「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
自立するとは
多くの人は
自立とは、ひとりで生きていくこと
ひとりで生きていく力であると
思っていると思います。
でも、人間は
ひとりでは生くことはできません。
ですから
自立するとは
ひとりで生きていくことをいうのではなく
ひとりで生きていけないのだと理解して
ここはひとりでは生きていけないと
見極めること力があること。
ですから
自立するために必要な力は
「自分はひとりで生きていけないから
誰か助けて!」と
自分以外の人に言うことができる力なのだと思います。
ビヨンド・ユートピア 脱北
という映画を観た。
脱北と副題がついているように
現代一の極悪国といわれる
北朝鮮から
自由を求めて脱北をする一家の姿を追った
正真正銘のドキュメンタリー映画。
許されない脱出を試みるには
多くのブローカーに頼り
詐欺かもしれないと疑っても
お金を渡さざるおえない苦しい心境。
でも、その脱北を支援する韓国の神父と共に
脱北を試みる。
中国側に見つかって
北朝鮮に渡されれば、生き地獄に戻される。
まさに命がけの脱出劇。
その一家は80代の老人10歳にも満たない少女がいる。
生半可な気持ちでは
超えられない旅路
10時間も及ぶ山道を歩き通し
生きを殺して寝食していく
ゲームではない生死をかけた
サバイバル。
一家は無事自由の国にたどり着くのだが
自由の国でやることは
7か月もの間
北朝鮮で受けた洗脳教育を解く
プログラムを受け
韓国で自由な暮らしを始めた一家。
一同介して
皆が自由があることの
素晴らしさを口にする。
しかし、祖国北朝鮮を
悪くはいわない。
政治や生活の困難は忘れられないが
育った国の風景、人々のことは
自由を得ても愛していること。
いつか北朝鮮に帰りたいと口にする。
そこに生まれてきたことに
大きな意味があるということを
考えさせられた映画だった。
三つの無常
仏教の教えに無常が言われるのは
みなさんもご理解されていることでしょう。
この仏教が教えている
無常という考えを
しっかり理解すること。
しっかりというのは
頭で何となく理解するというのではなく
こころから揺るぎなく理解できること。
これが意外に難しいのです。
僕が今
この無常だと思えるのは三っつ。
第1は、世の中に永遠なるものはひとつもない
第2は、形あるものは壊れる
第3は、人は生きて死ぬ
この3つがあることを理解して
人生を歩んでいくと
日々悩むことも減り
生きやすくなる気がします。
明るい未来を信じて
昨日は東京都知事選挙でした。
50名以上の立候補者で
みなさん思いを訴えての立候補
それだけ東京を、そして日本を
よくしよう、よくしたいという
あらわれだったのでしょう。
その中選ばれた知事が
パワーを持って東京をそして日本を
よくするように願うばかりfです。
今や国家と同じぐらいの力を持つ
東京ですが
はじまりは徳川家康がお国替えを命じられて
当時沼地で何もなかった土地で
家康の家臣達は
不平不満をいい、激怒していたと聞きます。
しかし、家康は
これをマイナスとしては受け足らず
超ど田舎で会った江戸を
世界第一の都市にまで発展させたのです。
家康が
家臣と一緒になって不平不満をいって過ごしていたら
今のような発展はなかったでしょう。
都知事さんも
選挙中も前も色んな事があったでしょうが
是非前向きにとらえて
東京を日本を
よき方向に導いてもらうことを願うばかりです。
七夕と竹
七夕の日に
織り姫と彦星は
年に一度だけ会うことができる日。
古代中国では
七夕にカササギが
天の川に橋を架け、二人を
会わせるという言い伝えがあります。
また七夕は
五節句のひとつで
邪気を祓える日でもあるのです。
日本では
この日短冊に願いを書いて
笹に結んで願いを書きます。
実は笹には
邪気を祓う力があるといわれています。
ですから
この日は短冊をつるさなくても
単に竹や笹を玄関先に
飾るだけでもいいのです。
竹は花屋さんでも売っていますか?
もし、竹がなかったら
ミリオンバンブーでも大丈夫です。
飾る竹がない
でも、邪気を払いたいという方には
竹林を歩くだけでもかまいません。
今日は
竹に囲まれた時間を是非作ってみてはいかがでしょう
保育園を増やすことが子育て支援か?
選挙になると
政治家の方々は
少子化対策を公約の大きな柱に据えられます。
その中身をみると
保育所を増やして
待機児童を減らす・・・というのが目につきます。
確かに
女性が働きやすい環境になれば
子育てしながらでも
社会で自分の能力をいかせる
・・・・とは思うのですが。
それだけで
こどもを育てやすい環境が
整ったといえるのだろうか?
何か、大事な事を忘れてはだろうかと
気になるところです。
実際
東京都を例にとっても
待機児童は減ったといっていますが
出生率は1をきったと
その効果は思ったように上がっていないように
見えます。
保育園が少子化対策の要と考えるようになったのは
1960年代の経済学者Becker氏の理論によるです。
その理論とは
それぞれの家族は
その家族に与えられた所得と時間を考えて
育てられるこどもの数を決めているという
理論に基づいているのです。
50年以上前の理論をしても
効果は出ていないように思えるのです。
育児のために
働きにいけなくなって、その分所得が減ってしまい
育児をすることが
所得にマイナスであると。
物質主義的な無味乾燥な
考えでいっている気がします。
何かがたりない気がします。
その足りない面を
みなさんと考えていければと思います。
しあわせ探し
人がしあわせかどうか感じるのは
本人が満足しているかどうか。
どんなしあわせの形でも
本人が満足さえしていれば
しあわせだと言えるのです。
逆に
他人からみて、どんなにしあわせそうに見えても
本人が満足してないかぎりは
しあわせだとは言えないのです。
何をどうしあわせかに感じるかは
ひとそれぞれだということになります。
しあわせを探す人生ではなく
自分が満足する生き方をしたいものです。
一日仕切り
一日仕切りという言葉があります。
この言葉の意味は
「今日できることは
今日済ませ、明日に持ち越すな」であったり
「明日ありと思うな。
今日という一日のいのちを大切に生きよ」
という意味もあるようです。
僕はこの言葉は
「今日の自分と明日の自分は繋がってるようで
まるっきり違っている」と
言う意味に思えるのです。
人間のからだはずっと同じではなく
からだを構成するタンパク質の3%が
毎日入れ替わり
一年経てば、全細胞の90%以上が
入れ替わってしまうのです。
これはつまり
いのちは、全く別の形となって
存在続けるのだと
言えるのではないでしょうか?
昨日が過ぎ去ってきょうになり
今日が終わって明日になる
というものではない。
今日は今日という一日であり
それはぜったいてきなものである。
今日というより
今ここにあるという時を生きているのが
人間の生の真実の姿といえるのかもです。
そのいまという時間が
永遠のいのちという存在の根源に繋がっている
ように僕は感じるのです。
人生に必要なのは、やさしさと、かしこさと、ほんの少しの強さ
人はよく
「あなたの痛みはわかります」と言うけれど
あなた以外の本当の痛みは
当事者にしかわかりません。
わかるというのは
想像できるという意味でしょう。
想像して、痛かっただろう
辛かっただろうと想像できます。
その想像力が
そのひとのやさしさだと言うことです。
でも、そのやさしさは
あなたの想像力から生まれたものだから
そのやさしさには限界があると言うこと。
だから、そのやさしさが
相手の重荷になったり
大きなお節介になってしまうこともあるのです。
あくまでも
痛みの主人公はあなたではないということを
こころに留め
想像力の種を当事者から
くみ取らなければいけません。
その時に必要な力が
賢さです。
つまり本質を見極めること。
現代は多くの情報を簡単に手に取ったり
自らの考えを簡単に発散することが
できます。
ですから、本物、本質を見抜く
思考力が必要になります。
そのためには
様々な意見反対意見でも
耳を傾けてみる素直さが必要になるのです。
そして
人の意見を聞く、言い、実行する時に
様々な困難や課題に
ぶち当たることがあるでしょう。
そんな時でも
自分の信じる道をやり抜く力が
必要になります。
その進む時に必要な力が
ほんの少しの強さが
必要になります。
今よりもちょっとだけ
強くなったら歩み出せるのです。
あなたはスーパーマンではありません。
でも、今よりもほんの強い力を出し続ければ
大きな力、勇気をもった人物になっていることに
気がつくでしょう。
お金がないからというのはごまかし
子育て世代は
こどもにお金がかかるから
贅沢はできないと
こころに決めているから
お金がないからと
諦めてしまうことは多いでしょう。
もちろん
現金や銀行の貯金通帳が0であれば
その通りでしょう。
お金がないという言葉は
生活が苦しいという意味によく使われます。
実際生きていくためには
お金がないのならそれは仕方がありません。
もっとお金を稼ぐ方法を考えないといけません。
しかし
子育てが終わった時期になっても
お金がないという言葉が習慣になって
我慢を続けていませんか?
子育てが終わると
老後のためにと考える人は多いことでしょう。
でも
年に数回でいいから
好きなものにお金を使っても
いいのではないでしょうか?
好きなことにお金を使うことは
あなたの生活に潤いを与えてくれるので
決して贅沢ではないのです。
その時に、かつての習慣で
「お金がないから」と言って
我慢し続ける人生って・・・・
さびしくなりませんか?