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保育園を増やすことが子育て支援か?

選挙になると
政治家の方々は
少子化対策を公約の大きな柱に据えられます。
その中身をみると
保育所を増やして
待機児童を減らす・・・というのが目につきます。

確かに
女性が働きやすい環境になれば
子育てしながらでも
社会で自分の能力をいかせる
・・・・とは思うのですが。

それだけで
こどもを育てやすい環境が
整ったといえるのだろうか?
何か、大事な事を忘れてはだろうかと
気になるところです。

実際
東京都を例にとっても
待機児童は減ったといっていますが
出生率は1をきったと
その効果は思ったように上がっていないように
見えます。

保育園が少子化対策の要と考えるようになったのは
1960年代の経済学者Becker氏の理論によるです。
その理論とは
それぞれの家族は
その家族に与えられた所得と時間を考えて
育てられるこどもの数を決めているという
理論に基づいているのです。

50年以上前の理論をしても
効果は出ていないように思えるのです。

育児のために
働きにいけなくなって、その分所得が減ってしまい
育児をすることが
所得にマイナスであると。

物質主義的な無味乾燥な
考えでいっている気がします。
何かがたりない気がします。
その足りない面を
みなさんと考えていければと思います。

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しあわせ探し

人がしあわせかどうか感じるのは
本人が満足しているかどうか。

どんなしあわせの形でも
本人が満足さえしていれば
しあわせだと言えるのです。
逆に
他人からみて、どんなにしあわせそうに見えても
本人が満足してないかぎりは
しあわせだとは言えないのです。

何をどうしあわせかに感じるかは
ひとそれぞれだということになります。

しあわせを探す人生ではなく
自分が満足する生き方をしたいものです。

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一日仕切り

一日仕切りという言葉があります。
この言葉の意味は
「今日できることは
今日済ませ、明日に持ち越すな」であったり
「明日ありと思うな。
今日という一日のいのちを大切に生きよ」
という意味もあるようです。

僕はこの言葉は
「今日の自分と明日の自分は繋がってるようで
まるっきり違っている」と
言う意味に思えるのです。

人間のからだはずっと同じではなく
からだを構成するタンパク質の3%が
毎日入れ替わり
一年経てば、全細胞の90%以上が
入れ替わってしまうのです。

これはつまり
いのちは、全く別の形となって
存在続けるのだと
言えるのではないでしょうか?

昨日が過ぎ去ってきょうになり
今日が終わって明日になる
というものではない。

今日は今日という一日であり
それはぜったいてきなものである。
今日というより
今ここにあるという時を生きているのが
人間の生の真実の姿といえるのかもです。

そのいまという時間が
永遠のいのちという存在の根源に繋がっている
ように僕は感じるのです。

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人生に必要なのは、やさしさと、かしこさと、ほんの少しの強さ 

人はよく
「あなたの痛みはわかります」と言うけれど
あなた以外の本当の痛みは
当事者にしかわかりません。
わかるというのは
想像できるという意味でしょう。
想像して、痛かっただろう
辛かっただろうと想像できます。

その想像力が
そのひとのやさしさだと言うことです。
でも、そのやさしさは
あなたの想像力から生まれたものだから
そのやさしさには限界があると言うこと。
だから、そのやさしさが
相手の重荷になったり
大きなお節介になってしまうこともあるのです。

あくまでも
痛みの主人公はあなたではないということを
こころに留め
想像力の種を当事者から
くみ取らなければいけません。

その時に必要な力が
賢さです。
つまり本質を見極めること。
現代は多くの情報を簡単に手に取ったり
自らの考えを簡単に発散することが
できます。
ですから、本物、本質を見抜く
思考力が必要になります。
そのためには
様々な意見反対意見でも
耳を傾けてみる素直さが必要になるのです。

そして
人の意見を聞く、言い、実行する時に
様々な困難や課題に
ぶち当たることがあるでしょう。
そんな時でも
自分の信じる道をやり抜く力が
必要になります。

その進む時に必要な力が
ほんの少しの強さが
必要になります。
今よりもちょっとだけ
強くなったら歩み出せるのです。

あなたはスーパーマンではありません。
でも、今よりもほんの強い力を出し続ければ
大きな力、勇気をもった人物になっていることに
気がつくでしょう。

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お金がないからというのはごまかし

子育て世代は
こどもにお金がかかるから
贅沢はできないと
こころに決めているから
お金がないからと
諦めてしまうことは多いでしょう。

もちろん
現金や銀行の貯金通帳が0であれば
その通りでしょう。
お金がないという言葉は
生活が苦しいという意味によく使われます。
実際生きていくためには
お金がないのならそれは仕方がありません。
もっとお金を稼ぐ方法を考えないといけません。

しかし
子育てが終わった時期になっても
お金がないという言葉が習慣になって
我慢を続けていませんか?

子育てが終わると
老後のためにと考える人は多いことでしょう。
でも
年に数回でいいから
好きなものにお金を使っても
いいのではないでしょうか?

好きなことにお金を使うことは
あなたの生活に潤いを与えてくれるので
決して贅沢ではないのです。
その時に、かつての習慣で
「お金がないから」と言って
我慢し続ける人生って・・・・
さびしくなりませんか?

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こどもに優しい社会に

人は
生まれてから亡くなるまで
何の支援も必要とせず
生きていくことはできません。

人は
ひとりでは生きていけないのです。
特に
赤ちゃんは放っておいたら死んでしまいます。
その後も
こどもたちは
勝手に育つこともできない。

おとなになっても
突然の病気になったり
不慮の事故、事件に出くわしたり
ひとりでは乗り越えられない
出来事にでくわすことも。
年取って
認知症や、身体が不自由になってしまうことも
出てきます。

こう考えると
人間は一生人のお世話にならないと
いけないのです。
誰もがです。
終わりのない助けがあってこそ
生きていけるのです。

ですから
こどもに優しい気持ちに
あふれた社会は
誰にも優しい気持ちがずっと続く
社会になると思いのです。

いつまでも
こどもに見せたやさしさを
ずっともって生きて生きましょう。

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花の世の 花のようなる 人ばかり

これは龍澤寺の住職をつとめられ
俳人飯田蛇笏の弟子でもあった
中川宋淵師の俳句です。

どんな時代であっても
どのような生き方をしても
世の中は花であり
人もまたみな花であるという
意味です。

どの時代に生まれたとしても
その時がどんな時代であっても
価値がないという時代は存在しない。

また
あなたがどんな時代に生まれていようが
あなたの生まれていること時代
価値があり
あなた自身が花なのです。

とってもいい俳句だと思いませんか?

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初発心時 便成正覚

この言葉は
禅の言葉ですが
この言葉は「初心忘るべからず」と
似て非なる同義の意味があります。
この意味は
修行をしようという心を持った時に
すでに正しい悟りがなっている
ということです。

何かを始めようとした決意した
その瞬間にすでに
悟りの境地に達している
ということです。

ですから
何か始めようと決意して
実行し始めることに
大きな意味があるということでしょう。
ですから
この一歩踏み出すことが
大事なのです。

しかし
動き出すと
どうして結果が出ないのか?
やり方がわからなくて
投げ出してしまいたい時もあるでしょう。

そんな時には
是非決意した時の
やる気にあふれた時を思い出しましょう。

初心を忘れてしまうと
その後の人生は尻つぼみになってしまいます。
そして
人生は長く思えても
瞬間、瞬間の今の積み重ねです。

毎日
初心の心を忘れずに
生きて生きたいものです。

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不幸を受け入れる

これは
アメリカの精神医学者シーベリーの言葉。
人間でいる以上
避けられないことは、受け入れようと
いう言葉です。

人は、年取って衰えを感じると
何だか不幸に向かって進んでいるように
感じてしまうかもしれません。

老いを落ちぶれてしまった
と感じる人もいるでしょう。
老いを落ちぶれたと考えてしまうと
最期の時に
「我が人生に悔いなし」と言えなくなる気がします。

老いは
若い時と比べて引け目を感じることはない。

体力が落ちたとしても
それまでの経験があるから
がむしゃらに走り抜けなくてもいい
若い時に比べて
先が見えるようになっているし
若い時には見えなかったものが見えてくるから
意外と老いるのも楽しいものです。

そう感じるために
自分が自分らしく生きていくことが大事。
人の生き方を比べて生きていくと
自分を見失って
落ちぶてたといつも感じてしまうようになるのです。

そして
老いると、若い人に譲ることが増えてくるでしょう。
今までやってきたことをしなくなることは
悲しいことのような気もしますが
これまで消費していた時間を
手放したその時間を
これまでやりたかったこと、やり直したことに使うなど
人生を再構築できる時間なんです。

だから
老いることは嘆くことばかりでなく
楽しみ多くなる時期なんだと思います。

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ラビンドラナート・ドゴール「果物採集」より

最近
海に行き、山に行き
太陽の光を浴びながら
海のものをとって食べ
畑に行って採れたての野菜を食べ
自然の中に身をおき
自然からのエネルギーを
いただくことがありました。
そんな時に
自然の中で生かされているんだと
感じた時に出会った詩。

ドゴールの詩「果物採集」

「危険から守り給えと祈るのではなく
危険と勇敢に立ち向かえますように

痛みが鎮まることを乞うのではなく
痛みに打ち克つ心を乞えますように

人生という戦場で味方を探すのではなく
自分自身の力を見いだせますように

不安と恐れの下で救済を切望するのではなく
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように

成功のなかにのみ
あなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく、
失意のときにこそ
あなたの御手に握られていることに
気づけますように。」

この詩の中に
だれにもどんな時でも
生きていく力が自分自身の中にあること
そして
しあわせに生きていくヒントがあるような
気がしたのでご紹介します。

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