真実の医療」カテゴリーアーカイブ

東大教授、若年性アルツハイマーになる

東大医学部の教授であられた方が
アルツハイマーになったとき
どうされたのか、
そしてその後の生活は?
そのことを赤裸々に綴られた本だった。

アルツハイマーになっても
本人自身だけでなく
家族との生活
社会とのかかわり
そしてナチュラルコースを
どのようにどう過ごされたかを
奥様がその時々の思いを
奥様の思いだけでなく
ご主人の気持ちに寄り添って生きてきた
愛の記録だと感動したのが
読み終わった後の感想。

認知症になったとき
ご本人の心情から
発した言葉が記録されている。

いつも沈着冷静、理路整然としているかたが
大きな声をあげてしまう。
その理由を
「場所がちがうんだ、やめてくれ」
「場所が家とちがったり
知らない人に何か言われても
さっと理解できないし、言葉がでない」と。

つまり
自分の今いる空間が
今までと違う
そのことを同確認したらいいのか
説明もできなく
不安に感じているのだろうか?

また、食事がすすs間ないとき
食べない理由を尋ねると
「僕の住んでいる世界は、大変なんだよ。
いろいろな種類を食べなくては、と思っても
手がでない。
我慢して、嫌いなものでも食べないと思っても
できないんだ」と答えられたと。

住んでる世界は
僕の住む世界とは違うのだ
理屈じゃない
こころが自由になれるように
生きていこうとしている。
色んなしがらみの中に生き
自分を他人に合わせて生きている
ある意味生き抜きにくい世界を
僕達は生きているのかもしれない。

生きにくい世界だからこそ
感じることもあり
成長することもできる。
成長して、自分の目標を達成するのが
今生きている本来の意味。
そしてその生が終わりを迎えた先の世界
明らかに今と違う世界で生きることになるのだ
・・・・そうこの本は教えてくれた気がする

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男よ、いばるな

最近、男の生き方というか
おごった態度がよく問題になる。
年末から大物芸人の女性蔑視の行動が
物議を起こしています。

人類は
有史以来男性優位の歴史であっとものを
見直そうという
動きがうねりとなって
世界を包んでいるのだと思う。

生物の世界は
男性優位な世界ばかりでなく
女性優位の生物もある。
その例として
ミツバチの世界のことを聞いたので
紹介します。

ミツバチの世界は
役割がはっきりしていて
女王蜂を頂点にした女性社会なのです。
卵を産む女王蜂と
女王蜂のお世話などをする働き蜂も
実は全てメスだというのです。

女王蜂は
こどものうち一匹に
ロイヤルゼリーを与え、その蜂は
将来の女王蜂になります。
そして
春になると、女王蜂は雄の蜂を産み
その雄の蜂と共に
住み慣れた巣を新しい女王蜂に譲り出て行くのです。

女王蜂は
また新しい巣を作って
新たな蜂社会を作っていきます。
そのためには、こどもとなる働き蜂の卵を
産まなければなりません。

そのために
雄の蜂と交尾をくり返すのですが
その雄は
引き連れた雄の蜂ではなく
近親婚をさけているのかはわかりませんが
他の集団の雄の蜂と交尾をくり返すらしいです。
女王蜂は精子を体内にためこみ
その精子を小出しにすながら
数年にわたって卵を生み続けます。

変わって
雄蜂の運命は
交尾をした後、その場でお役御免のように
天寿を全うします。
中には、交尾できなかった雄蜂もいます。
その雄は巣に戻りますが
出戻りの雄は、働き蜂から餌も満足にもらえず
巣の隅に追いやられて息絶えるそうです。

これが
蜂の世界の実態らしいです。

人間社会では
女性蔑視が甚だしい社会であり
その考えは根本から改める必要があります。
これからは
男が威張る世界を改め
だからといって女性が男性の役割を果たすというより
女性もそして男性も安心して自らの役割を果たせる
社会の実現に向かって変わっていくことを願うばかりです。

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アダムとイブの原罪から始まった比較する人生

コロナのパンデミック前後から
世の中は大きく変化していることを
感じている人は多いことでしょう。

特に
これまでの時代になかったことで
大きく変わったことは
性差に関係したことではないでしょうか?
それまで
個性を大事にしようという生き方を
唱えられることは合ったと思いますが
これまで以上に
性差に対して議論されることは
なかったことでしょう。

性差を意識するようになったのは
エデンの園での出来事。
イブが蛇にそそのかされて
禁断の実を食べた時から始まって
アダムとイブが服を着るようになったと
言われています。

アダムとイブが
お互いの違い、男性、女性の性差を
意識するようになったことはわかりますが
もっと深読みすると
その瞬間から
自分以外との違いを意識する
つまり
自分以外の他人と自分を比較して
自分を評価する。
人と比較することで
自分のしあわせも、立場も確認するようになったのです。
それが、禁断の実を食べた結果であれば
真のしあわせがどこにあるのかは
自分自身の中にあると言うことになります。

コロナが、人々が気づき始めた現れが
現在の性差のうねりになっている気がするのです。

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いのちって何だろう

”いのち”と毎日向き合ってるのに
改めて「いのちって何でっすか?」と聞かれると
心臓が動いてる?
脳死ではない?
生命活動を行っている状態?
ってちょっと科学者っぽく答えてみても
なんだかしっくりこない。

質問を変えて
「なぜ死ぬのですか?」と聞かれても
難しい。
死ぬことは当たり前だし
宗教的に次のステージに上がるために・・・といっても
誰もが納得してくれる答えとは言えない。

そんな時
生物学者の福岡伸一氏が次のように
答えていた。

「秩序あるものは秩序が壊れる方向にしか進まない。
それが宇宙の大法則、エントロピー増大の法則。
生命もこの法則から逃れることはできない。
だから生物は必ず死ぬ。

しかし、生物はただ座しているわけではなく
必死に抵抗を試みている。
自らを絶えず壊しつつ、作り治すこと繰り返し
法則にあらがう。
なんとか坂道を上り返そうとしている。

いのちとは、この健気な努力のことである」

この福岡氏のことば
まさにメタトロンでは、まさに
からだの部分の壊れているところ
そして修復している過程を診ている。
つまり
いのちの状態をチェックしているのです。
そして、そのいのちの力に
手を貸すことにも少しは貢献できている。

メタトロンは
いのちに寄り添っている医療なのだと思う。

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生命力は伝わる

週末
防府市の向島小学校にある寒桜を観てきました。

この桜は
僕が入院していた時も
家族から
満開の寒桜の写真がおくられてきて元気をもらった
パワーのある桜です。

今年も空に向けて
ところ狭しと咲き誇っている姿。
きれいと思っただけでなく
力強く生きている姿に圧倒されました。

毎年実際に見に行ってる寒桜。
入院中にも見ていた寒桜。
そして新型コロナウイルスの影響で
実際に見に行くことはできなかったけど、
久しぶりに見た樹には
その生命力の大きさを感じることができました。

そして、
そばに行くだけで
体の底から元気が湧いてきたから
不思議です。

大自然に生きている
動植物、全てのものは
たくましく生きている。
そして生命力溢れるものが
生き残っていることを
教えてくれている

そして
その生命力をつなげようと
してくれているような気がします。
ですから
病気の時だけでなく
元気が出ないときは
生命力みなぎるものに
触れること
無理なら写真だけでもいい
生命力を感じ
生命力を引き継ごうと思う事は
とても大事なことだと思いました。

ちなみににこの寒桜は
樹齢100年、最近蓬萊桜という新種で
山口県の特別天然記念物に指定され
一人で100年以上生きて来ました。
そしてその生命は
接ぎ木された
いわゆるこどもとも言える寒桜につながり
今年も
親に負けないくらいの
立派な姿を見せてくれています。

生命力はどんどん伝わっていくんですね。
あなたにも
わたしにも

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自分の価値

あなたは
どんな人ですか?
あなたって
どんな人か説明できますか?

あなたのの顔ってわかりますか?

意外と
自分のことってわからなくないですか?

自分の顔を知りたければ
鏡をみればわかるはずだけど

”あの人と比べたら、かわいくない”
”あの人より、目が小さい、鼻が低い”
”あの人と・・・”なんて

あなた以外の人と比べてないですか?

逆に
人から言われて

肌がつるつるしてる
髪がきれい
くちびるがふっくらしてる
・・・・など
初めて自分の魅力に
気がつくことがあるかもしれない

自分のことって
意外と知らないものだと思いませんか?。

自分の外見だってわかりにくいのに
自分の良さや能力なんて
もっとわからないもの。

勉強や仕事をする時
誰かと比べてしまったら
集中できないし、
あの人が気になって
心が上の空になってしまいます。

そして
誰かと比べて
”あの人より劣ってる”なんて
不安に思ってしまうこともあるかも。

人と比べるってことは
ないものねだりをしてる
実はとっても我がままな行為なんだとおもう。

外見にしても
内面にしても
みんな持ってるものが違う
ってことに気づいてほしい。

あの人が持っているものを
あなたは持っていないかもしれない
けど
あなたが持っているものは
あのひとは持っていないはず。

自分が持っていないものを
欲しくなるのは人間の性。
あの人と同じものを持ちたい
と思うのも人間の性。
あの人と同じものを持ってしまうと
また
別のものを欲しくなってしまうのも
人間の性。

だから
人の持っているもので
満足することはできないんだと
思います。

”人がもっているものは
永遠に手に入れることはできない”と
思った瞬間に
自分の中に大切なものがあることに
気がつきます。

そして
自分の中にある
大切な宝物を
探してみたくなるでしょう。

自分の中にある宝物なら
きっと
いつまでも大切にしようと
思うでしょう。

他の人が
持っていようが
持っていようが
関係ない。

あなただけがもっていたい
あなただけの
大切な宝物

そんな宝物は
みんな持っている。

もっと自分に関心を持って
自分の中にある
宝物を見つけてみましょう。

自分の中にある
自分らしさを見つけましょう。

他人からみた自分の価値ではなく
自分の中の宝物を発見したら
きっと
自分の素晴らしい価値を
誇らしく、大切に
思うでしょう。

自分らしさとは
実は
”神様からもらった果実”

神様からもらえる果実は
1種類だけで
自分の手で持てるだけという
決まりがあります。

だから
他の人がもっている果実を
持つことはできません。
取り替えることもできません
分かちあうこともできません。

その果実は
あなたしか見つけることができません。
あなたしか手に取ることはできません。
あなただけの果実

その果実は
自分で、自分のために
大切に味わうことしかできない。
そして
その果実は
永遠にあなたを支えてくれます。

”自分らしさ”という
神様にもらった果実を
さあ、見つけてみて下さい。

☆週末は、
美容師の MIKIKOさんとフォトグラファーの美智子さんに
1日お付き合いいただき自分らしさ発見の時間を過ごしました。
本当に自分って自分ではわからないものだと実感。
わくわく、ドキドキしっぱなし。カメラの前で、もっと輝きたい
と思った刺激的な貴重な時を過ごせたことに
感謝の時間でした。

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トニー滝谷

イッセー尾形主演の映画「トニー滝谷」を
観た。
ほぼモノクローナルの映像の中
西島秀俊さんの語りで
淡々と進む映画。

孤独に生まれ
孤独に生きていた主人公が
愛を知り、しあわせな結婚生活を始め
二人の生活で孤独とは無縁になると思ったが
またもとの孤独状態に戻るかもしれないと
怯えてしまう結婚生活だった。
そして、唯一愛した女性も
実は孤独から逃れるための
病気を持っていたのです。

孤独者として生まれ
孤独から逃れることができるのだろうか?
淡々と語られ、淡々と進み
いったいどんな風に進むかわからない
映像の世界に
ただ独り向き合わされることで
主人公の孤独を観ていたはずが
いつのまにか自分自身の孤独と
向き合っていたことに気づかされた
後味の深~~~い映画だった。

原作は村上春樹。
全てに引き込まれる不思議な映画だった。

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福分があるなら禍分もある

人間には、
天から与えられた福分というものがあるという。
福分とは、天から与えられた幸運のこと。
ですから、福分のある人は
いつも幸運を呼び込んでいる人のことをいいます。

福分があるのだとすると
禍分というものもあるはず。
福分があるなら、禍分は存在します。
そして人によって福分と禍分は決まっているとも
考えられています。

ですから、
嫌なことがあった時
これを自分の人生に与えられた
禍分だと考えれば
福分も必ずある、与えられると思うと
気が楽にんさりませんか?
頑張れませんか?

人は、とかくしあわせなことばかりに
目がいきがちです。
しかし自分の人生は、
しあわせだけで満たされることはありません。

現代人はしあわせばかりに目がいって
しあわせばかりを追い求めすぎてしまい
一寸でも満たされていないと
世界で一番不幸のように落ち込んでしまうのでは
ないでしょうか?

これは人生だけでなく
何事においても、いい面、悪い面
表と裏があります。
表からみれば、禍分にしか見えなくても
そのことが福分につながっているのです。

ですから
どんなに不幸な状況でも
前を向いて歩いて行きましょう。

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死ぬ日まで生きていく

誰にもわからないのは
いつ死ぬかということ。
誰もが経験する死が
いつ来るかわからないので
人は死に対する不安、恐怖を憶えるのかもしれません。

考えてもわからない死の対して
怯えて生きるよりも

「生きている間は生きている。
死ぬ日まで生きているんだ」

と考えればどうでしょう。

確かに、人は死に対しては無力です。
死のために備えることは
人が最もできないことのひとつでしょう。

死に対する運命は、自分では逆らえなくても
死ぬ日までは生きていくのです。
死について思い悩み
くよくよして生きても
明るい気持ちで生きてても
死が訪れる日は必ず突然くるのです。

それなら、死ぬ日まで、明るく生きていく方が
いいと思いませんか?

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自信を回復させてくれるもの】

今日は、
自分にとって
元気や自信を回復させてくれるものって
なんだろうか、考えてみました。

僕にとって
元気や自信を回復させてくれるものは、
きっと自由な時間だと思います。

ある事柄に一心不乱に取り組み
無事成し遂げた後の
開放感は格別なものがあります。
その時感じた開放感は
何かに解き放されたかのように、
まるで
久しぶりに太陽の光を
浴びたかのように
全身エネルギーチャージされていくような
感覚に全身が満たされます。

そして
疲れがとれ、
気がつくと次へのエネルギーに
充填されていくのを感じます。

その心から解放される時
自由な時間をどのように過ごしているか?
実際に好きなことをする、
家族と過ごす、友達と過ごす、
好きな本や映画を観る・・・
その時々で自由な時間の使い方は違います。

また、たとえ何もしなくても
自由を感じることだけでも
自分へのご褒美をいただけたような気がします。

自分に元気を回復されてくれるもの
それは、決してモノではないような気がします。

今振り返っても
疲れた時に
心が満たされたモノは
思いつきません。
物ではないような気がします。

自由を得られたことは、
何かから解放されたということ。
自分の明日へのエネルギーであり、
希望へと続くものだと思います。

そして
自らの発展に繋がっていく。
そして
新たな結果を生むステップにつながる。
その満たされた結果自体が
ひょっとしたら
ご褒美なのかもしれない。

何にも束縛されない、
心から溢れる純粋な明日への活力、
未来の成功へのスタートに立てた気持ちが、
僕にとってのご褒美としての
自由なのかもしれません。
あなたにとって自信を回復させてくれるために
必要なものって
なんですか?

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