「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
伊能忠敬を支えた家訓
伊能忠敬といえば
日本地図を作成した人物。
55歳の時に全国の測量を決意し
日本全図を完成したのが73歳です。
当時は
人生50年時代ですから
伊能忠敬の生き方は
生きる勇気を与えてくれます。
そんな伊能忠敬をした原動力は
「地球の大きさを知りたい」
からだったとか。
そして、商人であった伊能忠敬が
家督を長男に譲った時の
家訓が残っていて
伊能忠敬という人間としての
生き方を示されている気がして
ここに紹介しようと思います。
1.仮にも人に対して嘘偽りをせず
親に孝行、兄弟仲良く、正直であれ
2.目上はもちろん目下の人の意見をよく聞き
納得のいく考えは取り入れよ
3.人に対する敬意と謙譲をもって言動を慎み
決して人と争わぬように。
これに加えて
年令に囚われず。心からやりたいことに挑戦し
努力を続ける気力
天文、測量の優れた技術
したたかな行動力、統制力、財力
があったからこそ
全国測量の大偉業ができたのだと思うのです。
ノアの箱舟が終わった日
7月17日は
ノアの箱舟がアラファト山に
漂着した日と言われています。
。
京都の祇園祭のピークを
迎える日でもあるらしい。
これは偶然というより
意図してそうしたと僕は思ってます。
なぜなら
祇園祭は日本古来のお祭りだと考えられていますが
実は、ユダヤ教のお祭りが
ベースになっているかのような
共通点が確認できるからです。
ユダヤ教の神殿は
日本の神社のように
鳥居があって、本殿を構える造り
狛犬が2対おかれているらしい。
日本では
狛犬って犬って表現するけれど
よくみると
ライオンのようだし
日本にはライオンなんていませんよね・・・・
また
祇園祭では
おみこしや山車がでるのも
ユダヤ教のお祭りと同じ。
そこに描かれている絵は
日本古来の絵巻物というより
エジプトやユダヤらしき絵が
不思議と描かれている。
ユダヤと日本
実は同じ祖先で
日本人はユダヤ人の血がながれている
日ユ同祖説があるくらいです。
そして7/17はノアの箱舟伝説の終焉の日。
ノアの箱舟伝説とは
大昔の伝説で
神様がおつくりになった人類が
余りにも傲慢になってしまったので、
おつくりになったことを後悔されて
いったん滅ぼそうと
大雨、大洪水をおこし
人類を滅亡させようとされました。
しかし、神様の温情で生きるチャンスをもらった
ノアの一家と動物が
箱舟を作って難を逃れることができて
それから
現在の人類につながったという伝説が
ノアの箱舟伝説です。
大昔のことすぎて
世界中で伝説として語られだけで
実際の物証はほとんどありませんが
単なるお話しではなく
実話ではないかとも考えられ
今でも実際研究されている話でもあります。
そのノアの箱舟が
アラファト山に漂着して
新しい時代が始まった日が
この時期なんですね。
今の現実お日本をみると
先日の日本を襲った大雨
ノアの箱舟伝説規模ではないにしても
同様なことがおこっていました
これって、たまたま偶然なことでしょうか?
もしかしたら
なんらかの計らいがあったかも。
なんて考えてしまいます。
雨があがったからよかったではなく
今の自分、世界の現状を振り返る時間にしないといけないのでは
ないでしょうか?
また
この7/17を中心に
エネルギーあふれる良き日ともいわれています。
この良き日を
無駄にすることなく、今日も前に進んでいきましょう。
三昧境
野球選手が大ホームランを打った瞬間
ボールが止まってみえた
といったり
陸上選手が記録をだした時
光の中に入ったとか。
スポーツ体験だけでなく
毎日頑張って勉強していると
ある時、今まで気づかなかった
自分の才能や能力が開花する瞬間を
体験された方も多いのではないでしょうか?
別次元の世界を体験したことを
ゾーンに入ったといいます。
別の言い方をすれば
三昧の境地に至ったともいいます。
この瞬間を
もう少し科学的な表現をすると
遺伝子の中にナメっていた能力が
開花したという意味で
「DNAのランプが点る瞬間」と
表現することもできるでしょう。
そしてこのランプは
ひとつ点るとそれで終わりではなく
さらに頑張り続けると
次々DNAのランプが点り
今までにないあなたの才能が開花し
成長続けることができるのです。
あなたのからだには
あなたががんばれば
いつでも、いつまでも成長を応援してくれる
秘められた力があるのです。
適当に生きよう
無駄な時間を
大切にしていこうという
ことを書きましたが
実際どう生きていけばよいのでしょうか?
深く考えずに
適当に生きていけばいいのです。
適当とは
何も考えずに・・・・ということでは
ありません。
適当の
適にはかなうという意味があり
適当とは
かなうことにあたることだと言える。
何をかなえるために、あたるのか
叶えるものは夢ではない気がするのです。
叶えるものは
自分は何を大切に、何を大事に思って生きていくものを
みつけて生きること。
すなわち
自分が生きていきたいテーマとも
言えるものをみつけ歩き出すことが
適当に生きることだと思うのです。
今日の空は特別?
今日見た空は
昨日見た空とは、全くちがった。
一昨日見た空ともちがった。
思えば空が
同じ姿で
僕の目の前に
現れたことは一度もない。
そんな一瞬の空が
僕に教えてくれた。
「この一瞬、一瞬が
特別なんだよ。
この世の全てのものが
君への素晴らしい贈り物のなんだよ」って。
贈り物?
確かに
今日出会った人は
僕に出会う前に
何世代もの命のつながりを経て
今日僕と出会った。
貴重な出会いだったんだ。
今日水が飲めたのも、
食事ができたのも
仕事ができたのも
実は
今日僕が受け取った
無数の贈り物のうちの
ほんのわずかなものかもしれない
だから
今日起こったことも
今日という日も
僕に与えられた
大事な大事な贈り物によってできた
恵み溢れた特別な日なんだね
だから
今日も、明日も一日として
同じ日はない。
今日は特別な日ってことを
空は教えてくれたんだ。
人生って
特別な一日の積み重ねでできている。
届けられた数々の贈り物にに支えられて
僕は生きている。
今日は特別な一日。
素晴らしい贈り物をもらって過ごせたことに
感謝なんだね。
そして
今日僕に与えられた恵みに対する感謝の気持ちが
今日出会った全ての人に対して
言葉だけでなく
僕の眼差しからでも、
この手からでも
少しでも感謝の気持ちを
伝え、届けることができていたなら
今日は本当に良い一日になるだろう。
今日は実際どれくらいの人に
感謝の気持ちを
伝えられただろう。
振り返れば、反省すべきことだらけ。
くよくよ振り返ってるうちに
また、特別な明日がやってくる。
だから
明日は今日よりももっと多く
感謝の気持ちが届けられることを願い
今日という一日を終わろうと思います。
みなさんにとって明日が
感謝と愛に溢れた一日になりますように。
今日もありがとうございました。
仕方がないも決心のうち
人生をどうのように生きようか
決めているかいないかにかかわらず
自分の力ではどうしようもないことが
あります。
自分が何かしたわけではないのに
進むべき道を阻まれたり
どうにもならないことに出会うことは
誰にも経験します。
そんな時には
それは「仕方がない」と
思い切ればいいのです。
その時に、その決断を
あきらめた、ギブアップしたとか
マイナス感情を抱くことはありません。
その時に
こんなことしたからとか
あんなことしたからと
過去を振り返る必要もありません。
仕方はないとは
今の現状だけでなく
過去とか、どれが正しかったのかと考えることもなく
仕方ないと思えばいいのです。
今の現状をなかなか受け入れられない時は
仕方がないとつぶやくと
受け入れがたいことでも
受け入れられるようになるから
不思議です。
無駄な時間なんてない
現代人は忙しい。
次から次にしたいこと、
しなければならないことができて
いつも時間に追われている。
そして
時間がない。足りないと
嘆いている気がする。
時間は決してないわけじゃない。
時間はあるのです。
しなければならないことってなんだろう。
そもそもしなければならないことって
なんだろう?
よくよく考えてみると
しなければならないことって
最初はなかったんだと思う。
我々は
生きていく理由もわからず
生まれてきた理由も知らずに
この世に生まれてきたはず。
生まれてきたいと思ってきたわけでもないし
生まれてきた理由も知らずにこの世に存在したはず。
だから
生まれた理由や
今生きてる目的は
生まれてきて自分で考えきずいたこと。
考えてみると
生まれた瞬間に
生きてなければならない確かな意味もなかったはず。
そう考えると
意味のある時間なんて
人生に存在しないのではないのだろうか?
無駄な時間だと思っても
無駄な時間なんてないと
受け止めて生きることが大事ではないかと
僕は思うのです。
からだは地球からのレンタル品
からだの60兆億個の細胞全ては、
毎日摂取している
食べたものからできている。
地球にある全てのものは
炭素、水素、酸素などの無機物を
植物が摂取し、植物を動物が摂取し、
さらに人間が地球上の植物や動物を食べている。
そして地球の元素全ては、
宇宙からきている
つまり、元をたどれば、
僕たちのからだは
全て地球の元素からできていて
人間のからだは
地球のそして宇宙の一部ってことになる。
つまり、僕たちのからだは
地球から一部借りてできあがった
レンタル品てことになる。
レンタル品だから、いつか返す時が来る。
返却の時期が、つまり「死ぬ」ということ。
それなら、
このからだを借りてるのは誰だろう?
借主は自分自身だけど
自分自身って、誰だろう
人のからだは、
1年間もすれば
細胞は全ていれかわってしまうし
からだ自体はレンタル品だし
借主でないのは明らか。
それでは心だろうか?
心も
いつも同じ状態ではなく。
考え方も感情も
日によってコロコロ変わり
心もからだ同様
一定しないなら
借主とはいえなさそう。
私たち自身で
ずっと変わらないものって
肉体でもなく、心でもないってこと。
ずっと変わらない普遍なものと言えば
魂でしょうか?
魂が
あなたの肉体を
地球から借りて
この世に存在できているのだとしたら
この世に
魂が肉体を
地球からレンタルし
レンタル期間が終われば
地球に肉体を返し
あなたは、魂だけの存在になる。
そして、また肉体をレンタルできる日を
待っているとしたら・・・・
魂の存在
そして
輪廻転生って確実に存在するのだと思う
おかげさまで
日常生活で
ありがとう、ごめんなさいという言葉は
大事な言葉だと多くの人は知っています。
そのふたつの言葉に
「おかげさまで」という言葉を
意識して使ってもらいたいと思います。
たとえば、ご家庭で
お母さんはやることがいっぱい。
掃除、洗濯、食事の準備、後片付け・・・
それらの役割分担ができていればまだいいけど
そうでないと
どうしても負担が増し、余裕がなくなると
「わたしばかりが大変な思いをして」と
不満がたまってきます。
そんな時
おかげさまの言葉で
いまの状況をいい方向に転換して欲しいのです。
今日楽しい旅行ができたのは
日頃お仕事頑張っているお父さんのおかげ。
今日学校から先生から電話があったけど
そのおかげで学校の様子がわかった
・・・・・など○○のおかげで・・・と変換すると
その時の状況が、思いが変わってくることが
増えてきます。
そして
あなた自身も
その言葉を聞いたご家族全員も
ネガティブに考えなくなります。
不思議な「おかげさまで」という言葉を
もっと、もっと使ってもらいたいです。
天地有情
この言葉は
雲が低く垂れ込めた陰鬱な世界にいると
人の心まで暗くしてしまう。
逆に晴れわたった時には
人のこころは晴れ晴れとしたものになる。
世界と人間の心は繋がっているということを
示した言葉。
確かに
人のこころは自分の置かれた環境で
刻々と変化する。
同じ環境に置かれていても
人の気持ちは皆違う
そのちがいは
ひとりひとりの表情を見れば
その人の感情までも
手にとるように感じることができる。
喜びの時も、悲しみの時も
不安な時など
人々は様々な表情を見せてくれる。
病院には
色んな病気、不安を抱えた方が
訪れる。
例え高血圧という同じ病名がついていても
ひとりひとり表情は違うし
同じ病名でも
同じ病名であっても
訪れる度にちがう表情でこられる。
今日はどうしてそんな表情をされるのか?
といつも思って
患者さんを診察している。
病名で患者さんを観るのではなく
訪れた時の
患者さんの全てを診るのが
医者の役割である。