「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
ささやかなしあわせが健康の元
どんな時に健康だと感じますか?
頭痛、腹痛などの痛みがない時
熱、咳、下痢などの症状がない時
何も苦痛に感じない時ですか?
症状がなければ
健康だと思うかもしれません。
でも
症状がないからといって
健康だとは決していえません
ひょっとしたら
その時、からだは
あなたに苦痛を感じさせないよう
病気に向かわないように
がんばっているのです。
病気に向かっているかどうかなんて
中々気づけないもの
今、健康かどうかって判断するのは
実はとても難しいのです
からだに問いかければ
健康かどうかチェックする
簡単な方法があります。
今日目が覚めたとき
「ああ、よく寝た」とすっきり目覚めましたか?
お腹が空きましたか?
そして
ごはんを食べておいしいと思えましたか?
よく寝て、よく食べて
一日を過ごせましたか?
そう感じれていれば
たとえ病気があったとしても
からだは健康に向かっているのです。
逆に
病気がなくても
眠れない、食事がおいしくない・・・・
と思えるときは
病気に向かっているので要注意です。
朝すっきり目覚めて
おいしいものを食べて過ごすって
とてもささやかだけど
しあわせな時間を過ごしていると
感じませんか?
ささやかなしあわせを
感じて生きること。
ささやかなしあわせを積み上げていけば
こころから健康だと思える
日々が過ごせます
好きなことの嫌い
さて、今日は好きでやってる仕事でも
その中に好き嫌いはないですか?
好きな仕事の中にある嫌いなことについて
考えてみました。
実は僕は注射をするのもされるのも大嫌いです。
だから、こども達にも注射はできるならしたくない。
でも
自分は医者だから、
嫌いでも注射をしないといけない場面があります。
注射をする時こども達は、
僕のことを悪魔か鬼に見えているかもしれない。
こどもの笑顔を守るのが小児科医なのに、
目の前のこどもを悲しませてしまい、
医師としての思いに矛盾した行動に戸惑うこともあります。
でもその時、心の中の医者の良心が叫ぶんです。
”この注射をしないと、もっとこの子を悲しますことになるよ。
命を奪われてしまうことになるかもしれないよ。
そうなってもいいの?”
僕は我に返るのです。
今僕が逃げてしまうと、
誰がこの子を救うの?この子を救えるのは僕しかいない。
ひるんだ心を、医者の良心が一瞬で追い払い、
”この子にどう思われてもいい、
目の前の子どもが早く元気になることを、
笑顔で過ごせること”を願い注射をします。
終わった後は、不思議と一瞬で空気が変わります。
こども達の気持ちが僕の心に伝わってきます。
僕は、こどもの頑張りに応えるために、
最高の笑顔でこどもを送り出す。
注射をしたこどもたちは、また受診する時、
注射をされるかもとおびえるて来院されることはあっても、
先生は嫌いと言われたことはありません。
注射がないと分かれば、安心して診察を受けてくれます。
注射を打つ時は
僕のことを鬼と思ったかもしれないけど、
鬼ではないんだねと
お互い安心して診療が始まります。
これは、仕事上の嫌なことの話だけど、
注射の時の問題だけでなく、
日常生活でも、目の前の人が、
今嫌がってることでも、
心を鬼にして行われないといけないことは
あるのでは4ないでしょうか。
その時は気づいてもらえないかもしれない、
理解してもらえないかもしれない。
でもその時に相手を思う心は、必ず伝わると思うのです。
嫌な事でもだから、
いいことはもちろん伝わる。
だから、
いつも目の前の人のしあわせを念じて接することが
大事なのだと思う。
そうすれば
しあわせな関係が生まれる、
しあわせの絆が広がるのだと思う。
人
かつてテレビドラマのセリフで
「人という字は
人と人が支え合っている姿を
表している」
がありました。
確かに
棒に見立てた二人の人間が
支え合っているようにもみえるけど
ちょとうがったみかたをすると
「支え合っているように見せかけて
長い棒が短い棒の方に寄りかかっている。
長い棒の方が楽をして
短い棒は苦労している」
と見えると。
確かにそう言われれば
そう見えてきます。
どんな見方をしてもいいのですが
この人の字はをみて思うことは
確かに
人と人は支え合って生きている存在なんだ。
これは
僕にとっても言えること。
医者として診療していて
患者さんの病気を治して
患者さんを支えて働いているけれど
患者さんを診ることで
僕は生きることができる。
自分の
誰かの役に立ちたいという気持ちを
患者さんから頂いている。
だから
次の患者さんに対して
また向き合う力を持つことができているのだということ。
つまり
僕も患者さんに支えられて
生きているのだと言うことに気づいた。
そう言えば
ブラックジャックも次の様に叫んでいた。
「それでも私は人を治すんだ。
自分が生きるために!」
健康が目的ではない
新年の決意で
“健康”を第一に掲げた方も多いことでしょう。
でも
あなたは今年健康であればいいですか?
健康であれば、ほかに何も望みませんか?
実は
盲目的に健康を目指す方は
意外に不健康であることの裏返しだと言われています。
健康を目標に掲げた時
健康が目標になっていませんか?
健康が人生の目的になっていませんか?
健康でいたいのは….
“やりたいことをやるため”のはず。
ただ、健康でいるだけが目標でないはず。
たとえ今病気であっても
元気になれば、やりたいことがあるはずです。
どんな人も
健康であるその先に
健康のからだになったら、どうしたいかが
きっとあると思います。
実際
人生に目標があり
日々目標に向かって“芯”“軸”のある
生き方をしている人は
からだも強い人が多いのです。
健康であるということは
人生の目的でなく手段にすぎないはずです。
東洋医学に
“心身一如”という考え方があります。
心とからだは繋がっています。
心が元気なら、からだも元気なのです。
心が健やかなら、からだも健やかになります。
やりたいこと
やらないといけないことがある
そのために生きていることを感じて
日々過ごしている人は
心身とも健康を望み
人生を全うするのではないでしょうか。
使命を感じて生ききる
それが
より良い事実した人生を送ること
になると思います。
みなさんが
健康でご自身の生きていく目的が
成就できること願い
応援していきたいと思ってます。
☆ 今年の倫理法人会の書き初めで
“黎明”と書かせていただきました。
黎明とは、夜明けの意味。
今年一年、何かが変わる、変わらないといけない
そんな予感がして、書きました。
今年一年がどんな一年になるかわかりませんが
きっと明るい未来が待っていると信じて
目標、目的を持って突き進んで行きます。
薬は飲んで欲しい
患者さんを診察し
病気を治そうと、患者さんに今必要だと思う
薬をだします。
今選択した薬が
患者さんの病気にどのように対応してくれるかは
残念ながら経過をみないとわからないのです。
だから
処方をだす時には
薬が効かない場合も想定しながら
日数も考えて処方しています。
そして
急性期を過ぎて
もう一押ししっかり治したいと思い
少し長めにお薬をお渡しします。
でも、患者さんの思いは
ちょっと違って
薬を途中で内服するのをやめてしまったり
飲んでいただけなくて
びっくりすることがあります。
でも、医者である僕もそうですが
患者さんも早く治りたいから
病院にも来るし、薬も希望されるのだけど
治り始めると
患者さんと医者である僕との思いが
かけ離れてしまうと感じてしまいます。
患者さんは
一番苦しい時期を乗り越えると
「もうよくなっているし
もう薬はいらない。飲みたくない」と思うのは
ごもっともだと思います。
その気持ちの裏には
「薬を飲んでいる間は病気なので
早く薬をやめることで
病気が治った」と思えるのかもしれません。
でも
治ったと思う所から安心せずに
もう一歩しっかり治してもらいたいのが
処方する側の願いです。
病気の原因
病気になると
急にどうしてこんな病気になったのか
原因を誰にも探します。
それは
患者さん自身だけでなく
病気の原因を必死で探すのは
医者も同じです。
でも
医者の考える「原因」と
患者が知っている「原因」は違うこを
よく感じます。
医者は検査をして
データを示して
患者さんに原因を伝えようとします。
つまり
数字や画像など
客観的に病気の原因を伝えようとします。
でも、実際は
病気の原因は必ずしも
物理的なことばかりではないと
いうことを感じます。
そんな時、患者さんは病気の説明に
どこか釈然としない表情をすることがあります。
病気の原因は
医学知識の中にだけあるのではなく
それよりももっと、深いところにあるのです。
だから
患者さんの今の症状だけを診るだけでなく
患者さんの生活をできれば人生にも
光を当ててともに考えていくべきだと
常に思って診療しています。
【花咲くその日のために今できること:やりきったこと】
今日も冬空の山口です。
昨日は、ランチに行ったお店で、倫理法人会の話をしたら
共感してもらい、その場で入会を決めていただきました。
思いが伝わった瞬間、心が通じた瞬間、
そして絆が生まれた瞬間を経験しました。
本当にありがたい瞬間でした。
何事も“まっさらな心”で向き合えば、理解もし、
分かり合えるもらえる。
まっさらな心ってとても大事です。
今日も素直な心、まっさらな心で、
一日を大切に過ごして行きましょう。
さて、今日考えて見たことは
今まで「やり切った(やり切っている)」ことの中で、
一番思い出深いことなんだろう?
ってこと
僕のやりきったことは、
今のクリニックを開院したこと。
今のクリニックを開院して2月で丸5年になります。
この病院を作るために、
知恵、体力、経験、そして運さえも・・・・
僕の持ってる全ての力を
注ぎこんでできたと思います。
クリニックを作ろうと思った時
自分と見つめ合う機会をいただきました。
自分と見つめ合った瞬間、
自分らしい医療、自分しかできない医療、
自分らしく生きること、自分しかできない生き方を
したいというエネルギーが
自分の中から沸々と湧いてくるのを感じました。
それを今考えてみると、
きっと自分の使命に目覚めた
瞬間なのかもしれません。
だから、
決意して立ち上がれたんだと思います。
縁もゆかりもない土地での再出発でした。
最初は妻以外に
僕の思いの理解者も応援してくれる人もいませんでした。
でも、僕は行動しました。
自分の思いを語る機会がありました。
心から溢れる思いを誰かに伝えたいと思いました。
そんな僕を
時の神様は見ていらしたんだと思います。
僕に”出会い”という
プレゼントを用意してくれていました。
めげそうな時も
僕を支えてくれたのは、
それまで縁もゆかりもないのが不思議に
思えるほどの良きご縁でした。
初対面の方なのに
全てを語れた気がします。
僕の医療を夢を理解してくれ、
身体を張ってサポートしていただいた方々に
次々に出会いました。
どんな困難なことが起こっても、
めげそうな時も温かく応援してくれた方々でした。
そして
いつも僕を信じてついてくれた家族がいました。
クリニックが形になるにしたがい、
みなさんの温かい心に
僕が包まれていく気がしました。
そして、クリニックが開院して
この2/14で5丸五年になります。
今思うのは、
このクリニックで太陽のような医療を届けるのは、
ただの通過点でしかない。
僕には、
まだまだ使命感があるような気がしています。
僕の命を輝かせてくれた
皆さんの温かい心に感謝して、
今ここにいることに感謝して、
自分の命をみんなのために
精一杯光輝かせて生きていこうと
思っています。
あなたのやり切ったことって
なんですか?
夢
最近夢は見ましたか?
いつ見るかわからない夢でも
お正月に見る初夢は
願いが叶うと言われ
初夢を見るのがとても楽しみな夢です。
僕は、気持ちよく寝過ぎて
見た夢が思い出せません。
ところで
人類がずっと望んでいる夢
いまだ叶わない夢。
それは
不老不死
若返ることかもしれません。
秦の始皇帝も
楊貴妃も
ヒトラーも
ジョブズも
世の権力者と言われる人が
全ての地位も名誉も手にしても
どんなに手を尽くしても
手に入れられなかった願い。
それが不老不死。
その究極の願いに向かって
東洋では
不老不死の仙薬を探し求め
様々な漢方薬が作られ
西洋では霊薬を作り出すために
錬金術が盛んになり、
科学が進歩しました。
永遠の命を求め
現在の医学が発展したとも言えるでしょう。
不老不死の方法が見つかれば
科学の力で
大きく世の中が変わることでしょう。
しかし、
現代医学をしても不老不死は解明はされていませんが
実はサーチュイン遺伝子といわれる遺伝子が
長寿に関与しているのでは?考えられ、
サーチュイン遺伝子が
長寿遺伝子として脚光を浴びています。
この遺伝子はバクテリアから人間まで
全ての細胞にある遺伝子で
酵母やショウジョウバエや線虫などの
多細胞生物で
サーチュイン遺伝子がよく働けば
寿命が30%以上伸びるなどという報告が
世界のあちこちで発表されています。
それで、サーチュイン遺伝子を
長寿遺伝子と呼び
世界的に注目され盛んに研究されています。
この遺伝子の特徴は
普段は活動していないのですが
からだにストレスがかかると
働き始めることがわかってきます。
人が
飢餓、低酸素、温熱、運動するなど
過酷な状況になると
この長寿遺伝子が目覚めるのです。
つまり
サーチュイン遺伝子は
生きていこうとする力
生命力を芽生えさす力とも言えます。
ずっとサーチュイン遺伝子が働き続け
永遠のいのちが手に入ったとしても
ずっと
お腹が減った状態で
ストレスがかかった状態で
生き続けることは
果たしてしあわせなのでしょうか?
永遠の命を得たとしたら
いったいどんな生き方をしますか?
どのように生きていると思いますか?
僕には
とても大きな命題で
今を生きるだけでも必死の状況で
答えを出すことができません。
ということは
今、永遠のいのちは必要ないのかもしれません。
人類が永遠に生きなければという
目的を持ったとき初めて
不老不死の夢が叶う時代が
訪れるような気がします。
今、永遠のいのちを望むより
今、生きていることを大切にすることが
大事だということ
今、どんなに苦しくても乗り越えられる力を
体の中に秘めていること
「どんな状況でも頑張れる力があるよ」と
サーチュイン遺伝子の存在が
教えてくれているのかもしれません。
病気の時の入浴
毎日診察していて
きかれる多い質問の一つに
今日はお風呂入っていいですか?
があります。
そこで今日は
病気の時にお風呂に入るかどうか
あわてないようにです。
日本人はお風呂が大好きです
お風呂の効果は
①皮膚を清潔にして、皮膚呼吸を助ける
②皮膚を温め、刺激して血行をよくする
③身体を温めて、緊張をときほぐす
④精神的疲労を取り除く
などの効果があります。
そして
こどもは新陳代謝が活発なので
毎日でもお風呂に入れてあげたいと思います。
でも熱いお風呂に入ると
体力を消耗するので注意が必要です
風邪の場合
①熱がある時(下がっても24時間たっていない)
②熱がなくても
顔色が悪く、食欲、元気もなく、機嫌も悪いとき
③下痢や吐いたりして活気がないとき
④頭を打った後は
などの場合はお風呂は控えましょう
ただ、咳、鼻水があっても
お風呂にはいると、気道が加湿され
痰がでやすくなるので
①元気であればOK
②37℃台でも
食欲もあり、元気であれば
短時間さっとお風呂に入るのは
OKです
そして
お風呂に入る時の注意です。
湯冷めを心配して
お湯を熱めにすると、体力が消耗します。
入浴後身体が火照ってるときに
あわてて布団にはいると
熱を放散させるために汗をかいて
かえって寝冷めしてしまうことになります。
身体のほてりがとれて
寝るようにしましょう。
また
お風呂に入れない場合は
汗をたくさん掻いたあとなどは
熱いお湯でしぼったタオルで
身体や手のひら、足先、お尻を拭いてあげましょう
さっぱりして
お風呂に入ったと同様の
効果がありますよ。
また
下痢をしている時は
お尻だけでも洗ってあげると
おむつかぶれの予防になりますね。
病気の時は
お風呂につかるだけでなく
その時に応じて対応してあげると
さっぱり、ぐっすり休めて
病気も早く治るかもしれません。
ただ
どうしよう?と思ったら
無理せずお風呂はおやすみにした方が
あわてなくていいですね。
こころと身体ともに健康をめざす
こころと身体は相互に影響を及ぼす。
だから
精神的に落ち込むことがあれば
そのことが
身体の不調を生み出し
様々な病気の発症や悪化の原因になるし
からだの病気が
人の気分や思考に影響を
与えることもある。
健全な肉体に
健全なこころが宿るとも
言われることもある。
年をとると
病気になる機会が増えて
病院を受診することが多くなり
小児科医の僕でも
お年寄りの方を診ることが増えてきました。
年をとるにつれて
老化は避けて通ることはできません。
若い頃にはなかった
関節の痛みや腰痛を感じることも
近くのものが見えにくくなったり
物忘れが多くなったり。
比べると
身体の衰えを感じると誰もが悲しくなるでしょう。
そして
不治の病ではないか
死期が近づいているのではないかと
先行き不安になうことが
増えていくような気がします。
実際、そんな悩みを診察中に
お話を聞きます。
そのような話しを聞きながら
いつも
こころの状態が病気にならないように
お話をしていますが
そう簡単には
人の思いって変えられないですね。