投稿者「santa」のアーカイブ
SEIZE THE DAY
この英語の言葉を
日本語に訳すと
「この日を掴め」つまり「今日を生きろ」とも
言えるのだと思う。
人間は時間軸で考える時
過去、現在、未来という風に
分けて考えがちだけど
人間が生きている時間は
この現在、今という点でしかない。
過去は
その時点を生きていた人間が
作り出した幻影。
未来は
今を生きている人間が
描く幻想。
今を生きている人間が
過去を意識するのは
今をもっとよくしようと思うから。
未来を描くのは
今をがんばるためのえねるぎーになる。
今を生きるために
過去も未来が存在する理由を
忘れずに生きていく。
手本になれる老人
こどもの頃
おとなや先生などに
「年上の人を尊敬しなさい」
「お年寄りを敬いなさい」と
よく言われたような気がします。
でも、
最近はそんなことを聞かれることが
少なくなった気がします。
現実だけの話しではなく
小説や映画、漫画の中においても
知恵を持ち、賢く、強く
何よりも
若者がもっていない経験を元に
若者が困ったと時に助け
若者は経験と知恵を持ち合わせた老人を
崇める存在として描かれていました。
しかし
現在はというと
高齢社会が進み
長寿にしたがって、肉体の衰え
認知症に悩み
年金生活となり
日々生活するのもやっとこさ
いや、社会の援助がないと暮らせない
苦悩して生きている
老人の姿が報道されています。
そんな姿をみて
老人は自分たちのお荷物。
若者は年をとりたくない。と
思っている人も少なくないでしょう。
僕もこれから
老人と言われる領域に足を踏み入れます。
昔の長老のように崇められなくてもいいけど
少しでも、僕の生きてきた経験が
若者の生きていく道の参考になればいいと思うし
そうなれるように生きていければと
思っています。
今若い人でも
必ず老の日は訪れるのです。
若者の生き方の手本に少しでもなれるように
僕の生き方を紹介します。
しあわせはお金では買えないというけど
日本人は
お金ではしあわせは買えないし
お金があるから
決してしあわせになるわけでないことを
知っている。
お金をもつと
人は変わってしまう人もいる。
大金を手にすると
欲が膨らんでしまうこともある。
お金を手にすると
人は失わないように
人が変わったように守ろうとする。
お金は悪者扱いされやすい。
確かに
金には魔物的な要素がある
怖ろしい面もある。
でも
お金で買えるしあわせもある。
その最たる例が
寄付すること。
匿名でなく、目の前に喜んでいる人が
自分のお金で喜んでもらえる笑顔をみると
うれしくなるんじゃないだろうか。
お正月
旅行にいくと
旅行先々で
おじいちゃん、おばあちゃんが
大家族を束ねて旅行している一族に会える。
宿泊し、交通費、食事代など
多くのお金がかかるだろう。
でも、お金を出すおじいちゃん、おばあちゃんの
なんとうれしそうなお顔か。
お金をだしても
しあわせだと思えるお顔。
そんなお金の使い方があるのだと
思ってしまった。
なぜ老いを考える?
高齢化社会が年々進むにつれて
どう老いるかは
社会的問題にもなってきている。
そういう自分も
今年還暦を迎え
当分先だと思っていた老いが
身近に感じるようになり
これからどう老いるかが
自分らしく人生を歩むために外すことができない
問題になってきました。
老いる時期を迎えると
この時期の生き方が
自分の人生の結果にも繋がるといっても
過言ではないと思います。
今までの自分の生きてきた社会は
物にあふれ
飽食と美食を追い求め
まずは自分と自分の周りの家族のしあわせを
追求することが
大事な目標になっているのが
現代社会の実情ではないでしょうか?
今では自分のしあわせをまず追求して生きること
を当たり前だと思っているけど
自分たちの親世代までは
自分だけのしあわせを追求することを
どこかエゴイズム、恥ずかしいことと
考えていたので
あまり公言せずに腹の中にとどめるように
生きていた気がします。
不幸な戦争を経験し
より自分を犠牲にしてでも
僕たちの自由を守ろうとしてくれた結果
現代社会は
若者中心の文化になってしまいました。
自由を謳歌した若者も
いつのまにか老いてしまうのです。
その時になってどう生きていくか迷わないように
迷いたくないと思います。
今還暦を迎え
これからどういきるかが
人生の目的結果になると思うのです。
そこで
これからみんなと
これから新しい老いる生き方を
考えて行きたいと思います。
はじめにしあわせがあった。
真夜中、ひとり
目には見えない
くり返す波の音を聞きながら
思う。
今もくり返される
波の音は、いつ始まったんだろう。
地球が生まれてきた時から
刻み続けられている
正確な永遠の時間。
でも
波の音に耳を傾けていると
打ち寄せてくる波の音は
全く同じ音ではないことに
気がついた。
波の音に
風の木々を揺らす音が重なり
雨音の音が
絶妙なハーモニーを醸し出している。
この自然のハーモニーを
最初に作り出した人は
きっと人間の
いや、世界全体のしあわせを願って作り
永遠にしあわせを作り出すと
思っていたにちがいない。
この世界ができた時には
確かにしあわせが合ったのだと思う。
そのしあわせな時間を壊してしまったのは
ひょっとしたら
人間なのかもしれない。
主人公
臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺先生が
著書「臨済録に学ぶ」の中で
京都の禅寺相国寺の田中芳洲老師の
次のような詩を紹介していました。
この身に
地位・名誉・財産・学歴・男女などに汚れない
主人公がいる。
あなたにも、誰の中にも、
その人の主人公が紛れもなく住んでいる。
彼は私が善いことをした時には
私に心の底から喜びを与えてくれる。
彼は私が悪いことをした時には
私の心に動揺と反省を与えてくれる。
誰にみていないと思っていても
いつもどこでも私の心と行動を観ている。
彼は自分を偽らず
悲しい時には素直に涙し
うれしい時には心の底から喜び
怒るべき時には晴天の雷のごとく
雷鳴の後には雲ひとつなく
和らいだ光を放つ
そういう「主人公」に出会えた時
人は歓喜し「悟りを得た」というのである。
ここでいう「私」は
普段考えたり、思ったりしている
自分のことです。
それとは別に
自分をどこかで観ている存在がいる。
それをここでは「彼」と言っています。
一般的に言えば
神やお天道様とも言えます。
それが「主人公」であり、
そんな本当の自分が誰の中にもいるのです。
健康が目的ではない
新年の決意で
“健康”を第一に掲げた方も多いことでしょう。
でも
あなたは今年健康であればいいですか?
健康であれば、ほかに何も望みませんか?
実は
盲目的に健康を目指す方は
意外に不健康であることの裏返しだと言われています。
健康を目標に掲げた時
健康が目標になっていませんか?
健康が人生の目的になっていませんか?
健康でいたいのは….
“やりたいことをやるため”のはず。
ただ、健康でいるだけが目標でないはず。
たとえ今病気であっても
元気になれば、やりたいことがあるはずです。
どんな人も
健康であるその先に
健康のからだになったら、どうしたいかが
きっとあると思います。
実際
人生に目標があり
日々目標に向かって“芯”“軸”のある
生き方をしている人は
からだも強い人が多いのです。
健康であるということは
人生の目的でなく手段にすぎないはずです。
東洋医学に
“心身一如”という考え方があります。
心とからだは繋がっています。
心が元気なら、からだも元気なのです。
心が健やかなら、からだも健やかになります。
やりたいこと
やらないといけないことがある
そのために生きていることを感じて
日々過ごしている人は
心身とも健康を望み
人生を全うするのではないでしょうか。
使命を感じて生ききる
それが
より良い事実した人生を送ること
になると思います。
みなさんが
健康でご自身の生きていく目的が
成就できること願い
応援していきたいと思ってます。
☆ 今年の倫理法人会の書き初めで
“黎明”と書かせていただきました。
黎明とは、夜明けの意味。
今年一年、何かが変わる、変わらないといけない
そんな予感がして、書きました。
今年一年がどんな一年になるかわかりませんが
きっと明るい未来が待っていると信じて
目標、目的を持って突き進んで行きます。
素敵な友達
人は一人では生きていけない。
だから人との出会いは
人生の中でとっても大事。
どんな人と
友達になるかって
とっても大事。
出会った時
素直な心で”素敵だ”と思える人と
友達になれたらとってもしあわせ。
気が合う友達
つきあいやすい友達
お互い気がゆるせる友達。
友達と一言でいっても
いろいろ。
自分が安心できる人は
みんな友達。
”素敵だな”と思える人とも
友達になって欲しい。
友達に
年も性別も関係ない。
”素敵”だと思える人と
友達になってほしい。
その友達は
自分を成長させてくれる。
そして
豊かな人間関係はもたらしてくれる
でも、求めるばかりではだめ
そのためには
”学ぶべきことを学ぶこと”。
”いつかこんな人と友達になれるように”
日々努力が必要。
自分も
”素敵な”友達になれる
準備をしておかないと。
友達にはなれない。
”素敵な”人は
いつ会えるかどうかもわからない。
でも
いつも会うための相応の準備をしないといけない。
こんな”素敵な”人と友達になりたいと
強く思えば、思うほど
そのチャンス、方法が見つかるはず。
そして
友達になってもらおうと
自分磨きをすることになるでしょう。
ですから
あなたと友達になった時は
その人にとっても
あなたはいい友達になり
あなたからも
多くのことを与えられる人になっていることでしょう。
そして
きっと一生の宝物になるでしょう。
そんな素敵な友達と
出会ってもらいたいです。
素直な心
若い時は
「上へ上へ」と上を目指してがんばる時。
憧れのおとなを目標に
なりたい自分目指すためには
成長しないといけない時期。
成長するためには
いつも自分はスタートラインに立ってるという
気持ちが大事。
”チャンスがある”と思った時には
後ずさりすることなく
手を伸ばして
その”チャンス”を掴んで欲しい。
成長するには
チャレンジすることは不可欠です。
でも
いつも成長できるわけではない。
いつもチャンスがつかめるわけじゃない。
その人の持って生まれたもの、環境などで
成長の度合いも違ってくる。
思ったように成長できず
落ち込んでしまうこともあるかもしれない。
そんな時は”上”ではなく、周りをみたらいい
周りに共感できるものを探してみたらいい。
その時大切なのは”素直な心”
いつまでも
こどもの時からもっていた透明な心で
まわりをみて
向き合い、感動したり、驚いたり、喜べることを
見つけられる心が大事。
どんなことに対しても
素直な心で向き合えば
どんな時でも
1つや2つはきっといいことが見つかる。
素直な心を持ち続ければ
必ずいいところを見つけることができる。
いいところを見つければ
そのことに興味をもち、勉強し
もっともっと、深く学ぶようになり
自分の器が広がっているのに気がつく。
素直な心は
それは成長するために必要な心。
こどもの時
誰もがもっていた素直な透明な心。
いつまでも
素直な心を忘れず持ち続けてほしい。
祖先から受けついだ温かい人間味
1960年頃
イラクにあるシャニダール洞窟で
ネアンデルタール人の9体の人骨が
発見されました。
このネアンデルタール人は
今から3万5000~6万5000年くらい前に
生きていた人々であったことが
推定されています。
この人骨の周囲には
多くの花の花粉が落ちていて
埋葬された時には
多くの花に囲まれていたのかもしれません。
周りの人に大切にされ
その死を悼む心が
ネアンデルタール人にもあったのでしょう。
それとともに
僕がびっくりしたのは
この人骨のひとりは
左の眼窩が粉砕骨折していて
右手がなく、足の骨も変形していて
この状態ではうまく歩けなかったことが
想像できるのです。
何らかの事故による損傷かと思うけど
驚いたのは
その怪我が原因で死亡したわけではなく
しばらく生きていた可能性があると
言うことがわかったというのです。
つまり
目も見えない
右手も使えない
つまり自分では何もできない
みんなの力を借りて生きていたという
事実なんです。
現代よりも
医療もなく、過酷な自然の中で
仲間を必死で介護して
共に生きようとした
ネアンデルタール人の心に触れた気がして
胸が熱くなったのです。
そして、その時
その熱い思いが
自分のDNAや魂にも刻み込まれていることを
知ったのです。