「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
ラビンドラナート・ドゴール「果物採集」より
最近
海に行き、山に行き
太陽の光を浴びながら
海のものをとって食べ
畑に行って採れたての野菜を食べ
自然の中に身をおき
自然からのエネルギーを
いただくことがありました。
そんな時に
自然の中で生かされているんだと
感じた時に出会った詩。
ドゴールの詩「果物採集」
「危険から守り給えと祈るのではなく
危険と勇敢に立ち向かえますように
痛みが鎮まることを乞うのではなく
痛みに打ち克つ心を乞えますように
人生という戦場で味方を探すのではなく
自分自身の力を見いだせますように
不安と恐れの下で救済を切望するのではなく
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように
成功のなかにのみ
あなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく、
失意のときにこそ
あなたの御手に握られていることに
気づけますように。」
この詩の中に
だれにもどんな時でも
生きていく力が自分自身の中にあること
そして
しあわせに生きていくヒントがあるような
気がしたのでご紹介します。
経済を回す
最近、物価高騰のニュースが
よく報道されます。
食料品もどんどん価格が上がると
国民の不満が大きくなり
その不満を抑えようと
企業に賃金を上げるように
要求してくる国の政策。
経済を回すことが
国が豊かになるから
お金を増やせばいい。
経済を回し、お金を扱ってるのは
経済界だから・・・・と政治家はいってるよう。
経済が国民を豊かにすると
きっと政治家は考えてるのかもしれないけど
実は国民が豊かになってこそ
経済も回り出すと思うのです。
最近の政治家の仕事の報道を見ると
裏金など
どこか自分のお金や権利を守る姿が
目につくのはなぜだろう。
裏金を作っても、党内の処罰だけ
誰がみても普通に法に触れるようなことをしていても
その采配にだだをこねる政治家。
裏金と認めても
そのお金を替えそうとはしないのは
国民のことを考えてくれいるのだろうかと
疑いたくなる。
国民が豊かにならないと
経済は回らないのに
自分の価値を決めるのは?
人の価値は何で決まるのか?
誰にも承認欲求はあるから
自分以外の人に認められたい
褒められたい
認められたらうれしいもの。
そのために
日々頑張っている人も多いことでしょう。
頑張った結果として
給料があがったり、地位が上がったり
有名人と知り合いになったり
そうすると
自分も偉くなった気がしてしまいます。
これって
大きな勘違いです。
人の価値は
いくら稼いでいるとか
社会的に高い地位や立場にあるとか
誰かと付き合っているということで
決まるわけではないことを
憶えておかないといけません。
自分の価値を決めるのは
唯一、自分がどう生きているかだけです。
自分自身のことは
自分自身にしかわかりません。
自分自身に恥じない生き方をしていれば
どこにいても、誰と会っても
恥ずかしくない人間なのです。
喜びのグラス
人の心の中には
喜びのグラスがあるのです。
自分の喜びのグラスをまず満たして
そこからあふれた時
そのあふれた愛情を使って
人に愛情を分けられるようになるんです。
だから
人に優しくするために大事なことは
自分をまずは自分に
愛情を注がないといけないと言うこと。
自分のこころの
喜びのグラスが満たされると
あなたの魂が喜んで
あなたにも素晴らしい力があふれ出すのです。
疫病神と貧乏神
日本人は
八百万の神を敬い
全てのものに神様が宿っていると感じ
全てのものに崇めている。
世界的にみても
多くの神様を崇めている民族は珍しいのでは
ないかと思っています。
太陽、月、風、食物など
人に恵みを与えてくれるものを
崇めるのには誰も意義を唱える人は
いないでしょう。
でも、日本人は
病気などの災いが起こった時にも
疫病神がきた
貧乏になっても貧乏神に愛されてる
なんて、生活を脅かすものにも
神様が宿っていると
考えて、崇めている。
これって凄いこと。
苦しめられてる人を崇める姿勢
中々できない。
でも
病気でも貧乏でも何か意味が
あることなんですよね。
身の回りに起こったこと全てを
受け入れ、大切に受け止めることが
大事なんでしょうね。
幸福はどこに?
幸福って、なに?
幸福って、どこにあるのだろう?
若い頃から
幸福を探しても探しても
どうしても見つからなかった。
その訳がやっとわかった。
初夏のような
どこまでも続く青い空を見ていて
目を瞑って
自分の顔を優しくなでるような風を感じた時に
幸福が訪れていたことに気づいた。
幸福を自分の外にあるものと思っていた。
実は
心の中に突然幸福は訪れる。
人は悩みがなければ
いつでも、どこでも幸福なんだと。
幸福は、決して外に求めるものではないことに
どこまでも広がる青い空が教えてくれた。
得ではなく徳を求める生き方を
選択に迷った時
「損得」を基準に考える人は多いでしょう。
確かに物に恵まれ豊かに生きようとした時には
「損得」や「勝ち負け」という風な
二元論で考えることで
我々の生活は豊かになってきました。
でも
東日本大震災などの災害を経験した時
損得や勝ち負け判断できないことが
身近に起きることを経験しました。
損得だけでなく
善悪という価値観も
その時の常識で判断します。
でも常識は、時代が変われば、
また国が変われば
変わってくるのです。
ですから
善悪で判断することも絶対ではありません。
なら、何を基準に生きていけばいいのでしょう。
それは「徳」を求める生き方です。
徳の説明は言葉でなく、美しい物を美しく
楽しいことを楽しいと
感じる心を大事にして生きることだと思うのです。
お手本探し
若い時には
よく自分探しの旅をしようと
海外に行ったり、アルバイトをしたり
未知の体験をして
自分のやりたいことや
自分の可能性を広げようとします。
本当に必要なのは
自分探しなのではなく
お手本探しではないかという気がします。
自分というのは、どこにいても
「今、ここ」にしか存在しないのだから
旅に出ても、仕事や環境を変えたところで
自分が見つかるわけではないのです。
それよりも
こうなりたいと思えるような
お手本がもてれば
目標とする人が
人生の岐路に立たされた時に
様々な方法で手を差し伸べてくれます。
だからこそ
「だって」「でも」というような
マイナス言葉は使うな
とよく言われます。
確かにマイナス言葉ばかり使っていると
運も逃げてしまいます。
マイナス言葉でなくても
「だから」って言葉のように
使い方によっては
プラス言葉にも使えるし
マイナス言葉にもなるという
言葉もあります。
だからという言葉を使いたくなったら
「だからこそ」をつけると
悪いこともいいことになる不思議な言葉があります。
例えば
「両親の仲が悪い、だからわたしは不幸だ」となるけど
「両親の仲が悪い、だからこそしあわせは
夫婦仲良くしていこうと思ってる」
という風にだからこその後には、前向きな言葉が続きます。
だから、だって、でもなどが
口から出やすい人は
是非「だからこそ」を口癖にしてみましょう。
自分をほめる
突然ですが
あなたは自分を
ほめてあげたことって
ありますか?
毎日寝る前に
今日一日がんばった自分を
褒めてみてください。
自分に対して
”頑張ってるね”と
ほめてあげてみてください。
よく頑張ったと自分の心に
言って見てください。
僕も一日多忙で
がんばった後
がんばったねと自分を労うと
自分の心のもう一つの声が
聞こえてくるんです。
「いえいえ、
これは成りたい自分になるために
自分で決めたこと。
だから大したことじゃないんですよ。」
と答えてくるんです。
苦しいとき
自分のことをほめると
心の中の自分が
こんな風な
労いの会話が繰り返されている
気がします。
そうしてそんな自分との
会話を繰り返していると
その心の声にこたえるようになのか、
もっと頑張ろう、
忙しくてもそれは当たり前のこと
と思えるようになって、
更に精力的に動けるようになる
気がします。
そして、
自分をほめていると
自分の周りの頑張ってる人のことを
素直にほめてあげること
ができます。
他の人の頑張りを応援してる
自分の声が、自分をも
元気をくれるような気がします。
そしてお互い頑張っていけるように
なるんだと思います。
頑張ってる自分をほめると、
周りの頑張ってる人を
ほめることができる。
そして
周りの人からほめられると、
もっと自分自身も
頑張れるような気がします。
自分をほめることで
プラスエネルギーのスパイラル
が生まれてくるんだと思います。
今日で4月が終わります。
新しい生活が始まったり
大きく環境が変わった方もいるでしょう。
是非がんばった自分を
ほめてあげてくださいね。