投稿者「santa」のアーカイブ
聞き役に徹する
年を重ねていくと
それなりの経験をするので
その経験を
自分だけのものにするのではなく
この経験を人に、特に若い人に
伝えたくなり
ついつい多弁になってしまうこともあります。
でも
これから自分がどれだけのことが
経験できるかと言えば
どう頑張っても
これからの人生の時間や活力は
これまで通りにはいけないし
世の中には
自分が経験してないことを
山ほど経験している人がいる。
だからこれからは
多くの人の話に耳を傾け
聞き役に徹し
自分の経験とコラボしたら
大きな何かをまだまだ生まれるかもしれないと
思うのです。
好きなことの嫌い
さて、今日は好きでやってる仕事でも
その中に好き嫌いはないですか?
好きな仕事の中にある嫌いなことについて
考えてみました。
実は僕は注射をするのもされるのも大嫌いです。
だから、こども達にも注射はできるならしたくない。
でも
自分は医者だから、
嫌いでも注射をしないといけない場面があります。
注射をする時こども達は、
僕のことを悪魔か鬼に見えているかもしれない。
こどもの笑顔を守るのが小児科医なのに、
目の前のこどもを悲しませてしまい、
医師としての思いに矛盾した行動に戸惑うこともあります。
でもその時、心の中の医者の良心が叫ぶんです。
”この注射をしないと、もっとこの子を悲しますことになるよ。
命を奪われてしまうことになるかもしれないよ。
そうなってもいいの?”
僕は我に返るのです。
今僕が逃げてしまうと、
誰がこの子を救うの?この子を救えるのは僕しかいない。
ひるんだ心を、医者の良心が一瞬で追い払い、
”この子にどう思われてもいい、
目の前の子どもが早く元気になることを、
笑顔で過ごせること”を願い注射をします。
終わった後は、不思議と一瞬で空気が変わります。
こども達の気持ちが僕の心に伝わってきます。
僕は、こどもの頑張りに応えるために、
最高の笑顔でこどもを送り出す。
注射をしたこどもたちは、また受診する時、
注射をされるかもとおびえるて来院されることはあっても、
先生は嫌いと言われたことはありません。
注射がないと分かれば、安心して診察を受けてくれます。
注射を打つ時は
僕のことを鬼と思ったかもしれないけど、
鬼ではないんだねと
お互い安心して診療が始まります。
これは、仕事上の嫌なことの話だけど、
注射の時の問題だけでなく、
日常生活でも、目の前の人が、
今嫌がってることでも、
心を鬼にして行われないといけないことは
あるのでは4ないでしょうか。
その時は気づいてもらえないかもしれない、
理解してもらえないかもしれない。
でもその時に相手を思う心は、必ず伝わると思うのです。
嫌な事でもだから、
いいことはもちろん伝わる。
だから、
いつも目の前の人のしあわせを念じて接することが
大事なのだと思う。
そうすれば
しあわせな関係が生まれる、
しあわせの絆が広がるのだと思う。
人
かつてテレビドラマのセリフで
「人という字は
人と人が支え合っている姿を
表している」
がありました。
確かに
棒に見立てた二人の人間が
支え合っているようにもみえるけど
ちょとうがったみかたをすると
「支え合っているように見せかけて
長い棒が短い棒の方に寄りかかっている。
長い棒の方が楽をして
短い棒は苦労している」
と見えると。
確かにそう言われれば
そう見えてきます。
どんな見方をしてもいいのですが
この人の字はをみて思うことは
確かに
人と人は支え合って生きている存在なんだ。
これは
僕にとっても言えること。
医者として診療していて
患者さんの病気を治して
患者さんを支えて働いているけれど
患者さんを診ることで
僕は生きることができる。
自分の
誰かの役に立ちたいという気持ちを
患者さんから頂いている。
だから
次の患者さんに対して
また向き合う力を持つことができているのだということ。
つまり
僕も患者さんに支えられて
生きているのだと言うことに気づいた。
そう言えば
ブラックジャックも次の様に叫んでいた。
「それでも私は人を治すんだ。
自分が生きるために!」
性格
今日は、自分の性格について。
自分の性格には、好き、嫌いがはっきりしてる。
もし、自分の性格の一つ今変えられるなら・・・・
どんな性格になりたいか考えてみました。
僕は、揺るぎない力に溢れた強靭な精神力を持ちたい。
決断した後も、迷うことなく、ブレることなく
自信に満ちた行動ができる精神力を持ちたい。
ブレない決断をすることは
独裁的、独りよがりでは困ってしまう。
そのためには、やさしさ、思いやり、賢さ、先見の明、リスク
全ての事柄を瞬時に正しく判断することが求められる。
そのために、日頃から
自分をそして自分の行動を信じること。
自分のとった行動が、自分だけでなく
周りのにとにとっても良い結果をもたらすと信じること。
が行動の基準になるのだろう。
そうなるためには
いつも周りの人の思いやりの心を持ち続け
周りの人が望んでいることを知ろうとする努力
自分がとった行動が人にどんな影響を及ぼしたかを
日々意識することが大事だと思う。
強靭な精神力を培った上での行動によって
周りの人から慕われ、信用され
共に行動する同志が増えていく。
その同志と共に誰に対しても
思いやりある決断と行動をすることで
多くの人に安心と平和そしてしあわせが
訪れることが願いです。
どうすればよかったか?
今年一発目に観た映画。
この映画は
医学部生が突然統合失調症を発症し
その後の家族を含めた人生を
家族が記録したドキュメンタル映画。
観た後の感想は
映画の監督が、家族が、そして何よりも
どうしたらよかったかと考えただろう本人
だけでなく
見終わった後も、自分自身も
どうすれば良かったのかと
思い気持ちにさせられた映画だった。
医者の家庭に生まれ
医者の道を歩み出した時に
突然発症した統合失調症。
医者である両親は
病気でないことを信じ
病気にさせられるのも怖れてなのか
病気受診を拒否し
もちろん専門的治療をもうけず
30年間自宅で
両親の監視の下
ひきこもった生活をしていた。
そして
彼女が治療のきっかけとなったのは
母親が認知症になり
母親の今後の生活を考え
彼女は初めて専門治療を受けた。
幸いに
治療法が見つかり
症状は改善したが
その後母親の認知症は進行し
平和な家族生活は長くは続かなかった。
今
母親、そして本人にも
病気のことをどう考え
どうすればよかったかと
確認する術はない。
ただ、現在生きている100歳を超える父親は
もしかしたら
病気だったのかもしれないけど
あれで良かったと思うと答える。
そして
家族全員で抱えた問題を
映画として公表することを許可された。
それは
この家族の問題を観て
あなた方だったら、どうすれば良かったと
思いますか?
あなたが親なら
あなたがその本人なら
・・・・
強く強くいつまでも
こころにのしかかってきた
映画だった。
関係を育てる
こどもの時
植物でも、動物でも
何か自分で育てた経験って
おとなになった時
人間関係を気づく時に
役に立つのだと思う。
友達との関係も
誰かを好きになった時も
人との関係は作るものではなく
育てるものだと思うから。
仲良くなりたくて
勇気をだして一歩を踏み出し
仲良くなった後
いつもいい関係ばかりじゃない。
時には壊れそうになったり
傷ついたり、傷つけたり
でも
また元の状態になれるように努力して
お互いの関係が深まっていく。
その時に大事にして欲しいのが
”育てる”という愛情。
関係を育てるって
”こうすればいいよ”
”そんなことしたらだめだよ”と
自分の考えで
口を挟むことじゃなくて
自分の意見じゃなくて
相手の気持ちになること
だと思う。
”あなたは今どうしたいの?”
”何に困ってるの”
”どんなことに喜びを感じるの?”
”どうされると嫌なの”
相手の立場で
考えよう、答えを見つける努力することで
関係は育っていく。
でも、その答えを
いつも帰ってくるとは限らない。
人は、動物や植物と違って
話すこともできる
聞くこともできるのに
知らないうちに
相手の言葉に耳を傾けていなかったり
自分の思いだけを話したりする。
その時に
こどもの時育てた
何もしゃべらなかった花のこと
何も教えてくれなかった動物のこと
を思いだしてほしい。
あなたの可愛がってる
花を動物のことを
少しでもわかってあげたいと
目、耳、鼻、全身を使って
観察したと思う。
そして
自分なら・・・って考えたと思う。
五感をすべて使い
想像力を駆使して
あなたとその人との
”関係”を育ててほしい。
そうすれば
美しい花が咲くはずだから。
キーワード
今日は今生きている自分というものを
自己紹介形式で3つのキーワードに絞って
書いてみようと思います。
僕は池内克彦と申します。
職業は医師。
赤ちゃんやこどもの命を守る小児科専門医として
こどものこ家族の健康を守る家庭医として日々働いています。
小児科医の仕事を一言で言えば、
自分で意思表示の出来ないこどもの命を守ることです。
だからみなさんに大変だねって言われます。
そこで今日は
どうして自分が医師それも小児科医になったのか?を
3つのキーワードに沿ってお話しします。
第一番目は“笑顔”。
笑ってないこども、困ってる人やしあわせでない人を見ると、
なぜ?どうして?笑わないの?体の具合が悪いの?
笑顔でない人をほっとけないのです。
いつも笑顔でいてもらいたいのです。
第二番目は“愛”です。
親がこどもを愛する、人が人を愛する。
愛情を注いでいるものに対して、
僕もその愛を全力で応援して支えてあげたいのです、
愛を守り、愛を大事にしたいのです。
そして
最後は“信頼”。
自分を信頼してくれるのなら、
その人を全身全霊込めて守りたい
という気持ちが起こります。
あなたに信じてもらえたら
僕はどんな時も頑張れるんだと思います。
“僕を信んじて、
頼ってくれる人が笑顔でいるために、
全身全霊愛をもって生きていく。”
それが
僕が今医師たる理由なのかもしれません。
そして、
これからも多くの人が、
今よりも
しあわせで愛あふれる豊かな人生を送れるように
日々医師として信頼と愛を持って生きていくのだと思います。
あなたにとってのキーワードっては何ですか?
人間が創った神
ある宗教家の方が
こんなことを言っていた。
「人間は神に間違い電話を
かけているのではないか。
人間を創った神ではなく
人間を創った神に。
この言葉を聞いて
納得してしまった。
人間が創った神だから
多額な寄付を請うたり
お布施を要求されたり
人間が創った神だから
欲しがるものも、
人間と同じ
自分の欲を補うもの。
新興宗教の多くは
教祖がいて、教祖を神のように崇め
壺を買わされたり
政治家でさえ票を買ったりする。
人間が創った神だから
欲しがるものは
人間と同じ。
そんなわけはない。
神さまが人間と同じものを
欲しがるわけはない。
冷静に考えると
わかるのだけれど。
神さまが
この宇宙の全てを創った方。
人間、動植物、あらゆる自然環境が
共存する地球も創った。
人間の身体の構造も、
空気中の酸素と窒素の割合など
自然の法則の全てを
神さまが造られた。
そんな力のある神さまに
我々は手を合わせる。
手を合わせた時願うのは
家内安全や商売繁盛、無病息災
世界平和など
でもこれって、神さまの力だけでなく
人間ひとりひとりの
努力も必要です。
だから
神さまに願うのは
自分の欲をそぎ落とした
今いのちをもってることに
感謝を伝えることでいいのかもしれない。
最近の授乳風景
小児科医をしているので
お母さんが我が子に授乳している風景は
よく見かける。
赤ちゃんがお腹を空かして泣くと
授乳するのは今も昔も変わらないが
自分がこどもの時の
いわゆる昭和の時代は
授乳室といった気のきいた場所はないし
ミルクもそんなに流通していなかった。
だから、お母さんは
バスに乗っていても
町中をあるいても
赤ちゃんが泣けば
乳房をだし、赤ちゃんに直接母乳を
与えていた。
その光景に
こどもながらに、目を伏せ赤面していながら
エロスよりも女性、母親のたくましさを
こどもながらに感じていた。
時代は進み
現代は授乳室もトイレと同様に
整備されるところも増え
母親が授乳する光景を目にすることは
少なくなった。
でも
自分は小児科医なので
授乳している光景を目にすることがある。
もちろん、待合室で
直接母乳をあげているお母さんは
目にしなくなった。
それに対して
最近は片腕で我が子を支え
片手で器用に哺乳瓶を加えさせ
もう片手には携帯をもち
携帯の画面を見ながら
器用に親指だけを動かしているのを
よく見かけるようになった。
母乳を吸う赤ちゃんの顔を
ほとんど見てないのです。
大事な授乳中でさえ
もっと緊急を要することのように
メールの確認や打ち込みをしているのです。
その光景を見ながら
目の前の我が子という現実の世界より
携帯の中のバーチャルな世界の方を
大事にしてるように思えて
今後の子育てはどうなってしまうのか
危惧してしまうのです。
アンチエイジングとスマートエイジング
人は年をとりたくないのは
人類の永遠の願い。
大昔から不老長寿の薬や方法を探していても
今だ見つかっておらず
最近では
アンチエイジングというように
少しでも若くいることを
目指す傾向にあるように思えます。
このアンチエイジングの言葉の裏に
年をとることは
「病気になること」「醜くなること」など
老いることに対するマイナスのイメージが
あるのではないでしょうか。
でも
人類にとって、どの生物も
老いることは避けてとおることは
できません。
そこで
東北大学医学部の川島隆太教授は
スマートエイジングという考え方を提唱されています。
つまり
年をとることは成長現象であるという考え方。
年をとるということは
より賢くなると言う考え方。
90歳の方が5年後に95歳になった時は
随分と成長されましたねという社会作りが
これからの高齢化社会では必要だと思うのです。