「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
好きなことの中の嫌い
寒い連休でした。
全国的に雪や寒波の影響も報道されていました。
防府市市内のあちこちで
インフルエンザがまだ流行っています。
今週も衛生状態、健康状態に注意して過ごしましょう。
さて、今日は好きでやってる仕事でも
その中に好き嫌いはないですか?
好きな仕事の中にある嫌いなことについて
考えてみました。
実は僕は注射をするのもされるのも大嫌いです。
だから、こども達にも注射はできるならしたくない。
でも
自分は医者だから、
嫌いでも注射をしないといけない場面がある。
注射をする時こども達は、
僕のことを悪魔か鬼に見えているかもしれない。
こどもの笑顔を守るのが小児科医なのに、
目の前のこどもを悲しませてしまい、
医師としての思いに矛盾した行動に戸惑うこともある。
でもその時、心の中の医者の良心が叫ぶ。
”この注射をしないと、もっとこの子を悲しますことになるよ。
命を奪われてしまうことになるかもしれないよ。
そうなってもいいの?”
僕は我に返る。
今僕が逃げてしまうと、
誰がこの子を救うの?この子を救えるのは僕しかいない。
ひるんだ心を、医者の良心が一瞬で追い払い、
”この子にどう思われてもいい、
目の前の子どもが早く元気になることを、
笑顔で過ごせること”を願い注射をする。
終わった後は、一瞬で空気が変わる。
こども達の気持ちが僕の心に伝わってくる。
僕は、こどもの頑張りに応えるために、
最高の笑顔でこどもを送り出す。
注射をしたこどもたちは、また受診する時、
注射をされるかもとおびえるて来院されることはあっても、
先生は嫌いと言われたことはない。
注射がないと分かれば、安心して診察を受けてくれる。
注射を打つ時に僕のことを鬼と思ったかもしれないけど、
鬼ではないんだねと
お互い安心して診療が始まる。
これは、仕事上の嫌なことの話だけど、
注射の時の問題だけでなく、
日常生活でも、目の前の人が、
今嫌がってることでも、
心を鬼にして行われないといけないことは
あるんだと思う。
その時は気づいてもらえないかもしれない、
理解してもらえないかもしれない。
でもその時に相手を思う心は、必ず伝わる。
嫌な事でもだから、いいことはもちろん伝わる。
だから、
いつも目の前の人のしあわせを感じて接することが
大事なのだと思う。
そうすれば
しあわせな関係が生まれる、
しあわせの絆が広がるのだと思う。
一年後の自分からの贈る言葉
一年前の自分を振り返って
増えているかもしれません。
ルール
世の中にはルールや規則ってたくさんある。
おとなにはおとなのルール
そしてこどもにもこどものルール
誰もが守らないといけないルール
がある。
ルールは守るためにある。
でも
ルールを守りましょうと言わても
与えられ、守らされてるルールって
どこか窮屈で
ちょっと反発したくなるかも。
ルールや規則って
嫌なものって思ってるかも。
必ず守れるルールがある
それは
自分で決めたルール
自分で守ろうと決めたルール。
自分で決めたんだから
きっと守れると思う。
ルールは
自分を律するための自分のための決まり。
そして
自分自身との約束事。
自分自身との約束事って
何のためにするの?
自分自身の約束は
なりたい自分になるため。
夢を実現するために
するもの。
夢を口にすることは
誰にも言うことはできる。
でも
夢を実現するためには
毎日毎日
夢に向かった階段を
一段ずつ一段ずつ登っていかないといけない。
毎日毎日
とだえることのない営みを続けないと
目指すゴールには到達しない。
そのために
毎日毎日階段を上るように
自分自身でルールを決めて
それを上っていく。
成長するために
自分自身が決めたルールなら
きっと守れる。
そして
自分自身との約束を守れば
必ずや結果はでる。
自分自身を信じて
日々歩んで欲しい。
月
先日宮沢りえさん主演の”月”
という映画を観た。
この映画は
実際起こった
身体障害施設での殺傷事件
をモチーフにした映画でした。
身体障害者の方を
映画に出していいのか?
など映画公開の是非も問われ
お蔵入りの可能性も秘めている
問題作という評判。
なぜか、この映画は
生で、この映画を見ていなければならないと
なぜか強く思って
上映館を必死で探して観てきた映画でした。
見終わった感想・・・・
言葉にできなかった。
この映画はホラーなの、サイコミステリーなの
ヒューマンドラマなの
この映画は何?と頭の中が
混乱した映画だった。
施設の職員が
どうして殺人を犯してしまったのか?
そこには
人間の深い心の闇
自分に役立たないものを排除したい
排除してしあわせな世界になり
自分も救われる。
・・・という妄想にかられ
その妄想が育つ環境に身を置いたため
次第に妄想が現実のものとなり
ついには
殺人することが正義になってしまった。
そんな誰もが持っていて
誰もがその闇に引き込まれるかもしれないという
ことを教えてくれた。
深い問題作の映画だった。
不要なものを捨てる
毎日色んなものに囲まれて生活しています。
今こうして、自分の周りを見渡すと
物って不思議だなぁって思います。
昔、
成長してくれたものかもしれないけど
でも、今の自分にとっては
不要になってしまったものって
以外とあるんじゃないかなァって思います。
そんな今は不要になったものでも
感謝の気持ちを持つこと。
その気持ちを持っていれば
たとえ捨ててしまっても
心の中で成長の証として残ってくれると
思います。
そこで、考えてみました。
僕を成長させてくれて
今は不要になったもの。
それは
医学生時代に学んだ教科書です。
医学部卒業して20年以上経ち、
その時使っていた教科書を
開くことはほとんどなくなりました。
でも、最初に
教科書を開き勉強を初めた
その時の気持ちは今でも忘れられません。
今でも、その本の背表紙を見ただけで、
その当時のこと、
必死で勉強した時のことを
思い出してくれます。
教科書は、
医学の知識を得ただけでなく、
医師としての自覚、
人間との生きる道を教え、伝えようとしていたと
今も思わずにはいれません。。
医学的内容は
今は古くなったものもあるかもしれません。
でも、
その時の思い出、感じたことが
ギュッと凝縮してそこにはあります。
今、現実的にそのページを開くことは
なくても
僕が今医師をできることが、
この本で学んだことから
始まったのは確か。
僕の医師としての
生みの親そして
育ての親なのかもしれません。
だから、
決して粗末にはできない。
本棚の上で、
じっといつまでも静かに
見守ってくれている教科書たち。
ありがとうの気持ちを持って、
大切にしたいと思います。
今は自分の成長のために
不要になってしまったけど
僕の出発点の教科書に感謝。
あなたの
今不要になってしまったものってなんですか?
数字だけで判断してはいけない
患者さんを診ているときに
気をつけていることの一つに
患者さん自身をよく診ようということ。
数字だけで
患者さんを判断しないように
気をつけています。
血液検査をして
数字だけを治療の判断材料にしない。
異常値を発見したときには
念入りに全身の診察をし
メタトロンを行い
現在の体の状況を判断し
今後起こることを予想して
治療方針を決定しています。
ですから
血糖値、コレステロール値、血圧なども
基準よりも高値であっても
すぐ投薬とはしません。
高値そのものにも意味がある。
本人に気づいてもらいたいことが
その奥に潜んでいる気がします。
ですから、生活の見直しを
時には生き方の見直しも必要になることもあります。
そうやって
定期的に数値の改善の有無をチェックしています。
しかし
異常値をみると
そうはいっても、僕でもドキドキしてしまいます。
ですから
そんな時には
真実を見る目を失わないように気を引き締めて
患者さんの診療を行っています。
数値をみると
医師でさえ動揺するのに
患者さんが動揺しないわけがありません。
ですから当院では
数値だけに
惑わされないように心がけて診療しているのが
当院の治療の特徴です。
自分の得意を磨く
少し春めいてきました。
暖かい空気に包まれると
たとえ雨が降っていても
恵みに思えてくるから不思議です。
さて、今日は
自分が人に対してできる
得意な事ってなんだろうか?と
考える機会をいただきました。
自分の得意なとこって
点数がつくものでもないし
人と比較するものでもないから
なんだろう???
自分の得意なところって
自分がもっと磨きたい長所
自分がもっと自分らしくなれるところかな?
って考えると
自分らしく磨いていきたいところは
”初めてお会いした方にでも
自分の良さを感じ、伝えること”じゃないかな?
と思いました
今まで色々な役をもらい
様々なところで、色々な方にお会いし
ご挨拶させていく機会をいただきました。
そして
お会いした後、うれしいことに
”元気がでました””楽しくなりました””パワーをもらいました”など
POSITIVEな言葉をいただくことが度々ありました。
ただあいさつしただけなのに
どうして?本当にそうなの?と思っていたら
そんな時僕が人と話をしているところの状況を、
説明してくれた方がいました。
その方が言うには
「普通ならど聞き流してしまうような話でも真剣に聞いているね。
そして、いつも笑顔だから、話している人が、
どんどんうれしそうにに話して、先生もニコニコして
二人ともとっても楽しそうだよ」と。
僕がしていたのは、ただただ笑顔で聴いていただけ。
会った人のことをもっと知ろうと、
興味を持てるところを感じて、
目の前のあなたに何かできることないかって
一生懸命に話を聞いていただけ。
その話をきいて
初めて会った人にでも
自分のことをつたえられるのかな?
それが実は自分の良さ、得意なこと
かもしれないと思いました。
日頃の診療においても
まずは患者さんの訴え、話を
しっかり聞かないといけない。
日頃から少しずつ訓練されてたのかもしれません
それは、僕の目の前の患者さんに対して
もっと知りたい、悩んでること全部話してほしい
そして
僕を通して元気になってという
日頃の診療で培われた行動。
それがいつの日か
自分の得意なところとなった
僕流のサイン、行動。
この仕事で
身につけたことを
もっと、
僕の周りの人にも伝えていきたい。
そして、
今、もっといろんな人と会って
元気にしあわせになってもらいたい。
そして
お互いのことを理解し合えれば
人と人の間にある壁を取り除くことができれば、
思いやりの心が生まれ、
どんどんしあわせのの輪が広がる。
そうすれば、
いつか必ず僕の周りにの人に平和が訪れる。
そしてその平和な世界が
僕の知らない世界にまで広がる
そんな世の中になるきっかけになることが、
ひょっとしたら
僕の小さな思いからでも
始められるかもしれない。
そんな夢を描きながら、
自分磨きをして、自分の得意をのばしていきたいです。
あなたはの得意なことってなんですか?
健康だけが人生の目的ではない
日々患者さんと向き合っていると
からだの不調を訴え
その訴えに対して力を尽くすのが
医師の役割。
確かに、病気があれば
その病気を治す
特にこどもの病気はその通り。
でも
自分が病気をして
治らない病気があることを実感しました。
今若いときのように
100%の機能はありません。
だからそう考えると、今健康ではないと
言えます。
だからといって
仕事ができなくなったかと言えば
日々患者さんと向き合い
以前よりも病気を通して
新たな気づきを
お伝えできるようになりました。
これも
自分がある意味健康でなくなったから
できることなのです。
からだになに不自由なく生き
寿命を全うするだけが人生ではなく
たとえ病気を抱えていても
日々自分の人生を歩んでいくことが
大事なんです。
健康であることを
人生の目的にして生きていかない。
健康=しあわせでない
今あることをどう生きるかを
試されていると思うのです。
ささやかなしあわせが健康の元
どんな時に健康だと感じますか?
頭痛、腹痛などの痛みがない時
熱、咳、下痢などの症状がない時
何も苦痛に感じない時ですか?
症状がなければ
健康だと思うかもしれません。
でも
症状がないからといって
健康だとは決していえません。
ひょっとしたら
その時、からだは
あなたに苦痛を感じさせないよう
病気に向かわないように
がんばっているのです。
病気に向かっているかどうかなんて
中々気づけないもの
今、健康かどうかって判断するのは
実はとても難しいのです
からだに問いかければ
健康かどうかチェックする
簡単な方法があります。
今日目が覚めたとき
「ああ、よく寝た」とすっきり目覚めましたか?
お腹が空きましたか?
そして
ごはんを食べておいしいと思えましたか?
よく寝て、よく食べて
一日を過ごせましたか?
そう感じれていれば
たとえ病気があったとしても
からだは健康に向かっているのです。
逆に
病気がなくても
眠れない、食事がおいしくない・・・・
と思えるときは
病気に向かっているので要注意です。
朝すっきり目覚めて
おいしいものを食べて過ごすって
とてもささやかだけど
しあわせな時間を過ごしていると
感じませんか?
ささやかなしあわせを
感じて生きること。
ささやかなしあわせを積み上げていけば
こころから健康だと思える
日々が過ごせます