「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
お盆の作法(お迎え)
お盆には
ご先祖様があちらの世界から
里帰り?される日といわれています。
信じるか信じないかは別として
日本には昔からのお盆のお作法があるので
今日は少しここに書いておきます。
ご先祖様がお盆に戻ってこられるのは
8月13日の日暮れからと言われています。
ですからお仏壇のお供えは(くだもの、お菓子)
13日の明るいうちに
お墓参りをしておきましょう。
その時
「来られるのを楽しみにしてます」というと
とても喜んでくれるような気がします。
日が暮れる前に
お仏壇に白玉などお団子を供えるのを
風習にされてる地方もあります。
お迎えの準備ができたら
玄関を5分程度開けていると
ご先祖様が入ってこられるそうです。
その後
仏壇のろうそくに火を灯し
お線香を焚いて、手を合わせて
般若心経を唱えられると
ご先祖様は喜ばれるて
お盆をお過ごしされるでしょう。
☆お盆期間中も
通常通り診療しています。
人生を無駄にする3つの考え方
人生は
その人の考え方次第で大きく変わります。
そこで
僕が考えるその考えるだけで
人生を無駄にする考え方を
紹介しようと思います。
まずひとつは
「愚痴を言う」です。
愚痴は過去に起こったこと、自分のしたことに対して
「ああすればよかった」
「もし、こうしていたら」など
過去の自分を後悔するような
言葉を吐いてしまったことです。
この言葉が反省につながればいいのですが
ただ愚痴を言うだけなら
その言葉はある意味呪いにもにた
言葉となって
自分に返ってきます。
決して
自分のためにならない言葉です。
二つめは
「他人を嫉む」ことです。
他人のことをうらやましがっても
あなたと他人は全く違う人間
決して同じ生き方をしているわけではないので
うらやんでも、何も変わらない
自分のためには何にもならないのです。
あなたの大事な時間を奪い
あなたの足を引っ張る言葉です。
そして、最後は
「誰かに評価して欲しいと願うこと」です。
あなたは、その人のために生きているわけでは
ありません。
あなたの全てを知らない人に
あなたの一部分しか観てない人に
あなたの全てを評価できるでしょうか?
あなたのことは
あなた自身しかわからないはず。
ですから
あなたが納得できるように
生きていけばいいのです。
そう、あなたが今自身をもって
生きていくことが
しあわせをもたらすと
僕は思うのです。
☆お盆期間中も
通常通り診療します。
みんながしあわせになるために
みんながしあわせになるためには
自らが変わらなければならない
ということに気づき
自然とその方向に進んでいっている
ことがあります。
そして
その動きに逆らわずと歩んでいると
急に仕事が変わる
今まで見えなかったもの、感じられなかった
ものが急に目の前に現れることような
不思議なことを体験するということも
お起こるのではないのでしょうか?
これはあなただけでなく
みんながしあわせになるために
あなたが動き出したことで
周りも動き始めたことです。
もしかして、その時
今までと違うと感じる
ミッションやジョブチェンジだとしても
これは必然のことだと
そのまま進むと
利他につながっていくのです。
ここには理屈でない
直観の世界なのです。
☆お盆期間中も
通常通り診療します。
学びが変われば師は変わる
この世のもの、事柄は
一定であることはなく
常に流れ変わっていくもの。
これは師についても同じ。
師においても
絶えず変わるものです。
ですから
人生において
師がひとりだということも
ありえないのです。
それは
人が同じ場所にとどまっていることはなく
成長し続けます。
そしてあるレベルに達すると
次のレベルを目指して
次の新たな場所での学びを
求めて旅立ちます。
そして新たな学ぼうとすると
新しいあなたに必要な師が現れるのです。
ですから
今のあなたが望む師にであうのです。
出会ったら、躊躇することなく
その師の教えを請えたらいいのです。
その時
それまであなたの成長を支えてくれた
今までの師に
感謝と尊敬の気持ちを忘れないことが
大事なのです。
☆お盆期間中も
通常通り診療します。
知足
知足という言葉があります。
この言葉は老子の
「足るを知る者は富み
強めて行う者は志有り」
という言葉に由来していると
言われています。
仏教には
これとにた言葉で
「知足安分」があります。
この知足を
老子の言葉を辿ってみると
「人間の真の富み、
つまり豊かさとは
精神の自由と簡素な生活の中にある。
自分の能力をわきまえ、
地位や財産を高望みしない。
己に見合った
こころの充足した生き方に努めよう」
と言っているのです。
物に縛られず
こころが自由に生きていくことが
大事だと教えてくれているのでしょう。
☆お盆期間中も
通常通り診療します。
汝は12時に使われ、老僧は12時を使い得たり
これは超州禅師が遺した言葉です。
この言葉の意味は
時間に使われるな。
自分が主人公になって
時間を使いなさいという言葉です。
何が起こっても、何があっても
自分が主人公になって生きなさいということ。
例えば
物事がうまく進まない時
人は壁にぶつかったと感じます。
その時、どうしますか?
壁を乗り越えるために
自分のモチベーションを高め
乗り越えようとしますか?
それとも
壁の前で
座り込んでしまい
ただ、目の前の壁があることに
嘆き悲しむことしかしませんか?
どうしますか?
どちらも、あなたの人生。
壁があなたの人生を決めるわけではなく
あなたが主人公になって
その壁にどう立ち向かうのか?
一事が万事にこれはあたります。
あなたは人生劇場の主人公です。
壁も、時間だってあなたの意志で使い切りましょう。
☆お盆期間中も
通常通り診療します。
違和感を大事に
人間は
起きている時
頭をフル活用して
様々なことを考えている。
それは
情報が頭に入ってくるからだけではなく
目に見えてきたこと
耳に聞こえてきたこと
味も、匂いの情報も
感じたらそれが自分にとって
どんな意味があるかを瞬時に意識しなくても
考えて、様々なことを判断していく。
だから
日々、いろんな不安や疑問が
頭の中に湧き上がり、渦巻いてくるでしょう。
これは生きている限り続き
この行為が生きていることだとも
思えるのです。
そして
生まれた疑問や不安をそのままにせず
その不安や疑問を解決しようと
行動しだすでしょう。
行動するために考え、考え抜き
ひとつの解決策が生まれることでしょう。
この解決策は
アイデアとも言えるし
このアイデアがあったから
人類は進歩してきたのです。
これは人類の進歩だけでなく
ひとりひとりの進歩、進化につながるのです。
ですから
今感じている疑問、不安を
大事に生きていくことが大事だと思うのです。
☆お盆期間中も
通常通り診療します。
生活道⑤ : 手紙を書く】
手紙を最近は書く機会が
少なくなりました。
電話やメールやラインなど
色んな伝達手段が増えました。
これらは
あっという間に
自分が伝えたい時に
相手に伝えることができます。
だから
書くのにも、相手に届くのにも
時間がかかってしまう手書きの手紙は
スピード感ある
現代社会では、億劫がられるのも
わかる気がします。
でも
こんな時代だから
手紙を書くことが大事だと思います。
丸山敏雄先生は
とても筆まめで
心血を注いで手紙を書いた
言われています。
手紙は
お互いの会話だから
気がついたら
すぐに書きなさい。
受け取ったなら
すぐ返事を書かないと
会話としての
手紙の意味をなさなくなると
おっしゃって
とても手紙というものを
大事にされました。
そして
手紙の書き方として
①わかりやすく
読みやすい文字で、簡単に、明確に
②礼儀正しく
心を込めて、相手の立場になって
③早く、美しく書く
事が良いと言われています。
最近では
手紙を受け取ることが少なくなりましたが
その手紙を受け取ると
その方の字をみると
その人の
姿が目に浮かんできませんか?
そして
その文面に
その人の生の言葉として
思いが胸に飛び込んできませんか?
手書きの字をみると
その人の思いが
ひしひしと伝わってきませんか?
そして
温かい気持ちに溢れてきませんか?
それは
メールやラインなど
デジタルの文字では
感じられないものではないでしょうか。
手紙は
直接話すよりも
心に響くことがあります。
会話は
言葉としての音は消え
後には残りません。
でも
心のこもった手紙の文章は
形として
いつまでも手元に残り
必要な時にくりかえし
人を励まし、力を与えてくれます。
心を込めた手紙
手紙を書く気持ちを持って
生きていくと
きっと
いい人間関係が生まれるのでは
ないでしょうか?
からだの音
からだの中には音がある。
心音や呼吸音、お腹の動く音
僕たちはその音を聞いて
患者さんの状態を判断します。
でも
実際にはからだが発して音は
もっと、もっとある。
血管に血液が流れる音だって
川の流れのように
血液が太い血管を流れる時や
細い血管を流れる時には
まるで大河や小川を流れる時の
音のように。
そしていつも同じところでも
閑かに流れる時も
荒れ狂ったような時もある。
他にも
細胞同士だって
信号を出し合って連絡している。
からだの中には
聴診器ででは判別できない音に
あふれている。
その耳に聞こえない
音なき音を聞き分けるのも
僕の臨床医としての仕事。
からだの内なる音、声を聞き
そしてその声を患者さんに伝えるのが
僕の医師としての仕事です。
自粛警察に学ぶ
コロナ流行時には
3密に気をつけようと
ひとりひとりが気をつけていましたが
どうしても、羽目をまずしてしまったり
自分本位の行動をとってしまい
感染を広げてしまうということがありました。
その様なことを防ごうと
ひとりひとりが気をつけるだけでなく
自分の周りに
3密を守らない人がいたら
その人を積極的に取り締まりならぬ
注意して回ろうという
行動を起こす方が多くいらっしゃいました。
そのことを”自粛警察”と呼んでいました。
今はコロナ終息と共に
自粛警察という言葉自体も
死語になってしまいましたが
これに似た言葉に
”健康警察”ということがあるのでは?
と思うようになりました。
健康警察
少しでも健康から外れると許せなくなってしまう。
健康であるためにこころを砕き
からだにいいと言われる情報を集めることに
神経を使い
自分の健康を状態を
常にチェックしないと落ち着かない
健康警察。
健康警察は
自分自身に対してなので
自分以外に対しての実害は
少ないかもしれませんが
自分自身をどんどん苦しめていってしまいます。
健康警察を続けていると
五感で満足するよりも
これが健康にいいと信じることに
安心を感じるようになってしまいます。
でも人は最後は
死んでしまうし、その前に
病気になってしまうことがほとんどです。
熱心過ぎるほどの健康警察で
その時に
健康のためだけに生きていなければいいかな?
と思ってしまいます。
健康警察もほどほどで
納得のいく人生を歩んで欲しいと思います。