世の中になり
体格もよくなり、平均寿命も延びました。
とても満たされている世の中になったはずなのに
病気はなくなりません
糖尿病以外の疾患統計をみると
高血圧 4300万人
メタボリックシンドローム 2500万人
脂質異常症 2700万人
うつ病 110万人
アレルギー疾患 4600万人
(厚生労働省などの報告)
がんにおいても
国民の二人に一人ががんになり、
3人に1人ががんでなくなるという状況です
こども達に目を向けると
10人に1人は何らかのアレルギーがあり
非行、いじめ、不登校などのこどもが
学校にいるのが日常的になり
自閉症などの発達障害のこどもたちは
100人に1人とも言われ
統計をみる限り
こどももおとなも
誰もが病に苦しんでいる世の中であるような
状況のように思えてきます。
病気が増えた原因として
診断技術の進歩によって、
がんや心の病のように、
病気の初期でも診断がつくようになったことも
あるでしょう。
それを差し引いても
からだを蝕まれている人が
増えていることには
まちがいありません。
豊かになったはずの日本
飢えることもない
寒さに震えることもなくなり
命を奪われる危険もほとんどなくなったのに
自分で自分のいのちを粗末にする
生活をしてないですか?
寝る前に
今日の一日を振り返ってください。
今日一日、
何を食べましたか?
何を飲みましたか?
何をして過ごしましたか?
ストレスは感じませんでしたか?
穏やかに眠れそうですか?
感謝の気持ちを持って、笑顔で過ごせましたか?
今日が体にいい一日であれば
明日は今日よりも健康的な一日になるはず。
健康への第一歩は
自分の生活を知ることです
よい子の人生はつまらない
我が子に対して
よい子に育てたいと親は思うけど
よい子の人生って
実はつまらないかもしれません。
少しくらい波瀾万丈の方が
感激することもある。
いい子で過ごすと
生きていく刺激が少ないかも。
人は不幸があるから、しあわせがある。
空腹を感じるから
食事が待ち遠しい。
疲れるから、寝る時間が必要になる。
よい子でいたら
平穏な時間を過ごせると思ってるかもしれないけど
平穏な時間がしあわせな時間を
過ごしているとはいえない。
よい子だったら
誰とでも仲良く出来るとも限らない。
よい子で過ごす意味は
こどもにとってはないのかもしれない。
大哲学者が考えたしあわせになる方法とは
どうしたら、しあわせに生きていくために
人は生きている。
多くの人は
その答えがわからないから
不幸な人生を送っていると思っている人も
少なくはないだろう。
この問いに対して
答えを出した人がいる。
2500年前に生まれたお釈迦様も
2000年前に生まれたイエス・キリストも
そして、ソクラテスも孔子も
この問いに対する答えを出している。
そして彼ら大哲学者のだした答えは
同じことを言っている気がします。
まずは人生に目的はないということ。
人は頭脳明晰な生物であるから
答えのない人生の目的を探そうとするから
逆に不幸になってしまうというのです。
次に自分のことを第1ににした人生はさみしい。
人間は集団の中で生きている。
だから自分が生きていけるのは
集団の人々のおかげです。
だから、自分第1を考えて生きていくことは
できない。
そんな人生はさみしく、虚しいのです。
そして最後は
貧乏や病気は幸福になるチャンスが多い
のです。
しあわせになる方法
誰もが同じことを
くり返して言ってますが
わかっているようで
この数千年かけても出来ない
ことなのでしょう。
希望が叶う魔法の杖
おとなもこどもでも
誰もが
「希望が叶う魔法の杖」を
みんな持っています。
みんなの希望を叶えて
しあわせな世界を実現するために
お伝えしようと思います。
願いを叶える第1段階は
①願い事を叶えたいと思うこと。
②願いごとを叶うと信じること。
なんかそんなの
当たり前じゃないかという声が
聞こえてきそうだけど
当たり前ですか?
願いを叶えたいと口では言っても
本音は
こんな願いは叶うわけはないと
最初から諦めていませんか?
まずは、
最初は自分自身がどれだけ
その願いを叶えたいと強い思いを
持っているかが大事だということです。
あなたが願いを叶えたいと強く願いたいと
強く、強く思うなら
その願いは向こうから近づいてくるのです。
ですから、次には
③向こうから来るものを拒まない
ことです。
あなたの思いを叶えようと
あなたの周りの全てが協力している
あなたの願いを叶えるために
あなたの世界が回り出しているのです。
全てが願いを叶える魔法が動き出したのですから
その魔法の全てを受け取るのです。
これが魔法の3つめの杖です。
そして
全てを受け取っていると
自分が変わって言ってることに気づくでしょう。
昨日の自分と
今日の自分が違っていることに
気がつくでしょう。
そして
あなたの願いが
あなたがなりたい自分になっていることに気づくでしょう。
つまり、願いは
④願いとは自分でできること
⑤願いとは将来でなく今日のこと
だと気づき
世界がしあわせな世界に変わっているでしょう。
咳が出る時
だんだん秋が深まっくる、季節の変わり目になると
咳で受診される患者さんが増えてきます。
軽い咳でも、元気であっても
2週間続くことも、1か月続いてくると
さすがに心配になってきます。
そこで、今日は咳であわてないためです。
こどもはよく咳をします。
おとなよりもしつこく咳をします。
それは
① 小さい子は免疫が未熟で感染しやすいこと
② 気道の粘膜修復力が未熟で、病原体がいなくなっても、粘膜の修復に時間がかかるため
③ 鼻の穴が狭く、鼻もかめないので、鼻水がのどに降りて咳込んでしまうこと
などが考えられます。
一口に咳と言っても
色んなタイプの咳があります。
どんな咳が出てるかが診断の助けになります。
例えば
①風邪をひいた時、始めはコンコンと乾いた咳
鼻水が出てくるとゴホゴホと痰が絡んだ咳に
②のどの奥、生体の所に炎症があると、ケンケンといった咳
③気管支や肺に炎症が広がると痰が絡んだ咳がずっとでてて、せき込むことも
④また、百日咳では、コツコツコツとした後ヒ~~~と息を吸った後に音がする咳
⑤喘息の時は、咳だけでなくゼイゼイ、ヒューヒューした音がします。
ですから
咳の状態を教えて下さいね。
そして
咳がでていると、
咳を止めたくなって、咳止めが欲しくなります。
でも、待ってください。
咳は、
鼻水や痰と一緒にウイルスやばい菌を外に出します。
だから、咳をした方が病気が治りやすいのです。
また、喘息の時は
気管支が反応性にどんどん痰が作られています。
だから、咳をして痰を出さないと
気管支の中にどんどん痰がたまって
空気の通り道が狭くなって
どんどん息苦しくなります。
だから、喘息の時は、咳は止めません。
だから、咳をした方がいい
止めない方がいい咳もあることをわかってくださいね。
咳が出ている時
お家で出来ることは
①水分をたくさんとりましょう。
痰が切りやすくなって、咳込みにくくなります。
②こまめな換気と適度な湿度を保ちましょう。
③横になる時
頭を少し高くしたり
横向きやうつ伏せにしてあげると楽になります
④赤ちゃんの場合
横抱きにして、背中をトントンしてあげると
落ち着くこともおおいですよ。
でも、気をつけないといけない咳もあります。
それは
①咳がひどく、ぐったりして顔色が悪い。
②咳がひどくて夜も眠れない。
③ゼーゼーしてる時
④ケンケンという音の咳で、息を吸う時に喉の下の柔らかい部分がペコっと凹む。
⑤赤ちゃんでウーンウーン唸って、呼吸が荒い。
⑥色のついた鼻水が1~2週間続く。
⑦2週間以上続く場合
などの場合は、必ず病院を受診しましょう。
咳は
日常的によく見られる症状ですが
長引くと心配も募るのも咳です。
気になってきたら
早めに1度小児科を受診しておくと
慌てないでいいかもですね。
対立と衝突
生きていると
自分の考えと合わずに
人とぶつかることは
よく経験することでしょう。
人とぶつかった時の言葉として
「対立」と「衝突」するという言葉があります。
どちらであっても
出来るなら避けたいと思うかもしれませんが
対立と衝突は
似ている言葉ですが
大きなちがいがあります。
「対立」はある意味あるべき姿を追求し合った時に
生まれるのですが
「衝突」はぶつかり合う意義がある
勝たないといけない時に時にしか
仕掛けてはいけないものです。
対立しあうことで
いいものが生まれる可能性はあります。
逆に衝突は戦争などの時のように
お互い傷つけ合うまで行ってしまうからです。
誰かと
問題が起こった時には
感情的にならず、冷静に
問題の根本を考えていかないと行けないのです