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しあわせ探し

人は誰でも
しあわせになりたいと思っている。

しあわせがどこにあるかわからないから
しあわせ探しを一生懸命している。
一生かけてしあわせ探しをする人もいるし
しあわせをすぐ見つけて
しあわせに生きる人もいるし
死ぬまでしあわせ探しを続ける人もいる。

しあわせってどこにあるんだろう?
って思うけど
実は誰もが
自分のこころのなかに
しあわせの種をもっているのに
それに気がつかず
自分の外にしあわせを見つけようとする。

でもしあわせの種は
外にはないから、いくら探しても
見つからない。

だって
外にあるものはしあわせそのものではなくて
しあわせの理由、結果だから。
お金、友達、地位とか
癒やされるものに囲まれる、自然の中にいるとか
ひとのやさしさに触れたとか
しあわせを感じる理由は一杯あるけど
実は、それはしあわせの結果。
しあわせそのものではない。

しあわせそのものは
その人のからだのこころの中にある。
しあわせの理由はなんでもいい。
しあわせの理由は人それぞれ。

だから
しあわせを感じる
こころをもつことが大事。
しあわせだと感じることが増えれば
もっと、もっとしあわせになれる

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日本の宗教、西洋の宗教

欧米社会で成功した人たちは
共通した生活習慣をもっているという。
それは宗教を大事にしているということ。

欧米での宗教と言えば
キリスト教に代表される
一神教の神の教えを守ることで
道徳観を保ち続けること
その生き方が
人としての評価が高まり
信頼を得て、成功に繋がるという
図式になるのである。

欧米と比べて
日本にもキリスト教、仏教をはじめ
様々な信仰を持っている人は
現在もいるが
それらは日本人固有の宗教とは言えない。

欧米人の生活習慣としての
宗教にあたるものは
先祖供養だと思う。
日本人は昔からお盆やお彼岸には
仏壇やお墓参りをして
会ったことのないご先祖様に
思いを馳せる人が多い。

そして、
困ったことがあったり、
成功したいなら
お墓参りをしないさいという話しは
よく耳にする。

池内家の菩提寺は
加古川の称名寺にあるが
自宅から遠いため
数回ほどしか行ったことはないが
人生の岐路に立たされた時
なぜかお墓参りを一人で挙行して
その後の人生の道が開けたことがあった。

もうひとつ
日本人が古来から大事にした宗教は
太陽信仰である。
今ではあまり言わなくなったけど
「お天道様がみているぞ」と言われたり
初詣を拝んだり
まぶしい太陽に触れると
無意識に手を合わせてしまうのも
自分の身体に染み込んだ太陽信仰のDNAの
なせるわざだろう。

またお墓参りはお盆や年末にするのはわかるが
お彼岸にお詣りするのは
日本独自の風習らしい。
なぜなら、
お彼岸は昼の時と夜の時が同じ日。
その日は、この世の人とあの世の人の魂が
もっとも通じやすい人
平安の昔から考えてたようです。

ご先祖様と太陽が
私たち日本人の生きる道を
ずっと照らしているのです。

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心感じるままに

若い時は
いろんなことを学びます。
学んでるときは
「真実とは?」{正しいこととは?」などに
目がいってしまいます。
そして、
なんのために勉強しているのか
わからなくなってしまうこともあります。
実は勉強し学びを深めることも大事だけど
実は
学んでる時でも
何をする時でも、
その時の感じる心が大事。
”勉強して、わかって楽しくなった”
”今日、頑張って走れたことがうれしい”
”そうじをすると、心がすっきりした”
”お友達と仲良くできて、心が明るくなった”
とか
心で感じたことを
大事にしてもらいたい。
心に感じたことを
大切にして
日々暮らしていくと
”自分は今、何をしているとうれしいのか
自分は今、何をしている時が充実してるのか”
考えるようになります。
そんな風に生活していると
何かに悩んだ時でも
その心の中に
自分らしく生きるヒントを
見つけることができます。
しあわせになる鍵は
自分の心の中にあるのだと思います。
将来
何をしたらいいかわからなくなった時
なぜ、勉強しているのか
わからなくなった時は
自分の心に質問してみて下さい。
”今、何をしたら楽しい?”
いつも
どんな時も
頭で考えたことより
心で感じることを大切に
生きてもらいたいです

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現代人は何にいそがしい?

開業医をしていると
ほとんど病院の中で過ごすので
世間の状況を
肌で感じることは少ない。

でも時には
交通の便がいいところで
開催される学会には
診療の隙間時間を利用して
出かけるようにしています。

都会にいくと
交通(乗り物の)乗り方が
明らかに違ってきているし
買い物をする時も
お金を実際払うことは少なく
電子マネーで払うことが多い。

数字は動くけど
実際のお金の動きがわからない社会。
自分の知らないところで
なんか動いてるかもしれないという
どこか空恐ろしさを
今の社会の動きに感じてしまう。

そして
都会にいくと
乗り物に乗っている時だけでなく
歩いてる時でも
一人の時間があれば
スマホを観てる人ばかり。

旅行にきて
少しでも美味しいもの、楽しい所を
探そうと調べている人もいるだろう。
様々な情報を仕入れようとしている人だっている
また、誰かに連絡しないといけない人だって
いるのだろう。

今やらないことを
やっているのにスマホを使っているのは
理解できる。

でも電車に乗ると
景色をみたり、寝たりしたり
いわゆるボーッとしていた人は
以前はたり前にいたけど
今周りをみると
ボーッとしているのは自分だけ
周りの人は
手に持ったスマホの画面を見てる人に
囲まれてしまった。

みんな
なにが、そんなに忙しいの?
そんな今しないといけないことが
スマホの中にあるの?
スマホ観ている人に囲まれ
スマホをみない僕は
何者なの?と疎外感さえ感じた。

みんな、周りのことをみる暇がないぐらい
忙しいの?
現代人が、みんなが
なんにそんなに忙しいのか疑問に思ってしまうことが
都会に行くたびに思うのです。

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金と銭の違い

江戸言葉に
「江戸っ子は宵越しの銭はもたない」
があります。
一日の稼ぎはその日のうちに
使い切るという意味に現代風にいえば
なる。

銭と似た言葉に金という言葉があるが
今は銭という言葉は日常的には
使わないから
お金も銭も同じ意味捉えられるが
江戸の人はそうではない。
江戸時代
銭とは、まさに今もみなが考えるお金のこと
お金の単位と考えたようで
日銭を稼ぐ、安物買いの銭失いという言葉の銭は
現代で言うお金のことである。

それに対して
金は今で言う金貨のこと
小銭ではなく
大きく言うと、今で言う貯金、財産とも
考えていいのだと思う。

「小金を貯めている」という言葉は
お金を貯めている
お金を持っていることなのだ。

太っ腹に宵越しの銭はもたないといっていても
小金は持っている人が多かったのだと思います。

現代人も
お金を大切にしていて
必要な時、必要なものに銭を使うことが
大事だと思うのです。

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ボロボロに燃え尽きるまで

人生目的には
人それぞれいろいろだと思いますが
思想家の執行草舟さんは、その著書の中で

「人生の目的は
燃え尽きることにある。
その人の命がボロボロになるまで
燃え尽きたかどうか
わたしにとっての
成功哲学はそれだけです」
と書いています。

ちょっと過激な言葉で
そんな自己破滅的な生き方をしないと
しあわせになれないのか?と
一瞬ひいてしまいました。が

もう一度冷静になって
この言葉を読み直すと
ボロボロになるまで、生き抜け。
今を一生懸命、先のことを畏れず
一瞬、一瞬を全身全霊を込めて
生きていけ
という執行草舟さんの想いだと思うのです。

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貧乏くさくなりたくない

お金がなくては
生きていくことはできないし
お金があると
欲しいものも買うことだってできる。
お金があると
やりたいことだってできる。
お金があると願いや夢を叶えてくれる
気がしてくれる。

本当にそうだろうか?

石川啄木が
「働けど、働けど、我が暮らし楽にならず」
という歌を残してるけど
現代は
「働けど、働けど
稼げで、稼げど、我が暮らし楽にならず」
と思っている人が多いのだろうか?
それはおとなだけでなく
こどもがお金欲しさに犯罪に手を
染めてしまうこともある。

お金を稼ぐ目的が
かつてとは変わってきている。

自分は、戦争を経験した親に育てられたので
贅沢をするためにではなく
生きていくために
必死で稼いだ親に育てられた。

こどもである僕には
感じさせない苦労を
親はいっぱいしたおかげで
僕は何不足もなく今ここに生きることがある。

これは僕のことだけでなく
今までの日本人の生活はどこもそうであっただろう。

そう言えば
母親が生活が苦しいとつぶやくことがあり
その独り言をきいて
こどもの時父親に
「どうしてうちは苦しいの?」と尋ねると
父は
「戦争に負けたからだぞ」と言われ
それにこどもながらに納得して、それ以上
尋ねることはしなかった。

60年代はまだ日本はまだ貧乏だったけど
みんな「貧乏くさく」はなかったと思う。
逆にいうと
現代はものにあふれ豊かな時代になったけど
貧乏くさくなっていないだろうか?

貧乏と貧乏くさいは全く違う。
貧乏というのはクールでリアルな経済状態をいう。
だから、
例え貧乏だとしても、貧乏は精神状態とは関係ないので
心豊かに暮らすことができる。

最近の人の動きなどを見ていると
他人の富裕を羨む人もいるし
自分の財産をしっかり退蔵して
誰とも分かち合わない人も増えていないだろうか?
富を手にして、権力に近づいてしまうとは
もっぱら
税金を我が物のように私物化したり
公権力を私用に流用したり
公よりも私を大事にしていると思えるような
行動をしている人が増えてはないだろうか?

貧乏を脱して貧乏くさくなる人が増えていけば
この国はどうなっていくのだろうか?

お金に手にした後
貧乏くさく生きないようにしなくてはと
いつも思うのです。

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積善陰徳

この言葉は
中国民事代の袁了凡が書いた
「陰隲録」という書物に出てくる言葉。

ある日
了凡さんが占いをする易者と出会います。
易者は
「あなたはこれから先、どんどん出世するが
52歳で死にます。
こどもにも恵まれません。」
「この運命を変える積善陰徳という方法
を薦めたのです。
その方法を実行しては、
世のため人のためになるようなことを
コツコツと積み重ねて
こどもに恵まれ
74歳まで生きた」という話しです。

世のため、人のためになるような
素晴らしいことを誰にも
知られないようにやるのが陰徳。
この陰徳を積み重ねることによって
たまった徳が
未来を生きる孫やひ孫に
返っていくということ。

あなたの今の行動が
あなたの子孫に影響するのです。
いい祖先になれる方法です。

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チャイコフスキーの妻

という映画を観た。
チャイコフスキーと言えば
白鳥の湖、くるみ割り人形など
美しいメロディーの名曲を多く遺した
ロシアの大作曲家です。

その私生活は
男色家であるなど
その私生活は謎めいています。

そんなチャイコフスキーに妻がいたことを
この映画で初めて知り
その夫婦関係は
通常の夫婦とは全くことなるもの。

女性を愛すことができないチャイコフスキーを
愛してしまい
その愛を死ぬまで貫くことを
神に誓って結婚した妻の一生を描いたもの。
その妻の苦悩は想像以上で、その苦悩を
報われないかも知れない愛を信じて
生きた女性の姿を描いた映画でした。

男である自分にだけでなく
この女性にしかわからない面が描かれているので
この女性を理解することはできない。

映画をみながら
日本でも
彼から離婚を申し出ても、受け入れず
裁判まで起こし
別居していてて
数年に1回程度しか合わないのに
彼のための新居をつくっていたという
樹木希林さんと内田裕也さんの夫婦の思い出された。

もうお二人とも亡くなられているが
最近晩年に二人が初めて共演した番組を観た。
樹木希林さんも相変わらずの毒舌を吐いていたが
その仕草、視線の優しいこと
その仕草に、サングラスで目元はわからないけど
口元が緩む裕也さんの姿。
今も変わらない愛を貫いている夫婦の姿を見た。

そんなあとだったので
チャイコフスキー夫婦の運命の酷さに
涙した映画だった。

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意味のないことでも意味がある

幼い頃気がついてみたら
勉強もそうだし
親から進められた習い事も
やらされていた。

もっと遊びたいのに
みんな遊んでるのに
なんで今日はピアノのレッスン
そして今日はスイミングの日。
嫌々することって
意味があるのだろうかと
ものごころついたころには
そう思うことが増えてきた。

だから
親にやめたい、やめたいと
行く度に言っていたけど
親はうんと言わず
幼稚園から中学生になるまで
嫌々ながら続けていた。

そんなこどもの時に意味がないと思っていた経験は
おとなになって意味のある時間になっていることに
気がつくのです。

そのひとつは
意味のないことを一生懸命やった経験に
意味があるのだ。

こどもの時
一生懸命勉強した、水泳の練習をした
ピアノをした
その打ち込んだという経験が
何かに挑戦できることを
僕の身体に染みついているのだろう。
だから
おとなになっても
何かに挑戦して、どんな結果によるかもかかわらず
やり遂げられるのだという
自分しかわからない自信に繋がっているのだと思う。

今、自分の人生を振り返って
人生には何一つ無駄なことはないと思っている。
やめたいと言っても続けさせた
親に今は感謝しかないのです。

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