今日の言葉」カテゴリーアーカイブ

初発心時 便成正覚

この言葉は
禅の言葉ですが
この言葉は「初心忘るべからず」と
似て非なる同義の意味があります。
この意味は
修行をしようという心を持った時に
すでに正しい悟りがなっている
ということです。

何かを始めようとした決意した
その瞬間にすでに
悟りの境地に達している
ということです。

ですから
何か始めようと決意して
実行し始めることに
大きな意味があるということでしょう。
ですから
この一歩踏み出すことが
大事なのです。

しかし
動き出すと
どうして結果が出ないのか?
やり方がわからなくて
投げ出してしまいたい時もあるでしょう。

そんな時には
是非決意した時の
やる気にあふれた時を思い出しましょう。

初心を忘れてしまうと
その後の人生は尻つぼみになってしまいます。
そして
人生は長く思えても
瞬間、瞬間の今の積み重ねです。

毎日
初心の心を忘れずに
生きて生きたいものです。

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不幸を受け入れる

これは
アメリカの精神医学者シーベリーの言葉。
人間でいる以上
避けられないことは、受け入れようと
いう言葉です。

人は、年取って衰えを感じると
何だか不幸に向かって進んでいるように
感じてしまうかもしれません。

老いを落ちぶれてしまった
と感じる人もいるでしょう。
老いを落ちぶれたと考えてしまうと
最期の時に
「我が人生に悔いなし」と言えなくなる気がします。

老いは
若い時と比べて引け目を感じることはない。

体力が落ちたとしても
それまでの経験があるから
がむしゃらに走り抜けなくてもいい
若い時に比べて
先が見えるようになっているし
若い時には見えなかったものが見えてくるから
意外と老いるのも楽しいものです。

そう感じるために
自分が自分らしく生きていくことが大事。
人の生き方を比べて生きていくと
自分を見失って
落ちぶてたといつも感じてしまうようになるのです。

そして
老いると、若い人に譲ることが増えてくるでしょう。
今までやってきたことをしなくなることは
悲しいことのような気もしますが
これまで消費していた時間を
手放したその時間を
これまでやりたかったこと、やり直したことに使うなど
人生を再構築できる時間なんです。

だから
老いることは嘆くことばかりでなく
楽しみ多くなる時期なんだと思います。

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ラビンドラナート・ドゴール「果物採集」より

最近
海に行き、山に行き
太陽の光を浴びながら
海のものをとって食べ
畑に行って採れたての野菜を食べ
自然の中に身をおき
自然からのエネルギーを
いただくことがありました。
そんな時に
自然の中で生かされているんだと
感じた時に出会った詩。

ドゴールの詩「果物採集」

「危険から守り給えと祈るのではなく
危険と勇敢に立ち向かえますように

痛みが鎮まることを乞うのではなく
痛みに打ち克つ心を乞えますように

人生という戦場で味方を探すのではなく
自分自身の力を見いだせますように

不安と恐れの下で救済を切望するのではなく
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように

成功のなかにのみ
あなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく、
失意のときにこそ
あなたの御手に握られていることに
気づけますように。」

この詩の中に
だれにもどんな時でも
生きていく力が自分自身の中にあること
そして
しあわせに生きていくヒントがあるような
気がしたのでご紹介します。

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経済を回す

最近、物価高騰のニュースが
よく報道されます。

食料品もどんどん価格が上がると
国民の不満が大きくなり
その不満を抑えようと
企業に賃金を上げるように
要求してくる国の政策。

経済を回すことが
国が豊かになるから
お金を増やせばいい。
経済を回し、お金を扱ってるのは
経済界だから・・・・と政治家はいってるよう。

経済が国民を豊かにすると
きっと政治家は考えてるのかもしれないけど
実は国民が豊かになってこそ
経済も回り出すと思うのです。

最近の政治家の仕事の報道を見ると
裏金など
どこか自分のお金や権利を守る姿が
目につくのはなぜだろう。
裏金を作っても、党内の処罰だけ
誰がみても普通に法に触れるようなことをしていても
その采配にだだをこねる政治家。

裏金と認めても
そのお金を替えそうとはしないのは
国民のことを考えてくれいるのだろうかと
疑いたくなる。

国民が豊かにならないと
経済は回らないのに

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自分の価値を決めるのは?

人の価値は何で決まるのか?
誰にも承認欲求はあるから
自分以外の人に認められたい
褒められたい
認められたらうれしいもの。

そのために
日々頑張っている人も多いことでしょう。
頑張った結果として
給料があがったり、地位が上がったり
有名人と知り合いになったり
そうすると
自分も偉くなった気がしてしまいます。

これって
大きな勘違いです。

人の価値は
いくら稼いでいるとか
社会的に高い地位や立場にあるとか
誰かと付き合っているということで
決まるわけではないことを
憶えておかないといけません。

自分の価値を決めるのは
唯一、自分がどう生きているかだけです。

自分自身のことは
自分自身にしかわかりません。
自分自身に恥じない生き方をしていれば
どこにいても、誰と会っても
恥ずかしくない人間なのです。

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喜びのグラス

人の心の中には
喜びのグラスがあるのです。
自分の喜びのグラスをまず満たして
そこからあふれた時
そのあふれた愛情を使って
人に愛情を分けられるようになるんです。

だから
人に優しくするために大事なことは
自分をまずは自分に
愛情を注がないといけないと言うこと。

自分のこころの
喜びのグラスが満たされると
あなたの魂が喜んで
あなたにも素晴らしい力があふれ出すのです。

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疫病神と貧乏神

日本人は
八百万の神を敬い
全てのものに神様が宿っていると感じ
全てのものに崇めている。

世界的にみても
多くの神様を崇めている民族は珍しいのでは
ないかと思っています。

太陽、月、風、食物など
人に恵みを与えてくれるものを
崇めるのには誰も意義を唱える人は
いないでしょう。

でも、日本人は
病気などの災いが起こった時にも
疫病神がきた
貧乏になっても貧乏神に愛されてる
なんて、生活を脅かすものにも
神様が宿っていると
考えて、崇めている。

これって凄いこと。
苦しめられてる人を崇める姿勢
中々できない。

でも
病気でも貧乏でも何か意味が
あることなんですよね。

身の回りに起こったこと全てを
受け入れ、大切に受け止めることが
大事なんでしょうね。

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幸福はどこに?

幸福って、なに?
幸福って、どこにあるのだろう?
若い頃から
幸福を探しても探しても
どうしても見つからなかった。

その訳がやっとわかった。

初夏のような
どこまでも続く青い空を見ていて
目を瞑って
自分の顔を優しくなでるような風を感じた時に
幸福が訪れていたことに気づいた。

幸福を自分の外にあるものと思っていた。
実は
心の中に突然幸福は訪れる。

人は悩みがなければ
いつでも、どこでも幸福なんだと。
幸福は、決して外に求めるものではないことに
どこまでも広がる青い空が教えてくれた。

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得ではなく徳を求める生き方を

選択に迷った時
「損得」を基準に考える人は多いでしょう。
確かに物に恵まれ豊かに生きようとした時には
「損得」や「勝ち負け」という風な
二元論で考えることで
我々の生活は豊かになってきました。

でも
東日本大震災などの災害を経験した時
損得や勝ち負け判断できないことが
身近に起きることを経験しました。

損得だけでなく
善悪という価値観も
その時の常識で判断します。
でも常識は、時代が変われば、
また国が変われば
変わってくるのです。

ですから
善悪で判断することも絶対ではありません。

なら、何を基準に生きていけばいいのでしょう。
それは「徳」を求める生き方です。
徳の説明は言葉でなく、美しい物を美しく
楽しいことを楽しいと
感じる心を大事にして生きることだと思うのです。

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お手本探し

若い時には
よく自分探しの旅をしようと
海外に行ったり、アルバイトをしたり
未知の体験をして
自分のやりたいことや
自分の可能性を広げようとします。

本当に必要なのは
自分探しなのではなく
お手本探しではないかという気がします。

自分というのは、どこにいても
「今、ここ」にしか存在しないのだから
旅に出ても、仕事や環境を変えたところで
自分が見つかるわけではないのです。

それよりも
こうなりたいと思えるような
お手本がもてれば
目標とする人が
人生の岐路に立たされた時に
様々な方法で手を差し伸べてくれます。

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