投稿者「santa」のアーカイブ
離見の県
この言葉は
室町時代に活躍した能楽師である世阿弥が
書き残した「風姿花伝」にある
言葉です。
この言葉の意味を世阿弥は
「演者が自らのからだを離れて
客観的な目線を持ち、
あらゆる方向から
自分の見る大切さ」を語っています。
つまり
いい演技を行うために
自分自身の演技にだけ集中すればいい
ということではなく
周りを見わたし
前からも、後ろからも、斜めからなど
多くの角度から見てみなさい。
全体の中から自分の立ち位置を
確認しなさいという言葉だと
理解しました。
そして
この言葉を聞き考えると
僕たちのからだについても同じ。
様々な角度から今のからだを見て
周りとの関係性も理解し
状態を把握し
診断、治療に当たらないといけないことを
改めて気づかされた言葉です。
人間の本質は魂
人間の本質は肉体だけではなく
その中に宿る”なにか”と考えた方が
絶対的に腑に落ちます。
これを”意識体”と呼ぶ場合もあります。
人間の本質は
肉体でも脳による思考でもなく
実は、それらから独立した意識を伴った存在
なのではないでしょうか?
一般にこの損自我肉体と繋がっている時は
”魂”と呼び
肉体と離れると”霊”と呼ぶのでしょう。
そして
この意識体が、肉体と繋がっている時を
我々は{生きている}といい
肉体から離れることを「死」と
呼んでいるのです。
肉体から離れた意識体は
肉体から離れても滅ぶことなく
自然に帰っていくと考えられています。
肉体は滅んだ後は
意識はのこり、僕たちの意識体はずっと存在していくのです。
だとしたら
死んだら終わりという生き方を
変えていかないといけませんね。
天の理にかなった暮らしが一番
日の出と共に起床し(早起き)
よく働き(からだを豆に動かす)、
その土地の旬の食材を使った食事をとり
好き嫌いをせずによく噛んでいただく。
(農薬の心配のない新鮮な野菜、保存料などを使っていない
手作りの食事)
何事にも感謝と思いやりのこころをもち
(ストレスを生まない)
帰宅したら手をよく洗う(清潔)
日暮れにカラスとともに返り、
一家団欒で夕食をとる。
そしておとなも、こどもも21時になれば
当然のように就寝する(早寝)。
これが
今の日本人にあっか
基本の生活習慣なのだと思う。
思い返せば、昭和の時代の生活
それも戦前までの生活なのだと思う。
現代の生活は
テレビ、車、携帯電話、スマホ、パソコン、冷暖房完備など
昭和の時代よりも
ずっと便利な文明の利器があふれていています。
すぐ、知りたい情報を
受け取ったり
欲しいものを手に入れたり
住環境も快適になっています。
でも、現代は、昭和の時代よりも
人間だけでなく、ペットまでも
健康に不安を抱えている時は
なかった気がします。
なぜ、こんな状況になったのか
文明の利器に頼るのではなく
自分の生活を見直すことから
考える必要がある気がします。
1日は神様の日
今日から4月になります。
毎月1日はきますが
4月1日は、節目の月、年のはじまり
新たな生活が始まる
特別な少し緊張する日ではないでしょうか?
実は
1日というのは
人間界だけの話ではなく
神様の日ということで
神棚があるおうちでは
できるだけお供え物をしましょう。
お供え物をしても
実際神様が召し上がられる訳ではない
けれども・・・
お供えをするのは
お供えする日との
どうぞここでゆっくり、くつろいで下さいという
気持ちの表れなのです。
もちろん1日だけでなく
毎日お供えしてもいいですし
手元にお供えするものがなかったら
無理にする必要はありません。
大事なのは
ここでゆっくりしていただいて
という気持ちをもって
手を合わせて
神様とお話することだと思います。
是非
今日は神様と色々お話をしてみて下さい。
無駄な時間も必要
人生には無駄なことはない。
全て自分に起こったことは
自分にとって必要なことなのです。
車のハンドルにもアクセルにもブレーキにも
無駄と思われる遊びがあります。
その遊びがなければ
あなたの運転する車は急に曲がったり、止まったり
自分の意志以外の働きをし始めることでしょう。
人生にとって無駄なことは
ひょっとして回り道をしているように
思えるかもしれませんが
あなたの気持ちに余裕を持たせるために
あなたの視野を広げて
より安全に確実に生きる道を
気づくことができるのです。
人生には回り道が必要なこともあります。
その回り道を歩いたおかげで
今まで気づかなかった風景に気がつけるのです。
お陰様
「おかげさま」を漢字で書くと
「御陰様」と書きます。
そして、おかげさまという言葉は
一般的には、感謝の気持ちを表した
言葉として使います。
御陰様でいう
感謝の相手は誰なのでしょう?
この言葉が表している
感謝の相手は
自分が気づかないだけで
表に現れず、陰となって支えてくれる人が
いるのだということを伝えてくれている
言葉だと思うのです。
自分の気づけない形で
応援している人を気づくのは
現実的には難しいし
中々難しいです。
あなたを直接応援してくれていなくても
悪口をいったり
足を引っ張っているような人でも
角度を変えてみれば
あなたの成功の力になってるかもしれません。
そして、なんといっても忘れてはいけないのは
あなた自身のからだです。
あなたのからだの中の細胞のひとつひとつが
あなたの成功の力になってたのは
間違いありません。
少し、スピリチュアルな見方かもしれませんが
両親、祖父母だけでなく
全てのご先祖様があなたのことを
陰ながら支えてくれていたかもしれません。
人は
自分自身で気づかないくらいの人たちに
支えられて生きているのだと思います。
だから見ぬものに対しても
感謝の気持ちを忘れないように
「御陰様」の気持ちを常に持ち続けねばいけないのです。
お任せしよう
お釈迦様は
人間の苦しみの根源は
「生・老・病・死」であると感じ
その苦しみから人を救おうと
修行され、仏教を開いたといいます。
考えるてみると
生きている限り
この4つの苦しみから逃れることはできず
僕も苦しんでいますし
苦しみに襲われることもあります。
この4つの苦しみから逃れることはできません。
生きている限り病気にもなります。
でも病気を克服して健康になったとしても
健康になったからといって
自分が変わったわけではなく
健康の時も、病気の時も
更に生きることも、死ぬ瞬間まで
全てが僕のいのちなのです。
ですから
全て受け入れることは
自分が自分らしく生きて行くことだと思います。
ですから
「生・老・病・死」だけでなく
人生でいいことも悪いこともおこっても
全てが自分の人生。
生きられるのはお釈迦様のいうように
大きな存在のおかげであるなら
その存在に全てお任せして生きることができたら
全てのことが僕を優しく包みこんでくれるのです。
病と病魔とのちがい
病気になった時
よく”闘病中”という言葉が使われます。
この言葉は
病気と闘うのだという意味でしょうか?
病気は敵なのでしょうか?
病気はあなたを苦しめているから
闘わなければならない。
という、どこか敵を作って
自分を鼓舞する言葉のようにもとれます。
この闘病という言葉
なんと闘うのでしょうか?
僕は闘う相手は
病気ではなく、病魔だと思うのです。
”魔”は仏教の言葉でもあり
別名”奪命者”と訳されます。
広くは、
「生命力を奪い、生きることを阻もうとする働き」
のことだそうです。
ですから
病気は生命力を奪う物であることには変わりはないですが
それは目に見えるものであり
もっと闘う相手は
病気の奥に隠れている魔なのです。
精神力の磨き方
誰もが健康でありたいとともに
精神力も強くしたい、磨きたいという人は
多いことでしょう。
精神力が上がったなぁと感じる時って
どんな時ですか?
精神力があがると、どうなりますか?
精神力が上がっている時は
何かに集中できている時では
ないでしょうか?
精神力の源は
「好きなことをしていること」
「楽しんでいる」
ところにあるのではないでしょうか?
人生「好きなことをやっていけたら」
精神力もアップし
充実した人生を歩めるでしょう。
でもずっと長い時間楽しめるづけることって
そんなにたくさんないし
人は楽しいことになれてしまい
もっと楽しくなることを探そうとします。
そんな時
自分が楽しむだけでなく
周りの人が喜んでくれたり、褒めてくれたりすると
その笑顔が、言葉をもらうことで
楽しさが持続できるようになります。
ここに人の生きている本質を感じます。
ダライラマ法が
人間の本性は利他と慈悲のこころであり
これが僕たちの魂の正体だといっています。
だから
利他の行動を起こすと、
自然にこころ、魂が反応するのです。
そして同時にこころも魂も、精神力も磨かれるのです。
医師に必要な4つの力
これから世の中は
AIの登場で大きく変わると思います。
色々な職業が、働き方が
様変わりすることが考えられるます。
でも
僕は人間しかできない力があるか切り
医者という仕事はなくならないと思います。
医者としてはAIが単純作業をおこなってもらえば
仕事内容は効率よく
もっと、患者さんに寄り添うことに
集中できるのではないかと思います。
そのためには
医者として働くためには
AIがもっていない
能力をもっているからです。
その力とは
身体診察力、論理思考力、プレゼンテーション力
コミュニケーション力でです。
つまり
ひとりひとり大事に、丁寧に
その方に寄り添って診ていく
指先から感じるとる能力が
身体診察力です。
そして、自分で得た、感じたことから
診断し、そして
患者さんに一番の治療を選択していく治療法を
選択していく能力が
倫理思考力です。
そしてその選択をした理由などを
患者さんに伝えないといけません。
それも目の前の患者さんに対して
わかりやすく伝えなくてはなりません。
それがプレゼンテーション力です。
最後は
診療は独りでは行えません。
看護師さん、事務の方、薬品の卸さん、検査会社の方
また時には他科の医師とも連携して
診察を進めなければなりません。
そのためにもコミュニケーション力が必要になります。
この4つの力が大切ですが
どの力も、医者として
目の前に患者さんのために働こうといえば
日々磨かれていく力です。
AIにはできない医者としての力は
患者さんのために自分の今もっていることに
全身全霊込めて働くことだと思うのです。