今日の言葉」カテゴリーアーカイブ

悩み苦しむ人たちのために

 

ニューヨーク大学医療センターの
ラスク・リハビリテーション研究所のロビーに
掲げられた詩を紹介します。

大きなことを成し遂げるために
神に強さを与えたまえと求めたのに
謙虚であるようにと弱さを授かった。

偉大なことができるように
健康を求めたのに
人生を間違わないようにと
病弱を授かった。

幸せになりたくて
富をもとめたのに
賢くあるようにと貧しさを授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして
強い力を求めたのに
神様の存在に気づけるようにと
弱さを授かった。

人生を楽しむために
全てのものをもとめていたが
あらゆることを楽しめる命を
自分はすでに授かっていたことにきづいた。

求めたものは
ひとつとして与えられなかったが
真に望んだものはすべてあたれられた
こんな私であるにかかわらず
言葉にできなかった祈りは聞き届けられた
わたしは全ての人のなかでも
もっとも豊かに祝福されていたのだ。

この詩は
アメリカ南北戦争の兵士が
書き残した言葉だそうです。
きっと、自分の死というものに直面したとき
知った大きな愛、人生の意図を
しったのでしょう。

今生きていること、興っていることには
全て意味があることを教えてくれる言葉。
苦しんでも、それでいい
その先には必ず救いがあるのです。

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浦島太郎が伝えたかったこと

幼い頃から親しんだ昔話
ファンタジーな世界だけど
おとなになってくると
そのファンタジーの世界が
なにか隠された真実があるような気がして
おとなになっても引き込まれます。

そんな不思議な昔話のひとつに
浦島太郎があります。

浦島太郎の物語を
解釈してみると・・・・

「助けた亀が
連れて行ってくれた深海(神界)。
龍宮はたのしかったなぁ。そうだ
お土産でもらった山手箱を開ければ
あのときの宮に戻れるかもと思い
玉手箱を開けると・・・
一気に老化し死に近づいてしまったのでした」

つまり
生きているときと
死んだときの生き方が違う。
死んでしまえば
思い出とか、過去の記憶の中でしか
生きられなくなります。

生きている間は
過去の世界に生きてはいない、いやいけないのです。
どんなことが興ろうとも
過ぎた過去に生きず
未来志向で生きなさいということを
浦島太郎のお話は教えてくれている気がするのです。

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人の運は食にあり

江戸時代の人相学者だった水野南北は
「人の運は食にあり」と言っています。
つまり、人は少食粗食の習慣を
身につけるだけでも
運命が好転できると説いた言葉です。

これは
運勢学的な面だけでなく
医学的にも同意できる面もあります。

現代は飽食の時代。
どんどん食べ過ぎ、運動不足で
こどもからおとなまで
みな過食気味、今後成人病が増えそうな気がします。

学校の検診で
肥満を指摘されて受診されるこどもも
増えています。
食事指導など生活面の指導を行うのですが
なかなか難しいです。
こどもたちは食事に関しては
完全に受け身なので
親の責任は重いのですが
親は心情的にたくさん食べさせたいと思うのが
親心。

喜んで、たくさん食べてもらえることで
しあわせを感じることでしょう。
ですから、ひもじくあれという指導ではなく
何を食べるかを考え
食べたら動こうという指導をしていますが
難しさを感じています。

自分自身のことでも
食事を考えると
飽食の時代には難しいです。

ですから、一寸視点を変えて
「少食になれば、運が上がる」と考えれば・・・
少しは前向きにとらえるかもしれないと思って
このブログを書くことにしました。

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桃の節句

今日は五節句のひとつ「桃の節句」です。
桃の節句を邪気を祓える日と
昔から考えて大切にしてきました。

実際桃の花が咲くのは、まだ先ですが
今日は、桃について。

桃には古くから
邪気を祓うパワーがあり、
魔除け、厄除けの効果があるといわれています。
古事記でも
伊弉諾尊が黄泉の国から逃げた時
追ってを退治できたのは
桃の実だったと書かれています。

中国でも
桃の木で作った杖は邪鬼を避ける
桃の木で作った弓で矢を射れば災いを避けるなど
といわれているようです。

桃は確かに邪気を祓うようです。
桃の花ではなく種に祓う力が強いようです。
種は邪気を祓うというより
種の中に吸い込んで封じ込めるようです。
盛り塩も邪気を祓いますが
塩は邪気を吸うと、悪い物に変化し
邪気を放ち始めるので取り替えが必要ですが
桃の種は邪気を放つことはないのが
特徴のようです。
ですから、部屋に桃の種を4,5個おいておくと
いいようです。

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嫌なことは、すぐ忘れる

毎日、いいこともあるし
悪いこともある。

いいことがあると
それは明日へ進む力になる。
逆に
悪いことがあると
前を向いて歩けなくなってしまう。

だから、
悪いことが起こったら
とにかく悪いことは
すぐ忘れるようにすることです。

そのためには
立ち止まらずに
新しいことを無我夢中で行えばいい。

人がどう思うか
なんて関係ない。
自分がいつまでも悪いことにこだわっていると
益々惨めになってしまうから。

嫌なことはすぐ忘れるようにしよう。
忘れることも大事なんです。

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アマチュアで生きる人生

人生を生きていく上で
何か一筋にプロとして生きていくのと
アマチュアとして生きていく
生き方があると思う。

プロとは
何かひとつ専門をもち
それについて人生を通して
学び、その学びを使って人々の生活に手を貸す
生き方です。

医者の世界でも
医師として
それぞれの専門を持ち、医者としての技術をもって
医学に人々の健康に関与しています。
そして、それだけでなく
音楽や絵画などの芸術や
他分野でもその才能をいかして
活躍している人
また、趣味から講じて
様々な分野でプロ顔負けの腕前のかたも
います。

アマチュアとは
フランス語でアマン(愛人)と同じ語源をもつ言葉
といわれています。
つまり
何かをこころから愛して、
それを一生、愛し続ける人のことを
言うそうです。

僕も医学のプロとして
生きるととともに
人を愛し、文学、音楽を愛し
人の生きる道に貢献したいと思っています。

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悩みから脱却するための考え方

「人は、自分が必ず死ぬ存在であることを
忘れなければ、もっとよく生きられます」
「ただし、自分のこころは
永遠に死なない存在であると
自覚を持って生きていきましょう」

もし、今悩みの存在にいるならば
「いずれ死ね存在なのに
何を今に悩む必要があるでしょうか?」
と自分に声かけると
楽になるかもしれません。

悩みながら、怒りながら人生は
必ず終わる日をむかえます。
どうせ同じ虚位を歩くならば
笑いながら歩いて行きましょう。

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立場を変えて考えてみる

ひとつの事柄でも
視点を変えて考えてみる
相手の立場に立って物事をみると
今までと違った考えに気づきます。

もし、今苦しい環境であっても
自分が気づくべきことに気づくことができれば
今の自分が大きく変わることができます。

でも
自分が何に気づくべきなのかは
ひとりひとり異なるし
そのことを探っていくのが人生だとも言えます。

生きている課題は
ひとりひとり違っていることもありますが
共通していることもあると言います。
気づきの共通することとは
①大いなる存在に生かされていることに気づく
②家族やあ多くの人のおかげで、今ここに存在できること
③今ここに存在することだけでも、奇跡的なことであること

そのことに気づくと
感謝の気持ちが芽生えてきます。

この人生は
感謝するべきことに、漏らさず気づくことに
挑戦するためにあるのかもしれません。

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誰にも使命がある

「誰にも使命があるから生かされている」
とはよく聞く言葉ですが。
「あなたの使命は何ですか?」と聞かれると
答えられる人は少ないでしょう。

人は、みんな使命をもって
生きているのは確かです。
でも、その使命には決して知らないといけない
ものではないのです

でも、自分の使命を感じられる方法があります。
それは
①とにかく精一杯に生きること
②すべてのことに感謝できるようになること
③他人を喜ばすこと、他人を助けること
④太古の時代から連綿と継続する遺伝子を
僕たちまで繋いでくれたご先祖様に
感謝すること

ともかく
今生きていることに感謝を忘れずに
生きていくことが大事なのです。

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悪人なのかもしれない

歎異抄を読んだら、
自分は悪人として生まれてきたのだと思った。

親鸞は悪人について次のように語っています。

「人間は誰もがどうあがいても、
欲望からも苦しみからも逃れることはできない。
絶対に。
どんなにすごい修行をしても、生きることの苦しみ
死ねなければならないことへの
怖れを忘れ去ることはできない。
人間である限り死ぬまで苦しみ続けるしかない。

悪人とは
生きていくために、
どうしても悪を選んでしまう人間のことだ。
どうして人は、どんな悪とも無縁で生きていけるだろう。
そもそも他の生き物の命を奪わなければ、
生きてはいけないというのに。

だから人間は生まれついての悪人なんだ。
こんな悪人として生きるしかない人を
阿弥陀様は救ってくださるのだ」

と述べられています。

罪深く生まれてきた我々。
罪深く生まれてきた大きな意味もあるのでは
悪人だから気づけることもある
悪人として生き、もがき苦しむ我々に
きっと優しい眼差しで見守って下さっている存在が
確かにいらっしゃると僕は感じるのです。

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