真実の医療」カテゴリーアーカイブ

気になる食物アレルギー

夏休み前になると
アレルギーを調べて下さいと
受診されるケースが
とっても多いです。

今まで食べさせたことないので
今まで食べさせてるけど
保育園で調べて下さいと言われて
アレルギーの症状はないけど
なんだか気になってっと・・・

理由は様々ですが
年々
食物アレルギーを気にされる
ご家族が増えている
気がします。

そして
これから離乳食を始める時も

”これまで食べたことのない食材は
アレルギー検査を受けてた方が
いいのでしょうか?心配です”と
心配そうなお母さんが増えています。

今は、食物アレルギーに対する情報が
溢れている状況。

テレビでも
インターネットでも
新聞でも
食物アレルギーに関する
話題が色々なところで
出てくるので
どうしても不安になってしまいます。

何となく心配だから
食べさせないでいると
1歳を過ぎて、この先どのように
食べさせたらいいか
わからなくなったって
こともあります。

そこで、病院を受診され
アレルギーを調べて下さい
ってことになるのですね。

でも、ちょっと待ってくださいね。

アレルギー検査は絶対ではないんです。

アレルギー検査が陽性でも
全くアレルギー症状が出てないことも
あります。
それまで、食べさせてなくて
少しでも陽性の結果になると
全く食べさせることに
躊躇してしまうことになってしまいます。

もう一度言います
アレルギー検査は絶対ではないです。

食べてアレルギーの症状が
出るかどうかが大事。

だから
アレルギー検査で
全てが決まるわけではないんですね。

最近の研究で
たとえある種の食べ物に対して
アレルギーがハイリスクだったとしても
その食べ物を
小さい時から少しずつ食べていた方が
免疫の力が強くなって
大きくなっても
その食べ物が食べられるようになった
っていう報告もあります。

だから
不安ばかり強くなって
食べる機会を逃すと
その分栄養が偏ったり
他のものばかり食べる様になったり
栄養バランスが崩れ
成長、発達に影響を及ぼす
ことにもなりかねないので
注意ですね。

でも、いきなり食べて
ショック状態になることも
あるかもしれません。

そこで
初めての食材を使う時は
以下の点を注意しましょう

①アレルギー症状が出てしまった時に
どの食材に反応したかわかりやすいように
1回の食事に1種類ずつ増やしましょう

②新しい食材を試す時は
体調のいい時にしましょう。

③一口食べさせて、何事もなければ
少しずつ量を増やしましょう

③症状の多くは、食後1~2時間で反応がでます。
初めの食材を試す時は、かかりつけの病院があいている
平日の午前中にしましょう

アレルギーの情報は
世間に溢れています。
一人で悩んでも
不安が募るばかり。

気になることがあれば
かかりつけの先生に
相談しましょう

 

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オッペンハイマー

今年のアカデミー賞を授賞した映画
「オッペンハイマー」を観てきました。

オッペンハイマーといえば
原爆を開発した原爆の父といわれた人
というぐらいのことしか知りませんでした。

オッペンハイマーは
純粋な理論物理学者であり
その自分の生み出した考えを
人類のしあわせになると信じて
日夜研究に打ち込むのは
科学者の端くれとして生きる自分にも
共感できる。

原爆という超破壊力の爆弾を作ることで
この爆弾を使うことで
世界を破滅させることでも可能な力をもつ。
だから、この爆弾を使わないようにするため
人々は平和に暮らすようになるだろうと信じて
開発に努力し、成功するのだけど・・・

世間の考え方や
時の権力者の考え方は大きく異なり
この爆弾をソ連がもったら更なる恐怖になる
もっと更に強い爆弾を作るように
オッペンハイマーに迫るのです。

その考えにどうしても賛同できず抵抗したので
共産主義だと疑われ
時の大統領に
「泣き虫には二度と会わない」などと罵倒されても
自分の信念は曲げなかった一生なんです。

もちたくない感情のひとつは
恐怖という疑心暗鬼なんだという思いを
確信しました。

医学も医師も、
恐怖を安心をかえられるように
する力を持たないといけないのだと
この映画を観た感想です。

少し長い映画で、難解な面もあるけど
観る人に感じさせるのが多いこと
いい映画でした。

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死は忌むべきものなのか?

昔から
死を怖れ、死は忌むべきものであると
考えられてきた。

だから
最近ではその風習はなくなってきたけど
葬儀のお返しには
清めの塩をいただいたり
神社にも
死者に会った時は喪が明けるまでは
お参りしてはいけない。
それは
神様は死を嫌っているからだと
教えられてきた。
お寺の仏様は
死者を導くので問題はない。と
教えられてきたけど
その考えに疑問が生まれてきた。
本当に神様がそう決めたのか?

昨日まで生きていた人に
翌日死んだからって
同じ人なのに忌み嫌うって
おかしくないだろうか?

神様だって
死んだ後の人で崇められて神様になった方も
おられるのに?
神様がそういったのではなく
古事記の伊弉冉伊弉諾の黄泉の国の話から
きているような・・・・
きっと神様が直接言ったのではなく
人が決めたことなのかと
思うようになってきた。

死者を忌み嫌うのではなく
もっと、もっと敬わなければならないのでしょう。

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【あわてない育児 111 : 地震が発生した時】
大変な大災害が熊本、大分で起こりました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りしますとともに、
被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

まだまだ、余震が続いています。
地震が起きた時
どのようにこうどうしたらよいか
日頃からのシュミレーションが
大切かと思います。
そこで、今回は
地震発生の時に
あわてないようにまとめてみました

地震発生の時
1、地震速報がなったら、上下左右の確認を

テレビ、携帯から緊急地震速報が聞こえたら
揺れが始まるわずかな時間
上下左右を確認して
「落ちてこない、倒れてこない、転がってこない」
場所を見つけください。

机の下など、頭を守れる場所が安全です

2、揺れ始めたら、赤ちゃんを抱いて安全な場所へ

揺れたら
赤ちゃんを抱っこして、安全な場所へ移動します。
危険な場所で、
お母さんが赤ちゃんに覆いかぶさるのは
二人とも命を奪われる危険があります。
お母さん自身の身も守りましょう

3、揺れがおさまるまで安全な場所で待ちましょう。

揺れている間に
火を消しに行く
窓や玄関のドアを開けに行く
という行為は逆に危険を伴います。
まずは
安全な場所で
揺れがおさまるのを待ちましょう。
そして
次の行動への心の準備をしておきましょう

4、揺れがおさまったら次の行動へ

①ガラスが散乱してるかもしれません
室内でも靴かスリッパをはきましょう
②火の始末をしましょう
③ブレーカーを落としましょう
④ガスの元栓を閉めましょう
⑤ご近所の人と協力して
救助や安全確認を
⑥家が危険な場合は
ラジオやスマートフォンで正しい情報を得てから
避難しましょう

5、外出時に地震に合った時の次の行動を

①身の安全が確保できたら
物のあふれている場所から離れましょう
②ベビーカーはその場において
抱っこひもなどで赤ちゃんを抱っこして避難しましょう
③あわてずに、まわりの状況を確認して
まずは広い場所に避難しましょう。
④人波に押されないように落ち着いて行動しましょう
⑤周りの人に赤ちゃんがいることをアピールしましょう
⑥赤ちゃんをしっかり抱き寄せて、壁側に移動しましょう。

☆エレベーターで地震

全ての階のボタンを押して近くの階で降りましょう
閉じ込められた場合は
非常電話、非常ボタン、非常ベルを利用して
外部に閉じ込められていることを
知らせて救助を待ちましょう

日頃のシュミレーションが大事です。
そして、いざという時には
「落ち着いて」と自分に声かけしながら
行動しましょう。

 

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【免疫力をつけるとは?】
コロナ対策で世の中のみんな頑張ってます。
行動規制して、自粛して、仕事を休んで
感染が広がらないように
感染を広げないように
ひとりひとりが
気をつけて過ごしています。

そんな時
よく聞かれるのが
”免疫力”を上げましょうという言葉。
免疫力を上げる?とは
どういうことでしょう

コロナ感染に負けない、これは戦争だ
国民全員で戦いましょう・・・など
戦うという姿勢を鼓舞する言葉をよく耳にします
これは戦いだから
ウイルスをやっつけなければ
ワクチンが薬が必要
そして
免疫力をつけて戦いましょう・・・・と続きます

実は免疫力をつけることは
ウイルスと戦う、相手に勝つことばかりではありません。
確かに、免疫力には
ウイルス、アレルギーなどの
体外からの侵入者を排除する”拒絶”する力を
指すこともありますが
もう一つ
妊娠したお母さんが、非自己である胎児を
”拒絶”せず受け入れるように
愛で育むという
”寛容”という力もあります。

今までのように
病気にならないように
病を、ウイルスを拒絶、排除するのではなく
たとえ
今回のコロナウイルスのような未知のウイルスであっても
相手の見えない病気であっても
大きな愛で包み込めるような
受け入れる”寛容力”をつける ことが
必要な時代に
これからは変わってくるのだと思います。

ですから医療も
これまでの闘う医療一辺倒でなく
病を受け入れられる力をつける医療に
相手を憎む医療でなく
愛で包み込む医療
が求められる時代になると思います
それが
これからの時代に必要なこと免疫力であり
そして
僕の理想とするこれからの医療。
当院でめざし推進している医療です。

愛に溢れる社会になることを
願って活動していきます。

☆外出制限の中
我が家は屋外、自然の中で
お弁当を食べたり
お菓子を持って、ハーブを摘んで
お茶したりすることが増えました。
まさに
大自然に受け入れられて生かされていると
感じながら過ごしています。

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世界の長寿域に学ぶ長寿の生活

年を振り返る時に
憶えていて欲しいのは
「年令と衰えは必ずしも関係しない」ということ。
そう考えると
老いに対する不安を感じにくくなり
年を重ねることが怖くなくなります。

衰えは
日々の生活から来るので
長生きをしている人、生活に
長寿のヒントがあるのです。

そこでパキスタンのやジョージアなどの
世界の長寿国の共通する生活を紹介します。

①食事が適切。
食べ過ぎないこと。
新鮮な野菜とハーブをいつも食べている。
肉と脂肪を取り過ぎない。
夕食は満腹まで食べないこと
②生涯を通じて仕事をしている。
こどもの世話をしている
③家族と地域社会を大切にしている。
社会の中での関わりが強い
④運動とリラックスが日常の生活に取り入れている

ということ。
そんなに目新しいことはなく
食べることも気をつけ
運動もして
仕事もして家族のため社会のために
活動している方も
多いでしょう。

これは、頭でわかっているから
生き抜くために、長生きするために
頑張って続けていませんか?
まるで義務感のようにやっていては
ストレスになってるようでは
逆効果になってしますのです。

長生きすることは、目的でなく結果なのです。
毎日人のために生きていると感じ
毎日を楽しんでいると
自然に長生きして
地域に愛される
おじいちゃん、おばあちゃんで
生きていけるような気がします。

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死を思うのはなぜ?

誰にもいつか必ず
訪れる死。
その死について
いつ来るかもわからない
死んだ後もどうなるのかわからない
死に対することを
いくら考えても、誰も答えはでない。

でも、実際誰もが必ず経験する
死を思い、考えることは
とても大切なことだと思うのです。

死を考えるいると
死の先を考えてもわからない分
死の瞬間のことを思うと
考えはその先に進むというより
それまでの日々
すなわちどう生きようか
どう生きたらいいのかと
生きると言うことに考えが行くようになります。

そして
死を終わりであり、死を敗北と考える
人もいることでしょう。

僕は死は敗北ではないと思います。
刻々の生を大切に生きていると
死は生んお終わり・敗北ではなく
生の最終結果、生の勝利なのです。
死は勝利のゴールに向かって生きること。
死を迎えることは、決して空しいことではないはずです。

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母のこどもに対する願い

解剖学者の養老猛司先生のお母さんは
小児科医の医者で
亡くなる95歳になるまで
現役で医師として働いていたことを
先生の自伝を知りました。

そのお母さんが
養老先生に遺した最後の言葉が
「おまえがこどもの時と同じ顔しているから
安心した」で、この言葉が忘れられないと
語られていました。

解剖学者でバカの壁の著者として
有名になり
超多忙な毎日を過ごした先生のことを
ストレスを抱えて生きているのでは?
とお母さんは心配されていたのでしょう。
こどもの時から昆虫好きだった先生が
オーストラリアで虫を採る番組を観た
お母さんから言われた言葉のようなのです。

僕の親もそうでしたが
こどもの思い出は
小さい時の面影をずっとこころに抱いていて
その無邪気だった時のまま
生きて欲しいと思っているのでしょう。

親にとって
おとなにとっての成功するかどうかよりも
無邪気の心のままで
いつまでも過ごして欲しいと思っているのが
わかった
養老先生のお母さんのエピソードでした。

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第三の人

英国の詩人のエリオットに
次のような詩を紹介します。

「いつも君の傍を離れず歩く、
あの第三の人はどなたでしょう。
数えると、君と僕しかいないはずだが
しかし、はるかにつづく白い道を歩む君の傍らには
いつも、もう独りが寄り添う
どなただろう、その方は?}

エリオットは
この第三の人にイエス様を
イメージしたというようです。
日本にもお遍路さんで
同行二人という考え方もあります。

宇宙創成138億年の歴史の中で繋がっている
我々にも
計り知れないものは多々ある。
だから
第三の人がそっと我々に
メッセージを送ってくることがある。

何か感じる
不思議なご縁にであう
セレベティビリテイといわれる
偶然とは思えない偶然の出来事に
出くわすこともある。

我々が気づかないだけで
多くのことが
第三の人の計らいであり
いのちのわずかなリスクでも
直ちに当人につたえようとする
第三の人からのメッセージかもしれません。

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生きたように死ぬ

大先輩が
亡くなったという知らせをいただき
葬儀に出席しました。

父より年令も上の大先輩で
一緒に働いたこともなく
面識も一回挨拶できただけの大先輩の医師。
面識なくても
そんな大先輩の医師が
近くにいらっしゃると思うだけで
こころの余裕をもって
日々診療できたと思います。

葬儀に出席させていただき
大先輩の人となり
その最後の瞬間をお聞きできた。

とてもいつも物静かな方であり
大病を患っていたにも拘わらず
高齢であったため根治治療はせずに
ご自宅でゆっくり過ごされたようで
最後の時も
付き添いの方も気づかないぐらい
眠るように
天に召されたという話でした。

確かに、とても閑かな先生であることは
お会いした時にも感じました。
そして、その状況が
臨終の時まで続いたようで
そのお人柄どうりの最後だったようです。

人は
生きたように死の瞬間を迎えるのかもしれません。

そして
その夜
寝ている時、先生がお礼に
訪れた気がしました。
これも先生のお人柄ですね。

これまでお疲れ様でした。
安らかにお休み下さい

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