「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
「あたま」との付き合い方
毎日診察して感じることは
自分自身の「あたま」「からだ」「こころ」
との関係です。
この3つが整って
初めて健康になるのです。
つまり、
「からだ」が心地よい方向に向かうには
「こころ」が求める方向に生き方がかわり
「あたま」がその2つが望む方向に働けば
健康と感じられるのです。
でも、受診される方の多くは
「あたま」中心の考え方で生きている方が
多くいらっしゃいます。
「あたま」はこれまでの経験したことを元に
「こうすべきだ」「こうしなければならない」という
義務系や命令形で伝えられ
「こころ」からの声は
「こうしたい」「これが好き」「心地よい」という
メッセージを送ってきます。
そのどちらのメッセージを受け取るかで
あなたのからだの状態が決まってしまいます。
いつまでも不調に悩んでいる方の多くは
「あたま」からのメッセージに悩まされている方が
多いような気がします。
「あたま」とのある程度の距離感をもつことが大事。
「こころ」からの声にも耳を傾けることが大事です。
こうはいっても「あたま」もあなたの
体の一部ですから
決してあなたをおとしめようとしているわけでは
ありません。
「あたま」も必死で頑張っているのです。
ただ、情報が多すぎることが原因で
「あたま」も過重労働状況に陥っているのです。
ですから
「あたま」を休ませて下さい。
頭が疲れていると思ったら
スマホ、パソコンのスイッチを切ったり
スマホの電波の届かないような
自然の中に身を置くことが
大切なのです。
あなたが今聞いているのは
「あたま」から、「こころ」からの声ですか?
病と闘う時代は終わった
これまでは、病気になると
闘病生活に入ると言ったり
病との戦いに勝って必ず元気になって帰ってきます
など、勇ましい言葉で病気と闘おうと
誰もがして、元気になろうと考えてきました。
しかし
「病と闘う」「病を撲滅する」といった
暴力的な発想で生きるのではなく
これからの時代は、病を理解しながら
健康・調和・しあわせを実現するという
感覚をもって生きることが
大切になってきます。
ですから
これからは病気を治すだけでいいという
発想を変えないといけないのです。
病気が治れば健康になるのではなく
健康だから病気も治り
病気ともウイルスとも共存できるようになるのです。
病気を治すことだけにこだわっていると
「病気の症状は消えたのに
体調がすぐれない」と言うことが
おこってしまうのでしょう。
一般的に病気と健康は
逆の立ち位置にあるようにおもいますが
そうではなく
病気と健康はお互い補う関係性であると
思えるのです。
ですから
人は病気を経て健康になり、
健康を保ちために病気になることも
必要なのかもしれません。
さようならの意味
長い人生の中には
出会いもあれば別れもあります。
特に別れの瞬間には
喜びも悲しみの感情が
一気に教え寄せてきて
その時の感情を複雑にして、本人自ら
混乱してしまうこともこともあるでしょう。
別れは、学校、職場だけの別れではなく
恋人との別れそして死別など
僕たちの魂まで揺さぶられるような
経験をすることもあります。
そんなこころを揺さぶられる別れがあっても
ひとりの努力できるものではなく
自分の力が及ばないことだってあるでしょう。
「さようなら」の語源は
「左様なら」だと聞いたことがあります。
別れは、自分ではどうにもできないもの
そうであるならば(左様であるならば)
別れの感情も全てごまかさずに
ありのまま受け止めて
一緒に経験したことを未来へとつなげようという
気持ちが「さようなら」の言葉に込められている
と思うのです。
いのちの居場所
コロナのパンデミックが終息し
コロナ感染が日本でも5類となり
人々の生活は
コロナ前に戻ってきました。
しかし
生活は元に戻っても
コロナ感染がなくなったわけではなく
インフルエンザが流行した時期でも
コロナはここにいるよと知らせるように
時折顔出して
主張するのです。
コロナ感染を怖がってばかりの時期は
過ぎました。
今こそ
コロナウイルスが
教えてくれたことを考えておかないと
また同じことをくり返すことになります。
今
全世界にコロナウイルスが流行した意味は
全世界の人のメッセージが
あると思います。
それは
地球上に生きている全ての生物
動物にも、植物にも、ウイルスや細菌にだって
居場所があるということ。
全ての生物が生きていける「いのちの場所」を
考えて生きていくことが
これからの地球全体に必要なことではないでしょうか。
このことが
人間を含め地球が
よりよい共同体や社会を形成するにあたって
重要なことだと思います。
それぞれにはいのちの場所がある
だから
social distancetoということを
学んだ(学ばされた)気がするのです。
これは
ウイルスから防ぐためではなく
それぞれが生きていくための
いのちの場所を大事にしなさいという
地球全体からのメッセージなのだと思います。
わたしがやりました
今回観た映画は
「わたしがやりました」という
フランス映画のブラックコメディミステリー作品。
最近日本映画が観ることが多く
それも
コメディを積極的に観ようと
選ぶことはないけど
今回は、時間の関係で選択した映画。
大笑いしたわけではなく
そんなに複雑でドキドキ、ワクワク
させられたわけでもないけれど
終わった時
胸のつっかえがとれたような
すっきり感を憶えた。
この感覚を
経験することは、そんなにあるわけではない。
スッキリ、元気になって
観終わった直後から、からだの中から
活力が増してきた感覚を憶えた。
コメディってすごいと思ったし
笑いが免疫力が上がることを
実をもって感じさせてくれた映画でした。
真のカルテに書くことは?
カルテには、普通
症状が
いつから、
どんなふうに起こったのか、
どのようになってきたのか
事細かに記録していきます。
そして
その情報を元にして
診断、治療に繋げていく
とても重要な作業です。
でも
病気は
症状が出てから始まったわけではなく
その人の無理な生活
頑張りすぎた生き方
ストレスに感じる環境
心の悩みなど
日々からだが蝕まれきた結果が
症状として現れるのです。
ですから
症状が出てからのことを尋ねたり
症状が出た後に
たくさんの検査をしても
病気の状態がわかるだけで
真の病気の原因に迫ることはできません。
医療を施す前に
病気の原因を見つけないと
本当の治療はできないはず。
ですから
医者は、症状についてだけでなく
患者さんに聞かないといけない
ことがあります
“からだに負担になる生活をしてませんか?”
“何を食べていますか?”
“何を飲んでいますか?”
“毎日頑張りすぎてないですか?”
“心に悩みを持ち続けていませんか?”
“ご家族、ご友人と仲良くしていますか?”
“つらいことがあれば、なんでも話してください。
何でも吐き出してください”
あなたの生き方が
あなたのからだの細胞ひとつひとつに
影響しているのです。
細胞のひとつひとつの
訴えが症状になって
あなたに訴えてきてるのです。
だから
カルテには
症状のことだけでなく
実は
その人の生き方を
記録するものでなければならない
と僕は思います。
昔から“医は仁術である”と言われます。
その意味は
医者は
病気だけを診ればいいのではなく
目の前の患者さんの全てを診る
全人的な力量が求められるからでしょう。
医者は
からだが病む時も
心が病む時も
そして
心身が病まないように
いつでも寄り添える存在で
なければならないのだと思います。
だから
医者の前では
包み隠さず、恥ずかしがらず
何でも素直に、正直に
話してください。
あなたの口から出る
真実の言葉が
病気の真の原因を教えてくれます。
☆ 先週末は娘の手料理食べたり
新しくできた周南市立徳山図書館行ったり
娘とのデートを楽しみました。
そして、今週末は……
今、東京に到着しました。
今回もどんな出会いが、学びがあるか、
ワクワクしてます。
ちょっぴり春の訪れを感じる週末。
みなさんもよい時間をお過ごしください。
チャンスをつかむ
チャンスがない
運がないって
嘆いてないですか?
あきらめてないですか?
実は
チャンスは
誰にも平等に与えられているんです。
そして
チャンスは
自分のまわりに
たくさん転がっているのです。
”チャンスがない”
”運がない”って
嘆いてる人と
チャンスをつかんでいる人との
大きな違いは
自分の周りにある
チャンスに気がつくか
どうかなんです。
チャンスをつかむためには
どうしたらいいのでしょう?
あなたは
人から何か頼まれたときに
どんな風に対応してますか?
即答できますか?
後で、考えてお返事しますって
返事を先送りしていないですか?
実は
頼まれたときに
即答できるかどうかが
できるだけ早く返事をすることが
仕事だけでなく、
何事においても
福を呼ぶ、チャンスをつかむ
というこにつながっるような気がします。
即答する力を身につけるために
何をするべきなのか?
ぼくは、日ごろから
まわりの事をよく観察すること
つまり
まわりに今何が起きているのか
観察し、判断する、そして動く
力を磨くことが
必要なんだと思いいます。
まわりのことを
よく観察するためには
好奇心と人に対する思いやりの気持ち
が大切ではないかと思います。
人に喜んでもらおう
人の役に立ちたい
という気持ちをいつも持っていれば
今
自分にできることはないか?って
まわりに対する観察の目が広がることでしょう。
その力は
自分だけに使うものではない
そして
誰かが察するSOSのサインを
いち早くキャッチでき
いち早く手を差し伸べることが
できるようになります。
その行動を起こすことが
日頃からの
心がけ、即答することで
磨かれる気がします。
まわりの人の
役に立ちたい
喜ばせてあげたい
そんな気持ちで日々過ごすこと
そんな行動力が
自らにもチャンスを生み
そして
多くの人にも
しあわせをもたらすことに
なるんだと思います。
自然(しぜん)治癒力と自然(じねん)治癒力
人間のからだには
自分で自分を癒やす力、自然(しぜん)治癒力があり
病気になった時にその力を引き出したり
その力を衰えないようにして
自分自身で
病気を治したり、病気を予防したりしています。
この自然(しぜん)治癒力を引き出すのが
我々医師の仕事です。
医者の仕事は手術をする、薬をだすこと
診断、治療を下すだけではないのです。
僕はからだの中に自然(しぜん)治癒力を
引き出そうとしています。
そして
自然治癒力は医学用語と思っていました。
最近自然治癒力と同じ漢字で書いても
呼び方の異なる
じねん治癒力があることを知りました。
これは
人生で何か辛いことや苦しいことがあっても
涙を流せば、軽くなるとか
時間が解決してくれる、時間が経てば忘れられる
っていいますよね。
これが
僕たちの苦しみから自らを救う力
自然(じねん)治癒力というらしいのです。
なるほど
人間はしぜん治癒力とじねん治癒力という
二つの力を生まれつきもっているから
心身とも健康に生きていけるのだと思います。
医師にはこの二つの自然治癒力を
患者さんに引き出すことを使命に
精進していかないといけないのです。
東大教授、若年性アルツハイマーになる
東大医学部の教授であられた方が
アルツハイマーになったとき
どうされたのか、
そしてその後の生活は?
そのことを赤裸々に綴られた本だった。
アルツハイマーになっても
本人自身だけでなく
家族との生活
社会とのかかわり
そしてナチュラルコースを
どのようにどう過ごされたかを
奥様がその時々の思いを
奥様の思いだけでなく
ご主人の気持ちに寄り添って生きてきた
愛の記録だと感動したのが
読み終わった後の感想。
認知症になったとき
ご本人の心情から
発した言葉が記録されている。
いつも沈着冷静、理路整然としているかたが
大きな声をあげてしまう。
その理由を
「場所がちがうんだ、やめてくれ」
「場所が家とちがったり
知らない人に何か言われても
さっと理解できないし、言葉がでない」と。
つまり
自分の今いる空間が
今までと違う
そのことを同確認したらいいのか
説明もできなく
不安に感じているのだろうか?
また、食事がすすs間ないとき
食べない理由を尋ねると
「僕の住んでいる世界は、大変なんだよ。
いろいろな種類を食べなくては、と思っても
手がでない。
我慢して、嫌いなものでも食べないと思っても
できないんだ」と答えられたと。
住んでる世界は
僕の住む世界とは違うのだ
理屈じゃない
こころが自由になれるように
生きていこうとしている。
色んなしがらみの中に生き
自分を他人に合わせて生きている
ある意味生き抜きにくい世界を
僕達は生きているのかもしれない。
生きにくい世界だからこそ
感じることもあり
成長することもできる。
成長して、自分の目標を達成するのが
今生きている本来の意味。
そしてその生が終わりを迎えた先の世界
明らかに今と違う世界で生きることになるのだ
・・・・そうこの本は教えてくれた気がする
男よ、いばるな
最近、男の生き方というか
おごった態度がよく問題になる。
年末から大物芸人の女性蔑視の行動が
物議を起こしています。
人類は
有史以来男性優位の歴史であっとものを
見直そうという
動きがうねりとなって
世界を包んでいるのだと思う。
生物の世界は
男性優位な世界ばかりでなく
女性優位の生物もある。
その例として
ミツバチの世界のことを聞いたので
紹介します。
ミツバチの世界は
役割がはっきりしていて
女王蜂を頂点にした女性社会なのです。
卵を産む女王蜂と
女王蜂のお世話などをする働き蜂も
実は全てメスだというのです。
女王蜂は
こどものうち一匹に
ロイヤルゼリーを与え、その蜂は
将来の女王蜂になります。
そして
春になると、女王蜂は雄の蜂を産み
その雄の蜂と共に
住み慣れた巣を新しい女王蜂に譲り出て行くのです。
女王蜂は
また新しい巣を作って
新たな蜂社会を作っていきます。
そのためには、こどもとなる働き蜂の卵を
産まなければなりません。
そのために
雄の蜂と交尾をくり返すのですが
その雄は
引き連れた雄の蜂ではなく
近親婚をさけているのかはわかりませんが
他の集団の雄の蜂と交尾をくり返すらしいです。
女王蜂は精子を体内にためこみ
その精子を小出しにすながら
数年にわたって卵を生み続けます。
変わって
雄蜂の運命は
交尾をした後、その場でお役御免のように
天寿を全うします。
中には、交尾できなかった雄蜂もいます。
その雄は巣に戻りますが
出戻りの雄は、働き蜂から餌も満足にもらえず
巣の隅に追いやられて息絶えるそうです。
これが
蜂の世界の実態らしいです。
人間社会では
女性蔑視が甚だしい社会であり
その考えは根本から改める必要があります。
これからは
男が威張る世界を改め
だからといって女性が男性の役割を果たすというより
女性もそして男性も安心して自らの役割を果たせる
社会の実現に向かって変わっていくことを願うばかりです。