真実の医療」カテゴリーアーカイブ

一年後の自分からの贈る言葉

ちょっと訪れる春のことを想像してみました。
未来を感じた時、
ふと一年後の自分は、
一年前の自分を振り返って
今の自分をどんな風に思うことだろう。
一年後の今の自分に贈る言葉を
考えてみました。
一年後の自分はどうしているだろう?
ちょっとだけ
想像上の1年後の自分をお話ししますね。
一年後はきっと、
多くの患者さんと共に過ごし
今より仕事も増え、
自分のやらないといけないこと、
できることが広がっている
気がしますというか
そうなってないといけない気がします。
そして、
多くの出会いもあり、
ご縁をいただき、
ブログ、SNSなどのソーシャルメディアにとどまらず
コラム掲載、電子書籍、本を出し、
ラジオ、テレビ、講演活動など
しあわせの種を巻くために
様々な仕事や思いを伝える活動が

増えているかもしれません。

多くの患者さんと向き合い
患者さん以外の家族、友人、知り合い、知人など
身近な人と生の声を聞き、
伝える機会が増えている気がします。
そして
みんなと別れる時には
僕も相手も素晴らしい笑顔の時間に
なっているでしょう。
またしあわせの種まきをするだけでなく
より多くの新たな勉強をして
知恵知識を身につけて
自分の人間力を高める
努力もしていることでしょう。
そして一年たった自分が
今現在の自分を振り返って思うことは
きっと
今踏み出すことを決心して、一歩を踏み出した
自分の勇気、行動力を持てた
今の自分に
きっと感謝の気持ちを思って
“ありがとう、よくがんばったね”と
一番に声をかけてくれるでしょう。
でも、それは
自分一人の力でできたわけじゃない。
謙虚にいつも感謝の気持ちを忘れずにいないとダメだよ。
もっと、もっと謙虚にね。
と続くでしょう
と1年後の未来の自分から
今の自分に贈る言葉を
考えてみました。
みなさんも、時間があれば
想像の羽を広げて
一年後の自分から、今の自分に
労いの言葉をかけて見ませんか?
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ルール

世の中にはルールや規則ってたくさんある。

おとなにはおとなのルール
そしてこどもにもこどものルール
誰もが守らないといけないルール
がある。

ルールは守るためにある。

でも
ルールを守りましょうと言わても
与えられ、守らされてるルールって
どこか窮屈で
ちょっと反発したくなるかも。

ルールや規則って
嫌なものって思ってるかも。

必ず守れるルールがある
それは
自分で決めたルール
自分で守ろうと決めたルール。

自分で決めたんだから
きっと守れると思う。

ルールは
自分を律するための自分のための決まり。
そして
自分自身との約束事。

自分自身との約束事って
何のためにするの?

自分自身の約束は
なりたい自分になるため。
夢を実現するために
するもの。
夢を口にすることは
誰にも言うことはできる。

でも
夢を実現するためには
毎日毎日
夢に向かった階段を
一段ずつ一段ずつ登っていかないといけない。

毎日毎日
とだえることのない営みを続けないと
目指すゴールには到達しない。
そのために
毎日毎日階段を上るように
自分自身でルールを決めて
それを上っていく。

成長するために
自分自身が決めたルールなら
きっと守れる。
そして
自分自身との約束を守れば
必ずや結果はでる。
自分自身を信じて
日々歩んで欲しい。

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先日宮沢りえさん主演の”月”
という映画を観た。

この映画は
実際起こった
身体障害施設での殺傷事件
をモチーフにした映画でした。

身体障害者の方を
映画に出していいのか?
など映画公開の是非も問われ
お蔵入りの可能性も秘めている
問題作という評判。

なぜか、この映画は
生で、この映画を見ていなければならないと
なぜか強く思って
上映館を必死で探して観てきた映画でした。

見終わった感想・・・・
言葉にできなかった。
この映画はホラーなの、サイコミステリーなの
ヒューマンドラマなの
この映画は何?と頭の中が
混乱した映画だった。

施設の職員が
どうして殺人を犯してしまったのか?
そこには
人間の深い心の闇
自分に役立たないものを排除したい
排除してしあわせな世界になり
自分も救われる。
・・・という妄想にかられ
その妄想が育つ環境に身を置いたため
次第に妄想が現実のものとなり
ついには
殺人することが正義になってしまった。

そんな誰もが持っていて
誰もがその闇に引き込まれるかもしれないという
ことを教えてくれた。

深い問題作の映画だった。

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不要なものを捨てる

毎日色んなものに囲まれて生活しています。

今こうして、自分の周りを見渡すと
物って不思議だなぁって思います。

昔、
成長してくれたものかもしれないけど
でも、今の自分にとっては
不要になってしまったものって
以外とあるんじゃないかなァって思います。

そんな今は不要になったものでも
感謝の気持ちを持つこと。

その気持ちを持っていれば
たとえ捨ててしまっても
心の中で成長の証として残ってくれると
思います。

そこで、考えてみました。

僕を成長させてくれて
今は不要になったもの。
それは
医学生時代に学んだ教科書です。

医学部卒業して20年以上経ち、
その時使っていた教科書を
開くことはほとんどなくなりました。

でも、最初に
教科書を開き勉強を初めた
その時の気持ちは今でも忘れられません。

今でも、その本の背表紙を見ただけで、
その当時のこと、
必死で勉強した時のことを
思い出してくれます。

教科書は、
医学の知識を得ただけでなく、
医師としての自覚、
人間との生きる道を教え、伝えようとしていたと
今も思わずにはいれません。。

医学的内容は
今は古くなったものもあるかもしれません。

でも、
その時の思い出、感じたことが
ギュッと凝縮してそこにはあります。

今、現実的にそのページを開くことは
なくても
僕が今医師をできることが、
この本で学んだことから
始まったのは確か。

僕の医師としての
生みの親そして
育ての親なのかもしれません。

だから、
決して粗末にはできない。
本棚の上で、
じっといつまでも静かに
見守ってくれている教科書たち。

ありがとうの気持ちを持って、
大切にしたいと思います。

今は自分の成長のために
不要になってしまったけど
僕の出発点の教科書に感謝。

あなたの
今不要になってしまったものってなんですか?

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バランスを保つ世界

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数字だけで判断してはいけない

患者さんを診ているときに
気をつけていることの一つに
患者さん自身をよく診ようということ。

数字だけで
患者さんを判断しないように
気をつけています。

血液検査をして
数字だけを治療の判断材料にしない。
異常値を発見したときには
念入りに全身の診察をし
メタトロンを行い
現在の体の状況を判断し
今後起こることを予想して
治療方針を決定しています。

ですから
血糖値、コレステロール値、血圧なども
基準よりも高値であっても
すぐ投薬とはしません。
高値そのものにも意味がある。
本人に気づいてもらいたいことが
その奥に潜んでいる気がします。
ですから、生活の見直しを
時には生き方の見直しも必要になることもあります。
そうやって
定期的に数値の改善の有無をチェックしています。

しかし
異常値をみると
そうはいっても、僕でもドキドキしてしまいます。
ですから
そんな時には
真実を見る目を失わないように気を引き締めて
患者さんの診療を行っています。

数値をみると
医師でさえ動揺するのに
患者さんが動揺しないわけがありません。

ですから当院では
数値だけに
惑わされないように心がけて診療しているのが
当院の治療の特徴です。

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自分の得意を磨く

少し春めいてきました。
暖かい空気に包まれると
たとえ雨が降っていても
恵みに思えてくるから不思議です。

さて、今日は
自分が人に対してできる
得意な事ってなんだろうか?と
考える機会をいただきました。

自分の得意なとこって
点数がつくものでもないし
人と比較するものでもないから
なんだろう???

自分の得意なところって
自分がもっと磨きたい長所
自分がもっと自分らしくなれるところかな?
って考えると
自分らしく磨いていきたいところは
”初めてお会いした方にでも
自分の良さを感じ、伝えること”じゃないかな?
と思いました

今まで色々な役をもらい
様々なところで、色々な方にお会いし
ご挨拶させていく機会をいただきました。
そして
お会いした後、うれしいことに
”元気がでました””楽しくなりました””パワーをもらいました”など
POSITIVEな言葉をいただくことが度々ありました。

ただあいさつしただけなのに
どうして?本当にそうなの?と思っていたら
そんな時僕が人と話をしているところの状況を、
説明してくれた方がいました。

その方が言うには
「普通ならど聞き流してしまうような話でも真剣に聞いているね。
そして、いつも笑顔だから、話している人が、
どんどんうれしそうにに話して、先生もニコニコして
二人ともとっても楽しそうだよ」と。

僕がしていたのは、ただただ笑顔で聴いていただけ。
会った人のことをもっと知ろうと、
興味を持てるところを感じて、
目の前のあなたに何かできることないかって
一生懸命に話を聞いていただけ。

その話をきいて
初めて会った人にでも
自分のことをつたえられるのかな?
それが実は自分の良さ、得意なこと
かもしれないと思いました。

日頃の診療においても
まずは患者さんの訴え、話を
しっかり聞かないといけない。
日頃から少しずつ訓練されてたのかもしれません
それは、僕の目の前の患者さんに対して
もっと知りたい、悩んでること全部話してほしい
そして
僕を通して元気になってという
日頃の診療で培われた行動。
それがいつの日か
自分の得意なところとなった
僕流のサイン、行動。

この仕事で
身につけたことを
もっと、
僕の周りの人にも伝えていきたい。
そして、
今、もっといろんな人と会って
元気にしあわせになってもらいたい。
そして
お互いのことを理解し合えれば
人と人の間にある壁を取り除くことができれば、
思いやりの心が生まれ、
どんどんしあわせのの輪が広がる。

そうすれば、
いつか必ず僕の周りにの人に平和が訪れる。
そしてその平和な世界が
僕の知らない世界にまで広がる
そんな世の中になるきっかけになることが、
ひょっとしたら
僕の小さな思いからでも
始められるかもしれない。

そんな夢を描きながら、
自分磨きをして、自分の得意をのばしていきたいです。
あなたはの得意なことってなんですか?

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健康だけが人生の目的ではない

日々患者さんと向き合っていると
からだの不調を訴え
その訴えに対して力を尽くすのが
医師の役割。
確かに、病気があれば
その病気を治す
特にこどもの病気はその通り。

でも
自分が病気をして
治らない病気があることを実感しました。
今若いときのように
100%の機能はありません。
だからそう考えると、今健康ではないと
言えます。
だからといって
仕事ができなくなったかと言えば
日々患者さんと向き合い
以前よりも病気を通して
新たな気づきを
お伝えできるようになりました。

これも
自分がある意味健康でなくなったから
できることなのです。

からだになに不自由なく生き
寿命を全うするだけが人生ではなく
たとえ病気を抱えていても
日々自分の人生を歩んでいくことが
大事なんです。

健康であることを
人生の目的にして生きていかない。
健康=しあわせでない
今あることをどう生きるかを
試されていると思うのです。

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ささやかなしあわせが健康の元

どんな時に健康だと感じますか?

頭痛、腹痛などの痛みがない時
熱、咳、下痢などの症状がない時
何も苦痛に感じない時ですか?

症状がなければ
健康だと思うかもしれません。
でも
症状がないからといって
健康だとは決していえません。

ひょっとしたら
その時、からだは
あなたに苦痛を感じさせないよう
病気に向かわないように
がんばっているのです。

病気に向かっているかどうかなんて
中々気づけないもの
今、健康かどうかって判断するのは
実はとても難しいのです

からだに問いかければ
健康かどうかチェックする
簡単な方法があります。

今日目が覚めたとき
「ああ、よく寝た」とすっきり目覚めましたか?
お腹が空きましたか?
そして
ごはんを食べておいしいと思えましたか?
よく寝て、よく食べて
一日を過ごせましたか?
そう感じれていれば
たとえ病気があったとしても
からだは健康に向かっているのです。

逆に
病気がなくても
眠れない、食事がおいしくない・・・・
と思えるときは
病気に向かっているので要注意です。

朝すっきり目覚めて
おいしいものを食べて過ごすって
とてもささやかだけど
しあわせな時間を過ごしていると
感じませんか?

ささやかなしあわせを
感じて生きること。
ささやかなしあわせを積み上げていけば
こころから健康だと思える
日々が過ごせます

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福田村事件から学ぶ

映画「福田村事件」を観た。
この映画は、関東大震災直後に
実際に起こった事件が題材になっていた。

その事件とは
関東大震災の直後
人々の間で広まった噂(デマ)によって
福田村の200人が
よってたかって
四国から来た行商人15名を
殺してしまうという実際の事件をもとに作られた映画。

関東大震災直後なので
人々は恐怖に怯え
よそ者が、井戸に毒を入れたりして
自分たちの生活をめちゃくちゃにしようとしている。
国からも
自分たちを守るために
自警団を組織して
防衛せよとお達しがでる。

怯える人々
今の生活を守ろうとする
人々の必死の気持ち。
噂を確認しようとする冷静さも失い
恐怖だけが人々の心を独占してしまう。
集団心理の怖さを描いていた。

戦争が起きたときには
情報を操作されるという。
現代であっても
流れる情報が正しいかどうかなんて
確かめる手段なんかない。

その情報が正しいかどうかは
自分の内在する良心でしか
判断するしかない。

その良心には
緊急時に到達できるものではなく
日頃から
こころの灯火の火を灯していないと
いざというときには灯そうと思っても
灯るものではない。

日頃から
灯火を灯し続ける生き方をしていこうと
この映画を観て強く思ったのです

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