「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
人知れずいつも親切に
こどもの時、誰もが
”人のために何かしたい”
”大きくなったら、多くの人に喜ばれることをしたい”
と心に刻んできたことでしょう
そして、志高く
お金をいっぱい稼いで、多額の寄付をしよう
困ってる人がいる地域に行ってボランティアをしよう
世の中をかえるような発明をしよう
・・・・などと夢を描いたこともあったことでしょう。
でも
おとなになると
お金がないから寄付ができない
時間がないからボランティアもできない
チャンスや能力がないから大きな発明なんてできない
・・・・と
段々志がしぼみだします。
そして
”だから、自分には与えられるものは何もないんだ”と
思ってしまうかもしれません。
そんな時
ちょっと、自分の身の周りを見渡してみましょう。
自分の身の周りの人々に目を向けてみましょう。
元気よく挨拶をしたら
笑顔が返ってきませんか?
トイレや洗面所の汚れを拭いたら
みんな気持ちよく使えませんか?
部屋の整理整頓をして
ちょっと花を置いたら
何だか居心地の良い空間になっていませんか?
日常生活の中で
自分が与えられるもので
まわりの人が喜んだり
人間関係がよくなったりすることって
ありませんか?
大きなことでなくてもいい
小さなことでいいから
人知れず、そっと人のために
何か親切なことをしてみる。
この行動は
してあげるという与える行為だけど
実は
自分の気持ちを温めてくれます。
そして
しあわせな気持ちにさせてくれます。
そのしあわせな気持ちは
もっと、もっと
大きなしあわせな気持ちになり
周りの人に伝わっていきます。
小さな親切でも
自分も周りの人も
しあわせな気持ちにさせてくれるのです。
そして
ますます
親切にする気持ちがわいてくるから不思議です。
人知れず、ささやかに
いつも親切にするだけでも
世界中の人がしあわせにできるのかもしれませんね。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
ひとりでも多くの方のお役に立てることを願うばかりです。
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けいれん?と思ったら
1歳7ヶ月の女の子受診されました。話を聞くと・・・
夜突然38.4℃の発熱、
顔色も悪く呼びかけてもボーッとしていた(1分程度)ので、
救急車呼び救急病院へ搬送。
当直医(内科医)の診察を受け、
熱性けいれんの可能性もあるので、痙攣止めを処方され帰宅した。
このような時、救急車を呼ぶかどうかとても悩みます。
呼んでいいと思いますか?
正解は、呼んでもいいです。
ただ、以下の点を理解してくださいね。
人はウイルスや細菌に感染して体温を上げる時、
筋肉をブルブルと小刻みに震わせて熱を産生します。
そして
産生した熱を逃がさないように、
皮膚の血管を収縮させるので血行が悪くなって、
手足が冷たくなったり、顔色が悪くなったりします。
これが熱が高くなる時に、
体で起こっていることです。
今回のケースもこれに当てはまると思われます。
ですから、
厳密にはけいれんではないと考えられます。
ただ、実際のご家庭では、
けいれんなのか
熱が出た時の体の変化なのかを
判断するのは困難です。
不安も強くなり救急車を呼ぶこともやもえません。
ただ、次の点だけを呼ぶ前に心に留めておいてください。
①まずは、落ち着いてください。
②時間を見てください
(熱性けいれんは10分程度で止まります。実際は長く感じますが)
③叩いたり揺すったりせず、衣服を緩めて楽な姿勢にしてあげて、
お子さんから離れず、状態を次のポイントでチェックして見てください。
息はしてますか?
顔色はどうですか?
手足は突っ張ってますか?動かしてま すか?
目つきはどうですか?左右差はありますか?
④以上を把握して、けいれんだと思われたら、救急車を呼んでも構いません。
でも、決して到着までお子さんのそばから離れないで下さいね。
けいれん?と思った時は、
たとえ医療者でもあわててしまいます。
まずは、「落ち着いて、落ち着いて」と
自分に言いきかせて行動しましょう。
そして、熱性けいれんを起こした場合、
次回熱が出た時、痙攣した時などの対応をどうするのか、
かかりつけのお医者さんと十分に相談しておくと、
いざという時に、あわてずすみますよ。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
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丁寧に生きるとは、今この瞬間を生きること
最近マインドフルネスという言葉を
よく耳にします。
マインドフルネスとは
「いまこの瞬間を大切にいきること」を
意味する言葉で
そのことを実現させる具体的な手段として
知られている瞑想法です
病気や逝きづらさの背景に
ストレスがあると言われる現代社会。
ストレスの最も大きい要因は
人それぞれで様々な悩みがありますが
そのほとんどはネガティブな思いで
心がいっぱいになるのが原因です。
「今、この瞬間」を生きようとするときに
過去のことをくよくよと考えたり
未来に対して不安になったり
すなわち”こころ”ここにあらずという
状態になってしまっているのです。
書家の武田双雲さんは
ご自身の著書で
どんなことにも丁寧に取り組むことが
マインドフルネスのような効果があると
述べられています。
どんなことにも
感謝して上機嫌で
こころを込めて丁寧に生きることで
しあわせに生きられるのです。
丁寧に生きることが今を大事に生きること。
丁寧という言葉を作ったのは
千利休といわれています。
利休は言わずと知れた
茶道を拓いた方でもあります。
僕は茶道の経験はありませんが
以前読んだ森下典子さん作「日々是好日」で
茶道はいくつもの動作から成り立ち
ひとつひとつの動作を丁寧に行います。
いくつもの作法を経て
客の前にお茶を出します。
お客は
お茶を楽しむだけでなく
飲み終わった茶碗を回しながら
茶碗を楽しみ
茶室の掛け軸、活けられた一輪の花でさえ
お客のことを思ってしつられていることが
わかってくる。
それは
そのお客と過ごす時間が
今日だけかもしれないから
今この瞬間を悔いを遺さないように
もてなすのです。
まさに
今この瞬間を大切に生きることを
形にしたのが茶道。
そして、何事も丁寧に生きることが
今を生きることなのだと
千利休は教えてくれているのです。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
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日々是好日
映画「日々是好日}を観た
この作品は森下典子さんの同名小説(エッセイ)を
元に映画化された作品。
僕は最初に本を読んでいたので
森下典子さんの
茶道を始められた経過から
茶道を通しての気づき
そしてご自身の人生の出来事と
茶道との関係を
素直に書かれた本に
すーっと心に溶け込んだ本であった。
茶道では
色々な作法があります。
その作法がただ繰り返し繰り返し行う。
行っている内に
色んな疑問が生まれてくる。
どうして、こんなことをするのか
そんな疑問を先生にぶつけてると
何も考えずに淡々と続けなさいと
教わる。
すると、あるとき
何も考えずにからだがすーっと動く感覚を
憶えたのです。
すると
自分の周りの環境に対しても
不思議な事が起こるのです。
掛け軸の字を観ると
字として観るのではなく
音として感じだしたのです。
お茶碗を触っても
ぬくもりを感じたり
水の音も温度によって異なったり
様々なことに気づけるようになり
茶道にはまっていくのです。
自分は茶道を習ったことはないけど
ただお手前をくり返すこと
そのお手前を何も考えずにできるまで行うことに
意味がある。
頭で考えることではなく
心で感じれるようになることを目指す。
それが茶道の目的だと言うことを
この本、映画を通して知りました。
○○道の奥深さを知った。
またこの映画は
樹木希林さんの遺作。
そのいぶし銀の演技にも感服した映画でした。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
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老いの苦しみをどう切り抜けますか?
お釈迦様は
生・老・病・死を四苦として
この世の苦しみを表現しています。
この中で
病いの苦しみも味わったこともあります。
生きていくことも苦しいこともあることは
理解できます。
死についても、
経験はもちろん生きている間に
できるわけではないけれど
わからないだけに死を考えると
単なる恐怖というよりは
誰もが経験するのに
わからないことに対して苦しみとなることも
理解できます。
そんな中で
「老」に対する苦しみ・・・って
どんな事なんだろう
老いることも死と同様に
生きている限り避けられないことだけど
長寿を逝ききった
多くの先輩方がいらっしゃるので
のりきる方法がどこかに
あるのだろうと思っています。
人生の生き方として
注目している人のひとりに
昨年残念ながらお亡くなりになられた
瀬戸内寂聴さんがいらっしゃいます。
波瀾万丈の人生の中
破天荒にも見える生き方
僧侶であっても
どこか人間くささのある生き方、、説法で
多くの人に生きる希望を与えられた
瀬戸内寂聴さん。
でも、人には見せない本質のところを
知りたくて
注目していた方です。
そんな寂聴を密着取材され
17年間カメラに記録された
中村哲さんの映画
「99年生きてきて思うこと」を観ました。
多くは豪快に大好物の肉を
美味しそうに食べ
説法ではみんなと同じ目線で
語りかける姿は
誰もが知っている、
だから誰にも愛される寂聴さんの姿
でした。
でも
密着することが許された監督の前で
流された涙
その姿が心に響きます。
いつまでも元気そうで
明るく
老いも病も楽しく乗り越えられ
楽しく生きられ
死も怖くないような
生・老・病・死の苦はないように
振る舞われル寂聴さんですが
涙する場面がありました。
それは
うまく話ができなかったのでしょう。
寂聴さんが話せなかったと
ボケてしまったと後悔するように大声で
嘆き泣かれるのです。
そんなことはない・・と周りの人が言っても
その言葉にも耳に入らないかのように
嘆き泣かれるのです。
そして
なくなる年のお正月
もう私はもう長くはないと
病気も克服されているのに関わらず
嘆かれるのです。
そして
臨終の時の取材を許可されるのです。
お正月にそんな縁起でもない話に
そして生命力あふれて活躍される
寂聴さんに対しては
周りに肯定する人がいるはずもありません。
でも
その時思ったのです。
寂聴さんは老いることの苦しみと
闘っているのだと。
そう感じたのです。
老いるはしかたが無いこと
そんなことは百も承知していても
老いたくないと
老いと闘われていたのです。
そして
中村哲さんに遺した最後の言葉として
遺されたのは
必ず帰ると、先生とけんか中です。
その時は
退院して家に帰りたかったから
でた言葉と思いました。
時間をおいてこの言葉を思い返すと
帰る場所は家ではなく
この世で生きる続けたいという
寂聴さんの心からの叫びだったのでは
思いました。
仏と寄り添って生きていても
四苦からは逃れられない
さあ、あなたはこれからどう生きる?と
仏様から言われて気がします。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
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おもてなしの心
“おもてなし”と言う言葉は、
日本人の良い心を
表す言葉として世界的に注目されています。
“おもてなし”と
よく似た言葉に
“サービス”という言葉があります。
おもてなしとサービスの
違いはなんでしょう。
サービスは
相手が見える(気づく)前提でやるものです。
相手が満足する行為、行動が
サービスです。
もしその行為が
相手に嫌な気持ちにさせてしまったら、
サービスでなくなります。
そして
サービスする側とされる側が
対等な関係だとは言えません。
一方、
”おもてなし”は、
もてなす側(主人)ともてなされる側(客)双方が、
共に創りあげていきます。
“おもてなし”の語源は
“表なし”からきていると言われています。
つまり、
相手に気づかれずに、
さりげなく相手のためを思ってやる。
そして
相手もある意味で
そのことに気づかない心遣いのこと。
お互いのことを思いやりながら
自らの役割を果たしていく。
ある時は主人が客のように、
客からもてなされます。
そこにあるのは
相手を思いやる気持ち。その行為が
おもてなしです。
“おもてなし”
常日頃相手の事を思い、
相手の喜ぶ姿を喜びとする、
日本人の目指す生き方を示した
言葉じゃないでしょうか。
いつも
“おもてなしの心”をもって
過ごしたいですね。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
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あなたはあなたであって、あなたではない
人間と宇宙には深いつながりがあって
僕たちのからだを構成しているすべての物質は
星が光り輝く過程で作られたと言われています。
宇宙の始まり
ビック・バーンという大爆発が起こりました・
その時、宇宙空間にばらまかれた
星のひとかけらから
地球ができ、人間をはじめ
すべての生物が生まれたというのです。
ですから、僕たちは
星のかけらでできていて
宇宙、自然から分けられたと考えると
僕たちは、間違いなく自然、宇宙の一部なのです。
ですから
自然を崩す、宇宙全体の法則に反する
行動をすることは
自らを傷つけているということになるのです。
それでは
生きるということは何でしょう・
生きるとは
あなた自身の物語を作ることだと思います。
その物語の中で
あなたが主人公になってできた物語が
あなたの人生なのです。
物語は
自分ひとりでは成立できません。
自分と自然との関わり
自分と自分以外の相手との関わり
から成り立っている。
その関わりは
素敵な関わりだけでなく
見にくかったり、悲しかったり
困ったこともあるでしょう。
それでも
あなたのからだを構成している
60兆個のすべての細胞が
あなたの人生に関わっているのです。
中々実感するのは
難しいですが
あなたはあなた以外の存在で
あなたはできているのです。
あなたはあなたであって
あなたではないのです。
ちょっと不思議ですね。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
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心の栄養も大事
何を食べるかって
とても大事なこと。
だから
ファーストフードばかり
インスタント食品ばかり
大量生産された、お弁当や食品ばかり
スナック菓子ばかり
こんな食事はお勧めしないけど
もし、こどもにこんなことを言われたら・・・・
僕が好きな食べ物はM店のハンバーガーです。
近くにあるM店に
日曜日の朝に時々食べに行くことがあります。
いつも忙しくしているお母さんも、
朝ご飯を作らなくてすむとニコニコしてます。
みんなが笑顔になれるハンバーガーが大好きです」
ファーストフードは栄養面などの点で
オススメはできないし
食べるのを極力控えるべきものです。
でも
食べることは栄養だけが目的じゃない
家族そろって
家族全員笑顔になって、
みんながしあわせな気持ちで
食卓を囲めた食事なら
栄養面以外の大切さがあります。
だから
そのことを理解して
食べるならたまにはOKですよね。
こころの栄養も大事ですから
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
ひとりでも多くの方のお役に立てることを願うばかりです。
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神は存在するの?~仏教からの考察~
神はいるのか、いないのか
神を信じるか、信じないかで
その人の人生の生き方は変わってくる気がします。
聖人と言われる
マザーテレサは
神の実在を死ぬまで信じていなかったとも
言われています。
キリスト教や神道には
世界創世の記述はあるけど
仏教ではこの世のはじまりについて
我々には伝わっていません。
しかし、仏教では
来世の存在
永遠に続く輪廻転生の存在
そのために今生での解脱について
説かれています。
仏教はキリスト教や神道とは
その点が一線を画している点のような
気がします。
もう少し具体的に言うと
お釈迦様の拓いた古式仏教では
あくまで、個人個人が自分に合う
修行をおこなうことによって
人生の苦悩である(生・老・病・死)を克服し
確かな安らぎの道をみつけることを
大きな目的にしています。
神のような超越者にすがるのではなく
瞑想などによる修行をすることを
推奨しているのです。
そこには、仏教の考え方に基づいています。
仏教では
宇宙のすべてのものは
過去から永遠に続く未来へと向かって
進んでいき、
その間、すべての生き物は輪廻転生をくり返していく。
つまり
すべての生物は
生・老・病・死という苦悩を
永遠に持ち続けて生き続けるのです。
その永遠に続く四苦の断ち切るために
瞑想をくり返し、解脱することを目指すのです。
そして四苦からの解放された咲くには
時間も空間も存在しない
完全なる無の世界に到達できるのです。
その無の世界に行けるのは
苦悩から解放された解脱者だけが行くことが
赦される。
今までその世界に行けたのは
悟りを開いたお釈迦様なのでしょう。
その世界には
解脱者、神のような存在の方が
いらっしゃるような気がします。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
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無邪気なくらし③
邪気を生み出さないためには
素直で思いやりに満ちた
やさしい心持ちを自分の場者で育て
大切にすることを忘れず
「ありがとう」という感謝の気持ちを
人だけでなくどんなものにも向けることが
邪気を生まない生き方なのです。
でも、もし邪気が生まれてしまったら
生まれた邪気をため込まずに
外に流すことがポイントです。
外から入り込む邪気からは
自分を守ることもできるのです。
そのために邪気に気がつく
素直な心が大切なのです。
邪気から守る方法は
腹式呼吸です。
お腹に気を入れておくことになります。
流す方法としては
手を洗うこと
天然塩で手をもむといいです。
そして
水をよく飲むこと、お風呂に入ることも
邪気を流すことになります。
邪気は背中にたまるとも
言われるので、
背中を叩いてもらうのもいいでしょう。
また自然に触れることも
邪気を祓うことになります。
邪気を祓う方法は
そのものは色々ありますが
忘れてはいけないのは
朗らかに笑顔で過ごすことなのです。
邪気がよりつかないのは
こどものように日々楽しんで生きること
つまり
無邪気に生きることなのです