「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
僕の使命
悲しんでいる人を助けようと思っても
僕の持っている力は限られている。
僕には
全ての人を助ける力を持っていないことは
わかっています。
でも、不思議と
問題のスケールが大きければ大きいほど
助けてあげたい人が多ければ多いほど
力が湧き上がってくるのを感じます。
僕の持っている力が
少しずつでも及ぶ範囲を広げることで
ひとりでも多くの人を助けることが
僕の喜びとなり、更なる力となり
そして、喜びとなっていくのです。
でも、僕の力って
かぎられているから
最初は目の前のあなたに
僕の力で元気になって欲しい。
そして、徐々にひとりでも多くの人に
僕の力を広げて、磨いていくことが
僕の今の目標なのです。
絶対は存在しない
宇宙飛行士として3度宇宙に滞在した
野口聡一さんが
「絶対は存在しない」と
その著書で書かれていた。
宇宙空間では
地球上では当たり前にある
重力だって、空気だって
当たり前に存在していたものが
当たり前でないことを知ったと。
地球にいるから
当たり前と思ってることが
宇宙では通用しない。
空気はない、水もない
重力もないから頭の向きも、足の向きも
地球上と同じではなく
上から下に流れる事実も
全く通用しない世界。
絶対と思っていた現象が
通用しない世界があるというのは
衝撃だと思う。
地球上の自然現象でさえ
当たり前ではないのだから
今ここで考えたり、当たり前に思っている
常識も絶対ではないのです。
今人間関係などのこの世での悩みって
今生きている世界だけの話なのかもしれない。
だから
全てのことに絶対はないのだから
もっと自由に生きればいいのだ
天才脳に共通する3つの条件
脳科学者の黒川伊保子さんが
我が子を天才に育てようと
これまでの天才と呼ばれる人の
生き方を研究し、たどり着いた3つの
天才脳の条件を報告しています。
一つ目の条件は
「好奇心が湧いて止まらない」のです。
つまり、次から次に
アイデアがあふれてきて
興味の種が尽きません。
2つめの条件は
「意欲が湧いて止まらない」のです。
いつも意欲的でいられるので
ちょっと失敗したことでも
止まらず、めげず、次のステップに
進んでいけるのです。
だから、がっかりすることも
感じることもないはずです。
3つめの条件は
「ささいなことでも、しみじみと
感激しやすい」ということ。
感激屋さんなので
度々喜ぶことと出会うことで
その喜びを次に進むための
エネルギーにできるのです。
これが
天才と言われる人の
天才脳の条件です。
ノーベル賞をとった
スタインベックがこんな言葉を遺しています。
「天才とは
蝶を追っている内に
山頂に登り詰めてしまった少年である。」と
こどもの時にもっていた
素直で好奇心あふれる心を持つ続けていたら
誰もが天才になれるのかも
しれませんね
内なる声を聞く方法
人生では
判断に悩むことは多くあります。
悩んだ時、誰に相談しますか?
上司、家族、先輩、友人など
相談相手は人それぞれでしょう。
誰に相談しても
相談しただけでは、
問題解決にならないことも
多々あるでしょう。
アドバイスをきいて
最終判断するのも自分です。
自分で決めて、行動していくのです。
誰もが大事にしないといけないのは
良心とも言える内なる声でしょう。
内なる声を聞く方法が
古来から日本の陰陽師の作法にあると
教えていただいたので
その方法をここでお伝えしますね。
準備するものは
お線香と
秒針がついていてカチカチ音がする目覚まし時計です。
夜、暗闇中で、お線香を灯します。
そばに目覚まし時計を置いて
カチカチという秒針の音を聞きながら
お線香の先っぽの赤い一点をじっと見つめるのです。
すると
あなたの内なる声が聞こえて
悩んでることの解決方法が
閃いてくるでしょう。
迷ったときは
是非試してみて下さい。
ただお線香なしで、音だけを聞くのは
迷いが増幅されるので
やめましょう。
人生の言葉
こどもに伝えたいことって
たくさんある。
勉強よりも、お金儲けよりも
人生について語り、伝えたいことがある。
人生について語ることができても
こどもに人生そのものを教えることはできない
僕が経験したことを
こどもに伝えることができても
僕の経験したことと
これからこどもの経験することは
同じじゃない。
こどもに伝えたいと思うことがあっても
その時に
こども自身に
僕の話を聞く準備ができていないかもしれない。
言葉で
伝えられることって
意外と少ないのかもしれないと思う。
こどもは
親の言葉で大きくなるわけじゃない。
親や大人の背中をみて
育っていく。
言葉にできない
真理を感じ、学んでるのかもしれない。
僕が日常生活で感じた
しあわせなこと、喜びを見つけられたなら
こどもは、きっと
僕のしあわせを、喜びを感じてくれる。
そして
その喜びを感じて体験することから
学んでくれると思う
だから、僕は
目にしたこと、
耳にしたこと
うれしかったこと
悲しかったこと
愛したこと
どんな小さなことでも見せてていたい。
こどもの感じたこと
こどもの目にしたこと
どんな些細なことでも
感じていたい
気づいたことが
きっと学びになるんだと思う
生命(いのち)とは
詩人吉野弘に”生命とは”
という詩があります。
我々のいのちが
いのちとしてあるための
法則が語られているので
ここに紹介しようと思います。
「生命とは」
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい。
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不十分で
虫や風が訪れて
めしべとしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも
許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者の
光をまとって飛んでいる
私もあるとき
誰かのための虻だったのだろう。
あなたもあるとき
私のための風だったかもしれない。
この詩を読むと
誰かのために生きなくてはという
気持ちにさせられます
絶望に意味はない
人生には絶頂の時もあれば
どん底の時もあるだろう。
絶頂の時は
喜びいっぱい生きることができるだろうけど
絶望の時は、きっとどう生きていこうか
わからなくなることがある。
そう、それもそのはず
絶望していることには何も意味はないから。
絶望している時
一生懸命絶望の意味を考えても
いくら考えても、考えても
結論は出ないってことを肝に銘じてもらいたい。
絶望と似ている言葉に
苦悩がある。
苦悩の時にも悩んで悩んで
苦悩の先に意味をみつける。
失敗したとき、病気になったとき。
耳が聞こえなくなったベートーヴェンは
耳が聞こえないという苦悩の意味を
みつけて歓びの歌を作曲したのだろう。
そう苦労することは
なぜその苦労があるのか考えることで
意味があるが
苦悩から意味を弾いたものの残りが
絶望であり
絶望は苦労の抜け殻であり
悩む意味がないことを憶えておきたい。
制限してるのは自分
誰もが
こんな自分になりたい、
こんなことをしたいと思っていても
願い通りにならないと
嘆いてる人は
願いが叶った喜びの声よりも多い気がします。
その願いをしたとき
数字目標を立てる人はおおいでしょう。
今年の売り上げ○○円とか
来年まで本を出そう
今月までこの仕事を終えよう
など、目標設定を様々でしょう。
でも、その数字目標って
考えようによったら
あなたの行動を制限していませんか?
実際は
もっと売れるはずだし
もっと大きな仕事だってできるはず
そうできなくていいように
制限しているのはあなた自身ということを知って
制限を作らず
のびのび目標に向かって
進んでいきましょう。
信じるだけでいい
願いを叶えるための唯一の法則
それは”信じる”ことだと
成功法則で有名なマーフィーが
述べている。
成功するために
ただ、ただ強く願えばいい。
それだけで、願いが叶う。
願いが叶うことを信じればいい。
簡単なことのようだけど
これが中々難しい。
夢を叶えようと思えば
何をしたらいいかと方法を考えたり
できるだろうかと不安になってしまう。
誰にも起こる感情だと思う。
よく考えれば
この感情を持つと言うことは
この夢が叶うということ
挙げ句には
その願いを信じる自分の気持ちでさえ
疑い、信じてないのでは
ないでしょうか?
信じる、信じ切ることって
大変難しいことだけど
だから信じることで夢は叶うと
マーフィーは言ってるのです。
信じましょう
どんな人も大事に接する
どんな人にも
優しくしなさいと小さい頃から
と教わって生きてきました。
なぜなのかとと思っても
そうすべきなのだと
感覚的に思って
今まで生きてきました。
実際、世の中には
色々な人がいます。
悪いこと、人の道を外れたことをする人
自分勝手に生きている人も
いないわけではない。
そんな人であっても
優しく、大切に接さなくてはいけないと
いう理由が少しずつ最近わかって気がします。
それは
目の前の人の心?の中に
その人とは別の人と思える人を
感じることがあるのです。
その心の奥の人が
僕の心を暖か、笑顔で
包みこんでくれるような感覚になるのです。
ひょっとして大切な人?と思うと
邪険になんて接することはできません。
冷静になれば
どんな人の中にある暖かい部分を
感じいることがあります。
もしかして
その温かさって、その人の心のなかにいらっしゃる
神様?なのかもしれないと思うときがあるのです。
誰のこころの中にも
神様がいらっしゃると言われる
神様かもしれません。
だから誰にでも優しく、大切に
接しなければならないのでしょう。