「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
人生の言葉
【こどもに伝えたいしあわせの法則9 : 人生の言葉】
こどもに伝えたいことって
たくさんある。
勉強よりも、お金儲けよりも
人生について語り、伝えたいことがある。
でも
人生について語ることができても
こどもに人生そのものを教えることはできない
僕が経験したことを
こどもに伝えることができても
僕の経験したことと
これからこどもの経験することは
同じじゃない。
こどもに伝えたいと思うことがあっても
その時に
こども自身に
僕の話を聞く準備ができていないかもしれない。
言葉で
伝えられることって
意外と少ないのかもしれないと思う。
こどもは
親の言葉で大きくなるわけじゃない。
親や大人の背中をみて
育っていく。
言葉にできない
真理を感じ、学んでるのかもしれない。
僕が日常生活で感じた
しあわせなこと、喜びを見つけられたなら
こどもは、きっと
僕のしあわせを、喜びを感じてくれる。
そして
その喜びを感じて体験することから
学んでくれると思う
だから、僕は
目にしたこと、
耳にしたこと
うれしかったこと
悲しかったこと
愛したこと
どんな小さなことでも見せてていたい。
こどもの感じたこと
こどもの目にしたこと
どんな些細なことでも
感じていたい
気づいたことが
きっと学びになるんだと思う
大切な人”はライフステージが変われば変わる
あなたにとって
“大切な人”は、年令や仕事など
その時に生きている場、環境によって
変わることは、とても自然なこと。
“大切な人”とは
あなたが疑問に思うことを投げかけたら
それに対して答えてくれる人です。
その質問が、
あなたの独り言のようなつぶやきであっても
あなたの質問に真剣に向き合ってくれる人。
そして
お互い質問し合い、考えることで
お互い刺激しあうので、気づきもあり
学び合っていきます。
そしてその積み重ねの中で
信頼や信用、相手へのリスペクトが生まれ
確かな成果を感じる中になるのです。
しかし
その学び合いは、永遠に続くわけではなく
あなたのステージが上がれば
あなたの疑問も変わってくれるでしょう。
その質問に答えられるのは
今まで気づかなかった
目の前に表れた人なのかもしれません。
人生は、出会いと別れをくり返します。
それがあるのは
あなたが成長したこと
いえ、成長することを必要だと教えてくれるのです。
大切な人との別れがあるのは、この世の常です。
目の前から突然大切な人は消えてしまっても
忘れてはいけないのは
大切な人はいつまでも大切な人
その人は、あなたのこころの支えになって
あなたのこころの中にいつもいるのです。
立春
立春とは暦の上で「春」が
始まる日です。
立春の行事には色々あります。
春=張る=財布が膨らむ・・・
財布を新調すると金運が上がる
といわれています。
立春の日は財布だけでなく
洋服でも、靴でも、電化製品でも
新しい季節の訪れとともに
新しい物を使い始めるのも
縁起がいいといわれています。
また、お財布を新調するだけでなく
もっと金運をあげるために
財布から最初に出すお金は
お賽銭を入れる、おみくじをひくなど
神社で使うといいようです。
春を迎え
何か新しいことを始めただけでも
気分が変わって、運が良くなりそうですね。
立春の日
何か新しくしましたか?
節分
今日は節分です。
節分は文字通り季節を分ける日
そしてこの日から
新年が始まると考えて
年頭の行事として重んじられました。
現在も邪気を払いしあわせを願う日と
考えているので
社寺では節分祭が行われたり
個人的にも豆まき行われたりする風習が
行われています。
豆まきは
鬼や厄、災難などの良くないものを
祓う行事として行われています。
でも、実際は
豆まきをしたから災いが祓われる?
鰯や恵方巻きを食べたから
災難が祓えるかといえば
・・・??のようです。
でも
家族の健康としあわせを願い
家族で皆で行う思いは
きっと災いを祓ってくれると思うのです。
ですから
家族で学校で幼稚園で保育園で
楽しんで行うことが大事だと思います。
一隅を照らす生き方
#一隅を照らす生き方
一隅を照らす生き方とは
ひとつの灯火を掲げて
隅を照らす生き方をすれば
社会も国も
そして何よりも自分も益々明るく照らす
光になるという意味です。
しかし、人は
自分のことは棚に上げて
他の人のことを批判しがちです。
SNSで炎上する
社会でも憂さを晴らすように嫌がらせをするなど
目に余る行動が目につきます。
だから
一隅を照らす生き方をしようと
決意することは
今の時代にとても大切なことと思えるのです。
でも
そう生きようとしたときに
耳元でこう囁く声が聞こえてくるかもしれません。
「僕のような無名の人間が
いくら頑張って見たところで
世の中はかわりはしない」
「私のような無力な人間が
ひとりで頑張っても
どうにもならない」と
いう自分の中の心の声が聞こえてくるかも
しれません。
一隅を照らす生き方をするためには
そんな声と戦い続けなければなりません。
一隅を照らす光になるためには
隅を照らすこと
つまり
自分の生きている場所で
最高最善の社会に役立つ
仕事をしていきていくこと。
その小さな灯火が
国の隅をも垂らし
国や社会全体を明るく照らす光になるのです。
みんなで一隅を照らす生き方を
実践していきましょう。
人は人で磨かれる
若い人だけでなく、誰もが
日々成長しようと
切磋琢磨し、
学びの毎日を過ごしていると思います。
学ぶ方法は人それぞれでしょう。
本などの過去からの知識から得る方法
自分よりも確かな知識をもっている恩師から学ぶ方法
自分の過去の失敗から学ぶ方法
など、様々でしょう。
学ぶには、効率の良い方法は
人から学ぶ方法です。
でも、人から学びたいと思っても
どこか
傷つくことを怖れてはいないですか?
そのために、人を怖れ、自分を守ろうとすれば
世間を狭くし、結果自分の心も狭めてしまいます
人はひとりで生きていけないのです。
人は人で磨かれるとこを知って
今日もしっかり学んでいきましょう。
しあわせはどこにある?
しあわせがどこにあるのか?
しあわせはどこから来るのだろうか?
と考えたことはありますか?
もししあわせがやってくる
ことがわかっていれば
苦しみの中にあっても
笑顔で切り抜けることができるのに
と思ったことはありませんか?
僕は
今生きています。
病気もしました、人生の中で
様々な失敗もしてきました。
やるべきことを考えれば
今も、将来に対しても多くあります。
が、今しないといけないことは
今日訪れる患者さんに対して
誠心誠意、力を尽くすこと。
これが、僕の毎日の生活の大部分を占めています。
一日が終わったとき
自分のやろうと思ってたことが
何もできていなくても
ホッと安心して帰って行かれた患者さんの顔
メタトロン、予防接種、健診などを受けて
笑顔で帰っていった
患者さんの表情を思い出すだけでも
とてもしあわせな気持ちで
一日を終えることができます。
そんな時、わかったのです。
そう、しあわせがやってくる方法。
それは・・・
しあわせは、目の前のことを
ただただ、何も考えずに
一生懸命やった結果の後にやってくるのです。
ぜひ
まず目の前のことを一生懸命やってみて下さい。
そうすれば
しあわせが訪れますから
祈りと願いの違い
困ったことがあったり
将来に対して進むことがあると
人はよく
神社、お寺に行って
神様、仏様、ご先祖様に手を合わせる方は
多くいらっしゃるでしょう。
今年も初詣で
今年一年の無病息災を
願いした人もいたでしょう。
また
平和を祈った人もいることでしょう。
神仏に手を合わせた時
あなたは何を願いましたか?
または
何を祈りましたか?
ここで考えて欲しいのは
“祈り”と”願い”の違いです。
“願う”時のことを想像してみて下さい。
その時のあなたは
必死で自分の熱い思いを伝えていませんか?
あなたの思いが届くように熱く語っていませんか?
その時
あなたには神様の声が聞こえたことがありますか?
願っているときは
きっとあなたの声を神様に届けるのに
一生懸命で
伝えることで満足していることでしょう。
それに対して”祈り”は
神様や仏様に
思いを伝えるときに
ふと、彼方からの声が
聞こえてくることがあります。
言葉としてなく
無音の言葉として胸に届いてくることが
くることがあります。
その時、あなたの祈りは
神に仏に届いたと思うでしょう。
願いは、自分の思いを届けること
祈りは、彼方からの声に耳を傾けること
の違いがあると思うのです。
失敗した時はこう考えよう
人生にはいい時も悪い時もあります。
その時起こった出来事をどう考え対処していくかが
あなたの運気を上げることになります。
例えば、人生において、不幸な出会った時
次のように考えてみましょう。
「この苦労は、自分に何を教えようとしているのか?」
「この失敗は、自分に何を学ばせようとしているのか?」
「この挫折は、自分に何を掴ませようとしているのか?」
「この病気は、自分にどんな生活を伝えようとしているのか?」
などと、その意味を考えてみましょう。
でも、そう考えようとしても
頭の中が固まってしまっていたり
考えても考えても、答えが見つからない時は
どんどんネガティブ思考に捉われてしまいます。
そんな時は、何も考えず、がんばりすぎず
ただ動きだけは止めてはダメで、立ち止まってはダメ。
からだを動かせて、目の前のやらないといけないことを
しっかりやり続けることです。
目の前のことをやっているうちに
目の前に救いの光に気づき
あなたをネガティブな闇から、救いあげてくれます。
ダライラマは、次のように言っています。
「どんな壁があっても、実践を繰り返せ。
動け、止まらずに動け、動き続けるのだ。
仏の道が、その生き方で開けてくるl、」と。
心を強く、深く、広く暖かく
年も明け
新年になると、人々の動きも活発になり
どこか浮ついた落ち着かない時期を
過ごしていたのではないでしょうか?
世の中が、自分の周りが
騒がしい時、ゴタゴタと取り込んでいる時こそ
そこにめげないように
自分のこころを練ることが重要になってくる気がします。
逆に
周りが閑かな時は、逆に
心を養う時です。
そっと歩みを止めて
立ち止まって、座ってみて
深呼吸してみると
心の動揺が静まってくるのがわかります。
心が静まったことを感じたら
その心の静まりを守りながら
行動するときは
こころがどのように働くかを知る
いいチャンスになります。
こころを鎮めることが感じると
心は強く、深く、広く、暖かく
自分自身を守っているんだといいことがわかってきます。